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救世主教団(2)

(先にろうそくをもらっておけばよかったかな。……廊下、もう薄暗いや。

 なら、魔法で(あか)りを……と、おっと、だめだめ)


 ランタンは荷物の中にあるが、こんな屋内で使うようなものでもない。今までの癖で、つい魔法の光を(とも)しそうになるのを、苦笑いして止める。


(ダンジョンの中のことを思えば、このくらい…)


 広い廊下は彼女のほかに誰もおらず、静かな薄暗がりの中をマーヤーは階下へ降りて行った。


 広い食堂は、がらんとして暗く、カウンターの上だけに何本かの燭台があってあたりを照らし出していた。壁の松明や天井の角灯に火が入っていないのは、ほかに客がいないからだろうか。


(あ、女将(おかみ)さんだ。)


 カウンターには、あの女将がいて、他の物とは違った形の燭台には、やや細目の、長いろうそくが灯っていた。3回燃え尽きたら食堂を閉める、と言っていたのはあのろうそくのことだろうか。

「来ましたね。なんにします?」

「メニューはあるの?」

「ええ、……といっても今日のお客はあなただけですから、言ってもらえば、なんでも希望に応じますよ? もちろん、できるものだけですけれど」

「そう。……おすすめは?」

「肉と野菜の煮物とチーズ、それからわたしが焼いたパン。自信作ですのよ? 全部で16ヤラン。お得だと思いますよ」

「それにするわ」

(うけたまわ)りました。……少しお待ちを」

 そう言いつつ、カウンターの中から出てきた女将は、マーヤーにカウンター近くのテーブルの席を進めると、燭台の1つを取って、テーブルの上に置いた。


 女将が言うだけあって、焼き立てのパンはなかなかの美味だった。それに、煮物と、里で作られているというチーズも。なによりも、煮物に肉が入っているというのは予想外の贅沢だった。大きな都市ならともかく、ここのような(ひな)びた里では肉、それも塩漬けや腸詰でない新鮮な肉が食卓に供されるのはめったにないことだ、というのがマーヤーのこれまでの経験だった。

「ごちそうさま、とてもおいしかった」

「それはなによりでした」

「あと、ろうそくと水をもらえます、一瓶?」

 少し高めの(あたい)を払い、水瓶とろうそくを受け取る。礼を言って席を立とうとしたマーヤーに、女将が声をかけた。

「ところで、あなた、神様に寄進をなさいませんか」

「神様……里のはずれの神殿の?」

 違和感を抱いて問い返すマーヤーに、女将が笑って返す。

「いやだ、ちがいますよ。ここで神様と言ったら、救世主教の神様ですよ」

「え、救世主教……聞いたことない」

「そうでしょうとも。まだ、このあたりにしか現れてくださっていませんもの。ほかの土地から来られた方には初耳でしょうね。ですから、早いうちにご縁を結んでおかれた方がよろしいのですよ。なにしろ、死後の救いを約束してくださる神様ですから」

「死後の?」

「ええ、ええ。人間はいつか死んでしまうものでしょう? そうなった後、どうなると思います?」

「さあ、わからない」


(あぁ、宗教だ。やばいかな)


 もちろん、マーヤーとて神の存在は理解している。彼女の師は、神々の世界についても通り一遍以上の教養をマーヤーに授けていたし、神々と交信する魔法についても教えてくれていた。……ただし、彼女の能力ではそれを十分に使いこなすには至らなかったのだが。

 しかし、死後の世界の話となると、また別のものだ。神々は実在し、条件さえ整えば対話もできる対象だが、死後の世界については、信じるか信じないかの、理屈を抜きにしたものだから。

 無論、神殿には、祀神によっては死後の転生を教義として説くところもあるから、その範囲でなら一応の知識はある。また一方で死者やアンデッドを対象とする魔法もあって、それについては師からもある程度聞かされていたところであるが、そういった魔法の対象となりうるもの以外は、マーヤーにとっては興味の外である。

 はっきり言えば、マーヤーはあまり信心深い方ではない。

「死んでしまった後で、生きていた時によいことをした人は救われて、悪いことをした人は地獄で永遠に苦しむんです。因果応報、といいますでしょ。その代わり、悪いことをしないで生きたら、天国で永遠の命が待っているんです。でもね、人間、生きている限り、絶対悪いことをしないではいられないもの。だから、神様におすがりするしかないんです」


(あちゃー。こりゃまずい。何これ、狂信者の人…?)


 そう思ったが、さすがに口には出さない。

「いいですか、人間の(おこな)いで一番悪いことは、ほかの生き物を殺すことです。人間も、鳥や動物も、草や木も、どんなものでもみんな生きているんです。

 あなたは、さっき食事をしましたでしょ。お肉を食べ、お野菜を食べ、お茶を飲んだ。肉は、生きていた動物を殺して食べたのはわかりますね。

 野菜も、土に生えていたのを引き抜いて、その命を頂いているんです。お茶を入れるのには、お湯を沸かします。でも、沸かす前の水、井戸から汲んできた水の中には、小さな生き物がたくさん生きていて、お湯を沸かすときに、その命を奪ってしまっている。

