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幻術師ジャネット(1)

 「つかまえた!」

 ミュロンの街中で、いきなり、後ろから抱き着かれた。両手を抑え込む格好で胸の前で交差した、誰かの両手がマーヤーを抱きくすくめる

 「きゃあ!」

 思わず声を漏らす。

 「だれ!なにするの」

 叫んで振り返る。同時に、背後の人物が手を放して、1歩後ろに下がった。

 「やっと見つけたわ、マーヤー」

 聞いたことのある声だった。

 「わたしを覚えてる?」

 深紅の服に、黒いマントを羽織った目鼻立ちのはっきりとした色白の娘。


 (あー、この子! いつかのパーティーにいた子だ)


 はっきりと記憶がよみがえる。危ないところを助けられ、その流れで一緒に戦うことになった冒険者パーティ。その中にいた幻術師(イリュージョニスト)だ。

 「コルターで会ったわよね。一緒にオークやゴブリンと戦ったじゃない」

 「…覚えてるわ、ジャネット」

 名前を呼ばれたのがうれしかったらしく、ジャネットは手をたたいて笑った。

 「やっぱり! ちゃんと覚えてくれてたのね、うれしい!」


 (な、なんで今頃、こんなところで…)


 マーヤーの方は当惑を隠せない。ジャネットがいるということは、彼女の仲間達もこの都市に――ミュロンにいるのだろうか。そんな思いを読み取ったようにジャネットが言う。

 「ひょっとしてロバート達を探してる? いいえ、わたしだけよ」

 え、と驚くマーヤーにジャネットは言葉を続ける。

 「ロバート達は、もういないの。シュタイナー商会相手に下手を打って」

 「まさか、殺された…?」

 「そう、そのまさかよ」

 信じられない言葉だった。彼等はマーヤーの目から見ても十分に腕利きだった。それに、どんな場所へでもテレポートできるカリーナもいたはずだ。そう簡単に彼等をしとめらるはずがない。

 それを口にしたマーヤーに、ジャネットは少し目を伏せて言う。

 「正面からなら、確かにそうだわ。でも、敵はそんな正々堂々とやっては来なかった。…まあ、わたしたちが甘かったのよね。寝ているところへ毒煙の魔法を使われたり、食事や水に一服盛られたり。バランが気をつけろ、って言ったのを、もっとちゃんと聞いておけば良かったんだわ」

 「…もしかして、まだ追われてる?」

 声を潜めて訊いたマーヤーに、ジャネットはけらけらと笑って答えた。

 「そんな筈ないに決まってるでしょ。刺客の目の前で、ちゃんと死んで見せたわよ」

 「死んで、って…ああ、幻術ね」

 合点がいって、マーヤーがうなずく。幻術の腕が確かなら、刺客の目をごまかすことは難しくないだろう。

 「それで、もしかして仲間の敵を討とうだなんて…」

 「ないない、そんなこと、全然考えてないから」

 ジャネットは言下にそう答えた。

 「危ない橋なんか、渡らないわよ。それにわたし、正義の味方なんか気取らないし」

 「じゃ、シュタイナー商会のことは?」

 「もう、関わり合いになんかなりたくないわね。…あなたは違う?」

 マーヤーもぶんぶんと首を振る。

 「冒険者はやめたんだ、って言ったはずよ?」

 その言葉に偽りはない。魔法を使う道を選びはしたが、自分から危険の中に飛び込んでいくことまでは考えていない。

 魔法使いではあっても、冒険者ではないつもり。

 目に留めた人のために力は貸しても、穏やかな生活が望ましい気持ちは変わらない。まして、冒険に飛び込んで自分の実力を試すようなことなど全く考えていなかった。

 「ああ、そうだったわね。で、まだ旅をしてるのね」

 「ええ、そう。落ち着いて住める場所も見つかってないから」

 キラリ、とじゃネットの目が輝く。

 「じゃあ、マーヤー、わたしも一緒に行っていい?」

 「…一緒に?」

 「そう、わたしも、当てのない旅だもの。1人より2人の方がきっといいじゃない」

 「2人の方が?」

 「そうよ、だって女の子の1人旅なんて、危なくない? 味気なくない? どうせなら、楽しく旅をしましょうよ」

 「う…」

 「そんな辛気くさい顔しないでよ。それに、あなたには貸しがあるんだから?」

 「え、貸し?」

 「そうよ、マーヤーはコルターでさっさといなくなっちゃったでしょ? ちょっと冷たくなかったかな、あれは」

 「あ、ああ、確かにそうね…」

 オーク達の本拠地から戻った後、これ以上関わりたくなくて、さっさとジャネット達のパーティーから別れたのだった。彼等のパーティーに入るつもりはなかったし、魔法使いを続けるつもりのなかったときだ。ただ、あらためて言われると、確かに後ろめたい気がしないでもない。

 ほらね、とにんまり笑いながらジャネットが言う。

 「生死を共にした仲間に、ちゃんと挨拶もなしに、あれはないよね? だ、か、ら、あなたには、わたしと連れになる責任があるのです、って、OK?」


 (な、なんだろ、ぐいぐいとくる、このノリ…)


 そういえば、初めて会ったときもこうだった。そう思って思わず苦笑する。迷惑だけど、憎めない。これが性格なのだろう、裏のない笑顔で、立て板に水、といった勢いで話し続けるジャネットに、マーヤーは降参して道連れになることを受け入れた。

