幻術師ジャネット(7)
壁画のホールを出ると、2人は元来た通路を戻っていった。途中、左右に通路の延びた十字路に出る。来たときは、大アリを退治しただけで、そのまま素通りしてきたものだ。
「この向こうに、何があると思う?」
興味ありげにジャネットが訊く。
「さあ?」
「ちょっと行ってみない? 行くわよね?」
あー、はいはい、と、半ば諦めて、先に立って右側の通路を進み始めるジャネットに、マーヤーも続く。来るときにアリがいたのとは反対の通路だ。
100歩ほど行ったところで、通路全体が崩れて、大きな穴が開いてる。深い穴は、跳び越えられるほどのものではない。その先に、古ぼけた木でできたらしい扉が見える。
「こんなところで、ずいぶんな障害ね。もう少しで、扉までいけるのに」
そういったジャネットに、マーヤーは、くすりと笑う。
「飛翔の魔法、まだ効いてるよ」
「そうか、そうだっけ」
ふわり、と空中に舞い上がって穴を飛び越すと、2人は扉の前に降り立った。埃に覆われた扉は、最近誰かが触れた様子があり、ノブのところに埃がたまっていない。
「誰かが来た…? ああ、あの冒険者達だわ。連中もここへ来たようね」
ならば、とジャネットは扉を押し開ける。重々しい音を立て、ゆっくりと扉が開く。
「大胆なまねするのね…、罠でもあったらどうするつもり?」
「そんなものがあるんだったら、先に来た連中が引っかかってると思うわ」
「…そんな、無茶だわ」
呆れて言うマーヤーに、ジャネットは、けらけらと笑って答える。
「いやね、冗談に決まってるじゃない。扉に触れたりなんか、してないわよ?」
「え? …じゃあ」
「触れずに物を動かす術くらい、わたし、知ってるわよ? それに、バリヤーもね」
「あ、そう…」
「本当に自分で扉を開けたと思った? あはは、ちょっとマーヤーをからかってみただけよ」
「…もう!」
室内は、すでに荒らされていて、床には何百冊もの本が乱雑に放り出され、積み上がっていた。周囲にある棚は、それらの本が収まっていたものだろう。わずか数冊の本が残る他は、何も見当たらない。
「教養のない野蛮人が来たようね。全く困ったものだわ」
そう言って、ジャネットは手近にあった1冊を取り上げて開いてみる。革で装丁された大判の本だ。が、すぐにジャネットはそれを放り出した。
「…なるほどね、うっちゃっておいてあるわけだわ」
「どういうこと?」
不思議に思って、マーヤーはその本を拾い上げる。開けば、どのページにも、1つの文字も、絵も記されていない。
「白紙…?」
「そう、何にも書いてないの。誰かの日記だったのかもね、始める前に嫌気がさして放り出しちゃったりとかね」
「ふうん?」
手に取った本に思念を凝らす。もしかして、ホールの壁画と同じ仕掛けになっているのではないか、と思ったのだ。読み取れる文字はなくとも、書物そのものに誰かの思い――思念が残されているのではないか、と。
果たして、その通りだった。読解の魔法をかければ、ありありとその本に込められた思念が浮かび上がってくる。手にした本に記されているのは、ラムランチュールの作りだした様々な虫についての図誌だった。
「これ、魔法で読める」
マーヤーの言葉にジャネットが振り返る。
「どういうこと?」
「文字じゃなく、思念を刻み込んであるのね。だから、目には見えない。でも、魔法をつかえばページに込められた思念が読める」
「そうなの…、で、それには何が書いてあるの?」
マーヤーは、自分の感じ取ったものを詳しく伝えた。それを聞いてジャネットが顔をしかめる。
「いやだわ、そんな、虫の本だなんて」
そういって、部屋中に散らかった書物を見渡す。
「つまり、この部屋にある本は、みんなそういう仕掛けなのね?」
「たぶん」
「なるほどね。それで先に来た連中はこれに手をつけなかった、ってことなのね。だからって、こんなに乱暴に扱わなくても良かったのに」
「他の本も調べてみる?」
「いいわ、やめよう。全部調べてたらキリがないし、持って行けるような数でもないし。それに、わたしじゃ読めないから。…それとも、マーヤー、何冊か持って行ってみる?」
「ううん、やめておく」
本の山を後にして、2人は部屋を出た。
反対側の通路も試してみたが、その先にあったのは、やはり同じような本の山だった。何冊か手に取ってみたが、いずれも白紙のページばかりで、魔法を使わなければ内容を知ることはできない。
うんざりした顔でジャネットが言う。
「調べるにしても、よほど時間をかけてでないと無理ね。マーヤーに中を見てもらって、目録を作って、なんて、気が遠くなりそうだわ。下手したら、一生ものよ、そんな仕事」
「…ここで一生過ごす気はないわよ?」
「わたしもよ。あ~、なんだかとっても損した気分」
「もしかしたら宝の山かも知れないのに」
