燃える炎(2)
おいしいものでも食べに行かない? そうジャネットに誘われたマーヤーは、悪いけど、と言ってそれを断った。
ジャネットのことだ、マーヤーが魔法の探求にふけっているうちに、村中、あちこち見て回っているに違いない。だから、きっとお気に入りの店も見つけているに違いない。そういうときのジャネットの目は――あるいは舌は確かだ。彼女の勧める店なら、絶対に外れはない。この村は、旅芸人や商人達の通る街道沿いにあるから、立ち寄る人も多く、店の数も少なくない。きっと、いい店を見つけたのは間違いなかった。
それを知りつつ、あえて断った理由は2つ。
ジャネットを神殿に運び込んだとき、マーヤーは自分の素性を――子爵の身分を明かしてしまっている。
だから、神殿の聖職者に出会って、貴族の礼を取られるのを避けたかった。また、神殿の関係者から自分の身分が漏れるのも困る。そのため、できるだけ人目のあるところに出たくなかった。神殿には、まだ、自分がこの村にいることを知られたくなかったからだ。
もう1つの理由は、言うまでもなく、魔法の探求を進めたかったからだ。
ジャネットが自分のことを心配してくれているのはわかっている。しかし、少しでも、間を空ければ、それだけ魔法を使ったときの感覚が薄れ、遠のくような気がする。それを話すと、ジャネットは、熟練の魔法使いらしく、一応は納得してくれた。
「魔法が大事、か。冒険者はやめた、って言ってたのにね」
「うん、でも、魔法使いはやめないから」
「あ、そうなんだ。でも、冒険者じゃない魔法使いって…?」
「わたしの御師様もそうだったけど?」
「あなたの先生は、お年を召して、引退したから静かに暮らしていたんでしょ? マーヤーはまだ若いじゃない」
「若ければ、誰でも冒険に出る、ってわけじゃないよ」
「巻き込まれることはあるけどね?」
「だから、静かに暮らしたい」
「無理だ、って、まだわからない?」
「…わかってたまるかあー!」
いらだっていったマーヤーの言葉に、きゃはは、とジャネットが笑う。
「魔法を極めて、冒険にも出ず、ひっそりと静かに暮らすなんて、じゃ、一体何のための魔法なの? 一人で自分の力の境地を楽しんで、なんて、それ、修行者じゃない。魔法使いじゃなくって、神様の道だわ、そんなの」
「神様の?」
「そう、神様を目指す修行者。…でなかったら、創世主の使徒ね。人間の世の中から抜け出して、神と対話しつつの隠遁生活」
「創世主の、使徒…」
ミレーデル。マーヤーに修行の手ほどきをせよ、とファービュアスに告げた使徒。ふと、その名を連想する。そして、ファービュアスから伝えられた技法。
「やだ、本気にしてる? それとも、本当にそれがマーヤーの望み?」
そんなジャネットの言葉を、マーヤーはもう聞いていなかった。
ファービュアスから伝授された法。
それに心が向いていた。
たちまちのうちに精神の集中に入ったマーヤーを見て、ジャネットは、諦めたように肩をすくめる。魔法に集中してしまったら、何を言っても無駄なのはわかっている。マーヤーの集中を妨げないよう、部屋に静寂の魔法を掛けると、ジャネットはそっと外へ出て行った。
瞑想の中、いくつ物思いが心に浮かんでは消える。それを、マーヤーは、川に流れる水のように見ていた。
(戦いのときにはできたのに)
(夢中だったから?)
(ジャネットのことが心配で、他のことが考えられなかったから?)
(今は、平静すぎて、かえって死に物狂いになれない?)
次々と心に浮かんでくる思いに、捕らわれることなく、まるで紙に書かれた文章でも見るようにその内容を読み取り、しかし、その内容について考えることはしない。そして、無視された思いが消えていくのに任せる。
そして、いつか、ファービュアスと一緒に行った瞑想の記憶が思い起こされてくる。
(この世のすべては、幻のようなもの)
(認識することによって、存在すると思い込むだけのもの)
(認識すれば、存在となる)
(在しないものが、すなわち、存在となる)
(それが、この世の存在の秘密)
(だから、あると信じれば、どんなものも現実になる)
(そんなことができるはず、ない)
(無から有は生まれない)
(そんなはず、ない)
(ファービュアス様の教えは真実)
(創世主の使徒の伝えさせた真理)
(もっと心を絞るのよ)
(一つに集中して)
(レンズが火の光を集めるように)
(集まった光が火になるように)
(集中した心、燃え上がれ)
(火よ、火をつけるの!)
ただ、過ぎゆくのを見ているだけのはずだった思考が、いつの間にか1つの方向に向けてまとまっていた。
いけない、と悟る。いつの間にか、心が意識に覆われている。
心を静め、意識の動きを抑え、深層の心へと降りていく。
ファービュアスと行った瞑想。その感覚を呼び覚ます。
そんな中に、火のイメージが残る。
先刻の意識の中に浮かんでいたイメージ。
光を集めて火をおこすように、心が集中し、1つのイメージを作り出す。
ろうそくに灯る、小さな火。
それが、心の中から飛び出し、形を取った、と思ったとき、マーヤーは瞑想から覚めていた。
(あ…)
気が付くと、マーヤー1人だけで座っていた。見回してもジャネットの姿はない。ベッドの脇に置かれたナイトテーブル。その上に置かれた燭台。そのろうそくの1本に火が灯っている。
(ろうそくの…火?)
少し前、ジャネットと話していたときには、火は消えていた。それに、燭台には3本のろうそくがある。火をつけるなら、1本だけというはずはない。
(え? …もしかして?)
瞑想の終わり際に感じた、火のイメージ。あれは、この火だったのだろうか。
そうかもしれない。
もし、そうなら…。
もう一度、心を集中してみる。瞑想の終わり頃の感覚を思い出し、火のイメージを心に浮かべる。それが、心の中で明確な形を取った、と思った瞬間、心の中から、現実のろうそくの上に移す。
(…!)
今まで火のついていなかったろうそくの1本に火が燃えている。
そっと、手をかざしてみる。
暖かい。
幻ではない。
現実の火だ。
心のなから取りだし、現実となった炎だ。
(できた…、本当にできた)
魔法を完成させた、と言う喜びよりも、触れてはいけないことに触れてしまったのではないか、という思いが先に立つ。
火を出す魔法なら、いくらもある。ファイヤー・スフィア、ファイヤー・ウォール、ファイヤー・ブレス…、少し経験を積んだ攻撃魔法使いなら、見目も効果もすさまじいばかりの魔法を使う。それに比べれば、マーヤーの手に入れたのは、ほんのささやかな火だ。
しかし、それでも、この火は、魔力を集めて作った火ではない。心の中から取りだした、いわば、無から生み出した有。幻術が幻術の境を超えて現実となった炎だ。
この火が作れたということは、世界を変え、世界を作る力の扉を開いてしまったことを意味する。アーリヤを制御し、認識を書き換える術を得るその一歩だ。
こんな魔法を使ってしまってよいのだろうか。
自分の使った魔法に、マーヤーは恐怖した。
そして、もう1つ、思い出したことがあった。
幼い頃から、記憶の中に浮かんでは消え、消えては、また現れていた邦。
師がアミューセラスと呼んだ邦。
その邦の神殿で学んだこと。
その記憶が、今またはっきりと浮かび上がってくる。
この魔法は、その神殿で習ったものではなかったか。
(こんな魔法を、遠い昔に知ってた…? もし、そうなら…わたしは誰?)
困惑と恐れに心を包まれたまま、マーヤーはその場に立ち尽くすばかりだった。




