救世主教団(3)
朝、起きた時、1階のカウンターには誰もいなかった。
(まだ、寝てるのかな? あ、ひょっとして、わたし……朝ごはん、抜きかな)
そういえば、朝食のことは何も聞いていなかった、と思い至る。これがこの宿の当たり前なのかもしれない。
すでに日は昇り、遠くで家畜や鳥の声が聞こえている。
(いくら何でも、お客ほっぽり出して寝てる、なんて筈ないよね。入り口のカギも開いてそうだし。朝はこの食堂はやってない、ってことかな。それにしても、留守なんて不用心だな……。
ん、それならそれでいいや。また女将さんにつかまって神さまの話されてもうれしくないし。神殿へ行く、なんて言ったら、何言われるかわからないしね)
(冒険中だったら、ごはん抜きなんて珍しくないし。迷宮の地下なんかじゃ、1日飲まず食わず、なんてこともあったから、まあいいっか。水が飲めるだけ御の字かな。
もっとも、こんなとこで朝を抜くなんて思ってなかったけど。)
出口まで行ってみる。
(扉に鍵はかかってない、と。やっぱり思った通りか。
女将さん、どこかに用足しにでも行ったかな)
外に出ると、風が顔にやさしく触れ、心地よい。
(今日もいい天気……!
旅にはもってこいの日和なんだけどな……)
行けば歩が進むだろう。女将に足止めされているのが惜しいような気がする。
大きく深呼吸すると、マーヤーは神殿へ向かった。
神殿は昨日見たときと同じように、ひっそりと静まり返っている。正面から中に入り、そこにいた下働きらしい女性に案内を乞う。それほど大きくない神殿のこと、マーヤーはそのまま神殿主に引き合わされた。
不意の来訪者に、神殿主は怪訝な表情を隠さない。その一方で、マーヤーのブローチに目がひきつけられたらしい様子だった。
「ここへ人が来るのは久方ぶりだ。みれば、このあたりの方ではないようだが」
(警戒されてる、って言うより怪しまれてるのかな……。まあ、そりゃそうよね。いきなりこんな見たこともない小娘がやってきたりしたら。
しかたない、御師様の名前に頼るか。)
「マーヤーと申します。先の宮廷魔術師スワレートの弟子、といえばおわかりでしょうか」
自分の名を告げたところで、いぶかしがられるだけだろう。冒険者として過ごした時の名なら、ヤトラの森からさほど遠くないこの辺りではまだ知られているかもしれないが、それは、とうに捨てた過去でもあり、また、わずかな期間の冒険で上げた功績など、どれほど人々の記憶に残っていることか。
そう思ったマーヤーはあえて老師の名を出した。師がかつて宮廷につかえる高名な魔術師であったことは承知している。各地にある様々な神々の神殿にもその名は知られていておかしくない。
予想通り、師の名を出した途端、相手の態度が変わる。
(わかりやすいな、この人。さすが、お師匠様の名前は効果抜群ね。)
「スワレート様の御高名はかねがね伺っております。皇宮を去られて隠棲されたと聞き及んでおりましたが、今はどこでどうしておられるのでしょう? ……それに、あの方にこんな若いお弟子様があったというのは初耳ですが?」
神殿主の態度が和らいだのを見たマーヤーは、手にした杖を差し出して見せた。
「御師様は、少し前に身罷りました。これが、御師様の形見です」
そう言ってマーヤーが差し出した杖を見て、相手がはっとした表情になるのがわかった。
「そうでしたか、それは失礼を」
「職を退かれた後、ヤトラの森で御師様はわたしを育ててくださいました」
「ヤトラとは……なんと、ここからほんの目と鼻の先ではありませぬか。それに気づきもしなかったとは、不明、慙愧に堪えません」
「人目を忍んで隠れておりましたから。
現役を退いた以上、世間との関わりを持ちたくない、との御師様のお考えです。それゆえ、わたしのことも、伏せておられたのでしょう」
「なるほど、わかります。 ……で、この度の用向きは?」
「この先の里のことで」
聞いた瞬間に相手の表情に陰の差すのがわかる。
(あ、……やっぱり、やな顔された…。)
「失礼とは存じますが、里の人々は守護神を祀るはずのこの神殿に疎遠な様子……。前を過ぎただけでもそれとわかるほどの有様に、あまりに不自然さを感じましたので、何かあったのだろうかと」
「む……」
「この神殿の祭神は、豊穣神フィルグハルト様とお見受けします。農耕を営む里であれば、決して軽んぜられるはずがないと存じますが」
「確かにその通りです。……しかし、それが大スワレートのお弟子様の気に留められるようなことなので?」
「ええ、実は……」
