アーサーの仇討ち(2)
案内されたのは、石壁に囲まれた円形の広場だった。直径200メートルはあるそこは、騎士団のの教練場らしかった。地面は固く均され、小石1つ落ちていない。
杖と荷物を置き、マーヤーは準備を整える。
数メートル離れて対峙すると、バランゲスは、おもむろに剣を抜いた。
(ファービュアス様の予言が正しければ、わたしは、まだ、死なない筈なんだけど。でも、目を潰されたり、腕を斬られたり、は、するかもだよね。…あんまり甘いこと考えてちゃいけないな。もしかしたら、やっぱり、ってこともあるわけなんだし)
あの異形の僧の語ったことが、本当に真実なのかどうか、まだ、マーヤーには確信できないでいた。いくつかの予言は当たっても、それで、未来が確定したことの証明にはならない。この場で、あやふやな不死身など、信じていられない。
(覚悟、決めなきゃ、ね)
剣を構え、ゆっくりと動き出したバランゲスを見て、マーヤーは短剣を取り出す。それと、ポーチに入れていた数本の投げ矢も。
つっ、とバランゲスがマーヤーに向かって動き出した瞬間を狙い、1本の投げ矢を飛ばす。眉間めがけて飛来したそれを、バランゲスは大きく剣を振って弾く。一瞬、無防備になったかに見えたバランゲスの胸に、マーヤーが2本目の投げ矢を投げる。それは、狙い通りにバランゲスの胸を直撃したが、鎧に当たって、乾いた音と共に跳ね返って、地面に落ちた。
いらだたしげな声でバランゲスが叫ぶ
「何の真似だ!」
「決闘、なんでしょ? 投げ矢ぐらいで、どうして怒るの」
静かな声で言うマーヤーを、バランゲスが目を剥いて睨む。
「おのれ、魔法使い、なぜ魔法を使わん。私を愚弄する気か!」
「魔法は使わない。わたしは魔法使いをやめたから」
「やめただと? ふざけたことを言うな! これは正々堂々の勝負だ、すべての力を出して戦え!」
「それはあなたのやり方。わたしのじゃない」
「…貴様、死ぬぞ」
「死ぬぞ、って、殺すつもりなんでしょ、初めから? …わたしは魔法は使わない」
(降りかかった火の粉ならともかく、こういう人間相手に魔法は使えない…使っちゃいけないよね)
「この卑怯者め!」
駆け寄ってくるや、バランゲスの剣が横薙ぎに一閃する。それを予想していたマーヤーは、大きくジャンプして剣を躱す。
「卑怯はどっち? 初めて会った相手に戦うことを無理強いする、それがあなたのやり方?」
「この、人殺しの悪党が」
もう1本の投げ矢を投げる。それは、バランゲスの剣に易々と弾かれる。
「あの母子を殺そうとしたのは、あなたのお父様、今、わたしを殺そうとしているのはあなた」
「言い逃れをするな!」
再び斬りかかってくるバランゲスを、マーヤーは軽々と躱す。重い鎧を着込んだバランゲスは、それでも信じられないほどの動きの良さを見せるが、身の軽いマーヤーには到底及ばない。
しかし、それでも、戦いなれた騎士の技量は侮れない。武器を取っての戦いになれていないマーヤーは、次第に広場の隅へと追い詰められていく。
「殺したかったら殺せばいい。わたしに身寄りはないから、誰もあなたに復讐しない」
「何をわけのわからぬことを」
「今、逃げてもあなたは、また追ってくる。違う?」
「当然のことだ。お前が死ぬまで、どれほどの時を費やそうと、終わることはない」
「で、あなたを殺せば、今度は誰がわたしに復讐に来るの?」
