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救世主教団(4)

 昨日も通った道を、マーヤーはジュデルの先導で歩いていた。途中、畑で働く人にジュデルが声をかけた。どんな反応が返ってくるだろう、と目を向ければ、ジュデルのした朝の挨拶に、のんびりとした声であいさつが帰ってくる。


(ふぅん、別に険悪な間、ってわけじゃないんだ)


 神殿から足が遠のいた、ということから里の人と神殿の間が不穏になっているのかとも思ったが、そうではないようだ。

「今日は暖かだね」

「ああ、本当だ。……最近はどうだね、神殿主は達者かね」

「元気だよ。あまり人が来ないんで暇そうだけどね」

「そうかい。そいつは済まねぇな。けどよ、ジュデル、お前さんもわかってるだろ」

「ああ、知ってるよ。今よりも、先のことの方が大事だ、っていうんだろ」

「そういうことさ。

 ……いや、お前さんのところには感謝してるよ、こうして、日々を暮らせてるんだ。神殿の神さまのおかげだってことは承知の上さ」

「それでも、あっちの神様のことが怖いんだろ」

「そういうことさ。フィルグハルト様のような、俺たちをひどい目に合わせない神様じゃねえからさ」

 そう言うと、里人はまた畑仕事に戻っていく。


「今のは、フィルグハルト様の信者だった人なのですか?」

「そうです。……いえ、いまでもフィルグハルト様を信じていないわけではないのです。

 しかし、フィルグハルト様をあがめれば、救世主教の神から呪われることになるので、神殿へ来ることができないでいるのです」

 神帝ゼフューダを始め、何十柱もいる神々は、それぞれが信徒を持ち、人々からあがめられている。天地や、動物、人間などこの世のあらゆるものに影響を及ぼし、そのもたらす恩恵によって頼りすがられ、あるいは時として人間に(くだ)すさばきとしての災厄ゆえに恐れられてもいる。

 が、ほかの神に従う信徒を、他の神をあがめるからと言って憎んだり、自分の信徒でない者にあがめられる神をねたむような神はいない。まして、死後とはいえ、好んですべての人間に災いをもたらすような神はいない。――唯一、救世主教の神を除いては。

 それゆえ、救世主教を信じること自体は他の神の怒りを買うことはない。しかし、他の神をあがめることは救世主教の神の怨みを買う。

 ジュデルはそう語った。


「フィルグハルト様があまりにやさしいから……?」

「フィルグハルト様に限らず、人を憎むような神はいませんよ。あえて神々に歯向かったりするような輩でもなければ」

 なるほど、と思う。実際、師から聞いていた神々についての教えもその通りだった。


(でも、それじゃ喧嘩にならないよね……。信徒を取られるばっかりで)


 他にも、出会った何人かの里人(さとびと)と同じような話をしながら、また少し行くと、広場で数人の子供たちが遊んでいるのが見えた。笑いさざめきながら駆け回る無邪気な姿を、ジュデルが指さす。

「あの子供たちが首からかけているものが見えますか」

 そう言われて目を凝らせば、どの子もが、同じ銀色のペンダントを下げているのが見える。細い金属の棒を2本合わせてX字形に交差させ、少し開いたはさみのような形ができている。交差したところから上に伸びた2本の棒は端が開き、下に伸びた2本はその先端が曲がって伸び、互いにくっついている。その形は、人の目の輪郭を90度回転させたようにも見える。目尻の部分を上に、目頭の部分を下にした形で、目頭の部分に、小さなきらきら光る石が嵌められている。

「おそろいね?」

 ちょっと洒落てるかな。そう思ってマーヤーが言うと、ジュデルが苦々しげな口調で言う。

「あれは救世主教団が授ける護符なのです。あれを身に着けていれば、救世主とつながることができ、犯した罪は救世主が受け止めてくれるのだとか。ああして子供のころから救世主の慈愛に触れさせるのだそうです。

 ああ、そういえば、昔のように子供達が神殿へやって来て、勉強をすることもなくなりました。親が子供を神殿に来させないのです。世界の始まりから今に至るまでの歴史や、古くから伝わる物語や歌、そういったものを今の子供たちは知らないでしょう。悲しいことです」

「その代わり、救世主教の物語を知っているんじゃ?」

 軽い気持ちでそう言ったマーヤーの言葉に、ジュデルは激しく反応した。

「お戯れを!

 あんな奴らの教える偽りの話や、薄っぺらな知識が何の役に立ちますか。伝統の裏付けのない、どぎついだけの歌や踊り、そんなものに毒されれば、人は真理への興味を失い、考える力をなくしてしまいます。教団に都合の良いことだけを植え付けられて、それ以外のことに見向きもしなくなれば、教団の家畜も同じです」

 いきなり変わった彼の口調にびっくりしたマーヤーは、それに反論はせず、おとなしく、そうね、とうなずいておく。


(いけない、この人も宗教の人だっけ……、って、神殿にいるんだから当たり前か)


 2人は里の中心の方へ歩いて行った。

 宿屋のあったところよりももっと先に、20軒ほどの家が集まって建っている。そのうちの1軒の戸口に、縁を銀色の金属で形取った木製のプレートが取り付けられているのが見える。プレートには、舟から網を投げて魚を取ろうとする男の絵が描かれている。

「あの絵がわかりますか?」

「漁師…?」

 見たままをマーヤーは答えた。それとも、あの絵に何か意味があるのだろうか?

