やっかいな挑戦者(1)
「今日の宿はどこにしようか」
「それより、まず、お昼にしよう?」
バルサノ一座と別れたマーヤーとジャネットが、そんな話をしながらペフリアの中央通りを歩いていたときだった。
通りの向こうから、こちらへ歩いてくる男がいた。毛皮でできた衣に身を包み、手に身の丈よりも長く、子供の腕ほどの太さの鉄の棒を持った男。
迷わず、マーヤー達の方へ向かって進んでくる。
何か危なげな雰囲気を感じて、道の端へよけようとしたところへ、男は、迷わずに2人の前にやってきた。
思わず足を止めた2人に向かって男が言う。
「魔法使い、ネイノスと勝負しろ」
へ? とジャネットの口から、ため息にも似た声が漏れる。
「何言ってるのよ、あんた、頭おかしいんじゃない? それに何よ、いきなり魔法使いだなんて、失礼にも程があるわよ。それに、何よ、ネイノス、って」
「俺、ネイノス」
「へえ、あんたの名前なんだ。で、どうしてわたしが魔法使いなの? こんな美人を捕まえて、とんだ言いがかりじゃない」
「お前、魔法使った。山賊、殺した」
それを聞いて、マーヤーが思い出す。この男は、一緒に馬車に乗っていた男だ。隅の方でじっとしていたから話すこともなかったし、常人よりも立派な体格から、一座の芸人だとばかり思っていた男だ。
「ジャネット、この人…」
マーヤーに言われて、ジャネットも思い当たったようだった。
「どこかのじいさんと一緒に乗ってきてた奴じゃない」
そう言われればそうだった。金持ちの商人といった感じの老人が護衛らしい男を連れてやってきたのを見た覚えがある。ミフロンからずっと一緒で、だから、マーヤーとジャネットが山賊を蹴散らすところも見ており、当然2人が魔法使いであることも知っているわけだ。
「女の子が山賊と戦ってるときは知らん顔で見てて、今になって勝負しろ、なんて言ってきてるのね。ずいぶん、性格いいじゃない」
ふん、とネイノスは鼻を鳴らした。
「ネイノス、護衛に雇われた。主の側、離れられない」
「そんなこと言って、1人でこんなところに来てるじゃない」
「今日この村、着いた。護衛の役、終わった。雇い主、もう主でない」
「そう、フリーになったから、もう好きにしていい、ってわけね。…だからって、どうして私たちが、あんたなんかに付き合わなくっちゃいけないのよ」
「お前、強い。ネイノス、強い相手と戦う」
そう言い終わらないうちに、ネイノスの手にした鉄棒が風を巻いてジャネットを襲う。不意打ちに水平に振られた鉄棒がジャネットの胸を薙ぐ。悲鳴にならないくぐもった声と共にジャネットの体が吹き飛ばされ、道に叩きつけられて転がる。
「ジャネット!」
悲鳴に似た声がマーヤーの口から漏れる。ネイノスの鉄棒が再び唸ってマーヤーに襲いかかる。それよりも一瞬早く気配を感じ取ったマーヤーが横飛びに地面に転がって鉄棒の直撃を避ける。目標を失って勢い余ったネイノスが、よろけてたたらを踏む。
(なんて奴なの!)
遠慮する必要なんかない。そう感じたのと同時に、マーヤーの魔法がネイノスを襲う。ふわり、とネイノスの巨体が宙に舞い上がる。そのまま、家々の屋根よりも高く、神殿の塔よりも高く、大空へ上っていく。ネイノスの口から出る罵り声が次第に遠ざかっていく。
倒れたままのジャネットに駆け寄る。口から血の泡を吐いたまま、ジャネットはぴくりとも動かない。かすかに上下する胸だけが、彼女の生きている証だった。
(死なないよね、こんなことで…!)
いくら凄腕の魔法使いでも、所詮はか弱い少女なのだ。斬られれば血を流し、叩きつけられれば骨も折れる。このまま放っておけば、命に関わる。
そう思って見渡せば、幸いなことに、それほど遠くないところに、村の神殿が見える。神殿の聖職者は、程度の差こそあれ、傷を癒やし、人の命を救う法術を心得ているものだ。浮遊の魔法でジャネットの体を揺らさないように浮かび上げると、マーヤーは神殿へ急いだ。
いきなり飛び込んできたマーヤーに、側にいた神殿の侍僧が目を丸くする。そして、マーヤーの抱えているジャネットの様子を見て、また、息をのむ。突然のことに呆然としたまま、侍僧は言葉も出ない。
「神殿主を…ここの一番偉い人を呼んで。早く!」
その鋭い口調に驚いた侍僧が、転げるような足取りで神殿の奥へと消えていく。
やがて、奥から半分禿げ上がった頭の、初老の男が出てくる。身なりからして、ここの神殿主とわかる。
「何事じゃ、一体…」
いきなり呼び出され、不満げな彼に、マーヤーは胸につけたブローチを示す。普段なら絶対やらない――やりたくないことだが、今はそんなことを言っていられない。信じられない程マーヤーは動転していた。
「帝国貴族アルトラークス・ゼルフィアの親族、エフライサス子爵です」
ブローチを見、マーヤーの名乗りを聞いて、神殿主の表情が凍りつく。ひ、という声。一瞬、その動きが止まり、次の瞬間、その場にひれ伏す。
(あ、すごい…)
名乗っただけで、これほどまでの効果があるとは。どれだけ、アルトラークス・ゼルフィアの――父の名は知れ渡っているのだろうか。そんな思いが一瞬浮かぶ。が、今はそれどころではない。マーヤーは、神殿主に顔を上げさせる。
「治癒の法術は使えますか」
「は、はい、もちろん…」
「では、この娘の傷を癒やしてください」
「は、ははっ、仰せのままに…!」
畏まって、というより、むしろ、びびりまくった様子の神殿主にジャネットを任せると、マーヤーは、神殿を後にした。神殿主に任せておけば、滅多なことにはならないはずだ。
往来に出ると、ネイノスはまだ、空高く浮いたままだ。じたばたとせず、ただ、じっと空中で静止している。その落ち着いた様子が、かえってマーヤーの心を逆なでする。
(ジャネットをやってくれたね…!)
