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ジャネットの夜

 日はすっかり沈み、地上は闇にに包まれている。

 空を見上げれば、満天の星。今にも地上に降ってきそうな無数の光。風はなく、星を遮る雲もない。

 夜道を歩く、2つの影。マーヤーとジャネットだった。ジャネットの光輝(ライト)の魔法があたりを薄明るく照らしだす。ジャネットの近くをふわふわと漂う、明るすぎないその光は、遠くを見渡す視界を邪魔しない。

 遠くに見える森の影。街道からは離れ、木々はひとかたまりの小山のような影を見せている。

 「今日はあまり冷え込まなくって助かるわ」

 うれしそうに言うジャネットに、マーヤーは微笑んでみせる。

 「寒がりだね、ジャネット」

 「…だから、寒くない、って言ってるんでしょ」

 道は遠くまで続き、あたりには何もない。旅人のために設けられた駅舎もこのあたりにはないようだった。

 「今夜も野宿だわ。…もう少し、先まで行く?」

 そうね、とマーヤーが言う。

 もう少し行けば、街道が森に近づいている。そこまで行って、今日の旅を終えよう。

 「ジャネットも、ずいぶん健脚ね」

 「当たり前じゃない。歩けない冒険者なんて、あり得ないじゃない」

 あはは、とマーヤーが笑う。マーヤーも歩くペースには自信があるが、ジャネットはそれを上回るくらい足早に歩く。学究肌の魔法使いの中には、体力が乏しく、冒険に出ると仲間たちのお荷物になる者もいるが、ジャネットはそんな様子はない。マーヤーのように、空を飛んだりしない分、ジャネットの方が体力があるくらいだ。

 「小さいときから、いろんなところを探検してるからね? こんな歩きやすい道、眠りながらでも歩くわよ?」

 「…それは、違うと思う」

 やがて、森の影が近づいてくる。

 静寂の中、どこかで夜鳥(よどり)の声が聞こえる。今の季節にも、森には息づくものたちがいる。

 「そろそろ、かな…」

 街道脇に、適当な空き地を見つけてジャネットが言う。

 森の中へ入って、薪になる枝や、枯れ葉を探す。ここしばらく雨は降っていない。

 野宿の支度ができた頃、ジャネットがふと空に目をやる。

 「流れ星…」

 ジャネットの指さす方をマーヤーも見つめる。ほんのわずかの間のきらめき。消える前に願いを掛けると叶う、という言い伝えは、迷信と思ってはいても、やはり、試さずにはいられないものだ。

 いつまでも、2人で…マーヤーといられるように。目を閉じ、そうジャネットは心に念じた。…マーヤーは、何を祈ったのだろうか。自分と同じことを…ではないだろう。1人で静かに暮らせる日のことを願ったに違いない。そう思うと、なんだかさびしくなる。

 コルターでマーヤーと出会ってから、もう半年になる。

 最初に見たときから、マーヤーの存在は印象的だった。初めてマーヤーを見たとき、と胸を突かれたような、痛みに似た感覚――そう、あれは、間違いなく現実の痛みだった――をジャネットは感じたのだ。気が付いたときには、ジャネットはマーヤーに話しかけていた。

 冒険の後、姿を消したマーヤーのことを、忘れた日はなかった。

 仲間たちがシュタイナー商会相手に手を出し、逆に命を狙われるようになったときもそうだった。仲間たちを失い、何とか命を拾ったとき、ジャネットの思いはマーヤーを探すことだった。もう一度、マーヤーに会いたい。その思いはつのるばかりだった。

