シュタイナー商会の暗躍(5)
洞窟の中は、予想したとおり、ところどころに光源があり、ほのかに明るかった。
だが、その明かりに目を向けたバランは、それが松明やろうそくではなく、宙に浮かぶ薄黄色い光球であるのを知り、驚いていた。魔法による灯り。仲間の内でも、魔法使いや尼僧がこれと同じ灯りの魔法を使うので、見慣れたものではある。だが、ここにこういうものがあるということは、相手にも魔法の使い手がいるということだ。
「嫌な感じだ。オークやゴブリンだけじゃねえ、ってことだな」
罠の類を警戒しつつ、足下に目をやれば、地面に自分の影が落ちていないのがわかる。妙な感じだが、これも、不可視の魔法の効果だ。
入り口と同じように、洞窟の中は広く、数人が行き違えるほどの幅があった。20メートルほど進むと、右側に細めの通路があり、その先に扉があるのが見える。しばらく見ていると、扉が開き、数人のゴブリンが姿を現した。
あわてて元の通路に戻り、ゴブリン達の前から離れ、奥へと向かう。ゴブリン達は、バランに気づかず、洞窟の外に向かって行った。
「見張りの交代、ってとこだな」
通路の先が大きく左にカーブしているのを見て、先へと進む。魔法の灯りで、通路は歩くのに不自由しない程度に明るい。
熱を感知できる相手であれば、不可視の魔法を使っているものの体温も、察知することができる。そういった相手には、不可視の魔法が効かない、と言われていたのをバランは思い出していた。マーヤーの魔法は、あくまでも、相手の視覚からの隠蔽なのだ。
ゴブリン達は、夜目が利く。だから、明かりのないところでも平気で動き回ることができるが、しかし、それは、人間には感じ取れない赤外線領域の光を可視光として見ることができるのと、ほんのわずかな光であっても、人間の数百倍の明るさに感じ取ることができるからで、熱を感知する能力を持っているわけではない。
暗闇の中であれば、ゴブリンも、不可視の魔法のかかったバランも同じ条件になるが、これだけの明るさがあれば、魔法で視界を遮っているバランの方が有利だった。ゴブリンほどに夜目の利かないオークが相手なら、一層バランの方が優位に立つ。
そう思っていたのが油断だった。
通路の先から、3人のオークが現れた。
オーク達にはバランの姿は見えていない。それには間違いがなかった。だから、物陰に身を隠そうとせず、通路の隅に避けてオーク達をやりすごそうとしたのだが、バランの数歩手前で、オーク達は足を止めたのだ。
「何だ、この臭いは」
「む、俺達の臭いじゃない? ……人間か」
顔から血の気が引くのがわかる。知らず知らずのうちにマーヤーの魔法を過信していたのだ、と悟り、あわててオーク達から距離を取る。幸い、相手はバランの位置を正確に掴めていない。腰の剣を抜くと、バランはためらわず、3人のオークに向かい、駆け出していた。
すれ違いざま、左端にいたオークの喉笛を掻き切り、背後から、2人目の――真ん中にいたオークの首に、後ろから剣を突き立てる。いきなり血飛沫を上げて倒れた仲間達を見て、何が起きたのか理解できず、辺りをきょろきょろ見回す3人目のオークの眉間を、真っ向から剣で割る。ほんの数秒の出来事だった。
「やっちまったぜ……」
剣についた血を拭いながら、足下を見る。そこに影ができていないのを見て、ほっとする。
「ありがてえことに、まだ、俺の姿は消えてる、ってわけだ」
全身に浴びた返り血は、拭う余裕がない。血は、最初、バランの体の上に滴って、バランの姿を赤く浮かび上がらせていたが、乾いて、体に完全にくっついてしまうと見えなくなっていた。だが、臭いは消えない。
オークの血の臭いは、人間の臭いを隠してはくれるが、また、人間ではなく、オークの血が流されたことを、相手にわかりやすく知らせてしまう。ゴブリンであれ、オークであれ、人間とオークの血の臭いを取り違えたりはしない。
「やばいか? ……いや、何とかなるだろう」
もし、魔法の助けがなくとも、バランは熟練のシーフだ。どこにでも忍び込み、誰にも気づかれずにお宝を手に入れ、逃れ去るのが彼の生業だ。その矜恃が、彼を更に奥へと進ませる。何の土産も持たずに、おめおめと引き下がるのも好みではない。
奥へ進むと、いくつかの横穴が目に入る。最初の横穴に入ったバランは、その奥にいくつもの木箱が積み重ねられているのを見つけた。
「何だ、お宝か? ……いや、こんな入り口近くにそんなものを置いておかねえだろ……」
それに、箱も粗雑な造りで、貴重な宝をしまっておくようなものでもない。罠のないことを確認しながら箱に近づいたバランは、箱に描かれた図形に目をとめた。青い塗料で描かれた、地球を載せた手の絵。