最後の投げ矢がバランゲスの鎧に弾かれる。同時に振われたバランゲスの剣を、紙一重のところでマーヤーは避けた。
(うん、やっぱりだめ、手が出ない。…これまで、かな)
「私の息子が。弟が。お前を追い詰めて必ず殺す」
「わたしを殺せば、それで終わり。もう誰も仇を討とうとなどしない。…これで終わりにしましょう?」
「…なんだと」
訝るバランゲスに、マーヤーは言葉を続ける。
「始めたのは、あなたのお父様。殺されたのは、いきずりの母子。わたしはそれを止められなかった。それが悔しくて、手を出してしまった。だから、繋いでしまったのは、わたし。腕が未熟で、母子を殺させないことも、あなたのお父様を殺さずにおくこともできなかった。これは、わたしのしたこと。だから、あなたは殺せばいい」
「勝手なことを! 父を殺した魔法使いが、今更何を言っている!」
「あなたを殺せば、また他の誰かが私を殺しにくるんでしょう? そんなの、もう、嫌だから。一生、そんなことに煩わされるなんて、ごめんだから。…これで、もう終わらせましょう?」
手に持った、最後の短剣をマーヤーは地面に放り捨てた。バランゲスの方に向き直り、両腕を軽く横に伸ばす。
それを見たバランゲスが、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「これ以上の問答は、もはや、無用。望みどおりに殺してやる!」
言うが早いか、バランゲスの構えた剣がマーヤーの胸めがけ、風を切って突き出される。一瞬の閃光、と、マーヤーには見えた。
次の瞬間、バランゲスの剣はマーヤーの心臓を貫いていた。
突き飛ばされるような衝撃。一呼吸置いて、痛みを感じる。体を真っ二つに裂かれるような痛みが頭に響き、その衝撃が意識を吹き飛ばす。死を自覚する暇さえない。最後に感じたのは、真っ暗な闇。それだけだった。
気がついたとき、だから、マーヤーは何が起きたのかわからなかった。
だが、意識ははっきりとし、目の前の光景――決闘を行った闘技場の光景もはっきりと見えている。自分の体に目をやれば、剣に貫かれた胸は血の流れた跡があり、服には大きな裂け目がある。だが、既に痛みはなく、流れ出る血もない。
(わたし…生きてる?)
そう思って辺りを見回す。すぐ側に、自分を見下ろすフォーレイトンの顔があった。
「気がつかれましたか」
安堵したような声。同時に、肩の力が抜けるのが見て取れる。
「一体、何が…」
「貴女の命、取り留めさせていただきました」
そういう彼の後ろに、顔に不満をありありと浮かべたバランゲスの姿があった。
「わたし、殺されたはず…」
マーヤーの声に、無言でフォーレイトンが頷く。
「そのはずだったのだ、魔法使い。フォーレイトン殿が余計な手出しさえされなければな」
「あなたが? …なぜ」
「貴女が命を捨てようとするのは貴女の都合だ。しかし、それを見過ごすわけにいかぬのが、わたしの都合。そう思われたい」
「あなたの、都合…?」
「左様。すでにバランゲスが貴女に止めの一撃を加え、決闘は終わりました。なれば、貴女に死んでいただいては困る」
「ああ、確かに止めを刺されたはず。なのに、どうして…」
「不肖、この身は聖騎士の長なれば、人を、死から呼び戻す法術の心得があります。それを使わせていただきました」
(え、この人って、そんなすごい力があったの!?)
