幻術師ジャネット(2)
「ねえ、あれからマーヤーはどうしてた?」
「ん、あちこち回ってきたけど…」
「そうよね、旅人だもん、わかるわかる。で、どんなことがあったのかな?」
訊かれて、思わずマーヤーは言葉に詰まる。
あまり穏やかな道中でなかったことは間違いない。普通の人なら、こんな数奇な――そうマーヤーは思った――目には遭わないに違いない。冒険者をやめた、と言いながら、その実、冒険そのものの旅を続けてきてしまったのだ。
それを知るはずもないだろうが、ジャネットは探るようにマーヤーに問いかける。
「モンスターに出会ったり、とか?」
思わず、マーヤーはうなずく。
(スケルトンに狼男…)
「殺されそうな目に遭ったりとか?」
少し渋い顔をして、マーヤーはうなずく。
(死んだよね、本当に)
「悪いことをして捕まったり、牢屋に入れられたりとか?」
(あー、あったっけ…)
「それとも、盗賊を退治したりなんかして?」
これにもマーヤーは否定しない。
「なによ、それ。まるっきり冒険者じゃない」
(あちゃー!)
「それが冒険者をやめた子のすることなのかしら?」
「う…」
「普通に暮らしたい、って誰かが言ってたわよねえ?」
「…!」
「やっぱりマーヤー、あなたって冒険者!」
「言うなあー!」
思わず叫んでしまった。周囲の人の目が一斉にマーヤに集まる。左右を見回し、真っ赤になってマーヤーはうつむいた。
「ようやく地が出たみたいね?」
「…なんなのよ、それ」
「だって、マーヤー、って、いつも人と距離を置いたみたいなしゃべり方するじゃない。女の子っぽくないもの」
「余計なお世話じゃないの」
「違うわ。これから一緒に旅をしようっていうのに、あんなすかしたしゃべり方じゃ、気が詰まるもの。もっとリラックスしてなくちゃ」
(相変わらずのペースだね、この人は…)
思わずため息を漏らすマーヤーに、ジャネットがたたみかける。
「いいじゃない、わたしたち、お友達なんだから」
「お友達…になっちゃったの?」
「もっちろんじゃない。一緒に命をかけた冒険して、でも別れが来て、でもでも、また運命的な再会を果たして、なんて、これが見も知らない他人のワケ、ないじゃない。運命の糸で結ばれた2人でしょ」
歌うように――実際終わりの方には何か変わった節回しまでつけて滔々と言葉を紡ぐジャネットに、マーヤーは半ばあきれ、半ば赤面していた。
「…良くそんなこと恥ずかしげもなく言えるわね」
「いくらでも言ってあげるわよ、マーヤー、あなたになら」
ジャネットの勢いに、マーヤーは、どうすることもできなかった。
「あー、はいはい、もうどうにでもしてちょうだい」
「ええ、ええ、好きにさせてもらうわね」
(うー。疲れる…)
「そんな顔しないのよ?」
「…わかったわよ」
「さて、っと、そろそろ行こうか」
「行く?」
「そ。お茶も飲んだし、そろそろ夕食の時間かな、って」
言われてみれば、確かにそんな時間だ。
「そうね、行こうか」
ジャネットは立ち上がると、給仕を手真似で呼ぶんだ。銀貨を2枚渡すと、そのまま、ゆっくりと店を出て行く。勝手のわからないまま、マーヤーも後に続いた。
すでに日は暮れかかっている。ジャネットに連れられ、マーヤーは料理屋へ入った。
店の中には30ばかりのテーブルが並び、すでに何組かの客が入っている。ジャネットは真ん中あたりのテーブルに席を取った。
すぐにウェイターがやってきて注文を訊く。
「任せてもらっていいかな?」
マーヤーがうなずくと、ジャネットは口早にいくつかの料理の名を言った。そのどれもが、マーヤーの聞いたことのないものだ。
「ここも、なじみなの?」
「そう、結構気に入ってるの。宿で食べるより、ずっとおいしいし、品数も多いから」
程なくして、料理が運ばれてくる。
薄緑色の透き通ったスープ、クルミほどの大きさの丸い揚げ物、細長い、少しだけ焼かれた肉、幾種類かのソーセージ、白くふわふわとした、雲のような、としか言いようのない塊。そういったものが何枚もの皿に載って次々とテーブルに並んだ。
それと一緒に、金色の液体の入ったゴブレットが2つ置かれると、その1つをジャネットは取り上げ、もう1つをマーヤーに差し出した。
「さ、いただきましょ」
そう言ってゴブレットに口をつけたジャネットをまねて、マーヤーもゴブレットを口元に運ぶ。甘い香りのなかに、澄んだ、ツンとした匂いが漂う。
「お酒?」
「そうよ? あ、飲めない、なんて言う?」
「ごめんね、お酒は飲まないの」
「どうして? 子供じゃないでしょ?」
「御師様の言い付けだから」
