幻術師ジャネット(6)
下りた先は、ジャネットの期待を裏切るほどに簡単な作りの場所だった。
まっすぐに奥へと続く通路。人が4人並んで通れるほどの広さと、2階建ての建物の高さよりももっと高い天井。左右へ延びる廊下があったのは1カ所だけで、一番奥の扉まで、遮るもののない一本道だった。十字路の右側の奥に、何かうごめくものがあるのをマーヤーが見つける。
「なにか、いる」
その声に振り返ったジャネットが、もう1つ光球を創り出して通路の奥の方へ飛ばすと、そこには全長1メートルほどの巨大なアリの姿があった。
「ア、アリ!」
ほとんど反射的にジャネットの放った火球が大アリを直撃する。ぼん、と軽い音がして火球が大きく広がり、アリを包み込んで焼き殺す。
「すごいわ、ジャネット」
目にもとまらぬ早業。そうとしか言いようのない、正に一瞬の間の出来事だった。
「ごめんね、これもマーヤーに任せたら良かったかな?」
口元に笑みを浮かべたジャネットの言葉に、マーヤーは軽く首を振って応えた。
実際のところ、これほど素早くアリを退治するのはマーヤーにはできないことだった、幻術はイメージを描き出すのが一番重要で、とっさの対応には向かない。それに、地上で蛇を相手に使った魔法は、そうそう何度も使えるものではなかった。使い慣れた程度の幻術では、虫を相手にどこまで役に立つかわからない。
「ジャネットに任せるよ。あんな早業、わたしじゃ、だめだから」
「そう。じゃ、任されてあげる」
ジャネットは嬉しそうににっこりと笑って、また先へと進んでいく。
そのまま奥まで進むと、壊れかけ、きちんと閉まらなくなった扉が通路を遮っていた。ジャネットが軽く押しただけで、扉はきしみながら、ゆっくりと開いた。
扉の向こうは、広いホールだった。
全体は正八角形をしていて、その一辺が60メートルほどはある。部屋の中央には、巨大な像が倒れているのが見えた。
「神をかたどった像、じゃないわね。こんな姿の神なんて聞いたことがないわ」
像が写実性を追求して造られているなら、それは、全身を毛に覆われ、6本の腕を持った男の姿を象ったものだ。頭には折れ曲がった8本の角が見える。
「ラムランチュール…」
ふとマーヤーの口からこぼれた名前をジャネットが聞きとがめる。
「なんなの、それ? 神の名、じゃないわよね?」
「神じゃない。創世主の使徒」
「創世主の、使徒?」
「蜘蛛の王、飛ぶものと虫たちの創り手にして、紫の戦士ラムランチュール」
「ラムランチュール…、それが名前なの?」
マーヤはうなずいた。昔、師から聞いたことのある神話だ。創世主が封印されたときに神々が2つに分かれて戦った。創世主に世界を委ねようする者達と、神々だけの新たな世界を築こうとする者達。使徒とは、創世主を世界の支配者に仰ごうとした神に与えられた称号だ。
「ここは、きっと、使徒を祀った神殿」
「ああ、それで、普通の神殿とは違った作りになってるわけね?」
地上の様子を思い出しながらジャネットが言う。
「それじゃ、壁画というのは…」
あらためて周囲の壁を見回してみる。光球の光が届かす、薄闇に包まれてよく見えないが、どの面にも、壁一杯に絵が描かれているのがわかる。
ジャネットは、次々と新しい光球を作りだした。それが集まって、1つになると、ホール全体が日の光を受けたように明るく照らし出される。そして、2人の前に現れたのは、まさしく、創世の物語を描いた壁画だった。
「すごいわ!」
ジャネットが叫ぶ。
「これよ、これ! 正にこれを見たかったの!」
2人は、壁画に描かれた創世の神話を、追っていった。
「これが、本当の創世の物語…?」
不思議そうに壁画を見つめるマーヤー。それをジャネットが見咎める。
「どうかしたの?」
「絵が…語ってる」
「え? どういうこと」
マーヤーは感じていた。壁画に込められた古代の人々の念を。壁画に託して伝えようとした、使徒達の真実。消え去った思い。ゆがめて伝えられた物語への不満。忘れられた真実の中に生きる者達の悲しみ。
それは恨みではない。怒りでもない。ただ、純粋な悲しみ。そして無念さ。
勝者の語る歴史の中で、その正体をゆがめられ、残ったものに都合良く変えられた物語の中で不本意な役割を押しつけられ、本来あり得なかった位置に立たされた者達の嘆き。
失われた真実が、いつの日か明らかになることを祈って、託された願い。
そういったものが、怒濤のようにマーヤーの心に押し寄せてきていた。
(知ってる…? わたし、知っている!)