その、黒い思いが胸を占めている。だから、普段ならやらないことをした。ネイノスにかけた浮遊の魔法を、容赦なく解いた。
真っ逆さまにネイノスの体が落ちてくる。
マーヤーの目の前で、低い地響きと共に、ネイノスは大地に叩きつけられる。
あの高さから、頭から落ちれば、どんな相手でもひとたまりもない。そう確信してのことだ。人を殺したことへの後悔が、一瞬、胸の奥に浮かぶが、すぐにそれを払いのける。
(敵は取ったよ、ジャネット!)
心の中でそう叫んだときだった。
ネイノスは、ゆっくりと起き上がったのだ。幾度か首を振り、そして、マーヤーの方に向き直る。
「…うそ!」
あれだけの高さから落とされて、全く応えていないなんて。そう知って、背筋がぞくりとする。
地面に転がっていた鉄棒を拾うネイノスを見て、マーヤーは飛翔の魔法で空中に浮かび上がった。
(とにかく、村から連れ出さなきゃ…)
ジャネットのいる神殿から引き離すのはもちろん、村の中でこんな怪物と戦えば、村人を巻き添えにしかねない。あたりに気遣って手加減のできる相手ではない。
気がつけば、何人かの村人がマーヤーとネイノスの方を見守っている。これ以上近寄らないでほしいし、これ以上たくさんの人に集まってこられたくない。
(ほんとに…、何だって、こんな奴とやり合わなきゃならないの。とんだ災難だよ!)
強い相手と戦う? 馬鹿げた話、迷惑千万だ。一体、何を考えている?
完全にネイノスを振り切るわけにはいかない。ネイノスの視界から外れない程度に距離を取り、マーヤーは、少しずつ村はずれの方へと移動する。それを追って、ネイノスがやってくる。野次馬には追えない程度の、しかしネイノスには追うのを諦めさせない程度の速さでマーヤーは飛んだ。
ようやく野次馬のいなくなったところで、マーヤーは攻撃に転じた。
マーヤーがネイノスを指さすと、その指の上に、銀色の光に包まれた、腕の長さ程の細長い針が現れる。針はまっすぐにネイノスめがけて飛び、その喉笛に突き刺さる。
ネイノスの口から鋭い悲鳴が漏れる。針は幻術で作り出された幻だが、それが刺さったときの激痛は、とても言葉で言い表せるようなものではなかった。
「魔法、ネイノス負けない」
刺さった針を抜こうとネイノスが手を触れると、その瞬間に針は消えてしまう。代わりに耐えきれない程の、焼かれるような痛みが残る。次の瞬間、針を抜こうとして伸ばしたその手に、別の針が突き刺さる。同時に、鉄棒を持った腕にも針が刺さり、ネイノスの手から鉄棒が転がり落ちる。
それでも、また、ネイノスは鉄棒に手を伸ばし再びそれを手に取る。そしてマーヤーに向かってくる。
(そんなにしてまで…)
駆け寄ろうとしていたネイノスの足下の地面が突然陥没し、深い穴になって、ネイノスを捕らえる。が、ネイノスは穴をよじ登り、姿を現わす。
(げ…、幻の穴をよじ登ってくるなんて、何なの、それ)
幻影は、マーヤーのイメージをそのまま形にしたものだ。それで作った穴を登ってくるのは、幻影を現実そのものと受け取った上で、その幻影を自分の意思の力で押さえてしまったことを意味する。幻影を否定するのではなく、肯定した上で克服してしまう。こんなふうに幻術を破られたのは初めてだ。
驚いて見ていると、穴から飛び出したネイノスは、鉄棒を振りかざすと、マーヤーを一撃しようと大きくジャンプした。あわてて身をかわす。空を飛んでいるから、ネイノスに捕まったりはしない…はずだったが、すんでのところで鉄棒はマーヤーの体をかすめるところだった。




