魔女狩りの街(2)
そこは、壁も天井も大きな石を組んで作られた部屋だった。
窓のない室内は、壁に掛けられた数本の松明で、辺りがゆらゆらと照らし出されていた。松明の火が揺らめくのに合わせて自分の影が揺れるのが見え、不安感をかき立てる。
隅の方では、炉に火が燃え、数本の鉄の棒が真っ赤に焼けている。
また、別の隅には、人の背丈ほどの大きな樽があって、なみなみと満たされた水の上に、少しだけ出た人の頭が見えている。暗くて表情はよく見えないが、目はぼんやりと見開かれ、開いた口からは、言葉にならない声が、かすかに漏れ出している。
正面の壁を見れば、両手両足に鉄の枷をつけられれ、壁につながれた2人の人影が見える。頭からすっぽりと覆面をかぶった巨漢が、2人を何本もの革紐をより合わせた太い鞭で打ち続けている。一打ちごとに血飛沫が飛び、巨漢の体や覆面に赤黒い染みをつけている。
撃たれる2人は、一撃ごと身をよじりはするものの、その口からは声が出ない。ただ、口から漏れる息が掠れた音を立てるだけだ。死んではいないが、すでにその目に光はなかった。
中央に置かれたテーブルの上には、松明の光を受けて鈍く輝く、金属性らしい幾つもの器具が置かれ、ゆらゆらと揺れる影をテーブルの上に落としている。
テーブルの向こうに置かれた、これも金属性らしい椅子には、びっしりと刺が植え付けられ、松明の光を浴びて、赤く光っている。あるいは、梯子に似た道具、鉄の車輪のように見えるものなども、光の届かない場所に不気味な影を見せていた。
(拷問部屋……よね)
既に不可視の魔法は解かれ、マーヤーの姿は現れている。網に包まれていては、どのみち意味がないと思って自分で解いたのだ。それを見た僧兵たちが、これこそ神の力だと言って称えていたのは滑稽だった。
杖や荷物は取り上げられ、マントを脱がされて後ろ手に縛られたマーヤーは、短い剣で脅されながら、部屋の中へ連れ込まれていた。
背中を押され、幾つもの器具の並ぶテーブルの前に立たされる。
並んでいるのは、どれも、人に苦痛を与えるために工夫された器具だ。金属の板を組み合わせて作られた洋梨のような形をしたものは、口の中に入れ、ねじで大きく開いて、顎を無理やり開き、閉じられなくするもの。先のとがった細長い鉄の棒を数本組み合わせ、蜘蛛の足のような形にした道具は、人の――女の胸の肉をえぐり取るためのもの。その脇に何本も並んだ長い針は、見ただけで不吉な予感を覚えるものだ。
どれも、知識では知っていても、見るのは初めてだった。
「それが、何かわかるか」
低い声が、マーヤーに尋ねる。マーヤーをこの部屋に連れてきた男の声だ。彼も、また、頭から覆面をかぶり、素顔を見せないようにしている。拷問する相手に顔を見られると、呪いをかけられる、という言い伝えがあるからだ、とマーヤーは思い出していた。
男の後には、1人の若者――まだ少年と言ってもいいほどの従者が従っている。こちらは覆面はしていない。手に石版を持ち、数歩下がって、男とマーヤーのやりとりに耳を傾けていた。
「人を、痛い目に合わせる道具……」
あえて、おそるおそる、といった感じを出してマーヤーが答える。並べられた器具を見て、恐怖に震えている、といったふりをして。それを聞いて、男が満足げに言う。
「そうだ。正直に話さなければ、それがお前の体に正義を教えることになる」
まず、拷問を行うことの予告。それが相手に与える恐怖を計算しての通告だ、とマーヤーは思った。実際に経験したはないものの、こういった手順については、師からも、冒険者仲間からも聞かされたことがある。
拷問の目的が、相手を苦しめることではなく、何らかの証言を引き出すためであるなら、いきなり体に苦痛を与えるより、まず恐怖を与えて相手の心をくじいた方が、相手から言葉を引き出すのに効果的だからだ。
「正義……?」
「そうだ、神に従い、恭順を示すことこそ正義だ」
「神さまに逆らうつもりなんて、ない」
「良い心がけだ」
皮肉のこもった声がマーヤーに応える。そのやりとりを、従者が石版に書き込んでいく。蝋石が石版の上を滑る微かな音が聞こえる。
