がめつい魔女ゼニー(8)
「払いはなしだ」
冷たく船長が言うのを聞いて、ゼニーが真っ赤になる。
「どういうことよ」
ふんす、と鼻息を吐いて船長がゼニーを睨む。
「お前の見せたあの水晶玉だ。あそこに映ったのはオーガスだった」
「知らないわよ、名前なんて」
ゼニーの抗議を船長は無視した。
「問い詰めたが、奴は知らないと言った」
「そりゃそうでしょうよ。誰が自分から正直に言うもんですか」
馬鹿じゃないの、そうゼニーが息巻く。が、船長の声は冷ややかだった。
「昨夜、奴は他の奴らと一緒にいた。証言した奴もいる。オーガスは船室から一歩も出なかった、とな」
「なんですって?」
信じられない、とゼニーが言う。
「それじゃ、あんたの言うオーガスじゃなかったじゃないの? 別の誰かってことで」
ふん、と船長が首を振る。
「全員に聞いてみたんだ。誰も知らないと言ってる。アリバイも間違いない」
「んまあ!」
お話にならないわ! そう叫ぶと、床板を踏みならしながら、ゼニーはその場を立ち去って行った。
怒り心頭、といった様子で船室に戻ってきたゼニーを見て、マーヤーは何事があったかを尋ねた。
「全く、なんてことなの!」
マーヤーの言うことを無視して、口惜しくてたまらない、といった顔で怒鳴るゼニーを見て、マーヤーが溜息をつく。
「どうしたの、一体?」
しばらくして、ようやく落ち着きかけた様子を見てマーヤーが尋ねた。先に戻って来ていたマーヤー達は、あの後どんなやりとりがあったかは聞いていない。ただ、ゼニーの示した水晶球の映像を見て、船長が出て行ったことくらいはわかっている。
「全然信用しないのよ。ゴブリンを殺したのは、あの男じゃない、ってね」
「あの男、って……、水晶球に写った?」
そうなのよ、とゼニーが吐き捨てる。
「直接本人に訊いてみたから間違いないですって! 馬鹿じゃないかしら。そんなこと言われて、正直に言うわけないでしょ! 考えたらわかりそうじゃない」
え、とマーヤーが聞き返す。
「他にもアリバイを証明する船員がいたからって」
ああ、そうなんだ。そう聞いて頷く。さすがに本人の言うことだけではなかったわけだ。
「でも、おばさんの魔法が外れるはずはないよね。天才魔法使いのゼニーおばさんなんだから」
もちろんですとも、と少し機嫌を直してゼニーが声を上げる。
「きっと、そのオーガスとか言う男が、何かいんちきをやったのよ。そうに決まってるわ。そうでなきゃ、あの船長が嘘を言ったのよ。お金惜しさに、ね」
いや、さすがに金惜しさで人殺しをかばったりはしないだろう、とマーヤーは思ったが、それは言わないことにする。お金にこだわるのは、むしろゼニーだから、他人にもそういうふうな見方をするのだろう。
「……じゃあ、結局犯人はわからずじまいなの」
「そう言うことだわ。オーガスが普通に働いてるの、さっき見ましたからね」
つまり、ゼニーの言ったことは全く信用されなかったわけだ。気の毒に思いながらも、人殺しがそのままになっていることに不安を覚えないではいられない。そう言うと、ゼニーは鼻を鳴らして言った。
「知りませんよ、そんなこと。勝手にすればいいんだわ」
そう言いたい彼女の気持ちはわかるが、今度は自分達が狙われるようなことになってはたまらない。どうしてゴブリンが殺されたかもわかっていないのだから。ゼニーには言わずに、気を付けておくに越したことはない、とマーヤーは思った。
それから、3日ほどが何事もなく過ぎた。ゼニーのところには、相変わらず相談事を持ち込む人があったが、大したことじゃない、とゼニーに軽くいなされるか、それともゼニーに言われた金額に二の足を踏むかして、ゼニーが魔法を使うことはなかった。
今日はもう店じまい。そう思って船室に戻っていたが、扉をノックする者があった。みれば、それは1人の若いメイドだった。
「お願いです、旦那様が急に熱を出して苦しみだしたんです」
「おやまあ、熱だって?」
「はい、まるで全身が燃えるように熱くなって、目も見えなくなって、もう、どうしたらいいかわからなくって」
「目が見えない?」
「そうなんです、2日前に熱が出て寝ていたんですが、今朝になって目が見えなくなったと言われて……」
「お待ちよ、それはもしかして……!」
のんびりした態度をかなぐり捨て、ゼニーが真剣な表情で言う。
「医者には診せたの? ……この船に、医者は乗っていないのかい?」
いいえ、とメイドが首を振る。
「まだです、他のお客様に迷惑を掛けてはいけないから、と旦那様に止められていて」
「すぐに医者を呼ぶのよ、船長に話すの。さあ、急いで!」
その剣幕に驚いて、メイドが慌てて駆けていく。そのやりとりを見ていたマーヤーが、ゼニーに囁く。