「この標章は、シュタイナー商会だ」
シュタイナー商会の荷駄隊が襲撃されたという話は聞いていない。だが、ここに商会の荷があるということは、シュタイナー商会も、犠牲になっていたのだろうか。
そうではない。湧き上がった疑問をバランは打ち消した。
箱は、きちんと積まれており、目立つ傷もなく、粗雑に扱われた様子はない。もし、これが略奪された物であるならば、そのきれいな外観はあまりに似つかわしくない。積まれた箱は、まるで丁寧に納品された荷物のようだ。
……では、一体これは何なのだろう。
疑問を抑えられず箱の1つをこじ開けたバランは、中に入っていたものを見て、目を丸くした。そこにあったのは、通常の人間には小さすぎる、数着の革鎧だった。
「こいつは……」
ゴブリン達の身につけていた上質の革鎧。それがすぐに思い浮かぶ。剣などの武器と違い、身につける鎧は、他者のものを奪って使う、というわけにはいかない。自分の体に合わなければ、着ることができないからだ。だから、人間よりも小柄なゴブリン達は、人間の鎧を奪って使うことができない。逆に、ゴブリンの体に合うサイズの鎧は、人間が着ることができない。
「なんてこった、こいつは、ゴブリン用にあつらえた代物だ!」
ゴブリンのための鎧を収めた箱にシュタイナー商会の商標がある。すなわち、シュタイナー商会が、ゴブリンに鎧を納品……いや、おそらくは提供しているのだ。そう悟ってバランは戦慄した。
「こいつは、すぐに知らせねえと……!」
元の通路に戻ろうと振り返ったバランは、そこに数人のゴブリン達の姿を見た。
たまたま、やって来たのだろうか。目の前で、勝手に箱が壊れ、中身が暴かれるのを見て、ゴブリン達も驚いて立ち尽くしている。
「ぐずぐずしてられねえ!」
焦ったバランが一気に駆け出し、1人のゴブリンを突き飛ばして通路に出る。見えない何かにぶつかられ、ゴブリンが恐怖と驚きの混じった叫びを上げる。目の前で倒れた仲間を目の当たりにし、他のゴブリン達も騒ぎ始める。その声を聞きつけ、こちらの方へやって来る何人もの足音をバランは聞いた。
入り口に向かって走るバランは、先刻倒したオークの死体の側に、十数人のオークが集まっているのを見て立ち止まる。通路を塞ぐように立つ、あれだけの人数の間はすり抜けられない。
「……きしょうめ、やるしかねえのか」
覚悟を決め、革紐を取り出す。何の変哲もない紐に見えるそれは、石を飛ばし、致命的な打撃を与える武器だ。地面に落ちている手頃な石を拾うと、紐を絡め、大きく振り回す。紐の一端を放すと、勢いのついた石が風を切って飛び、1人のオークの後頭部を直撃する。
低い呻きを上げてオークが倒れると、他のオーク達が警戒して辺りを見回す。幸いなことに、オークの血を浴びていたバランの臭いは、元から倒れているオークの死体の血に紛れ、オーク達に、すぐには気づかれない。
2つ目の石を拾い上げ、革紐で飛ばす。それは、2人目のオークを倒したが、その攻撃の瞬間は、オーク達に見られていた。
いきなり、石が浮き上がり、大きく旋回して、自分たちの方へ向かって飛んできた。オーク達に見えていたのは、そんな光景だった。
「あそこだ。何かいる!」
次に飛ばした石は、狙ったオークに躱される。バランの姿は見えなくとも、彼の拾った石ははっきりと見えており、石だけが見えているので、却って避けやすい。
「姿を消してる奴がいる。……逃がすな」
オーク達は、通路いっぱいに広がって隙間を作らないようにする。いかに素早いバランといえど、その間を駆け抜けるのは不可能だった。
「……おい、シャレにならねえぜ」
額に冷や汗が浮かぶ。
そしてまた気が付いた。見えない相手に対するオーク達の反応は、あまりに見事すぎる。まるでこういった事態を想定して訓練されてでもいるようだ。そして、洞窟内の魔法の灯り。おそらくは、魔法の使い手がオーク達に知恵を付けたのだ。
オーク達は、ゆっくりと、一歩ずつ、確実に距離を詰めてくる。
後ろに下がろうとし、振り返って様子を見れば、そこには一群れのゴブリン達がいた。つい今し方、蹴散らしてきた奴らだ。小柄なゴブリン達は、オークに比べればまだ与しやすい。一瞬のうちにバランは決断していた。
身を翻し、ゴブリン達の方めがけて猛然とダッシュする。ゴブリン達の脇をすり抜け、それでも、2、3人のゴブリンを引っかけて突き飛ばして駆け抜けた。
何が起きたのかわからず、叫び声を上げるゴブリン達を見て、オークが怒鳴る。
