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母を殺しに(1)

 「ケイン、おまえに、すべての望みを託す」

 静かな、しかし力強い声。それを発したのは、すでに忘れたほどの齢を重ねた老人。賢者と呼ばれる者、ゼルフィール。枯れ木のような乾いた肌、すっかり色の抜けた総髪。深いしわの刻まれたその顔は、しかし双眸が強い光を湛え、見る者を引きつけて放さない。

 「お任せください。必ずご期待に応えてご覧にいれます」

 そう答えたのは、すでに老境にさしかかった、がっしりとした体つきの男。竜の鱗を張った革の鎧に身を包み、小振りの剣を佩き、今なお衰えぬその気配は、若い頃は、さぞ屈強な戦士であったのだろうと誰にも思わせる。

 「おそらく、これがわしの最後の術になるであろう」

 その言葉はケインにではなく、自分自身に語りかけるもののようだった。

 深くうなずくと、ケインは広間の床に書かれた魔法円の中に進み出る。ゼルフィールがゆっくりと手を振ると、魔法円の周りに並べられた数十本の柱の先端に一斉に光球が灯る。同時に、魔法円に書かれた文字が青白い光を放ち始める。

 ゼルフィールの口から、ささやくような声が零れ出す。聞き取れないほどの小さな声。途切れず、単調な抑揚のない響き。それが次第に強く、そして歌うような響きに変わり始める。そして、それが次第に高まっていき、オペラ歌手の歌う詠唱かと思うほどに大きくなって、昂揚した気力をさらに引き上げる。

 それを聞くケインの気持ちも、ゼルフィールの声の高まりと共に昂っていく。そして、それが最高潮に達しようとしたときだった。

 悲鳴と爆音。地響き。そして、広間の壁が崩れ、粉塵が巻き上がったその向こうに、数人の深紅の鎧に身を包んだ男達の姿があった。ケインの目に、驚愕と焦燥が浮かぶ。男達の1人が弓を構えゼルフィールに狙いをつけるのが見える。

 「賢者様!」

 思わずケインの口から叫びが漏れるのと、矢が放たれるのが同時だった。矢はゼルフィールの心臓を背後から貫き、胸から鏃が突き出す。が、悲鳴の代わりにゼルフィールの口から出たのは、長い詠唱の最後の1句だった。最後の力を振り絞ったその叫びによって、術は完結し、力を現わし始める。

 ケインの視界がぼやけ始め、目が焦点を失ってはっきりとあたりを見ることができなくなる。かすんで、消え行く光景の中で、血を吐いて(くずお)れるゼルフィールの姿。それがケインの最後の記憶だった。

 視界がかすむのに合わせるように少しずつ気が遠くなっていき、真っ暗な闇の中へ、ケインの意識は消えていった。



 「どうして、マーヤーは寒くないのよ。よくそんな平気な顔してられるわね」

 「どうして、って…、日差しは暖かいし、風もないし」

 「ああ、かなわないな、もう。別に魔法使ってるわけじゃないんでしょ?」

 そうね、とマーヤーは笑って見せた。幻覚を使えば、寒さの代わりに暖かさを感じさせることはできるが、もちろんそんなことはしていない。

 元々、寒さには強い方なのだ。真冬のさなかでも、昼間動き回るときに、他人(ひと)ほど衣服を重ねることはしないし、特にそれを意識したこともない。だから、改めてジャネットからこう言われると、そんなものなのか、と不思議に思ってしまうほどだった。

 「何だったら、かけてあげるよ、魔法?」

 「いらないわよ、そんなの。幻覚なんでしょ? 体が凍えて死にかけても、暖かいままなんて、そんなの、ある意味、すごく悪辣じゃない」

 そう言われて、はは、と笑うしかない。確かにジャネットの言うとおり、寒さに対する耐性をつけるわけではない。逆に使い方次第で知らない間に相手を凍死させることもできる魔法だ。短時間ならいいが、度を過ごせば思いがけない結果を招くことになる。

