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母を殺しに(3)

 降るような星空。身を切るように冷え切った冬の夜空に瞬く無数の星々。

 月の光はなく、星明かりの中に村の家々がかすかに透けて見える。

 そんな中、1人、道を行く者があった。

 竜の鱗を張った黒い鎧。腰に佩いた小振りの剣。

 音もなく歩くその姿に、時折風が吹き付けるが、一向に意に介する様子もない。

 やがて、男は1軒の家の前で足を止めた。

 ここがミレアの家であることはすでに調べてある。両親と祖父母、小さな弟の6人家族。

 まだ生まれて7年にしかならない幼い少女の命を取ることは、正直なところ気が進まない。それが、自分の母であると知れば、思いは尚のことだ。

 しかし、今は、やるしかない。

 自分のやってきた世界を救うため。

 未来の国々を、無数の人々を苦しみから解き放つため。

 迷うことは許されない。

 母を手にかける苦しみを気遣って、彼の代わりに過去へ赴いた者があった。親友のルイスだ。しかし、賢者の魔法でルイスが過去へ消えても、世界は変わらなかった。アルバートは依然支配者の座にあり、その振る舞いは変わることがなかった。ルイスはその責を全うできなかったのだ、と悟り、ケインは自ら母殺しの役を買って出たのだ。

 静かに、ゆっくりと剣を抜く。

 そして、家の扉を蹴破ろうとしたとき。

 背後に人の気配を感じて、ケインは振り返った。そこに、2人の少女の姿があった。

 昼間、ケインの邪魔をした魔法使い達。

 今度も、彼の前に立ちはだかるのか。…何のためだ。ケインの邪魔をすることが、どれだけの人間を苦しめることになるのか、なぜ理解しようとしない。

 いや、とケインは思い直す。

 あの世界を知らない者に、何がわかるだろう。時を隔てた別世界の住人に。そもそもケインの取ろうとしている行動の意味すら理解していないのではないか。過去を変えることができないと思い込み、ケインが失敗したものと決めつけている者達だ。

 話し合いの余地はない。まして、無駄に費やす時間もない。

 剣を構えて、ケインは2人のうち、より危険そうな相手――マーヤーめがけて突進した。避ける間もない相手の心臓めがけ、一気に剣を突き立てる。仕留めた、と確信した。

 が、その思いは直ちに裏切られる。まっすぐ少女の胸に突き刺さったはずの剣はむなしく(くう)を滑っていた。いるはずの少女は、その場にいなかった。暗闇のせいで的を外したはずはない。ならば…。

 目くらましだ、これは。そう思って辺りを見回したケインの目に、彼を取り囲んで立つ何人ものマーヤーの姿が見える。

 そんな、馬鹿な。

 闇の中で、ケインは肉眼でものを見ているわけではなかった。サークレットに仕込まれた暗視の魔法で周囲の様子を捕らえているのだ。従って、見えているのは、そこにあるものの本来の姿であるはずで、幻やまやかしの(たぐい)にごまかされることなどないはず。賢者ゼルフィールが封じた魔法はそうたやすく破られるはずのないものなのだ。

 にもかかわらず、先ほど突いた少女の姿は幻影だった。そして、今ケインを取り囲むマーヤーも、現実のはずがない。魔法の視力さえも打ち負かすほどの幻術など、話に聞いたこともない。胸の奥に、きな臭いような、チリチリするような危険な香りを感じる。賢者ゼルフィールを上回るほどの魔法の使い手なのか? そんな疑惑を、慌てて振り払う。そうだ、そのようなことは、あってはならない。

 その思いが、一瞬の判断の遅れを招く。自分を取り囲んでいるのとは別の、もう1人の魔法使い。あの女はどこだ。そう気付くまでのわずかな時間。それが、高くついたことを悟ったときは遅かった。猛烈な眠気がケインを襲う。マーヤーに気を取られている隙に、ジャネットが眠りの魔法を使ったのだ。どんな攻撃も防ぐ竜の鱗を張った鎧も、物理的な力ではない、精神を攻撃する魔法には無力に等しい。