 あなたが、たった一度の食事をしただけで、一体どれだけの命が犠牲になっているかわかりますかしら?」

 こんな話に乗っちゃいけない、捕まってしまう、と思いつつも、自分のしたことを咎められているようで、ついつい反論してしまう。

「でも、動物を殺したのはわたしじゃない。野菜を引き抜いたのもわたしじゃないし、湯を沸かしたのも女将さんでしょう?」

「そうね、確かにその通り。でも、あなたがお茶が欲しいといわなかったら、お湯を沸かさなかったでしょ? それと同じで、お肉も、お野菜も、あなたの食事のための犠牲になっているのはわかりますわね?」

 思った通り、女将は嬉しそうに話を続けてくる。

「……ええ、まあ」


(勘弁してほしいなぁ、こういうの。)


「そういうふうに、ほかの生き物が命をなくすきっかけを作るのが、もう悪いことなんです。罪なんです。

 生きている限り、人間はみな、罪を負っているんです。ですから、死んだ後、人間は必ず地獄に落ちて苦しむんです」


(いや、ちょっと待って、って……)


「あなたはよその土地の方ですから、無理にわかれとは言いません。でも、死んだ後の救いを受けられる、せっかくの機会なんだから、神さまのお情けにすがっておくことをお勧めしますわ」

「……女将さんが神様との間を取り持ってくれるの?」

 そろそろ、少し辟易し始めながらマーヤーが言う。そんな様子に気付くふうもなく、女将は嬉々として言う。

「あら、違う、違います、わたしにはそんなおこがましい真似、できません。

 ……初めに、月に1度、たくさんの人が泊まる、って言ったでしょ?」

「その人たち?」

 「ええ、救世主教の司教様たちがおいでになるんです。あちこちの村や里をまわって、神様の教えを広めていらっしゃるの。

 今月も、もうじきこの里へやってこられるのだから、ぜひ、会っていきなさいな。こんな機会、そうそうあるもんじゃありませんよ。

 この里の人は、もうみんな神様の教えに従って生きているんです」

「でも、この村の人だって、食べるんでしょ? 肉や野菜。それに水も。さっきの料理だって……」

「もちろんですとも。けれど、みんな、それが罪であることを自覚して、神様に懺悔(ざんげ)しながら生きています。そうすることで、少しでも罪を償っているんです」


(まずい、まずい、さっさと切り上げないと、止まらくなってる!)


「ごめんね、わたし、やっぱりわからない。女将さんみたいに考えて生きるなんてできない」

「残念ですわね。でも、司教様たちに会えば、あなたも、きっとわかりますわ。

 ……ね、そうなさい。あと2日、泊っておいきなさい。

 そうだ、神様の教えのためなんですから、宿代はタダにしてさしあげますから」

 パァ、っと顔を輝かせながら女将が言うのを、マーヤーは引き気味に聞いていた。

「……え、え?」


(なにそれ、ちょっと待って、冗談でしょ?!)


「こうやって、神様の教えを広めることが、人間にできる、一番の善い行いなんです。だから、お願いします。わたしに善い行いをさせてください。

 ね、あと2日、泊っていって!」


(う、熱心! しかも、悪意なし! 100%善意の(かたまり)

 別に行く先のあてがあるわけじゃないし、宿代タダ、はうれしいけど、でも、面倒なことになりそう。

 困ったなぁ。だけど断ったら、この人を悲しませそうで悪いみたいだし。)


 マーヤーが、ひきつった笑いを顔に張り付けながらも黙っているのを、女将は肯定と解釈したらしい。

「決まりね。じゃ、そういうことで。……3本目のろうそくがもう消えますね。このお店は、今夜はもうおしまい。また、明日お話しましょう」

 そういうと、女将は店の片づけをし始めた。こうなってはもう取り付く島もない。マーヤーは、部屋へ引き上げることにした。

 手燭にろうそくを立て火をつける。踊り場で階下の光が途絶える階段の中ほどから先は、真っ暗がりで(あか)りなしには歩けないが、明るい色の壁紙のおかげで、少しの光でもあれば、あたりは十分に明るくなる。


 部屋へ戻り、施錠をすましてろうそくを消すと、ベッドへもぐりこみ、服を脱ぐ。


(救世主教、聞いたことないな。でも、これで里のはずれにあった神殿がさびれていたわけはわかったわ。

 里の人がみんな他の神様に傾倒しているんじゃ、誰も神殿になんて来ないし、寄進も、奉仕活動もしないはず。

 あそこで話を聞けば、もっと様子がわかるかな……。

 うん、明日あの神殿に行ってみよう)


 平凡な人間の暮らしへのあこがれ、それと矛盾する好奇心。

 ほんの十数年とはいえ、これまでのマーヤーの人生のほとんどを満たしてきた見知らぬもの、不可解なものへの興味と探求心は、彼女の行動を律するのに十分な役割を果たしていた。

 平凡な人間はこんなことに首を突っ込んだりはしない、と知りつつも胸の中に湧き起る好奇心を抑えることができないのだった。


(こんなこと考えるのは、うん、普通のひとじゃないよね。でも、やっぱり放っておけない! それに、ここはまだ森に近いんだから。どうせここじゃ平凡な暮らしは手に入れられないんだし)


 魔法さえ使わなければいいんだよね。そう思ってマーヤーは自分を納得させたのだった。



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