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幻術師ジャネット(5)

 朝、早めの朝食を済ませ、マーヤーとジャネットは宿を出た。

 長期間宿泊しているおかげで、荷物は部屋に置いていおけ、身軽で出られるのがありがたかった。

 「遺跡までどのくらいある?」

 「そうね、普通に歩いて丸1日、ってところかな」

 「ずいぶん近いのね。なのに、誰も知らないなんて」

 「森自体、人が入らないみたいね。どうしてだか家畜も怖がって入りたがらないらしいし、動物の姿もないみたいだし」

 「よくそんなものが、そのままになってるね」

 「言われてみれば不思議だけど、その通りね。領主に何か考えがあってそうしてるのかも知れないし。一応、ミュロンじゃあの森は立ち入り禁止、ってことになってるっぽいし」

 「…いいの、そんなところへ行って?」

 「それを気にしてたら冒険者なんてやってられない、って知ってるわよね?」

 「まあ、そうだけど」

 それなら、普通に歩いて行くのはまずいだろう。そう思ってマーヤーは、姿を消して、空中を行くことを提案した。

 「それはうまいわね。で、どうやってマーヤーは空を飛ぶつもり?」

 「その魔法は知ってるから。ジャネットにもかけてあげる」

 「でも姿を消してたら、わたしがどこにいるかわからないよね? マーヤーは遺跡がどこにあるか知らないから、わたしについてきてもらわないといけないんだけど?」

 「見えないものを見る魔法、使えるから」

 知っている魔法の種類は、あまり人に教えたくない。仲間であっても、だ。だから、最小限の情報しか伝えないし、知っている魔法を全部教えるのも現実的ではないのだが、それがかえってマーヤーの評価をどんどん大きくしていってしまうのには思い至らない。次々といろいろな魔法が出てきてジャネットはついて行くだけでやっとだった。

 「…!」

 マーヤーを見るジャネットの目が丸くなるのにマーヤーは気づいていた。

 「え、どうかした?」

 「…何でもないわ。あなたの魔法にいちいち驚いてたらやってられない、ってわかってたはずなのよね…」

 2人は、まず不可視(インヴィジブル)の魔法で姿を消し、次に飛翔(フライト)の魔法をかける。これで、1日は、自由に空を飛び回ることができる。簡単に飛翔の魔法の効果と、どうやって飛べばいいかを説明すると、ジャネットはすぐにそれを理解したようだった。

 飛翔の魔法に加え、不可視の魔法もマーヤーがかけたものだ。ジャネットの魔法より、マーヤーの魔法の効果の方が(まさ)っているのは、コルターで経験済みだった。

 ミュロンの城壁に、魔法感知や魔法阻害の仕掛けがされていないのはすでに確認してある。

 先にジャネットが空中に浮かび上がり、続いてマーヤーが舞い上がる。ジャネットの姿は、マーヤーにはぼんやりとした幻影のように見えており、遮るもののない空中では見失うことはない。

 少しずつ、飛翔の魔法にジャネットが慣れてくるにつれ、速度が上がる。それと共に、コースも安定し、危なげがなくなってくる。1時間もした頃には、2人は遺跡の前に降り立っていた

 「ここが、そうなのね?」

 姿を現したマーヤーが言う。同じようにジャネットも不可視の魔法を解いて姿を見せる。

 「気をつけてね、どこからモンスターが出てくるかわからないから」

 遺跡は、古代の神殿といった感じで、壁や柱は皆崩れており、見る影もない。所々にある積み重なった石は、崩落した天井の名残だろうか。床に敷かれていた石畳も割れて、背の高い草が生い茂っている。

 すでに秋は深く、冬に近いが、草は青々として枯れかかった様子などみじんもない。時折、吹く風に草がさわさわと揺れる。

 「ずいぶんと暖かくない、このあたり。どっちかって言えば、暑いくらいだよ?」

 マーヤーが言うと、ジャネットがうなずいた。

 「そうね、まるで夏の盛りみたい。遺跡に何かの力が残っているのかも知れないわね」

 「一体、昔はなんだったんだろう、ここ?」

 「神殿…にしては、少し作りが違うわね。でも、壁画のことを思えば、神々に関わる施設だったのは間違いないと思うわ」

 「でなければ、図書館か、文書館のようなもの…?」

 「古い記録の保管場所、っていうこと? うん、あり得るかな、それ」

 「壁は全部崩れてるけど、壁画なんてどこにあるのかな?」

 辺りを見回しながらマーヤーが言う。

 「地下があると思うわ、多分」

 「そうか、じゃ、どこかに降りる場所があるはず」

 「手分けして探しましょう。わたしは向こうに行くから、マーヤーはそっちからお願い」

 「待って!」

 さっさと歩き始めようとしたジャネットをマーヤーは呼び止めた。

 「一緒にいた方がいいと思う。モンスターがいつ出てくるかわからないから」

 地下への入り口探しに気を取られている隙にモンスターに襲われれば、どうしても対応が遅れることになる。それよりも、一緒にいて1人はあたりに注意を払っている方がいい。マーヤーの説明にジャネットはうなずいた。

 「そうね、…そうかも」

 探査魔法の心得のあるマーヤーが入り口を探し、攻撃魔法を使えるジャネットが周囲を警戒する。そうして、遺跡の中央あたりまで来たときだった。草むらから、巨大な蛇が姿を現したのは。

