ルフォンレアの夜明け(1)
ルバルザールの送り込んだミューラーが、ルフォンレアに到着し、転移の指標となるテュアーウィを設置した、と連絡してきたのは、11月が4分の1ほど過ぎた頃のことだった。
折も折、マーヤーはハリー達のために中断していた領地の巡察を再開しており、報告を受けたのは城で留守を守っていたルバルザールだった。ルフォンレアへの転移が可能になったことは、直ちにマーヤーにも伝えられ、ルフォンレアにエリダールとロイザール、そしてアイアンの3人が赴くことが決まる。出発は、ミューラーから連絡を受けた2日後だった。
「成功をお祈りします、エリダール様」
「閣下のご尽力に感謝します」
その日の早朝、ネブラッケインに連れられて一時的に城へ戻ったマーヤーは、エリダール達に直接会って、挨拶を交わしていた。
「ルフォンレアまでは、ネブラッケインがお連れします。向こうではミューラーという者が合流し、案内の役を果たす手筈になっています」
「その方は、エフライサスの…閣下の部下でございましょうか」
いいえ、とマーヤーは頭を振った。
「エフライサスがルフォンレアの内政に関わることはできませんから、家臣を派遣するわけには参りません。ミューラーは、ルバルザールが雇い入れた冒険者です。…心配はいりません。ルバルザールの眼鏡にかなうような者なら、信頼して問題はありません」
それに、とマーヤーは心の中で付け加えた。まだ、増援はあるんだから、と。
「ありがとうございます。閣下にはどれほど感謝してもしきれません。必ず、このご恩に報いてご覧に入れましょう」
「どうぞ、幸運を」
そう言い交わすと、マーヤーはネブラッケインに合図した。3人をルフォンレアへ連れて行けるのは、転移の魔法に長けた彼だけだ。見たことも行ったこともない場所へ、テュアーウィだけを目当てに転移するのは決して容易なことではない。空間魔法に特化した召喚術士だけが可能な技なのだ。
3人を連れて、ネブラッケインが城の中庭へ出る。別に、どんな場所からでも転移はできるが、空間を丸ごと移送するには、できるだけ開けた場所の方が、術の効果をイメージしやすいからだ。
「これで、満足かしら?」
その言葉はルバルザールに向けられたものだ。
「どこまでが、あなたの書いた筋書きだったのかしら」
指を立てて言われ、ルバルザールが目を白黒させる。
「何を言われます。全ては我が君の御意のままになされたことではありませんか。ルバルザールの思いなど、到底及ぶところではございません」
「しらばっくれるつもりね?」
滅相もございません、とルバルザールが両手を振って否定する。
「そう…?」
いいよ、そういうことにしておいてあげる。心の中でマーヤーは言った。
エリダールのことを話したり、彼がナルデレックにいることを告げたり、マーヤーの気を引くようなことをしておいて、さらにはマーヤーの知らないうちに、ルフォンレアへテュアーウィまで運ばせていたのだ。これで何も知らないなどと、あまりに白々しい。
「ただ一つ、我が君が一緒にルフォンレアまで行かれず、エフライサスにお残り頂けたことのみが、思い通りになったこと、と申せましょうか」
しれっとしてそう言ったルバルザールを、マーヤーがキッと睨む。
小憎らしい。口にはしないが、そんな思いを視線でぶつける。
一つ、貸しだから。
別に思うところもあって、マーヤーはそれ以上何も言わないことにしたのだった。
程なくして、ネブラッケインが戻ってきた。マーヤーの前にやって来ると、恭しく頭を下げる。
「御指図の通り、3人をルフォンレアまでお連れしました。テュアーウィを持った男…ミューラーとの合流にも成功しました」
「ご苦労でした。さすがはネブラッケインね」
「いえ、これしきのこと、何でもございません」
軽く微笑んでネブラッケインが言う。
「さて、それでは次は我が君の番でございますな」
そうね、とマーヤーが頷く。今はまだ巡察の途中なのだ。今日の予定はレサフリア。一番新しく開かれた村で、領地の最西端にあたる場所だ。今頃は、アルテシーラが護衛の騎士達と共にそこへ向かっているはずだ。