「いくら宝の山でも、全然読めないんじゃ何にもならないわ。全く、宝の持ち腐れ、ってやつじゃない」
「じゃ、潔く諦める?」
「えー、えー、そうしましょ。全く、こんなふうにお宝を持て余すなんて、思いもしなかったわよ」
そう言って、ジャネットは扉を開け、部屋の外に出た。
そのまま、振り返りもせず、地上に向かって歩いて行く。
時刻は、もう昼頃だろうか。そう思いながら階段を上って外に出ると、太陽はすでに頭の上にあった。
「もうお昼なのね。道理でおなかがすいてきたわ」
先に地上へ出たジャネットが、そう言いながら辺りを見回す。すぐ後に続いてマーヤーも地下から出て、日の光を浴びる。まぶしい、と思って目をそらした先に、じっとたたずむ人影が目に入る。
「…誰?」
小声でのつぶやきを聞いたジャネットが振り返る。
そこにいるのは、すらりとした長身の男。全身を黒いローブで包み、ねじれた形の木の杖を手にしている。フードに隠れた顔はよく見えないが、常人とは思えない気配が漂っている。威圧、というよりはむしろ神々しいと表現したいような雰囲気だ。
警戒して対峙する2人に、男はゆっくりと口を開いた。少しかすれて響くが、しかし、よく通る声だ。
「誰かがやってきたと思ったが、お前達だったか」
「なによ、あなたは、誰?」
ジャネットの問いに、男は平然と答える。
「わしは、従者」
「従者? 誰の?」
「今は言うまい。時が来ればいずれ知れよう」
そして、男の目はジャネットを、そしてマーヤーをじっと見つめる。少しの間があって、再び男が口を開く。
「あれを、見たのだな」
それは問いではなく、断定だった。そして、男は深々とうなずく。その口元に笑みが見えたと思ったのは錯覚だっただろうか。
「いずれ、見えよう」
そう言ったかと思うと、男の姿はゆらり、と揺れ、そのまま空中に溶け込むように見えなくなる。
「…消えた?」
男のいたところには、すでに何の気配もなく、草の踏みしだかれた様子もない。まるで、始めからそこに男などいなかったようだ。
「ね、なんだったのかしら、今の。魔法使い? …にしては、ちょっと雰囲気が違ってみたいだし」
「…僧侶?」
「うーん、そうだったのかな。でも、神殿の僧、って感じじゃなかったな」
「もしかして、使徒の信者?」
思いついたことを言ってみる。きっとそうに違いない、とマーヤーは思っていた。
「え?」
「ここへ誰かが入ったのを見つけてやってきたのよね?」
「うん、そんなこと言ってたな…、あ、そうか、ここは!」
「ラムランチュールの遺跡、だよね?」
「そうか、だったら…、って、ねえ、マーヤー、あなたやばくない? あの男、マーヤーのこと、じっと見てたじゃない。それに、いずれ見えよう、だなんて」
「うん、…って、あれ、わたしに言ってたの?」
「わたしにはそう聞こえたわよ。わたしの方を見たときには、お前なんか、お呼びじゃない、って顔してよ」
「そうだった?」
「もちよ。それより、使徒の信者なんて、神殿に見つかったら、大変なことになるわよ。まず、捕まって牢屋入りでしょ。運が良ければ一生幽閉されるくらいで済むけど、下手したら火あぶり、良くて打ち首で、生かしておいてもらえないじゃない。そんなのとお近づきになんかなりたくないわ、絶対!」
「え、そ、そうなの?」
古い時代、神々と使徒とが戦った、と言う神話はマーヤーも知っている。何度も語り伝えに聞きもし、つい今し方、遺跡の地下の壁画でも見たとおりだ。だからといって、今もなお、使徒の信者が迫害されているとまでは聞いた記憶がなかった。
「少なくとも、わたしの知ってるところじゃ、ね。だから、この遺跡のことも人にしゃべったりしちゃだめよ?」
「…ええ、そうね」
ジャネットがそう言うからには、多分ミュロンでもそうなのだろう。いや、もしかしたら、ここがどんな遺跡なのかは、知られているのかも知れない。それだから、誰も森へ立ち入らないのかも知れない。おおっぴらに禁じてかえって興味を引くようなことを避け、秘密裏に森を封鎖しているのだろうか。
「でもジャネット、あなた、ここがそんな場所だった知らなかったの? 壁画のことを聞いてたのよね?」
「知らないわよ、そんなの。冒険者連中の話なんて、側で聞いてただけだし、下見の時は中に入ったりなんてしなかったもの」
「そうか…、じゃ、ここが使徒の神殿だと知ってたら、来るのをやめた?」
「まさか! そんなもったいないこと、するわけないじゃない。マーヤーだってわかるでしょ?」
「あ、やっぱりそうなんだ…」
目を細めて見るマーヤーを意に介さないようにジャネットが言う。
「もう目的は達したから、早めに立ち去った方がいいかもね」
マーヤーもうなずいて賛成した。
(ここでお弁当、なんて気分じゃなくなっちゃったよね、さすがに)
少し冷たい空気を縫って、2人は再び姿を消して、大空へ飛び立ったのだった。