「おばさん、もしかして……」
ああ、そうさ、といつになく緊迫した声でゼニーが答える。
「ギゼルディジーズ。……外れてくれたらいいけど」
ギゼルディジーズは、放っておけば死に至る伝染病だ。ただし、治療方法はわかっているから、薬さえあれば恐れる必要はない。石の花と呼ばれる花の蜜が唯一の特効薬だ。
「石の花の蜜、この船に積んであるかしらねえ」
ゼニーのこぼしたその言葉が全てだった。
しばらくして、辺りが騒がしくなったのに気付いたマーヤー達は、部屋から出て辺りの様子を窺った。先ほどのメイドと、船長、それにもう1人初老の男が船内を駆けているのが見える。
マーヤー達は、急いで彼等の後を追った。メイドの案内で船室の1つの前に来ると、船長達が大慌てで中へ入っていく。閉ざされた扉の前で、マーヤーは聞き耳を立てた。ゼニーとフィシスも一緒だ。
「ギゼルディジーズですじゃな」
初老の男だろう、低い声でぼそぼそ言うのが聞こえる。
「間違いないか」
「間違いありませんじゃな」
船長が訊き、あらためてそう答えるのが聞こえた。おそらくはあの男が医者なのだろう。
「治せるか」
その質問に、しばらくの間があく。
「だめなのか」
もう一度聞こえてきた船長の言葉で、マーヤーは事態を悟った。船に薬はないのだ。薬さえあれば恐れるに足らない病だが、逆に言えば薬がなければ、ほぼ確実に死に至る難病だ。医者にはメイドの主人は助けられない。そして、ギゼルディジーズは周りにいる者に次々と感染していく。このままでは、船に乗っている者が全員ギゼルディジーズにかかることになる。
「おばさん……?」
ゼニーは大きく息を吸うと、船室の扉を勢いよく開けた。中に痛者達の目が一斉にゼニーの方へ向けられる。その向こうで、ベッドに横たわっている男の姿が見える。彼がメイドの主人――ギゼルディジーズにかかった患者なのだろう。
「お困りのようねえ、船長さん」
それを聞いた船長の、うさんくさそうな目がゼニーに向けられる。
「また、あんたか」
「あらいやだ、そんな厭そうな目で見ないでくれるかしら? せっかく助けに来てあげた、っていうのに」
「あなたは、病気を治すことができるのじゃろうかね?」
医者の言葉に、ゼニーは首を振った。
「それは無理よん、石の花の蜜なんて持ってないからねえ」
「なんじゃ、そんなことじゃったか」
医者が、呆れたように目をそらせて溜息をつく。
「だったら、どうやって助けてくるんじゃろうかね?」
さあねえ、とゼニーが首をかしげる。
「でも、何とか知恵を絞ってみるくらいはできると思うわん」
それを聞いて船長が舌打ちをする。
「お前の言うことなど、その程度だろう」
そう言って苛立たしそうに、扉を指さす。
「この病気は、石の花の蜜がなければどうにもならないことくらいわかってる。どうせまた、できもしないことを言って、高い金をふっかけようというんだろう。さっさと出て行きな」
「そうじゃな、ここにいて、ギゼルディジーズがうつるようなことがあっては、いかんしじゃな」
医者にもそう言われ、ゼニーがひるむのを見て、マーヤーが前に出た。
「じゃ、その人はどうするの」
その言葉に、メイドがはっとしたように船長と、そして医者の方へ目を向ける。
「気の毒だが、船においとくわけにはいかん」
船長の言葉を聞いたメイドの顔から、血の気が引くのがわかる。
「それでは、旦那様は……」
「船から降りてもらう」
そんな! メイドがほとんど泣きそうな声を上げた。
「こんな海の真ん中で、そんな……死ねと言うんですか」
船長が静かに、しかし冷酷に頷きながら言葉を続ける。
「船に病人がいれば、病気がうつる。港までは何日もかかるんだ。乗っている者全員が病気で死ぬのを放っておくことはできん」
今なら、1人死ぬだけで済む。そう船長は言い放った。そして、ベッドに横たわる男の方を向いて言う。
「あんたはどうだ」
男は顔だけ動かすと、やっとのことで口を動かした。見えないはずの目を開き、ほとんど声にならない声で、しかし決然とした口調で言う。
「船長に、任せる」
そう言って目を閉じた男を見て、メイドが叫ぶ。
「ひどい……! ひどすぎます」
「ひどい? その男1人のために、他の全員が死ぬのはひどくないのか。お前は他の者にも病気で死ねというのか」
その方がよほどひどい話だろう。そう言われ、答に詰まったメイドがすすり泣きを始める。それを無視して、船長は医者に言った。
「船で起きたことだ。俺が決める。……俺が責任を取る」
良いでしょう、と医者が頷く。
待って! そう言おうとしたマーヤーを遮ってゼニーが船長の前に立ち塞がった。
「おばさん……?」
