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幻術師ジャネット(3)

 食事を終えて外に出る頃には、空には星々が輝き、街灯の()があたりを煌々と照らしていた。大都市の夜は遅く、通りにはまだ結構な人通りがある。

 「どう、なかなか言いお店でしょ?」

 「ええ、とてもおいしかったわ」

 この店でも、勘定はジャネットが持っていた。再会のお祝いだ、と言って、少しでも払いを持とうとするマーヤーを、ジャネットが頑として聞き入れなかったのだ。


 (まあ、いいかな? …ずいぶん裕福みたいだし)


 そう思いながら、ジャネットの後について歩き始めたときだった。

 通りの向こうから、でっぷりとした赤ら顔の男が姿を現した。おぼつかなげな足取りで、右に左に揺れながら歩いてきた男は、2人に目を留めたらしく、こちらへ向かってやって来る。

 「やあ、きれいな嬢ちゃん、ご機嫌いかがかね」

 片手をあげ、薄ら笑いを浮かべながら、大声で呼びかける。マーヤーが眉をひそめ、ジャネットが険悪な表情を浮かべる。ゆっくりと――あるいはよたよたと歩いてくる様子を見れば、男が見ているのはマーヤーではなくジャネットであるのがわかる。


 (まあ、そうか。ジャネットは美人だし)


 まだ子供っぽい感じの抜けきらないマーヤーと違って、ジャネットはすらりとした大人の美女、といった印象を見る者に与える。当然、人の目を引くのはジャネットの方で、並べば、マーヤーは引き立て役のイメージを拭えない。


 (あのおじさんは、ジャネットの知り合い? …なワケ、ないよね)


 ジャネットのうっとうしそうな表情を見ればわかる。ただの酔っ払いだ。通りすがりにジャネットの姿を見てちょっかいを出してきたに違いない。

 「なあ、俺と一杯付き合わねえかい」

 険のある目でジャネットににらまれても、一向に意に介さない様子で男はジャネットの傍らにやって来る。肘でマーヤーを押しのけると、酒臭い息を吐きながら、ジャネットの肩に手をかけた。

 「どうしたい、嬢ちゃん、え? 何とか言ってくれよ、おい」

 黙ってその手を払いのけて、ジャネットは男を睨み付けた。

 「おお、いい顔するねえ。キリリとした美人だぜ、おい」

 そう言いながら、しだれかかってくる男を、ジャネットは身をひねって交わした。男が蹈鞴(たたら)を踏んでつんのめりそうになる。

 「ああ、なんだよう、そんな邪険にすることねえだろ、おい?」

 「すぐ、消えなさい」

 低い声で、ジャネットが鋭く言う。ぞくりとしたものをマーヤーは感じた。


 (やばい?)


 ジャネットとて、修羅場を踏んできた冒険者なのだ。ただの市井人など、その気になれば鎧袖一触にも当たらない。しかし、そんな殺気をぶつけられても、男は酔った勢いか、一向に態度を変えようとはしなかった。

 「そんな、凄んだりするなよなあ、おい。せっかくの美人が台無しだぜえ」

 そう言いながら、もう一度肩にかけようとした手を、ジャネットがぴしゃりと打つ。そのまま大きく跳びすさったジャネットの手が高く上がり、手刀(じゅとう)(くう)を切って男の方へ振り下ろされる。まっすぐに伸びた指先から、白い閃光がほとばしり、男の胸に突き刺さると、男の体は後ろへ吹き飛ばされ、そのまま路上に転がって動かなくなる。