 だめだ、今倒れては。

 遠のいていく意識の中で、ケインは最後の力――意思の力を振り絞り、左手の指輪に仕込まれた魔法を解き放った。

 光。そして爆音。

 その記憶を最後に、ケインの意識は深い闇に飲み込まれていった。


 「しまった…!」

 ジャネットが叫ぶ。眠りの魔法で倒れる直前、ケインが指輪を使って魔法の力を解き放ったのだ。彼女が叫ぶのと同時に巨大な火球がミレアの家を包み込み、爆発する。その威力で、ジャネットもマーヤーも吹き飛ばされ、激しく地面にたたきつけられていた。

 「大丈夫、マーヤー?」

 それでも、なんとか起き上がったジャネットがマーヤーの姿を求めて辺りを見回す。炎上する家、その炎に照らされて、ゆっくりと身を起こすマーヤーの姿が目に入る。

 「大丈夫」

 ケインの剣への予防措置として、障壁の魔法をかけておいたのが功を奏し、2人とも、爆発の影響(ダメージ)は受けずに済んでいた。

 「ミレアは…」

 「だめよ、あれじゃ誰も助からない」

 震える声で尋ねるマーヤーに、ジャネットはきっぱりと答えた。

 眠っているところへ強力な魔法を打ち込まれたのだ。ミレアも、家族も、逃げ出すどころか、おそらく自分の命が終わったことも知らずに死を迎えたことだろう。

 「そうね…」

 弱々しくうなずいたマーヤーは、炎上するミレアの家の前にやってきた。地面に倒れ、深い眠りに落ちたケインの姿がそこにある。竜の鱗の鎧は、爆発の威力から彼を完全に守っており、毛ほどの傷も負っていない。

 「ケインは、失敗しなかったんだ…」

 マーヤーがつぶやく。それを聞いたジャネットの顔に驚愕が浮かぶ。

 「信じられない…、だったら、未来が変わった、っていうこと? そんな、おかしいわ。こいつはここにいるじゃない」

 ジャネットの言う通りだった。未来が変わったのなら、ケインがここに来る理由はなくなった――なかったはずだ。いや、それ以前にミレアが死んだ以上、ケインが生まれるはずがない。いずれにせよ、ケインはここにいてはいけないはずなのだ。

 「一体、どうなってるの? …それとも、ミレアはケインの母親じゃなかった、って言うの? ケインの母親でもなく、未来の暴君の母親でもなかった、人違いだったってこと?」

 それなら、ミレアは犬死にだ。ジャネットの怒りは、そのことに向けられていた。

 だが、そうではない、と、マーヤーは思っていた。

 ミレアはケインの、そしてアルバートの母なのだ。マーヤーの心の奥深くで、何かがそう囁いていた。

 それは、先刻、ケインに幻影を見せるため、ケインの心識に触れたときに感じたこと。ケインの心識――アーリヤから感じた記憶、アーリヤの奥にしまい込まれていた記憶だったのだが、しかし、マーヤーの意識には、そうはっきりとは認識されていない。ただ、心の奥からの声、そんな漠然とした形でマーヤーはそれを感じていたのだった。