石の花の蜜はない、そうゼニーは言ったはずだ。今、蜜を手に入れることができるのはマーヤーだけだ。エフライサスからなら、原初の石の花の蜜が手に入れられる。だから……、と思った彼女を止めて、ゼニーが言う。
「あたしならなんとかできる、って言ったわよ」
なに、と船長がゼニーを睨む。
「石の花の蜜もなしに、どうやって治すと言うんだ」
ちっちっ、とゼニーが指を振る。
「治すだなんて、あたしは一言も言ってないわよん。なんとかする、って言っただけ」
「なんじゃって」
今度、驚いて言ったのは医者だった。
「治しもせずに、なんとかできるじゃとか、そんなことがあってたまるもんじゃか。まるで魔法みたいなことを言うわい」
もちろんよん、とゼニー。
「あたしは腕利きの、超一流の魔法使いですからね」
そう言って胸を張ってみせる彼女に、メイドがすがりつく。
「おねがいです、どんな方法でもかまいません、旦那様を助けてください」
その言葉に、にんまりと笑って、ゼニーが船長の方を向く。
「さあ、どうするのかしら? 船で起きたことなんだから、あんたが責任を取るのよねえ」
むう、と船長が唸る。
「本当に何とかできるのか」
「当然でしょ。それに、初めてのことじゃありませんからねえ」
初めてではない。その言葉に船長の表情が緩む。
「いいだろう、あんたに何とかできるんだったら任せよう」
「ただじゃない、ってことはわかってるわよねえ?」
その言葉を聞いて、船長がむっとする。が、すぐに不満げな表情を消して言う。
「船賃の10倍だ」
まあ、と驚いたように言ったのはゼニーだった。
「船に乗ってる全員の命が掛かってる、っていうのに?」
「俺としちゃ、こいつを海に放り出してもいいんだがな」
そう言ってベッドの男を指さした船長を見て、ゼニーがやれやれ、と溜息をつく。
「しかたないわねえ、それで手を打ちましょ」
そう言うと、ゼニーは杖を取り出した。
「じゃ、見ててごらん」
そう言って杖をベッドの方へ向ける。そして、何か呟きながら杖をゆっくりと回し始める。そして杖の先を、ピシッとベッドの方へ向けて止めた。その瞬間、男の身体が、ベッドごとどんどん白っぽくなっていく。
「あ……!」
何が起きているのかを知ってマーヤーが小さな声を上げた。全員の見守る中、男の身体が命の光を失い、真っ白になり、固まっていく。
「な、なんだ、これは?」
船長が声を上げた時には、すでに男は1個の石像となっていた。
「石に変えたのよ」
えーっ! と声を上げたのはメイドだった。
「旦那様が……!」
涙声で言う彼女の肩に、ゼニーがそっと手を置く。
「心配しなくて大丈夫よ。港に着いたら、石の花の蜜が手に入ったら、元に戻してあげますからねえ」
え、とメイドがゼニーの方へ顔を向ける。
「石にしておけば、病気で死ぬこともないし、瘴気が流れ出すこともありませんからね」
「旦那様は、助かるんですか」
それでも、まだ心配そうに言うメイドに、ゼニーはにっこりと微笑んで、もちろんよ、と言った。
「何度もやったことのあることよ。死にそうな人を石にして、死ぬのを止めるなんてこと」
冒険者時代にはね。そうゼニーは言った。ダンジョンの中で毒を受けたり、モンスターの放つ瘴気で病気になった仲間を、その場で助けることができなかった時に。そんな仲間を無事にダンジョンから連れ出すために、生命活動を止めて、毒が回ったり、病状が進むのを防いだのだ、と。
それを聞いて、ほう、と医者が感心したような声を上げる。
「たしかに、これなら、……うむ」
そう頷くと、船長に向かって言う。
「わしの出番はもうなさそうじゃ」
医者の言葉を聞いて、なるほど、と船長も頷いた。
「よし、わかった。金は、港に着いてから払う」
こいつを石から元に戻した時に、と船長は言った。
「そう、それで結構よ」
そう言うとゼニーは、マーヤー達の方を向いてにっこりと笑った。
「これで、解決だわ。今のところは、ね」
そんなゼニーの様子を驚きの眼でマーヤーは見つめていた。
石になれば、それは死だ。そのまま放置すれば、石になったものの心識は肉体から離れ、トワイライト・レルムへと去ってしまう。そうなれば、石化を解いてももはや蘇生はしない。それがマーヤーの認識であり、経験だった。メデューサやバジリスクといった、相手を石に変える力を持ったモンスターによって石にされた者は、すぐに石化を解けば助かるが、2日も3日も経てば、石化が解けても死体が残るだけなのだ。
だから、ゼニーの魔法はただの石化ではない。人を石のようにして、時を止める魔法。石化のようには見えても、決して見かけ通りの術ではないのだ。ゼニーは言わなかったが、そう悟ってマーヤーは今さらながら彼女の腕前に舌を巻いたのだった。