 「うん、うん、そうこなくちゃね。これであなたはわたしのものだ」

 「ちょっと、ジャネット、わたしのもの、って…」

 「いいじゃない、気にしない、気にしない。で、今夜の宿は決まってる?」

 「ううん、まだ…」

 「そう、じゃ、わたしの泊まってるところへいらっしゃい。個室で、2人入れる広さがあるわ」

 「まあ、そうなの」

 個室を持った宿は珍しい。ミュロンのような大きな都市なればこその贅沢な宿だ。普通の大部屋に比べれば設備も段違いに良いが、値段もまた段違いだ。


 (豊かな生活してるんだね…)


 現役の冒険者なら、金回りがいいのはよくわかる。一緒にいたときに見たジャネットのパーティーの腕前なら、その気になればいくらでも稼げるはずだ。

 「それよりも、何か食べに行きましょ。…マーヤー、おなかすいてない?」

 言われれば、昼を2~3時間過ぎた頃。夕食には早いが、ちょうど小腹が空いてくる時間だ。

 「お気に入りの店があるの。行きましょ」

 そう言って、マーヤーの手を取ると、ジャネットは先に立ってずんずん歩き始める。引っぱらっれるようにしてマーヤーはその後をついて行った。


 連れられてやってきたのは、こざっぱりとした小さな店だった。メインストリートからは外れたところにあり、往来の人通りも多くない。

 「人が余り来ないから、ゆっくりできるのよね」

 ジャネットはそう言ったが、別に、はやっていない店、と言うことではない。4つしかないテーブルの3つにはすでに客がおり、何やら話しながら、のんびりと時を過ごしているのが見える。

 あいたテーブルに着くと、ジャネットは給仕を呼んだ。

 「いつものを2つ」

 給仕は小さくうなずくと去って行く。

 「ジャネットは、ミュロンに長いの?」

 「ん、1か月くらいいるかな」

 「ここの常連になったみたいね?」

 「そうね、いいお茶出してくれるから」

 「お茶なの」

 「そうよ、わたしのおすすめ、飲んでみて。心が透き通るみたいな味だから」

 「…んー、楽しみ」

 しばらくして運ばれてきたのは、薄紫色のハーブティーと、掌大の薄焼きのビスケットだった。ハーブティーは少し変わった香りを漂わせ、嗅ぐだけで心が落ち着き、五感が研ぎ澄まされるような感覚、というのだろうか、何やら世界が広がるのを感じる。

 「どうぞ、試してみて」

 言われるままに、カップに口をつける。かすかな甘みと、爽やかなこりが口の中に広がる。

 「…すごい」

 香りを嗅いだときの落ち着いた感じとは違う、むしろ心が目覚め、自分の感覚に意識が振り向けられるような気がする。いや、実際にそうなのだろう。聴覚が鋭くなり、周りの音が大きく聞こえたりはしないが、今まで聞こえていなかった小さな音までが耳に入ってくるのを感じる。

 無意識のうちに切り捨てていた、聞こえていたのに聴いていなかった音が意識の上に登ってきて、それでいて、うるさくない。ジャネットの言葉に意識は集中していて、彼女の言葉は明瞭に聞こえ、そのほかの音は、ジャネットの声を妨げないのに、しかし全てがはっきりと感じ取られる。それは、あたかも、何人もの相手と同時に会話をしているような、そんな気分だった。

 聴覚だけではない。視野が広がり、嗅覚が増し、皮膚の感覚が鋭くなる。五感の全てが、普段以上に鋭く、そして、全部の感覚を混濁させずに伝えてきている。

 「これは、魔法なの?」

 「もしかしたら、そうなのかもね。魔法のお茶、っていうことかな」

 呆然としたように訪ねるマーヤーに、ジャネットは笑って答えた。


 (もしかして、幻覚作用のある…、ううん、違うかな。感覚が鋭くなってはいるけど、ありもしないものは感じていないから)


 「心配はしなくていいよ、体に変な影響が残ったりはしないから。香りが感覚を刺激するだけ。香りが消えれば、感覚は元に戻るから」

 このハーブティーを飲み慣れているジャネットは、そう言って自分もカップを取ると、一口すする。

 「お茶がこんなにすごいなら、このビスケットも…?」

 マーヤーがそう言うと、ジャネットは笑いながら首を振った。

 「残念ね、ビスケットの方は別に不思議な作用はないんだ。ごく普通のお菓子。でも、とってもおいしいから」

 勧められるまま、ビスケットを口にする。ほんのわずかな甘み。ハーブティーのおかげで敏感になった味覚で、それが、食べたことのない果物の甘みだ、と感じる。

 「元々は、お菓子の味を引き立てるようなブレンドを研究してて、その結果できたのがこのハーブティーなんだって。他の感覚まで敏感になっちゃうのは、うれしい誤算だった、ってことらしいわ」

 「ああ、なるほど…」

 どうしてこんなハーブティーが普通の喫茶店(ティールーム)にあるのか不思議に思っていたマーヤーだったが、ジャネットの説明で納得する。

 「本当においしい」

 「ね、気に入ったでしょ?」

 まるで自分が褒められたように言うジャネットを見て、マーヤーも口元がほころんだ。


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