驚いて、フォーレイトンの顔を見直す。
「フォーレイトン殿」
バランゲスの不満げな声が響く。
「なぜ、この魔法使いを死なせなかったのです、フォーレイトン殿」
ゆっくりと、彼の方に向けられたフォーレイトンの顔に、バランゲスが言葉を続ける。
「決闘の最中、何者も邪魔立てせぬは作法の筈。それをどうして…」
「すでに勝負はついたではないか。お前はこの方を討ち果たし、命を奪った。決闘は終わったのだ」
「まだだ、この魔法使いを完全に滅ぼしてこそ、決着がつくというもの」
「わきまえよ、バランゲス。聖騎士の決闘は殺し合うためのものではない。正邪を明らかにするものと、知っている筈」
「聖騎士には、悪に対する裁きを下す権利があります」
「聖騎士の裁く悪とは、神に弓引くもののことだ。バランゲスよ、なぜ、かくも執拗にその方を殺そうとする」
「この魔法使いは悪なる者だからです」
有無を言わさぬその威厳に、バランゲスは不承不承ながら答えた。
「悪とは何か?」
「この者は父を殺した。法を守った聖なる騎士を殺めた。この者は悪をなしたのです」
「彼女のしたことは、お前の父を殺したことだ。それを悪と呼ぶのはお前の評価だ。お前1人の考えだ」
「そうです」
「人を殺すこと、が現実に行われた行為。悪とは人の評価にすぎぬ。悪というものが存在するのではない。お前が彼女を悪としたのだ。彼女が悪だとは、そなたの言ったことにすぎぬのだ」
「だが、この者は帝国の法を犯したのです」
「帝国の法は人の定めたもの。お前は神に仕える聖なる騎士ぞ。人の定めし法と、神の教え、いずれに仕える身であるか」
「双方、共に仰ぐ身であれば」
「一つであれば、いずれを選ぶ。よもや、人の定めた法ではあるまい」
「確かに、その通りではあります。しかし…」
「悪などないし善などない。あるのは、行為と、それにたいする評価だ。神はそう教えたもうた」
「悪しき果報をもたらす行いは悪。存在すべからざるもの」
「そうではない。悪しき結果ではなく、人に取り、好ましからざる結果にすぎぬ。その好ましからざる境界もあってこそ、この世は存在しうる。悪と定めて、好ましからざるものを駆逐すれば、この世は成り立たぬ」
「いかにも、それこそは、我らが神殿に伝わる深き秘密。なれどそのような理屈で、親の仇をあきらめるなどできませぬ」
「ならぬ。お前は決闘を挑んだ。そして、それは認められ、お前は戦った。そしてお前は勝った。決闘は終わったのだ。これ以上は、もはや正しい──公正な振る舞いではない。血を望む、そなたの一方的な暴行だ。これ以上は、わたしが許さぬ」
「な、なれど…」
「さらに聞け、バランゲス。神に仕える身ならば、神の教えるところに従え。同じく帝国に仕える騎士なれば、帝国の平安をこそ思え」
「帝国の…?」
「彼女の父の名を聞いたであろう?」
「いかにも」
「並ぶ者なき権勢を誇るあのお方が、彼女の父なのだ。その娘を殺せば何が起こる」
そう言われたバランゲスの顔に驚愕が浮かぶ。みるみる血の気が引いていく。
「お前の係累、お前の後ろ盾となる者、お前に関わる騎士団、教団。すべてがあのお方のお怒りに触れる。さすれば、帝国内に嵐が起こる。帝国にそのような乱れを生むことを、善と思うか、悪と思うか」
「それは…」
「聖なる騎士の忠誠を捧げし先は、父ではあるまい」
「は、た、確かに」
青ざめて項垂れるバランゲスは、それ以上何も言わなかった。
(え…? どういうこと? この人、あの若い騎士を丸め込んじゃった? …っていうか、わたしの親って、そんな大物? えー、聞いてない、聞いてないよ、そんなの。やだ、いやだ!)