「一足先にレサフリアへ行って、アルテシーラ達を待つことにするわ」
そう言って、フィシスを呼ぶ。隅の方で目立たないようにしていたフィシスが、返事をしてマーヤーの方へやって来る。
「済んだんだね」
ええ、とマーヤーが答える。
「当分、何もすることはないわ。予定通り、巡察に行きましょ」
そう言って、ネブラッケインの方に向き直る。
「中庭に出た方がいいかしら?」
「なに、我が君であれば、ここからでも十分、レサフリアまでお連れできます」
「そう。でもちょっと待ってて」
エリダール達を送るため、ドレス姿だったマーヤだが、ふと思いついたことがあった。ネブラッケインを待たせると、フィシスを連れて私室へ戻り、そこでドレスを脱ぎ捨て、旅に出ていた時の服に着替える。知らない者が見れば、領主――エフライサス子爵だとは思われないだろう。もちろんフィシスの方も、マーヤーに合わせた衣装に着替えている。
そうしてネブラッケインの待つホールへ戻る。やって来たマーヤーの姿を見て、ほう、とネブラッケインが声を漏らした。その声に振り返ったルバルザールが、渋い顔をするのを、マーヤーは無視した。
「じゃ、お願いするわ」
はい、とネブラッケインが一礼し、次の瞬間、マーヤー達はレサフリアの村に着いていた。いきなり現われた3人を見て驚く村人達だが、ネブラッケインの姿を見て、何が起きたかを理解する。エフライサスの魔法使いが、魔法で転移してくるのは、これまでにも何度かあったことだったから。
「ご苦労様」
マーヤーのねぎらいの言葉を聞きながら、にっこり微笑むとネブラッケインは再び姿を消した。
「御領主様…、でございますか?」
身なりのいい男が進み出て言う。ネブラッケインと共に現われたことと、幼女連れの若い娘ということで、目の前にいるのがマーヤー――エフライサス子爵だと推測したのだろう。ただ、貴婦人らしい格好ではなく、冒険者姿のマーヤーに躊躇しているのがわかる。
「ん…?」
何も答えずに、小首をかしげて見せたマーヤーに、人々が怪訝な顔をする。そのまま黙って歩き去るマーヤーとフィシスを、人々は黙って見送るばかりだった。
(領主です、なんて言ったら、好きに村を歩き回れないもんね)
秋まきの小麦が芽を出しかけた畑を見、森の中でドングリを食べる豚の声を聞きながら、マーヤーは村の中をのんびりと歩いて行った。もう少しすれば、あの豚たちは冬支度のために殺されて、保存用の食料に変わるだろう。
畑仕事をする村人達の声が聞こえてくるのにマーヤーは耳を傾けた。
冬の前の忙しい時期に、新領主の巡察があるのは迷惑だ、という声。
春まき小麦の収穫が思ったほどではなかったというぼやき。
サンタールファから戻ってきた者達が、なかなか村の暮らしに溶け込めずに苦労している、という噂。
そう言った話を聞くともなく聞きながら、マーヤーはフィシスと一緒に村の中を歩いて行った。
ふと、マーヤーを呼ぶ声がする。名前を呼ばれたわけではない。そこの娘さん、と呼びかけられたのだ。
「見かけない顔だね。街道を来たのかい?」
仕事の手は休めず、そう聞いてきたのは1人の農夫だった。
「そうよ。ここはなんていうところ?」
「レフサリア、って言うのさ。この辺りはエフライサスの領地だよ。…女の子だけで旅してきたのかい」
2人で旅をしてきた時には、よく訊かれたことだ。町中なら、知らぬ振りをしてさっさと立ち去ればそれで相手も諦めるものだが、こういう村では、相手から気遣われ、なかなか放してもらえない。冒険者など見かけることのない、こういうのんびりしたところでは特にそうだ。普通の村人にしてみれば、少女――マーヤーにしても、まだまだ子供に見える――2人だけの旅路など、想像もできないことはわかる。何かワケありに違いない、と、思われるのが当たり前だし、善意で訊いているのだとわかっているから、あまり邪険にもしたくない。かと言って、魔法を使ってみせるわけにもいかない。