「これが、何だと思う?」
口元を歪めながら男が指さしたのは、テーブルから突き出した3本の棒。2本の横棒が、突き出した3本の棒を通して渡され、その上には巨大な蝶ねじがある。
「訊問を始める前に使うものだ。この2本の棒の間に指を入れてな」
「指を締める道具…?」
「察しがいいな。こんなものは、訊問のうちには入らない。罪を自白し、神の慈悲を乞うための機会を与えるためのものだ。これを使っているうちにさっさと答えれば、訊問──拷問と言った方がわかりやすいかもしれんな。拷問などをしなくて済む」
「その道具が、拷問じゃない……?」
驚いた振りをして訊いてみる。実際には聞いたことのある話だ。男の言うように、これは拷問の範疇には入らない。他の――本格的な道具に比べれば、こんなものはほんの子供だましのようなもの、とされているからだ。
「そうだ。こいつを使っているうちに、きちんとした答えをすれば、素直に自白したとみなされて、神の心証も良くなろうというものだ」
「そう……」
「そういうことだ」
言うと、男はマーヤーの右手をつかみ、無理やりに両手の親指を2本の横棒の間に差し込んだ。同時に、蝶ねじを回し、2本の棒の間に指が固定され、抜けないようにする。テーブルに両手を突き出した格好で、マーヤーが動けなくなる。
金属の冷たい感触。わずかにネジを締めただけで少しも動かせなくなった指。聞いて知っていたのとは全く違う、本物だけがもたらす、心を突き刺す感覚だった。
「さて、それでは最初の質問だ。……お前は、この土地で魔法を使ったか?」
「使った」
間を開けずに、即答する。どのみち、僧兵たちの目の前で姿を消したのは見られている。隠したところで意味がない、と思ったからだ。
(違う、って言ったら、もっとネジを締めて…指を潰すんでしょ。こんなところで、痛い目にあいたくなんかないんだし……)
マーヤーは、そう冷静に計算していた。もとより、こんなところで意地を張って、無罪を主張するつもりはない。しても無駄だからだ。相手が望む答えをするまで、決して拷問は終わらないとわかっている。
だが、男の顔に、驚きの表情が浮かんだ。
「魔法を使うことは、神の御意志に逆らう業だ。それをお前は認めるのだな」
「ええ。……神のしもべも法術を使うのでしょう?」
間髪を入れずに、男の手がマーヤーの頬を打つ。
「馬鹿者め! 真の神に仕えるものは法術などという邪悪なものは使わん!」
その剣幕に驚き、一瞬、マーヤーが言葉を失う。が、次の言葉は、また前の通り平静なものだった。
「お前は、魔法使いなのだな」
「そう、魔法使い」
「なるほどな。で、お前の信ずる神は誰か。いや、魔法使いであるなら、そもそも神を信仰しているのか?」
「神さま? わたしの知っているのは、世界を作った神さま」
「そうか。で、その神の名は?」
「知らない。……伝わっていないから」
「そうか。お前は神の名を知らぬのだな」
「知らない」
嘘は言っていない。マーヤの言う神、すなわち創世主──この世を創ったものの名は伝えられていない。その名を表す語のうち、いくつかの子音のみは知られていても、発音は伝わっていない。だから、その名を呼ぶことはできない。
創世主以外の神々は、広く名を知られ、各地に神殿があって多くの信徒を集めているが、それらの神々は、所詮、創世主の被造物であり、マーヤーの認識では、人間を超えてはいるが、人智を超えるほどの存在ではない。
だが。今、マーヤーを訊問している男は、神の概念が、そもそもマーヤーとは異なっているのだった。彼の考える神とは、神殿で信仰される類の神々であり、教団の崇める唯一の神だ。
答えた後で、それに気づいたが、あえて訂正はしない。神殿の神々を信仰する者たちは、創世主を崇めることはないし、そもそも、創世主の存在を聞いたことがない者の方が多いからだ。男と、神についての論議をするつもりは、マーヤーにはなかった。信仰について尋問してくるような相手とそんな議論をすれば、かえって話がややこしくなるだけだからだ。
「では、お前は神の名を祈ったことがないのであろう」
「祈ったこと? ……ない」