 「ケインのお母さんだよ、ミレアは」

 マーヤーは、そうはっきりと声に出していった。

 「そして、アルバート…未来の暴君のお母さん」

 「なぜ、そう思うの?」

 「わからない…、でも、わかる」

 「じゃ、どうしてケインがここにいるの?」

 「ケインは、ここへ来たから。…今、もう、ここにいるから。過去を変えても、今のケインは変わらない。そういうことなの」

 「ああ、わからないわよ、もう! でも、マーヤーにはわかるのね?」

 「うん、そう」

 「いいわ、だったらそうなんでしょ。マーヤーはわたしよりもたくさんのことを知ってるもんね、マーヤーがそう言うんなら、きっとそうなんだ。それはわかるわ」

 でも、とジャネットは言う。その目には残酷な光が宿る。

 「マーヤーの知ってることを、ケインに教えることはないわよね」

 「…?」

 どういうこと、と目で尋ねるマーヤーを無視して、ジャネットはケインに歩み寄る。そして、ケインにかけた眠りの魔法を解く。

 かすかなうめき声、そしてケインが目を覚ます。

 「お前達は…!」

 跳ね起きて、剣を構えようとするケインを、ジャネットが手を上げて止める。

 「よしましょう、もうあなたと戦う理由はないから」

 そう言って、まだ燃えているミレアの家を示す。

 「あれじゃ、誰も生きてはいないでしょうね。…もちろん、ミレアも」

 はっとしてケインが振り返る。彼が意識を失う前に放った魔法が効果を上げたのだとわかる。ゆっくりと、その顔に安堵の表情が浮かんでくる。

 「…そうか。私はやり遂げたのだな」

 そう満足げに言ったケインに、ジャネットは冷たく言い放った。

 「さあ、それはどうかしら?」

 ケインの顔に怪訝な表情が浮かぶ。

 「何? それはどういう意味だ」

 「ミレアが死んだのに、あなたがここにいるのはなぜかしら? 暴君が消えたのなら、あなたはここに来なかったはずじゃないのかな?」

 「…む?」

 顔をこわばらせるケインにジャネットは言葉を続ける。

 「今、あなたがここにいるっていうことは、結局、暴君は滅びなかった、ってことじゃないかしらね? 暴君が生きているから、あなたはここにいる。つまり、ミレアは死んだけど、暴君は滅びてないんじゃないのかな?」

 ケインの顔に戦慄が浮かぶ。

 「母親が死んだのに、あなたがここにいるのも変じゃない? ひょっとして、人違いじゃなかったのかな?」

 「な、何だと…!」

 戦慄が恐怖に変わる。真っ青になったケインにジャネットが追い打ちをかける。

 「つまり、あなたのしたことは、全くの無駄だった、そういうことじゃない?」

 「馬鹿な! そんなことが…そんなはずがあるわけがない」

 「じゃあ、なぜ、あなたはここにいるの?」

 ジャネットの表情を見る余裕は、ケインにはなかった。しかしジャネットの顔に浮かぶのは、悪魔の笑いだ。

 自分の使命が成功したかどうか、元の世界に戻るすべのないケインに、それは確かめようのないことだ。ジャネットの問いは、ケインを絶望の淵へと追い詰めていく。ケイン自身がここにいること。突きつけられたその事実が、ケインを抜け出しようのない心の牢獄に落とし込む。

 「使命を果たせなかった、あなた。そして、きっと元の元の世界に戻れない、あなた」

 ジャネットの指がケインに突きつけられる。

 「さあ、あなたはどうするの?」

 「ジャネット!」

 見かねてマーヤーが叫ぶ。ジャネットの笑みは消えない。

 「許せないからね、わたしに煮え湯を飲ませてくれた、この男は。…ああ、そんな顔しないで。わたしは、ただ、わたしの疑問をぶつけてるだけ。訊きたいことを訊いてるだけよ? 質問くらい、したっていいんじゃない?」

 しれっと答えるジャネット。そんな2人の会話は、しかし、ケインの耳には入らない。何やらつぶやきながら、呆然とした表情で燃え上がる家の方へふらふらと歩いて行く後ろ姿を2人は見た。そして、炎の中へ倒れ込むケイン。それが2人の見た最後の光景だった。

 火のはじける音の中、母を呼ぶケインの声を聞いた、とマーヤーは思った。

 「ジャネット、あなたって子は…」

 「心配ないわ、竜の鱗が守ってくれて、火傷なんかしないでしょうから」

 「そういうことじゃなくって…」

 「どうせ、ちょっと混乱しただけ、一時(いっとき)の気の迷いよ。平気よ、気にすることないって」

 「だからって、ジャネット…」

 そんなマーヤーの言葉をジャネットは聞き流す。

 それに、とジャネットは言った。

 「わたしが言わなくても、きっと、ケインは自分で気付いたはずよ? マーヤーのように、いろんなことを知ってるはずないから。…もし知ってたら、わたしに何を言われても平気だったはず。そうでしょ?」

 それはそうだ、とマーヤーは認めるほかなかった。そんなマーヤーに、ジャネットは続けて言う。

 「最後にケインは呼んだわね。お母さん、って」

 「ジャネットも聞いたの?」

 「聞こえたわ。…ねえ、どうしてケインは――どんな気持ちで母親を呼んだのかしらね」

 含み笑いをして尋ねるジャネット。しかし、マーヤーはそれに答える気にはなれなかったのだった。


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