ラルシャの決心(2)
翌朝。朝食を済ませたころ、1人の青年が訪ねてきた。
「ラルシャ、起きているかい」
「ああ、モリス、今日も早いのね」
「君の顔を見ると、1日元気になれるからね」
「ま、うまいこと言って。…ああ、紹介するわ、この子、マーヤー。この子に、結婚式であたしの付き添い役を頼むつもりなの」
「へえ、そうなのかい。…彼女は、君の親戚か何か?」
「違うわ、あたしに親戚なんていない、って知ってるでしょ? …昨日出会った、あたしの友だち」
「昨日?」
「そうなの。森の中で道に迷って、あたしが拾ってあげた、旅慣れない旅人」
(な、なんなんだ、それ…。拾って、って、猫の子じゃないんだし、すっかり、わたしがポンコツじゃない! …って、あ、この人が、ラルシャの旦那様になる人?)
そうマーヤーが気づいたのは、マーヤーと話している時とは打って変わったラルシャの口調と声音からだった。
「へえ、ラルシャと同じ旅人なのか」
「あら嫌だ、あたしはもう、どこにも行かないのに」
「おっと、そうだったね。君は、僕と一緒にいるんだった」
「そうよ、あなたを置いて、どこにも行ったりしないから」
(あー、仲のよろしいことで…。うん、見てるだけで、おなか一杯になりそう)
「で、彼女が君の付き添い役なんだね」
「そう。村長様のお許しが出れば、ね」
「そうか、じゃ、さっそく村長様のところへ行って、お願いしてこないか」
「いいわね。じゃ、これから、すぐ」
そう言って、ラルシャがマーヤーの方を振り返る。
「かまわないかしら、マーヤー?」
問題ない、とマーヤーは首を縦に振った。
村長の屋敷──といっても、他の家よりは多少大きい程度の家は、村の中央から、やや東によったところにあった。庭を散策している、恰幅のよい初老の男にモリスが声をかける。
「おはようございます、村長様」
「おお、モリス、それにラルシャ。よい朝じゃな。…そちらの娘御は? 見かけぬ子じゃが」
「結婚式で、あたしの付き添い役をしてもらおうと思ってるんです」
「ほう、そうじゃったか」
「許していただけますでしょうか」
「ふうむ。…そちらは、ラルシャのお身内かな? あ、いや、ラルシャに身寄りはないんだったか」
「はい、あたしの友人です」
「おお、そうか。なるほど、ラルシャの式のために、この村までおいでくださったのか。ならば、付き添い役を許さぬなどとは、言えまいな。よいとも、ぜひ、ラルシャに付き添ってくだされ。…名は、何といわれるかな」
「マーヤー」
「そうか。では、マーヤー、よろしく頼みますぞ」
「はい」
「ありがとうございます、村長様」
村長の家を辞すると、モリスは、これから仕事だから、と言って去っていった。
「あの人、毎朝来るの?」
「うん、そう。ああやってあいさつに来ないと、1日が始まった気がしないんだってさ」
「それは、あなたも一緒じゃないの?」
「ま! 何を言うのかな、この子は」
「当たりね? 顔に書いてある」
「っ! …ええ、そうよ。悪い?」
「そんなことない。まぶしいだけ」
「まぶしい、って…。あなた、ずいぶん言うわね」
話しながら、ラルシャとマーヤーは村の中をゆっくりと歩いていた。
秋の空は輝くばかりに晴れ上がり、涼しい風が吹く。遠くで鳥の声がする。
村長の家の近くにある大きめの建物は、村に1軒だけの居酒屋。そのそばには広場があって、小さな神殿がある。それらを取り巻くように数十軒の家が立ち並び、その向こうには畑が見える。収穫を前に、忙しく働く人たちの姿があり、家畜の声が聞こえる。
果樹の立ち並ぶ向こうには小川が流れ、水車がゆっくりと回っている。
反対側には、高い山が見え、そのふもとには森が広がっている。昨日、マーヤーが迷った森だ。
村の真ん中を通る広い道を行けば、その先は街道につながる。マーヤーが森を抜けてたどり着こうとしていた道だ。
時々出あう村人は、ラルシャの顔を見て明るい顔であいさつを交わしていく。傍らのマーヤーに向けられる目も、見知らぬものに対する多少の好奇の思いは見られるものの、温かく、優しいものだ。
「あなたがめずらしいのかな。村の外の人間なんて、滅多に来ないからね」
「そうなの」
「ああ、何にもない村だからね。田舎過ぎて、領主様の顔だって誰も知りゃしない」
「村長さんも?」
「そうだね、もしかしたら、村長様なら、会ったことがあるかもしれないね」
「領主、ってやっぱりいるのね」
「一応はね。でも、領主様のことを思い出すのは、年に1回、役人が回ってくる時くらいだからね。普段は誰も気にしたことがないだろうね」
「平和なのね?」
「のんびりしてるよ。毎日、何の変わったこともない日々」
うん、と大きく伸びをすると、ラルシャは自分の家の方へ足を向ける。
「マーヤーには退屈かな? 居酒屋の他は、お店なんかも、ほとんどないし」
「ううん、好きよ、こういうところ」
「そうか、だったらよかった」
ラルシャの家に戻ることには、日は中天近くに上っていた。
昨夜は気が付かなかったが、ラルシャの家の周りは、花畑のようになっていて、何種類もの草や、数本の木が植えられていた。主に薬草、毒草の類で、大抵はマーヤーの見たことのあるものだったが、中には、マーヤーの知らないものも何種類かあった。
「家の周りに、こんなにたくさんの薬草を植えてたら、魔法使いです、って言ってるのと同じじゃない?」
「ああ、知ってる人ならそう思うかも、って、そうか、旅をしてれば薬草の見分け方くらい知ってるわね。でも、ここで育ててるのは、だいたい、食用だからね」