マーヤーは、昨夜宿の女将から話されたこと語った。
「御師様から、世界を創られた神々のことは一渉り教えを受けています。
でも救世主教、という名前はこの里で初めて聞きました。死後に救ってくれる神様、というのも初耳です。
神殿におられる方なら、あるいは詳しいことをご存じかもしれないと思い、無作法を承知でこちらへ参りました」
「そうでしたか……」
相手の顔に浮かぶ困惑をマーヤーははっきりと見て取った。
「確かに救世主教を名乗る集団が里に現れるようになって以来、人々の足がこの神殿から遠のいているのは事実。
しかし、神帝ゼフューダに従うどの神も、また闇に封じられた創世主の使徒であっても、死後に永遠の救いをもたらすなどと説くことはありません。スワレート様の教えを受けておられるのであれば、今更語ってお聞かせする必要もないことと思いますが。
それと同じく、永遠の地獄などというものもあり得ません。たとえ地獄に落ちようとも、長い時を経るとはいえ、いつかは再び別の境涯に生を得るのです」
「では、救世主教団の説くのは偽りである、と?」
「もちろんですとも」
(そりゃそうだ、やっぱりそう言うよねぇ)
「なのに、里の人はそれを信じているのですね」
神殿主の顔に渋い表情が浮かぶ。
「なにしろ、わかりやすい教えですから。
善いことをすれば天国、悪いことをすれば地獄。やった通りの報いが来る、というのは実に単純で誰にも受け入れられます。しかも、1回の人生ですべてが決まるというのですから、わかりやすいうえに恐ろしい。失敗すれば、もうやり直しはきかないのですからね。飴と鞭がはっきりとしています。本当の神理を知らなければ、信じたくなるのも無理はありません。人はそれほどに弱いものなのです」
「でも、それを信じていては、すごく暮らしにくくなるのではありませんか? 食事でさえも罪を重ねるのだと聞きましたが」
(ね、そうでしょ、そんなんじゃ、まともに生きていけないよ?)
「それが彼らの巧みなところなのです。
人が生きる上で重ねる罪を、肩代わりして受けてくれる救世主がいる、というのが彼らの教えなのです。どれほど罪を重ねても救世主が代わって受けてくれ、その結果、信徒は罪から逃れて天国に行けると」
(え……っと、じゃぁ、何をやっても全部チャラ……? どんな罪を犯しても、全部救世主が肩代わりしてくれる? どんな悪いことをしても、信仰さえすれば全部許される……、って、ずいぶん都合がいいんじゃない)
「神フィルグハルトは、死後のことに関わりを持ちませんから、救世主教に対抗できないのです。いくら作物の実りがよくなっても、それが罪につながるといわれてしまえば、人々を振り向かせることができないのです。
……お恥ずかしいが、そんな事情でこの神殿は荒れ果てている次第です」
(なるほどね…。ご利益のレベルが違うんだ。これは勝てないや、うん。)
そう、マーヤーが納得した時、
「それで、どうなさいます、大スワレートのお弟子様。
……あるいは私どもに何かお示しいただけるものがありましょうか。大スワレートの智慧を受け継がれている方なら、何がしかのお考えがあるのでは」
(あ、期待させちゃった? ……それとも、言ってみてるだけ?
黙ってさよなら、……は無理かな、やっぱり。)
「そうですね。……残念ですが里の事情を知らないわたしに、すぐに浮かぶ智慧はないようです。まず、里の人の様子も知らなくては、と思います」
「ご深慮ですね。
……里を回られるのであれば、だれかを供につけましょう。初めての土地で戸惑われることも多いでしょうから」
「え、いえ、そこまでは…」
少し焦りながらそう言ったマーヤーを、神殿主はにんまりと笑って見つめる。このまま逃がしてはくれないようだ。
「どうぞご遠慮なさらず。大スワレートのお弟子様に不自由をおかけするようなことがあっては面目が立ちませぬゆえ。
……ジュデル、ここへ来なさい」
「お呼びでしょうか」
呼ばれたのは、まだ少年と言えるほどの若者。身に付けた装飾品から、まだ修行者見習いだとわかる。どこの神殿にもいる、下働きをしながら神の教理や神殿の雑務を学び、一人前の修行者としての体力や教養、常識を身に付けるための修練にいそしむ者たちだ。
「偉大な魔法の使い手であられた大スワレートのお弟子様がお望みです。供をして、里の様子を案内しなさい」
「承知いたしました」
どうぞ、と先へ立って歩き出すのに、マーヤーも続く。
(あらら……、面倒なことになっちゃったかな?
まぁいいか、せっかくだからいろいろ聞いておこう、っと)