 「ジャネット!」

 「大丈夫よ? もう済んだから」

 思わず叫んだマーヤーを振り返ると、ジャネットは表情を緩め、事もなげに言った。

 マーヤーは、倒れたままぴくりとも動かない男に駆け寄った。かすかに胸が上下しているのがわかる。

 「息は…してる」

 「そう? 死ななかっただけ、運が良かったわね」

 「そんな…普通の人なのよ?」

 「酔っ払って、人に迷惑をかけるような奴よ。普通の人のすることじゃないわ」

 平然とそういったジャネットだったが、マーヤーの表情を見て、すこし顔を曇らせる。

 「なに、そんなに気になるの? …ああ、なるほど、こんな街中で人を殺したりしたら厄介になるものね。ごめん、気をつけるから」

 「そういう意味じゃ…」

 「うん、びっくりさせたよね。ごめんごめん、さあ、もう行こう」

 そう言うとジャネットはマーヤーの手を取って歩き始めた。引きずられるようにしてマーヤーもその場を後にした。

 ジャネットに連れられていったのは、4階建ての立派な石造りの建物だった。それがジャネットの泊まる宿だった、

 「ここに泊まっているの?」

 「うん、なかなかご機嫌なところでしょ」

 「ずいぶん贅沢な感じだけど」

 「そうね。だけど、女の1人旅、安心して止まれるところじゃないと、ね」

 「しおらしいこと言うわね? …シュタイナー商会のことがあったから?」

 「それは違うわ。商会を気にするなら、こんないいところはやめるわね。裏でどんなつながりがあるかわからないし、それに、第一目立つじゃない。それよりも、盗賊よけかな」

 「盗賊? そんなの気にするようなジャネットじゃないでしょ?」

 「普通なら、そうね。でも、時々出るのよ、この町。正体不明の盗賊が、ね」

 「何それ、怪盗?」

 「う~ん、言い得て妙かな、それ。旅の途中でミュロンに来た、伝手(つて)のない人間を狙う鬱陶しい奴」

 「何よ、そんなのただの強盗でしょ? ぜんぜん怪盗じゃないじゃない」

 「それだけならそうなんだけど、その一方で、貴族や商人の家に忍び込んで、お宝を盗み出したりもしてるのね。そっちだけにしてくれてたら、まだ、わたしとしては気が楽なんだけどね、普通は、金持ち狙うか、旅人狙うか、どっちかにするもんじゃない」

 「…それにジャネットも狙われるかも知れないから? ここは治安が良さそうだと思ったのに」

 「そうよ。着いて来て」

 先に立って階段を上っていくジャネットの後をマーヤーは追った。案内されて行った先は、最上階のきれいな造りの部屋だった。鍵を出して扉を開けるジャネットにマーヤーは目を見張っていた。


 (鍵付きの個室、って、ずいぶん贅沢。盗賊が怖い、って言ってたけど、こんな部屋に泊まれるくらい持ってるから狙われるんだよね…)


 中は思った以上に広く、大きな窓からは街の灯が見える。木板ではなく、ガラスのはめられた窓も、そう滅多に見られるものではない。室内にはどっしりとした作りの(デスク)やテーブルセット、ソファがあり、壁にはいくつもの燭台があって、ろうそくがしつらえられている。ただし、1人部屋とあってベッドは1つしかない。

 ソファにかけると、ジャネットは燭台に向かって手を伸ばした。火を灯す――のではなく、光輝(ライト)の魔法をかける。たちまち燭台全体が光の塊となって、部屋を照らし出す。同じ魔法を、部屋にある全部の燭台にかけると、室内は昼間のように明るくなった。

 「机、借りていい?」

 「もちろんよ」

 呪文書を取り出し、いつものように日記をつける。同時に、コルターでの出来事の書かれたページを開いて記憶を確認する。ジャネットや彼女のパーティーのことは、覚えていたのとほとんど違っていない。数えてみれば、あれから、すでに5か月が過ぎていた。

 いや、まだ、たったの5か月か。そんなわずかばかりの間にまた出会うなんて…?