「奥へ逃げたぞ、追え!」
オーク達の足音を尻目に、バランは一目散に走っていた。
騒ぎを聞きつけて、前方から数人のオークがやって来る。何事が起きたか把握しておらず、姿の見えないバランがいることに気づく由もない。身をかがめ、彼等の脇をすり抜け、バランは走り抜けた。
洞窟の前にいたゴブリン達が、何やら騒いでいるのに気づいたのはテッドだった。見張りのゴブリン達は、少し前に交代したばかりだったが、中から更に10人ほどのゴブリンが姿を現し、彼等に合流したのだ。それだけでなく、数人のオークも現れ、外から、洞窟の中に向けて警戒の目を光らせている。
「おい、旦那、奴ら、何か様子がおかしくないか」
押し殺したテッドの声に、全員に、瞬時に緊張が走る。
「そうだな。だが、私達に気づいたようではない。連中の注意は洞窟の中に向いている」
「ってことは、バランかい! ……奴め、何かしでかしたな」
テッドが忌々しそうに舌打ちするのを聞いて、ポピーが溜息を吐く。
「忍び込んだのが気づかれたのでしょうね。あの様子では、まだ捕まってはいないのでしょうけどね」
「ほっとくわけじゃないよな、ロバートの旦那?」
そう言ってロバートに詰め寄ろうとするテッドだが、それをポピーが遮った。
「助けに行くにしても、わたくし達があの中に入っていくのは無理でしょうね。貴方には考えがあるのでしょうかしら、テッド?」
「むしろ、そいつを聞きたいんだがな、ポピー、一つ、頭のいいところを見せてくれないか」
「ええ、それは……わたくしよりも、ロバートの方がよろしいでしょうね」
「……おい!」
「カリーナ、洞窟の中の様子を見ることはできるかね?」
2人のやりとりを聞き流してロバートが言う。
「できますが……不可視の魔法のかかったバランを見つけることはできないと思います」
「かまわない。中の様子を知りたい」
「わかりました」
空中に、薄青い球体が現れ、洞窟の中の様子が浮かび上がる。
20人ほどのオークと、それよりも多くのゴブリン達が洞窟の中を、ゆっくりと奥の方へと進んでいくのが見える。途中、枝分かれした細い通路にも、何人かのオークが入り込み、それが戻るのを待って、また、一団となって奥へと進んでいく。何かを探すように。
彼等が探しているのがバランであるのは間違いなかった。
「あれじゃ、そのうち見つかってしまうわ」
ジャネットのいうとおりだった。いくら視界を誤魔化していても、壁をすり抜けられるわけでない以上、洞窟内を虱潰しにされれば、いずれは逃げ場を失う。通路いっぱいに広がり、幾重もの人の壁を作ったオーク達の間を抜けて逃れる術はない。
「魔法を過信しすぎた、ということでしょうね」
肩をすくめたポピーの言葉がマーヤーに突き刺さる。
(しまった……。やり過ぎなきゃよかったかも)
魔法をかける際、どのくらいの威力にするかは、使い手の方である程度加減ができる。たとえば、不可視の魔法であれば、今回マーヤーが使ったような、相手を攻撃しても姿が現れないほどの効力にすることも、攻撃をした瞬間に姿が現れる程度の効力にすることも、選択できる。今までの習慣で、マーヤーは、能力いっぱいの効力で魔法をかけてしまった。それが、今までに知っている魔法の効力とかけ離れてしまっていたため、バランに、魔法の効果への過信を生じさせてしまったのではないか。そうマーヤーは思っていた。
(なれない魔法をかけられたバランの……じゃない、わたしのミスだ)
知らない顔はできない。そう思って、マーヤーが言う。
「カリーナ、わたし1人を、あの中へテレポートさせることはできる?」
「え……?」
そう訊かれ、あっけにとられてカリーナがマーヤーを見つめる。
「できますが……何をしようと?」
「バランを、連れ戻します」
きっぱりとそう言ったマーヤーを見て、ロバートが目を剥く。
「何だって、君が?」
「このままにはしておけない。その筈ね?」
「……そうだな、ならば私も行こう」
一瞬の間を置いて、ロバートが言う。それにマーヤーは首を振る。
「1人で行く。人数が多いと、わたしの手に負えなくなるから」
「それは……、いや、そうかも知れんな。君の魔法は私達の想像を超えているようだ」
口まででかけた反論を抑え、ロバートが言った。そして、カリーナの方を向いて言う。
「やってくれ、カリーナ」
「……わかりました」
「では、あのオーク達の後ろへ」
そう言うと、マーヤーは不可視の魔法を解き、姿を現した。魔法をかけるとき、相手が見えていた方がやりやすいからだ。
小さく頷くと、カリーナはマーヤーに魔法をかけた。