 死を免れる条件と矛盾しなかったその思いに動かされ、ジャネットはマーヤーを求めてミュロンを訪れたのだった。

 あれから、1月(ひとつき)。今、ジャネットはマーヤーと一緒にいる。

 目を閉じ、流れ星に祈るマーヤーを見て、ジャネットは、思わずマーヤーを抱きしめたくなる気持ちを抑えていた。

 「マーヤーは、何を祈ったの?」

 そう訊いてみる。予想通り、マーヤーは首を振る。

 「訊かないのがエチケットだよ?」

 ああ、そうだっけ、とジャネットは舌を出す。

 「だって、マーヤーのこと、知りたいもの。…まあ、マーヤーの考えそうなことは、わかるけどね」

 「…そう?」

 「うん、だってマーヤーのことだから」

 なんなの、それ。そう言ってマーヤーが肩をすくめるのをジャネットは気にしない。

 ジャネットの魔法で薪に火をつけ、2人は地面に腰を下ろす。

 「あぁーあ、今日も1日、頑張ったわね」

 伸びをして言うジャネットに、うん、そうね、とマーヤー応じる。

 「当てのない旅だけど、ね」

 そうだわよね、とジャネットも応じる。

 「今日は何の日か知ってる、マーヤー?」

 「今日?」

 「そう、12月27日」

 「…ああ、ゼフューダ神の記念日ね」

 神話では、創世主を封印したゼフューダが神帝の座についたのが今日のことだとされている。自ら創り出したこの世界を、思うがまま、好き勝手に(もてあそ)ぼうとした創世主を諫め、生きとし生けるものに、生きる自由と、権利を与えるべきだと主張し、多くの神々を率いて創世主に立ち向かい、勝ち目の乏しい戦いに赴き、奇跡的な勝利を得た日。

 その勝利の日が、今日12月27日なのだという。1年の終わり間近(まぢか)の日に神への感謝を捧げ、やがて来る新しい年の支度をする日。

 「それは、実は、ブーリブドルの助けがあったからだ、っていうのは、わたしたちだけの知ってる秘密よね」

 「でも、神話だよ? それに、言い伝えは他にもあって、いろんな記念日もあるじゃない」

 「いいのよ、それで。記念日がたくさんあっていいじゃない。お祝いなんだから、いいことなんだから。楽しい日なら、いっぱいあるのが素敵でしょ」

 それもそうね、とマーヤーが言う。

 「ゼフューダの神殿じゃ、今日はきっと盛大な式典だったわよ。…マーヤーは行ったことある?」

 「ないよ?」

 「わたしも、遠くから見たことがあるだけ。…その内、行ってみたいかな。マーヤーと一緒に」

 「ごめんね、わたし、そういうのあんまり興味ない」

 「まっ、そうなの? だめよ、それじゃ。神様のお祭りなんだから」

 「…ジャネットは創世主の方に肩入れしてたんじゃなかったっけ?」

 ラムランチュールの神殿での様子を思い出してマーヤーが言う。

 「それはそれ、これはこれよ。神理は神理、神事は神事。楽しいことは楽しいものよ」

 「そのうち、(ばち)が当たるよ?」

 まさかぁ、とジャネットが笑う。

 「わたしなんかにかまってられるほど、神様が暇なわけ、ないわよ。世界中にたくさん信者がいるんだから、そっちのお()りで手一杯でしょ」

 第一、神様なんて、本当にいるのかどうかわからないじゃない、…と、さすがにそれは口に出さない。マーヤーが、どんな信仰を持っているのか、ジャネットにはわからない。下手なことを言って、マーヤーの気持ちを傷つけるのは嫌、マーヤーに嫌われるのはもっと嫌だ。そう思って、口をつぐむ。

 この世がある以上、創生主はいる。しかし、ゼフューダや創世主の使徒たちが本当にいるのかどうか、ジャネットは知らないし、世の中には架空の神を奉る怪しげな団体も珍しくはない。二つ部屋の中でマーヤーが言っていた教団のようなものもある。