 (…今日も1日、無事に終わったかな。でも、ジャネットといると、なんだか、また冒険者に戻りそう。…やだな)


 少しばかりの後悔も感じながら、でも、明日からは2人連れだ、と気持ちを切り替えることにする。1人だけの旅よりも楽しいに違いない。そう前向きに考えようと思いつつ、呪文書を閉じる

 「あら、もう終わったの?」

 ソファで、ゴブレットに注いだワインを飲みながらジャネットが言った、

 「ん、まあね。…ねえ、ジャネットは、ここで何をしてたの?」

 「わたし? …そうね、食べて、飲んで、寝て、遊んで暮らしてた」

 「遊んで?」

 「そうよ。まだお金はたっぷりあるし、1人で冒険に出るのもなんだかだし…一緒にパーティーが組めるような冒険者も見つからなかったしね、今日までは」

 「わたしは冒険者じゃないからね?」

 「わかってるわよ? でも、少しくらい、付き合ってくれてもいいんじゃないかな?」

 にこやかにいうジャネットに、マーヤーは顔をしかめてみせる。

 「何か、企んでるね?」

 そういうマーヤーに、ジャネットはひらひらと手を振ってみせる。

 「ないない、なんにもない、って。でも、道で何か事件が起きたら、そのときは…、ね?」

 「何か起こすつもりじゃないわよね?」

 さっきみたいに。その言葉は飲み込んだ。

 「事件なんて、起きるときには向こうからやって来るものよ? マーヤーだって、たっぷりと冒険してるじゃない」

 渋い顔をして黙り込んだマーヤーに、ジャネットが言う。

 「心配なんかしないことよ。何かあっても、魔法の天才のマーヤーがいるし、ベテラン冒険者のわたしもいるし。2人がいれば、どんなことだってへっちゃらだわ」

 「ずいぶんな自信ね」

 「もちよ。それでなきゃ、冒険者なんてやってられないじゃない。細心にして大胆、それがわたしのモットーなの」

 「敵わないわね…」

 「そうでしょ。さあ、早く寝て、明日に備えよう! 明日はきっと、新しい世界が待ってるから」

 「そうね、きっと」

 そう言って、ソファで横になろうとしたマーヤーの手を取って、ジャネットはベッドへと引っ張っていった、

 「このベッドは広いから、2人でも大丈夫よ」

 「…いいの?」

 「当たり前じゃない。大体、どこの宿だって、ベッドで1人なんて、あるものじゃないでしょ?」

 確かにそうだ。この部屋のような特別なところを別にすれば、そこの宿でも、1つの部屋で数人が一緒に泊まり、同じベッドで夜を過ごすのだ。何人かの見も知らぬ相手と朝まで一緒に眠るのは普通のことだった。

 言われて、ジャネットに続いてベッドに入る。毛布をかぶると、服を脱ぐ。

 「おやすみ、ね」

 そう言ってジャネットは燭台に駈けていた光輝の魔法を解く。一瞬にしてあたりは真っ暗になった。窓に引かれたカーテンが外の光を遮り、室内は静寂な闇に包まれた。


夜中。

ふと、目が覚める。

何かが首筋に触れるのを感じた。

ぞくり、と体が震える。


 (な、何? 何なの?)


 側面から、正面へ感触が移動する。そして、正面からそっと首──喉を覆うように何かが触れる。喉を掬い上げるように、それは移動していき、顎の方へと上がっていく。

 人の手だ。指先が頤に触れ、さらに上へと伝い、唇に触れる。

 「ジャ…ジャネット?」

 声に出して呼んでみる。答えはない。マーヤーに触れていた手は、そのまま彼女から離れ去っていった。


 (え…?)


ジャネットの方に顔を向ける。が、静かな寝息が聞こえるだけ。


 (夢…? それとも、寝ぼけたの?)


 翌朝、目が覚めた時、すでにジャネットは起き出し、服を着ていた。

 「おはよう、マーヤー」

 「…おはよう」

 昨夜のことを聞こうか、と思ったが、ためらわれる。あれは本当にあったことなのか、それとも夢だったのだろうか。

 「なに、変な顔して? …わたしの顔に、何かついてる?」

 「あ、ううん、何でもない…」

 「なんだろ、もしかして、怖い夢でも見たのかな。それで眠れなかったりして?」

 「違う!」


 (いや、夢だったら、ある意味、すごく怖い夢だよね…)


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