「すなわち、お前は、神に信仰を捧げる者ではないわけだ」
「……そうね」
少し考えて、そう答える。マーヤーにとって、神、あるいは神々とは信仰するものではない。神とは創世主、この世を創り、その後どこかに姿を消した唯一の存在。神々とは、創世主の作り出したものであり、この世──現世にあって、人の世界とは離れた場所に存在する、人とは異なる存在だ。神々と交信する術はあるが、祈って何かを願ったり、恩恵を求める対象ではない。
「神を信じぬお前は、つまり魔女だ」
驚きと安堵の混じったような、そしてあきれたような表情を男は浮かべた。
後ろから、従者が男にささやくのが聞こえる。
「先生、拷問にかけなくともよいのですか」
その言葉を聞いて、男が吐き捨てるように言う。
「なぜその必要がある? 自ら、罪を認めた者に無用の苦しみを与えることなど、神が望まれるとでも、お前は思うのか?」
「いいえ。済みません、余分なことを言いました」
深々と頭を下げる従者に、男は鷹揚に頷いてみせる。そして、マーヤーの方に向き直り、
「……そんなに簡単に、自分が魔女と認めた者は初めてだ」
「嘘は、言っていない」
嘘など言ったところで意味がない。相手の望む答を言いさえすれば、訊問は終わるとわかっている。ここで無駄な時間を過ごすのは真っ平だ。
「そのようだ。だが、お前は、自分の言っていることの意味が解っているのか? 魔女は、広場で晒した後で火あぶりだ」
「…わたし、死刑?」
「そうだ。神の意志に逆らうものは生かしておけぬ。魔法を使うものを生かしておくのは神に対する冒瀆だ」
やっぱりそうか。予想していた通りだ。とは言え、死刑の予告には、やはり衝撃を感じないではいられない。
「明日、お前は裁判にかけられる」
「裁判……?」
「裁判で、お前が神の御心にかなうかどうかが決められる。正式な処罰はその時決まる」
「そうなの」
「今のお前の自白は、その時の証拠となる。だから…無罪はない」
そう言って、マーヤーの指を器具から外す。
(これで……終わりかな?)
そう思って、ほっと息を吐く。それで、思いついたことを口にする。
「この教団の神様、って誰なの?」
マーヤーの知る限り、神であれ、神々であれ、魔法を忌み嫌う神、というものはいない。神自身、人間には及びも付かないような魔法を使い、仕える聖職者には法術――その実、魔法と同じ力を授けているものだ。
その言葉を聞いて、男が一瞬、ぎょっとしたような素振りを見せる。そして、また冷静な声で言った。
「そうか、よそ者だったな、お前は」
「ええ、旅人」
ふん、とかすかに男の顎が上がる。そして重々しい声で言う。
「残りわずかな命とはいえ、心に刻んでおくがよい。我らの仕える神こそ、唯一にして真の神、ルー・シャネラー様なるぞ」
「ルー・シャネラー……様?」
「そうだ。真の神の統べるこの地では、偽りの神に仕える僧や、魔なる者の法を扱う者の存在は許されぬ。真の神のみが、人知を超えた力――奇跡をお示しになられるのだ」
「だから、死刑? 魔法が罪だから?」
「そうではない。神は、魔法が罪だから死を給うのではない。魔法を使うことが罪だから、それ以上、罪を重ねさせぬために命を奪うのだ」
「罪を……重ねさせない?」
「そうだ。罪を重ねれば、死後、地獄に落ちる。多くの罪を重ねるほど、深い、地獄に落ちる。それを哀れんで、少しでも罪の軽い内にこの世から去ることができるよう、死を給うのだ。それが、真の神の恩寵だ」
(あ、これ、やばい奴だ……)
咄嗟にそう思う。神への信仰を理由にすれば、どんなことをしても許される。そう考えているのか、と。
「そうやって、罪を理由に人を殺すのは、神様の心に適うの?」
「馬鹿を言うではない。たとえ罪人といえど、人の命を奪うことは罪だ」
「じゃ、わたしを死刑にすれば、それは罪ね?」
「その通りだ。魔女を死刑にすることは、我らの罪を深めることになる」
きっぱりと言い切る男の言葉にマーヤーが驚く。彼の言葉は矛盾しているのではないか? 魔女を殺すのが罪と知りつつ、魔女を殺すというのか。罪を犯すことを承知で、殺す?