 でも、誰もが知っている神話──ゼフューダの神話なら、いいだろう。ラムランチュールの神殿でもマーヤーは神々を否定するようなそぶりは見せなかったから。

 「とにかく、今日は神様の記念日なの! だから、乾杯!」

 そう言って、ジャネットは小袋に入れたワインを出す。──マーヤーには、山羊の乳を渡して。

 「世界の始まりに、乾杯」

 「ゼフューダの世界に、乾杯」とマーヤーも笑って応じる。

 「創世主を封じた、世界を奪った神に、乾杯」

 「消え去った、本当のこの世の創り主に? …乾杯」

 そのマーヤーの言葉は、創世主の神話に熱い思いを(いだ)くジャネットを(おもんばか)ったものだったか。そう思って、くすり、とジャネットが笑う。

 ほら、と言いながら、ジャネットが小袋に入れたキャンディーをマーヤーに渡す。

 「お祭りのお菓子、の代わりかな」

 まあ、とマーヤーが顔を輝かせる。

 「さすがだね、ジャネット」

 えへん、とジャネットが胸を反らす。

 「マーヤーに喜んでもらえて、うれしいわ」

 東の空には、少し欠け始めた月が昇りかけている。星座の位置が変わり、既に夜も更けている。

 ジャネットが、コインを放り投げ、手の上に落とすと、それをもう一方の手で隠す。

 「どっち?」

 「…裏」

 ジャネットが手をのけると、コインは裏を上にして現れる。

 「マーヤーの勝ちだわ。最初の見張りは、わたしね」

 うん、と微笑んだマーヤーが、毛布を手元に寄せる。

 「それじゃ、お願いね」

 「月が頭の上を過ぎたら起こすからね」

 「うん、わかった」

 横になるとすぐ、静かな寝息が聞こえてくる。どんな時も、どんなところでも眠ることのできる神経の太さと、寝付きの良さは、大抵の冒険者が身につけている特技(スキル)だ。マーヤーの寝顔をを見ながら、ジャネットは、少し、優しい気持ちになる。

 やっと巡り会った――手に入れた友達。かけがえのない、愛着の対象。

 優れた魔法の技倆。底の知れない深い知識。元宮廷魔法使いの師の薫陶を受けた、並の冒険者の及びもつかない能力。憧れても憧れきれない。が、本当にジャネットの愛したのは、そんな力ではない。

 最初に見たときの、戦慄にも似た印象。それに、ジャネットは運命を感じたのだ。マーヤーがどんな人間であっても、それは変わることがない。

 いつしか、ジャネットは自分の過去を思い出していた。

 2人での旅路の途中、モンスターに襲われ、命を落とした父。幼いジャネットを必死に救おうとした父の願いも空しく、逃げ切れず、モンスターの餌食になりかけたジャネットを、救ってくれた行きずりの冒険者たち。彼等に拾われ、魔法の手ほどきを受けたのが冒険者としての第一歩だった。

 その仲間たちも、冒険の途中で横死(おうし)を遂げ、それからいろいろな仲間たちと組んで冒険を続けてきた。一番長く一緒にいたのはロバートたち。だが、その彼等も、もういない。

 多くの仲間たちが、ジャネットの脇を通り過ぎ、消え去って行った。それを悲しいと思ったことはない。さびしいと思ったこともない。

 だが、マーヤーだけは、いつまでも側にいて欲しい。そんな気持ちでいっぱいだった。

 ほしいものは手に入れてきた。心の赴くまま、好きなように、気ままにやっても来た。誰にも遠慮などしない。弱気は死を招くだけだ。――そんなふうに生きてきて、誰かの気を引きたいなどと思わなかったジャネットが、初めて、誰かを引き寄せたいと思ったのがマーヤーだった。

 そんな思いをはせながら、焚き火を見つめる。揺らめく炎を見ていると、その中に心が吸い込まれそうな、そんな錯覚を覚える。燃える火が、ジャネットの心の揺らぎのようだ。

 そんなことを思っていたときだった。

 森の木が揺れ、枝を鳴らす大きな音がする。その音の方へ顔を向けたジャネットの目に、巨大な夜鳥の姿が見えた。通常の3倍近くもある大フクロウだ。2人に目をつけたらしい、とわかる。

 「この…!」

 ジャネットの手から電光がほとばしり、大フクロウを貫く。一瞬で大フクロウは黒焦げになり、森の中へと落ちていく。あっという間の出来事だった。

 「驚くじゃない、もう…」

 そうつぶやきながら、マーヤーの方へ目をやる。今の戦いに気付いた様子もなく、マーヤーはすやすやと眠っている。

 「よかった…」

 安堵の息を漏らし、ジャネットは、マーヤーの顔がよく見える位置に場所を移す。

 マーヤーを失いたくない。それが、自分の命を拾うためであっても。一時(ひととき)、迷いが生じたこともあったが、今は、心からそう思っている。自分と、マーヤーの今を守りたい。ペフリアでのような思いはもう嫌だ。

 もう一度、マーヤーの寝顔を見つめる。安らかな、安心しきった寝顔。ジャネットが守っているマーヤー。ジャネットに守られているマーヤー。

 「ゆっくりお休み、マーヤー」

 そう、ジャネットは囁くようにつぶやいた。


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