「食用?」
「そうよ。昨日のキノコの毒消しみたいに、そのままじゃ食べられない野草と一緒に食べるやつとか、肉を保存するための香草とか、料理の味がぐんと引き立つハーブなんかね」
「そうなんだ…」
「そういうのを、月に1回、市が立つときに売りに行くのよ。ああ、多少は薬草の類も入れてね、熱さましとか、咳止めみたいな、ね。あたしが遠くから流れてきた、ってのは知られているから、多少、めずらしいものがあっても、変に思われたりはしないのさ」
「ふうん…?」
「ああ、草の種類がわかるんだったね。確かに、あなたの目には薬草に見えるものもたくさんあるよ。でも、薬草を料理に使うこともできるの。そうすると、また、違った使い方ができるものなのよ」
「そう、知らなかった」
「まあ、そのうち、食べさせてあげる。そうすれば、納得するから」
「うん、でも、結婚したら、この花畑はどうするの?」
「ああ、花畑、っていうか、この家はそのままにしておくつもり。…それとも、あなたが住む?」
「え?」
「もしも、だけど。マーヤーがこの村に住むなら、家が必要よね。だったら、どうかな、ってね」
「これだけの草花の面倒は見れないけど…」
「そこは、あたしが手を貸すわ。…だから、考えておいてね」
昼食を済ませると、ラルシャは、マーヤーを森へ誘った。
「マーヤーは薬草がわかるのよね、だったら、この森に生えてるハーブを教えてあげる」
「それ、わたしをこの家に入れようとしてる?」
「ん? それもいいわね」
しれっとして答えるラルシャに、マーヤーは肩をすくめた。
(そうね、ここに落ち着いてもいいのかな…)
午後いっぱい、マーヤーとラルシャは森の中でハーブやキノコを探して歩いた。ラルシャの言った通り、マーヤーが見たことのないキノコや知らないハーブ、草そのものは知っていても、マーヤーの知らない効き目のある薬草などが森には何種類も生えていた。
「今の季節だと、こんなものね。もう少し前だと、もっと変わったハーブがあったし、これからもう少したつと、また、違うナッツが手に入るの」
「すごいのね」
「うん、もう1月くらいかな。そうしたら、また、教えてあげるからね」
「…それ、わたしが村に住むこと、前提ね?」
「あ、そうなるかな」
(はあ、どこまで本気なのかな、この人は…)
日が陰り出す頃、籠にいっぱいのキノコと野草を抱え、2人はラルシャの家に戻ってきた。テーブルの上においた籠の中身を、ラルシャが仕分け始めるのをマーヤーは、側で見ていた。
「これは、肉の保存に役立つハーブ。こっちは小人の家の毒を消すハーブね」
「ああ、それが、昨夜言っていた…」
「そう、秘伝のハーブ。…あ、その草は気を付けて」
「え?」
「汁に触れると、痺れるからね。うっかり触っちゃいけないよ」
「…毒?」
「毒、って言ったら、まあ、そうかもね。その汁を使うと、とても強い眠り薬ができるの。矢に塗って、大きな獣を生け捕るのに使ったり、もし人に飲ませたら、…そうね、1月は目が覚めないかも」
「そうなんだ…」
一通り仕分けを済ませると、ラルシャは棚にキノコやハーブを片付けていく。と、その時。
「あ…この本」
棚の上に置かれた1冊の本にマーヤーの目が留まる。
「ああ、それね…」
歯切れ悪くラルシャが言う。見られたくないものを見られた、といった風に。口を濁していう彼女の様子から、マーヤーはその本が何であるかを悟っていた。
手書きの本。慣れない手で、しかし丁寧にページが綴じられ、装丁された書物。魔法を学んだ者なら、その最初の課程で作ることを学ぶもの。ブック・オブ・シャドゥ。日を浴びせぬ書。人目に曝さぬ書。学んだ魔法や、知識、日々の修行の進み具合、見聞きした物事。そういった者を記録するための、自分だけの書物。
マーヤーも、肌身離さず持っているそれを、ラルシャが持っていても不思議はない。
「何が書いてあるかわからないでしょ? あたしにしか読めない本だから」
ラルシャは、ぱらぱらとページをめくって見せた。その言葉通り、何が書いてあるかはマーヤーには読めない。無意識のうちに書物に込められたラルシャの魔力が、他の者の目からその内容を隠しているのだとわかる。たとえ、魔法使い同士であっても、他人の書物は読むことができない──相手の承諾がない限りは。
魔法使いにとって、自分自身の生涯にも等しいそれ。もし、それを手放すとすれば、本当に魔法と決別する時だ。だから、通常、魔法使いがそれを手放すことなど考えられない。
(結婚したら、魔法使いじゃない、普通の女になる、って言ってたよね。この本、どうするのかな…)
マーヤーが自分の書物を手放せないでいるのと同様、ラルシャにとっても、その書物を手放すことには抵抗があるはずだ。だが、本当に彼女が普通の人間になろうとするのなら。
(捨てる、ううん、捨てられるのかな…)
もちろん、書物を手放したところで、魔法が使えなくなるわけではない。実際、魔法使いの中には、自分のブック・オブ・シャドゥを持たない者もいる。
だが、ずっと持ち続けてきたその書物を捨てるということは、魔法を捨てることの決意を、自分自身に対して宣言することだ。特に、修業の初めから書物に慣れ親しんできた者にとっては。魔法を使えなくなるのではなく、使わなくなることの決意。その思いを自分の心に刻み込むことを意味する。
「そうね、わたしには読めない」
マーヤーが言うと、そっと微笑んでラルシャは本を棚に戻したのだった。