半ば混乱したマーヤーの前にフォーレイトンが進み出て、跪く。
「子爵、ご不満もおありでしょうが、今は、このままお引きくださいませ」
「それは…」
「もはや、バランゲスが貴女を狙うことはありますまい。それにてご納得いただきたく…」
「…いいの、それで?」
「それで、万事が丸く収まりますれば」
そういう彼の言葉には、有無を言わさぬ気迫があった。
「…そうしないと、だめなのね」
「ご賢察、恐れ入ります」
釈然としないまま頷くマーヤーに、フォーレイトンは深々と頭を下げた。
「…わたしは厄介者みたいね」
「滅相もない。…ですが、お尋ねすることをお許しいただけますか」
「何を?」
「なぜ、このようなところで1人でおられるのでしょうか」
「旅をしてるから」
「なぜ、旅を?」
「どこか、静かに、普通に暮らせるところを見つけたいから」
「ならば、なぜ、ご自分の領地へ戻られませぬ。普通どころか、いくらでも優雅な暮らしを味わえましょうに。静かな――平穏な暮らしを望むなら、なぜそうなさらない?」
「貴族、なんて、思ったこともなかった。それに、魔法使いとして育てられた。だから、普通の、平凡な人の暮らしがしてみたい」
「貴族の暮らしも、普通の暮らしにございます。エフライサス領は、穏やかで豊かな土地と、つとに知られたところでありますれば」
「わたしは、家を出された身。幼い時に」
「その折には、よくよくの事情があったことと思います。ご両親は、貴女を忘れてなどおられませぬ。エフライサス領――貴女の領地は、今は父君が経営されておりますが、いつでも貴女がお戻りなされるよう、用意は調えられております。身につけられたそのブローチが身元を明らかにし、領地に戻れば、直ちに領主として迎えられることでありましょう」
「そう、このブローチ」
そっと胸に手をやり、ブローチを外す。
「これ、父に返していただけないかな」
差し出されたブローとを見て、フォーレイトンは大声を上げた。
「な、何をおっしゃる!」
「…だめ?」
「とんでもないことになります。私はそのような頼みは、とてもお受けできませぬ」
そう、激しくかぶりを振って答えるフォーレイトンに、マーヤーは物憂げに続ける。
「いいのよ、捨てても?」
「とんでもない!」
今度はフォーレイトンは半ば叫んでいた。
「そのようなことをされれば、領地だけなく、帝国中に混乱の種をまきます。そもそも、どこの誰ともわからぬ輩に、領主の証を手に入れられたら、領民はどうなるかご深慮くださいませ」
「…そう」
(やっぱりだめか。…仕方ない、っかな)
ため息をついて肩をすくめるマーヤーに、フォーレイトンが尋ねてくる。
「…時に、あのとき、何を思っておられたのです?」
「あのとき?」
「武器を捨てて、バランゲスの前に立ったときのことです」
「なにも」
「なにも…ですと?」
「もう、どうでもいい、って思ったかな。こんなこと、いつまでやってても仕方ない、って」
「死んでもいいと?」
「死ぬかどうか、なんて考えなかった。ただ、もう、終わりにしたかっただけ」
「終わりに…ですか」
ゆっくりと、フォーレイトンは頭を振る。
「バランゲスのことは終わりました。されば、望みはかなったということですな」
「違うよ? あのとき思ったのは、彼のことだけじゃないから」
「…? それはどういう…?」
「うん、よくわからない。でも、全部終わればいい、って思ってた」
「全部、ですか。…今も?」
「さあ、どうかな…。今は、終わることも考えてないみたい」
「では、何を?」
「さあね…、もしかしたら、わたし、何も考えてないのかも知れない」
怪訝な顔をするフォーレイトンにマーヤーは告げた。
「でも…その人のことはわかる。あなたは終わりにしたつもりでも、その人には、まだ終わりじゃない、って」
それが、バランゲスのことを指しているのだと悟り、フォーレイトンは彼の方へ眼を向けた。
「…いいの、それで」
「よい、とは?」
「わからない。けれど、そんな気がする。無理に終わらせることはできない、終わらせてはだめだ、って」
「それは…バランゲスが、まだ、貴女を狙う、ということでしょうか? そのようなことは…」
「ない。あなたの言葉はその人に届いている。あなたの言ったことを、その人は忘れないし、破りもしない」
「では…?」
「わたしを討つのをあきらめ…、あきらめさせられたことは、次に繋がる。そういうこと」
「次…とは?」
「ん、ごめんね、うまく言えない。ただ、そういうものだ、ってわかる…わかる気がするだけ」
マーヤー自身、なぜそんな思いが湧いてくるのかがわからなかった。ただ、そのわけを考えようとしたときに、ファービュアスの面影が、ちら、と心をかすめただけだった。
「もう、行くね。…さようなら」
それぞれの思いを胸に、深々と頭を下げる2人の騎士を残し、マーヤーは決闘の場を立ち去った。
(この街にも、長居できなかったな…)
再び、マーヤーは歩き始めたのだった。