 「でも、やっぱり寒がりなのはジャネットの方だと思う。…ほら」

 そう言ってマーヤーの示した方では、村の子供達が元気に走り回っている。寒さなど、一向に気にならないといった様子で。

 「あー、そりゃ子供は元気よね。あんな風の子達と、繊細なわたしを一緒にしないでいただきたいわ」

 「せんさい…」

 「何よ、その目は」

 「んー、別に?」

 笑いをこらえながらそう言ったマーヤーの目が、一点で止まる。

 駆け回る子供達の向こう。小さな小屋の陰に人影が見える。黒い鎧に身を包み、じっと子供達の方を伺う男。こんな村には似つかわしくない戦士の姿。

 「ジャネット」

 その口調に気づいたジャネットが、マーヤーの見ている方へ視線を向ける。

 「…ん」

 子供達は気がつかない。鬼ごっこだろうか、てんでに走り回り、左へ右へと、ところかまわず、あたりの様子など目に入らぬげに駈け回っている。そんなうち、1人の少女が男の隠れている小屋の方へと向かっていく。スカートをひるがえし、後ろから追ってくる男の子の方をちらちらと見ながら。

 だから、気づかなかった。小屋の陰から男が飛び出し、襲いかかるのに。

 少女の悲鳴が上がったときには、男はその小さな体を抱え上げていた。

 追ってきていた少年が、凍り付いたように足を止め、ひ、と(かす)れた声と共にその場に尻餅をつく。その姿に一瞥をくれると、男は少女を小脇に抱え、小屋の向こうへ姿を消した。子供達の叫ぶ声があたりに響き渡る。

 「追うわよ、マーヤー!」

 その声と同時に、2人は男を追って駈けだしていた。それに気づく様子もなく、男はまっしぐらに走り去っていく。たちまち2人は離され、男の姿はみるみる小さくなっていく。


 林の中で、男は抱えていた少女の体を地面に横たえた。

 気を失った少女はぴくりとも動かない。かすかに上下する胸だけが、死んではいないことを示している。

 しばらく、その顔を見つめていた男は、やがて、腰の剣を抜くと、両手で逆手(さかて)に持つ。少女の胸に男の目が向く。そして、再び少女の顔を男は見つめた。

 次の瞬間、剣を握る両手が高く振りかざされる。そして、一気に少女の胸を貫こうとしたとき、耳をつんざく轟音と共に、銀色の閃光が男の顔面に突き刺さった。

 押し殺した悲鳴。剣を取り落とした男が、その場に倒れ、頭を抱えて転げ回る。

 「ジャネット!」

 「任せて!」

 駈け寄ってきたジャネットが気を失った少女の体を抱き上げる。その体に傷1つないのを確認しながら、男の元から走り去る。

 マーヤーは、まだ林の入り口あたりを走っている。魔法ならともかく、体術ではジャネットには及ばない。素早さ、身のこなし、いずれを取ってもジャネットの方が遙かに上だ。冒険者としての経験の差と、生まれつきの能力の違いだ。

 少女を抱いたジャネットがマーヤーの方へ戻ってくる。男は、まだ倒れたままだが、気絶はしておらず、魔法の影響から回復するのにさほど時間はかからないと見えた。

 「わたしが捕まえる」

 少女をマーヤーに渡すと、ジャネットは男の方に向き直る。両手を前に伸ばし、二言三言、口の中で何やらつぶやくと、男の体がぐったりと動かなくなる。

 「殺した?」

 ううん、とジャネットが首を振る。

 「体の自由を奪っただけ。1時間は痺れて動けないはず」

 「そう」

 「簡単に殺しちゃうわけにはいかないでしょ。こんな小さな女の子を殺そうとしたのよ。うんととっちめて、何があったか言わせてやらなきゃ」

 そうね、とマーヤーが首を縦に振る。

 ジャネットが右手の人差し指と中指をそろえて立てる。何かつぶやいた途端、指先の空間に1本の細引き縄が現れる。縄は、空間の1点から、少しずつ出てきて、男の方へ向かって伸びていく。そして、男の全身に絡みつき、身動きできないように縛り上げた。手足に巻き付いた縄は首にも回され、不用意に動こうとすれば首が絞まる仕掛けになっている。