「エフライサスの中の、すぐ側の場所から来たから。そんな無茶はしてないよ?」
ふうむ、と相手が首をかしげる。
「側といっても、隣村まで1日じゃきかんだろ? それに、そんな小さな子を連れてか?」
「大丈夫、慣れてるから」
それじゃ、といって強引にその場を立ち去る。相手も、さすがに仕事を放り出してまでは追ってこない。
「心配してくれてるのはわかってるけど、ね」
「それが普通の人、でしょ? マーヤーが普通の人だったら、知らない村へ子供だけで来たりする?」
しないね、と笑いながら答え、そのまま歩き続ける。
人々は穏やかで、村の暮らしにも問題はなさそうに見える。そろそろ始まる冬支度にも、支障のありそうな様子は見えない。いくつかの家には、そろそろ薪の束が積み上げられ、家畜の量も十分そうだ。
「ここはいい村みたいだね」
フィシスの言葉に、マーヤーは、ううん、と首を振る。
「ここは、じゃなくって、ここも、いい村、だよ」
「そうか、そうだね」
供を連れての訪問では、こんなふうにゆっくりと村の中を見て回ることなどできない。村人も緊張するし、マーヤーの方も、寛いだ気分にはなかなかなれない。旅人の姿をして、誰にも領主だと気付かれずに、ありのままの領地の様子を見て回る。――観られる領民にとっては、ある意味恐ろしい話だが。
(でも、こうでなくっちゃ、査察の意味、ないよね?)
意地悪く、などとは露ほどにも思っていないマーヤーだった。
そのまま、村にある1軒だけの酒場で昼食を取り、その後は村はずれの森に出て、木の上から村全体を見渡したり、森の中で人々の働く様子を見やる。
静かで平穏な、平凡な暮らし。ここにはそれがある。満足そうにマーヤーはそんな様子を見つめていた。
夕方近くなって、村の入り口の方がざわざわしているのが聞こえる。
もしかしたら。そう思って、マーヤーとフィシスは声のする方へと向かっていった。思った通り、そこには騎士達に先導された馬車が到着していた。
村長らしい人物が一行を出迎え、馬車から降りたアルテシーラに恭しく挨拶をするのが見える。遠くからでは声は聞こえないが、何やら言い合いになっているらしいのがわかる。
(なにかな? …あ、もしかして!)
思い至ったことがあって、マーヤーはあわててそちらの方へ駈けていった。
「アルテシーラ!」
マーヤーの声にアルテシーラが、そして村の重鎮達が一斉に顔を向ける。
「我が君…!」
声を高めたアルテシーラの眉がつり上がって見える。
いけない…! そう思って、急いでアルテシーラの前に出る。
「早かったわね。遠路ご苦労様」
にっこり笑って言うマーヤーに、アルテシーラが押し殺した声で言う。
「一体、今までどこに行かれていたのでしょうか。村長達の言うには、まだ我が君の姿は見ていないとのことでしたが?」
2人のやりとりを聞いて、あわてて言ったのは、最初村に着いた時に出会った、あの男だった。
「え、この方が…!」
御領主様なのですか、と少し震える声で言う。
まずかったかな。そう思い、少し頭を下げる。本当なら、マーヤーの立場でこんなことをするのはまずいのだが。
「驚かせましたのなら、ご寛恕を。サラリューザ・ゼルフィア・エフライサス・トゥリールです」
静かに名乗ったマーヤーに、居合わせた人々が一斉に平伏する。
「予定より早く、わたくしだけが来てしまい、済まなく思います。村の様子は十分に見せて頂きました。ここは、とても素敵な村ですね」
は、はい…、となんとか平静を取り繕って村長達が答える。
「お戯れが過ぎます。ここへ来られたのは、公務の一環であるとご承知くださいませ」
アルテシーラに叱られ、マーヤーが少し肩をすくめてみせる。
「身分を偽って、村の様子を見て歩くなど不公正な行いであるとお心得ください。査察する方も、される方も、それぞれに準備と作法があるのですから」
ルール違反はやめてください。そう言われ、少し不満な気持ちになるが、ここで言い争うわけにもいかない。素直に非礼を詫びると、マーヤー達は村人達の案内で、宿舎に用意された館へと案内されて行った。