それは揺らぎようのない確信だった。
なぜ、そんな思いが生じたのだろう? わからない。師の教えでもない。冒険者仲間の誰かから聞いたことでもない。今までに訪れた神殿で見聞きしたことでもない。
この絵を描いたのは一体誰だろう。
消え去った使徒達、の筈はなかった。
使徒の心に感応した誰か。
創世主の真実を悟った何者か。
その誰かは、絵の中に、時を超えて伝わるメッセージを込めたのだ。
絵に込められた思いを、読み取ることのできる、能力ある者だけが受け取れるメッセージを。
意識の上にはっきりと上ってくる言葉ではない。
心識に呼びかけ、心の奥底に残される過去からのメッセージ。
マーヤーは、それを確かに受け取っていた。
「ねえ、マーヤー、マーヤー、ってば、一体どうしちゃったの? 急に黙っちゃって、一体何が聞こえるの? 絵が語る、ってどういうこと?」
マーヤーの肩を掴んでジャネットが揺さぶる。それでようやく我に返ったマーヤーは、呆然とつぶやいた。
「わからない。一体何だったのか、わからない…」
「ちょっと、大丈夫なの、マーヤー?」
大きく首を振ると、マーヤーは顔を上げてジャネットの方へ振り返った。
「ん、もう大丈夫…」
マーヤーの口からこぼれた小さな声は、しかし、ジャネットには届かなかった。
「ねえ、わたしがわかる? ここがどこだか、ちゃんと覚えてる?」
真剣な面持ちで言うジャネットの様子に、マーヤーは思わず笑いを漏らす。
「もちろんよ? あなたはジャネット。幻術師で、わたしの仲間のジャネット。ここは、ジャネットの見つけた遺跡。ジャネットが見たがっていた壁画のあるところ」
それを聞き、脱力したように、ジャネットが言う。
「良かった…」
「それで、ジャネットは壁画が見れて満足したのかな?」
すでに、いつもの調子を取り戻したマーヤーが言う。
「あんなに見たがってた壁画、期待どおりだった?」
ジャネットは大きく息を吐いた。
「そうね、思ってた以上のものだったわ。今伝わってる神話と、ずいぶん違う物語。これが、本当の創世の時のことだとしたら、大変なことだわ」
「そうね。その通り」
「創世主の気まぐれで滅ぼされかけた世界を救ったのが神帝ゼフューダ。それがわたしたちの知ってる神話でしょ。なのに、神帝ゼフューダは創世主に背いた反逆者。しかも、創世主よりも高次の存在がいて、創世主はその御使いの1人に過ぎなかったなんて」
「本当の創世主は、別にいた」
「ブーリブドルが許したからゼフューダは創世主を封印できた…、そうね、それはわかる。でなけりゃ、いくらゼフューダでも創世主に敵うはずないから。でも、一体どこに封印したのかしら? 創世主を封印できるところなんて、マーヤー、あなたにわかる?」
「さあ…?」
(ジャネットには、伝わってないんだ…)
マーヤーは知っている。創世主がどこに封印されたのか。それは、壁画から伝わってきたあの想念が運んできた知識。壁画を――絵だけを見たジャネットにはわからない秘密。
創世主は、封印されたのではない。自ら、有情となり、別の生命として生まれ変わり、悠久の時を駈けてこの世界を輪廻することを選んだのだ。
この世界に生きる有情――あらゆる形態の全ての生命は、創世主が幾度も幾度も生まれ変わり、死に変わりして輪廻転生しているだけのもの。たった1つの存在が、時間と空間を超え、ほとんど無限とも言える生を繰り返す、その連続。
神々も、人間も、動物も、植物も。それらの生物の体を作る細胞の1つ1つ、目に見えない小さな生命、生命と物質の中間とも見える生命体。それら全てが、創世主の輪廻転生する姿なのだ。そして、そのようにして世界に生命を満たすこと、それが創世主の、世界の創造の仕上げなのだった。
創世主の封印されたところとは、言うなれば、全ての有情、ということなのだった。
(これは、そういう壁画だったんだ)
ただ見れば、創世主の使徒を崇める者達が伝える、神々が悪であることを告発する創世の物語。
感じ取る力を持つ者には、神の創世の物語を伝えるメッセンジャー。
壁画に描かれた内容は、壁画が心に送り込むメッセージの内容とは異なっている。神々に敗れた使徒の物語も含まれてはいても、それは壁画にあるほど決定的な対立、破局ではない。むしろ、創世主の意思により起こるべくして起きたものだとわかる。
自分の受け取ったメッセージをジャネットにも教えようか、と思う。が、少し考えて、マーヤーはそれはやめることにした。
ジャネットは、メッセージを受け取れなかったのだ。
ジャネットは壁画を描いたものが、メッセージを伝えたかった相手ではない。
ジャネットは、メッセージを知らせてはいけない者なのだ。
それに、おそらく、マーヤーが説明しようとしても、ジャネットはそれを理解できないだろう。そうマーヤーは確信していた。