 「これでいいかな」

 得意げな笑顔を浮かべるジャネットをマーヤーは驚いて見つめていた。

 「幻…じゃないよね。本物のロープ?」

 「当然でしょ」


 (やっぱりすごいんだ、この子の魔法)


 レパートリーは幻術だけじゃない、と言っていた言葉が思い出される。

 「この子、こうしておくわけにはいかないね」

 抱きかかえた少女の顔を見ながらマーヤーが言う。縛り上げてあるとはいうものの、命を狙う男の近くに無防備な彼女を置いておくわけにはいかない。

 6~7歳くらいだろうか。いきなり現れた男に襲われたショックで気絶したのか、それとも男に何かされたのか。(いま)だに意識を取り戻す様子はない。魔法の(たぐい)をかけられたわけでないのは、魔呪探査の魔法で確認できているが、薬物の類であればすぐにはわからない。

 「村へ戻してくる」

 「そうね、こいつはわたしが見張ってるから」

 「気をつけてよ? 他に仲間がいるかもしれないし」

 「あ、それはないと思う。近くに仲間がいるなら、とっくに合流してると思うし、こいつがやられるのを黙ってみてたりしないだろうから」

 「そう…かな」

 あっけらかんとした口調で言うジャネットに不安を残しながらも、マーヤーは少女を抱いて姿を消した。

 村では、子供達の叫びを聞いて駆けつけてきた大人達が、連れ去られた少女を探し回っているところだった。物陰に、そっと少女を下ろす。不可視(インヴィジブル)の魔法をかけたマーヤーから離れると、少女の姿が現れ、人の目に見えるようになる。

 「いたぞー」

 幻術で、村人の声をまねて叫ぶと、それを聞いた人々がやってくる。


 (よし、後は任せた、っと)


 村人達が少女の周りに集まり、介抱を始めるのを見ながら、マーヤーは足早にその場を立ち去った。

 ジャネットのところに戻ると、男はまだ体が麻痺して身動きできない様子だった。

 「早かったわね、もう済んだの」

 「ええ、ちょうどあの子を探しているところだったから」

 「そう、それはよかったわね。で、こいつのことだけど。成り行きで捕まえちゃったのはいいけど、いつまでもこのままにしておくわけにはいかないわよね? 殺す?」

 物騒な言葉にぎくりとしたのはマーヤーだけではないはずだ。縛られて横たわっている男の耳にもそれは聞こえているはず。

 「滅多なこと、言わないで。どんな事情があるのかも、わかっていないのよ」

 「そりゃそうだけど、あんな幼い子供を手にかけようとしたのよ? まっとうなやつだと思う?」

 いや、それは思い込みというものだ。例えば貴族同士の政争で、小さな子供までもが命を狙われることはある。あるいは、――そうそうある話ではないが――どこかの国の王位継承権を持つ者を排除し、内紛を未然に防ごうとすることだってないとはいえない。

 ジャネットにはジャネットの正義があるように、立場が違えば別の正義がある。そのために子供の命が犠牲になることも、より多くの利益のためならやむを得ない、とすることは珍しくない。

 マーヤーの説明に、ジャネットは釈然としない表情ではあったが、それでも一応納得はしたようだった。

 「とにかく、話を聞いてみよう?」

 「いいけど…、素直に話してくれると思う?」

 「そこは、訊き方じゃないかな?」

 「そう、じゃ、マーヤーに任せるわ」

 軽くうなずくと、マーヤーは男の前に歩み寄った。

 「正直に答えてね?」

 男の目を見つめてマーヤーが言う。目をそらそうとするが、体が痺れていては顔を背けることもできず、それでも、目を閉じて反抗の意思を示す。だから、男は気づかなかった。マーヤーが彼に魔法をかけたのを。


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