「でも、殺すの?」
「そうだ。我らが命を奪う罪を重ねる代わり、魔女の罪を軽く済ませてやることができる。これが、我らに課された試練であり、行だ」
「……行なの?」
「己の死後の応報を深めて他者の来世を少しでもよくすること、己1人の犠牲によって他の者によりよい生をもたらすことは至高の慈悲だ。これが、一殺他生というものだ」
(あー、一番わかりたくないやつだよ、これ!)
「言ってること、わからない……」
理解できないのではない。受け容れたくないのだ。そんな思いでマーヤーの言った言葉に、男は頷きながら言う。
「わかる必要はない。神の言葉に触れた者しか理解はできぬのだ」
そして、男はマーヤーを部屋から連れ出した。
拷問部屋へ来たのとは違う通路を歩かされる。途中、4人の尼僧がやってきて、合流する。
通路は狭く、かなりの間隔を開けて松明が燃えている。その両脇には、いくつかの房があり、その1つが開かれる。窓のない房の中には、灯りはなく、机や椅子の類もない。ただ、床に干し草がうずたかく重ねられているだけだ。
乱暴に背中を押され、突き飛ばされるようにしてマーヤーは房の中に入れられた。
マーヤーが房に入ると、続いて尼僧たちが入ってきてマーヤーの身体検査をする。それが終わり、尼僧たちが退出して一枚板の扉が閉められると、房内は真っ暗闇になった。
鍵のかかる音がし、男達が遠ざかっていく足音が聞こえる。やがてそれも遠ざかると、中は静寂に包まれる。
(あーあ、面倒なことになっちゃった……)
訊問の際、男に逆らわなかったのは正解だったと思う。少なくとも、拷問にかけられずには済んだのだから。
いくら魔法の才能があっても、体はか弱い少女だ。鞭で打たれたり、拷問具にかけられれば簡単に傷つき、血が流れ、骨も砕ける。それよりは、さっさとあの部屋を抜け出し、脱出の機会を探した方がよい。そう思ったのだ。
捕えられたときの状況からして、何らかの罪咎があったとして縄目を受けたのは間違いない。そういう罪人の処刑は、人の集まる場所で公開で行うのが普通だ。領主と利害関係のある貴族でもない限り、長期間の幽閉ということはない。
従って、処刑の時を待てば、広い屋外に出る機会がある、との計算もしていた。
拷問が始まれば、魔法を使って、部屋から逃げ出すのは無理だ。そして、今入れられているような独房からも。
マーヤーを尋問した男は、広場で晒した後で火あぶりだ、と言った。
脱出するのなら、その時だ、とマーヤーは考えていた。
慣れないながらも転移の魔法は心得ている。しかし、それで行けるのは、ごく身近な――マーヤーのよく知った場所に限られている。今なら、それはヤトラの森だ。
取り上げられた荷物、わけても老師の形見の杖や、呪文書は取り返したかったし、このまま、何もせずに逃げ出すのも面白くない話だ。
遠いヤトラに戻るのは、最後の手段だ。それよりは、このリスミスに残って、何かできることを探す方がいい。それがマーヤーの考えだった。
(今夜は、ごはん抜きかな……)
そういえば、昼もまだ食べていなかった。――そんなことを呑気に考えながら、マーヤーは干し草の上に寝転んでいた。