「そのとおりです。舟で海に出て、獲物を探して捕らえようとしているあれが、救世主教団のリーダーのシンボルです。信仰に至らぬ者を波間に迷う(うお)に見立て、それを教団の教えに引き入れ、救いを与えようとしている姿です」

「ということは、ここが?」

「はい。この里の、教団のリーダーの家です。

 ……あ、いや、心配には及びません。リーダーと言っても、ほかの人たちと同じです。もともとはフィルグハルト様をあがめていた同じ里の仲間で、今もそれは変わりません。教団のリーダーを務めるからと言って、別にほかの人よりも信仰が厚いということではありません。なにしろ、リーダーは持ち回りですから。次の収穫の時期が来れば、隣の家に交替します。誰もが等しく神への責務を果たす、ということで、それはフィルグハルト様をあがめていた時も同じでしたから」


(つまり、並外れた狂信者はいない、ってことか。…それとも全員が同じレベルの狂信者、ってことかな?

 ……ううん、違うか。狂信者だったら神殿の人とあんなににこやかに話さないよね。)


「つまり……」

「はい?」

「この里の人は、みんな、救世主教の神様を恐れているだけ、ということ?」

 いきなり言われて、面食らったようなジュデルにマーヤーは続ける。

「本当は、今まで通りにフィルグハルト様をあがめていたいのに、救世主教団に死後の世界を説かれてその恐怖心から救世主教団を受け入れさせられている、と?」


(つまり、救世主教団に脅されている、ってことでしょ?)


「ご慧眼です。確かに最初はそうでしたし、今もそう思っている人はいます。ですが……」

「そうでない者……救世主教を信じている者がいる……もしかして、そっちの方が大勢?」

 多分、とジュデルはうなずく。

「持ち回りではあるものの、リーダーがどんな役割を果たしていると思いますか?」

「え……?」

「例えば、月に1回、信者の集まりがあります。その集まりで、リーダーは教団に伝えられた伝説や、死後の世界の様子、何が地獄へ落ちる行いで、何が神に喜ばれる行いか、などを語ります。これがどういうことかわかりますか?」

 わかる。師がマーヤーを教育する際にも使ったものだ。

 師から教えられたことを、自分の言葉で語ること。マーヤーの場合は、師から授かった知識を師に説明するよう要求された。

 教えられた内容を、まず、何の疑問もなく心に刻み込むこと。経験の足らない初学のうちには必須とされることだ。そのために師が採ったのが、マーヤーに語らせることだった。

 内容は全く同じであっても、人から聞くのと、自分の口で語り聞かせるのとでは全く意味が違う。たとえ心の中では信じていない、あるいはあざけっているような話であっても、自分が語ることで、まず自分の思考として組み立てられ、その時点でその内容を自分が受け入れることになる。

 どんな荒唐無稽な内容であっても、少なくともそれを語る(あいだ)は、自分の思考であり思想となって、自分の心に深い影響を与えずにはおかないものだ。

 おそらく里の人は文字を読めない。リーダーの家に掲げられたプレートに絵だけが()かれ、文字がなかったことがそれを雄弁に語っている。

 いや、この里に限らず、文字の読み書きのできる農民はめったにいないので、それは別に変わったことではないのだが、そうであれば、教団の教理も耳から聞いたことをそのまま暗記しているに違いない。

 したがって、暗記の時と、語り聞かせの時それぞれの時点で、教理は人々の心に深く刻まれているはずで、さらに、語り聞かせの準備のために内容を整理していれば、それも教理を心に刻む絶好の機会となる。

 言ってみれば、人々は、自ら自分自身を洗脳しているのだ。

 マーヤーの答えに、ジュデルは大きく頷いた。

「その通りです。

 別に救世主教団だけのやっていることではありません。大スワレートがそうなさったように、また、我々の神殿でも取り入れている方法ですから。これと日々の祈り。それが繰り返されれば、教団への帰依も深まるのは道理です。

 それに、大勢の前で上手に話をする者はそれだけみんなの尊敬を集めます。教理を深く理解していることはそのまま信仰の(あかし)とされ、ほかの信徒よりも高い地位を与えられます。それで、誰もが伝承や教理を深く心に刻みつけようとするのです」

「地位が上がれば、それだけ救いに近づくから?」

「そうですね。神の教えを理解することは、神の喜ばれることだとされていますから。人から強制されるのではなく、自ら進んで神に近づこうとすれば、勢い、信仰が深くなるのも当然のことでしょう」

「……でも、始めはどうだったの? 教団がやってきて、いきなり地獄の話をしたからと言って、そんな簡単に人々が信じたのかしら? 教団は、今までの生活を罪だといって、完全否定したのでしょう?」

「あいにくですが、わたしにはその経緯(いきさつ)はわかりません。神殿に戻って、神殿主様にお尋ねになるのがよろしいでしょう」

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