 「出たわ!」

 ジャネットの声に振り向くと、全身青黒い鱗に覆われた巨大な蛇が鎌首をもたげたところだった。まだ距離はあり、対処する余裕は十分にある。

 「わたしにやらせて!」

 すぐにも魔法の詠唱に入ろうとするジャネットをマーヤーは止めた。

 「? …どうするつもり?」

 怪訝な顔をするジャネットの前で、マーヤーは一瞬のうちに精神を集中し、念を放った。

 次の瞬間、蛇のすぐ横に、巨大な――通常の倍近い巨体を持った熊が現れた、2本の後脚で立ち、前足を高々と上げ、吠え声を上げて蛇を威嚇する。

 「何? マーヤーの作った幻影なの?」

 「そう、幻」

 不意に現れた大熊を、人間よりも魅力的な獲物と思ったのか、蛇が向きを変えて熊の方へ顔を向ける。閉じた口から、チロチロとのぞく舌が、まるで火を吐いてでもいるように見える。

 「幻影を本物だと思ってるみたいね」

 そう言ってジャネットは、それが普通のことではないのに気づく。

 「どうして?! 動物はそんな簡単に幻術に引っかかったりしないはずでしょ?」

 「姿と声、においと体温。それだけ揃えてみたから」

 「ええっ?」

 言葉で言えばそれだけだが、においも、声も、人間が感じ取るだけのにおいや声ではない。蛇が感じる、人間とは違った領域の感覚。人間とは感じ方の違うにおいや声――あるいは空気の振動。そういったものが全てそろった幻影なのだが、ジャネットにそれは知る由もなかった。

 驚くジャネットの目の前で、蛇が熊に襲いかかる。蛇の突進をまともに食らい、熊が大きくのけぞってその場に倒れ、反動で蛇の方も後ろに体が反れる。

 「え? 消えない…!」

 「蛇は、熊を幻と思ってないから」

 マーヤーの言うとおりだった。通常、幻影は誰かに触れられ、それが幻であると知られたときには消えてしまうものだ。だが、触れられても、それが幻とわからなければ、魔法は効果を失わない。

 「蛇に知性がないから、っていうこと?」

 「知性の問題じゃない。体当たりしたときに、手応えを感じて、熊が本物だって言う確信が強まったから」

 「なんですって、幻に手応え?」

 「そう、実戦は初めてだけど、思ったよりうまくいったわ」

 会心の笑みを漏らすマーヤーを見て、ジャネットは天を仰ぐばかりだった。

 「全く、あなたって子は…」

 特定の相手の五感だけに影響を与えるのなら、不可能ではない。相手は夢を見ているのと同じ状態になり、夢から覚めない限り、術から逃れることはできない。しかし、今、マーヤーの見せているのは幻影だ。誰にも見える代わり、実際にはそこには何も存在しないはずのものだ。例えれば、虹か、蜃気楼のようなもの、というのが通常の理解だ。

 「い、一体、どんな方法を使ったのよ」

 幻術師を自認するジャネットにとって、マーヤーの使った魔法は常識を覆すものだ。逆に言えば、ジャネットだからこそ、マーヤーの術のものすごさ、恐ろしさを理解できたのだった。

 興奮して叫ぶジャネットに、マーヤーは淡々と答える。

 「相手の心識に触れてみた」

 「心識…って、何、それ。そんなの聞いたことがないわ」

 「アーリヤ。全ての生き物の、生命の一番奥にあるもの…としか、言いようがないかな。悪いけど、わたしもそれ以上うまく言えないの」

 「生命の…、あなたの先生はそんなものまで教えてくれたの」

 「違う、これは、別の人に習った」

 そう言っている間に、熊が起き上がり、逆に蛇に突進していく。太い前足が風を切って唸り、蛇の頭に強烈な一撃を食らわせる。攻撃をまともに受けた蛇は、大きく吹き飛ばされる。全身が、激しく痙攣し、草が大きく揺れる。

 「人間相手ならともかく、蛇を幻で仕留めちゃうなんて…」

 「違うかな、蛇だからうまくいったの」

 驚くジャネットに、マーヤーは平然と言ってのけた。

 「人間だったら、こんな簡単にはいかなかった、と思う」

 「どういうこと?」

 「人間の心識は、蛇ほど簡単には入り込めないから」

 「入り込む? …命の一番奥底に?」

 「そう。それで世界が共有できる」

 「…ごめん、その話、わたしにはわからないわ」

 そうだろうな、とマーヤーは思った。心識の話は、理屈だけ聴いても本当に理解するのは難しい。実際に自分の心識を探り当て、その感覚を体験してみない限り、本当のところはわからないものだ。逆に、ファービュアスの元での修行の経験があったからこそ、マーヤーはこの魔法を使うことができたのだ。


 (でも、まだまだ、かな。あまり長くは使えないね…。何度も使うのも無理、かな)


 新しい魔法は、通常の幻術とは比べものにならないほどの深い精神の集中を必要とした。わずか数分のことで、マーヤーはずいぶんと疲れを感じていた。

 マーヤーの集中が解けると、熊は空中に溶け込むように消えてしまう。それは、熊が幻影であったことを示す確かな――そして唯一の(あかし)だった。


 地下への階段を見つけたのは、それから半時も経ってからのことだった。草と瓦礫に隠れて、地下へと降りる階段のあるのが見つかったのだった。

 「やっと見つかったわね。この先に壁画があるんだわ。来た甲斐があったわね」

 「…ずいぶん深そう」

 「だからいいんじゃない。地下深くでなかったら、壁画も崩れちゃってたに違いないでしょうからね。さ、早速行くわよ」

 そう言って手を一振りすると、ジャネットの頭上に小さな光球が現れる。光球はふわふわと漂い、ジャネットの斜め前方の空中に浮かび、あたりを照らし出す。

 ジャネットが階段を降り始めると、光球は彼女の歩みに合わせて、空中を滑るようにして着いてくる。

 「さあ、探検の始まりよ」

 楽しそうに言うジャネットの後を着いて、マーヤーも階段を()り始めた。


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