からかうように言ったジャネットに、マーヤーは真顔で答えた。一瞬、ジャネットはぽかんとした顔をする。それを見たマーヤーが言葉を続ける。
「酔うから。…酔うと、感覚が変わって、世界をきちんと認識できなくなるから」
「…それが、先生の言い付けなのね」
「そう。魔法の修行を始めてすぐに言われた。世界にきちんと向き合うために、って。魔法に――幻術に熟達するために、感覚を正確に保て、嘘の感覚を受け入れるな、って」
だから、感覚を乱す酒や麻薬、夢を見る薬といったものは――よほどの理由がない限り手を出さない。さっきのハーブティーは…まあ、セーフ。
酒は、酔って乱れることがいけないんじゃない。酔って、普通じゃない感じ方をするのがだめ。五感も、感情も乱れて、いつもの――平生の状態を保てなくなるから。修行が進んで、自分をしっかり持てるようになって、自分を理解できるようになれば別だけど。
「ふうん、それじゃ仕方ない、か…」
つまらなさそうな顔をしながらも、ジャネットは納得したようだった。
ジャネットには不可解でも、そんな師の教えを忠実に守っているマーヤーの魔法の技量は人並み外れていることは間違いない。以前、一緒に冒険をしたときに、それをしっかりと見せつけられている以上、マーヤーの言うことに――魔法の腕を上げるために酒を飲まないことに異を唱えることは、ジャネットにはできないのだった。
ジャネットがもう一度ウェイターを呼んで持ってこさせたのは、山羊の乳だった。
「これなら、いいよね?」
「うん、ありがと」
「魔法のために、お酒はだめ、か。あなたの先生はずいぶんと考えてたのね」
「先生は、多分、帝国で一番の魔法使いだった」
宮廷魔術師の地位にあったのだ。それは疑うべくもない。それを聞いてジャネットは目を丸くした。
「そんなすごい人に魔法を習ったの? ああ、そりゃ、道理ででたらめな腕の筈だわ」
「でたらめ、って…」
「すごすぎるのよ、マーヤーの魔法は。コルターで十分見せつけてくれたわよね?」
「ん…、確かに魔法は使ったけど、そんなすごすぎるなんて」
それを言うなら、カリーナだって相当なものだったし、ジャネットの魔法もなかなか見事なものだったと思う。しかし、ジャネットはそう思っていないようだった。
「何言ってるのよ。見てて仰天することばかりだったわ」
本当にそうだろうか? ジャネットの言葉にマーヤーは半信半疑だった。冒険者時代、少なくともパーティーの仲間にそんなことを言われた覚えはない。そのことを言うと、ジャネットはまた顔に手を当てて、天を仰いだ。
「一体、どんなパーティーだったのよ…」
そういって、ぷるぷると首を振ってうつむいてしまう。
(まあ、確かにジャネットのいたパーティーよりはすごかった…のかな)
それほど長く組んでいたわけではないけれど、思い比べてみれば、確かにあの仲間達は凄腕だったかも知れない。――実際のところ、マーヤーは思い至っていないが、元宮廷魔術師のスワレートが選りすぐったメンバーなのだ。水準を遙かに上回っているのは当たり前だった。
「マーヤーは、どうして幻の術ばかり使うの?」
思い直したようにジャネットが訊いた。
「ん、御師様がそうおっしゃったから。わたしが学ぶのは、幻を扱う術であるべきだ、って。他の術は、少しは教えてもらったけど、でも、ほんの少し。攻撃魔法なんて、もってのほかだ、って言われて、そういうのは教えてもらえなかった」
「そうなの? でも、冒険者やってたんでしょ? 攻撃魔法なしで、よくやってこれたわね」
「魔法はイメージだ、心の使い方が全てだ、って言うのが御師様の教え。自分の知ってる魔法をどう使うか、それを考えろ、ってことね」
「ふうん、それで実地訓練だったワケなんだ」
「うん、そうかも。でも、ジャネットだって幻術使いなんでしょ?」
「まあね。でも、そう名乗ってはいても、わたしは他の魔法も使うのよ。炎の術や氷の魔法なんかもね」
「攻撃魔法、って言うこと?」
「そうよ。必要になれば、だけど」
「そうなんだ」
「大抵はそんなものよ? 幻術使いって言っても、幻術が一番使い慣れてる、って言うだけで、マーヤーみたいに幻術一本槍なんて、あまり聞かないわ」
そうかも知れない、とマーヤーは思った。実際、今までに出会った魔法使いで、幻術以外の魔法を使わない者は1人もいなかった。大抵は、多かれ少なかれ、他の系統の魔法――その多くは、攻撃に利用できる魔法――も使っていたものだった。
(それが、普通…なのかな?)
ふと、そう思いもしたマーヤーだったが、師の教えを否定する気持ちは湧いてこなかった。
(わたしは、これでいいんだから…)




