シュタイナー商会の暗躍(2)
しばらく街を歩いた後、マーヤーはようやく宿屋の並ぶ通りを見つけた。何件かの宿が並ぶ内、1階が食堂になった、大きめの宿に泊まることにする。近くの街道にゴブリンの出たような所だ。人の多いところ、しっかりした造りの建物を選ぶことにした。
部屋は相部屋で、ベッドが2つ。4人用の部屋だ。ベッドも2人で1つを使用するようになっている、ごく標準的な宿だ。相部屋になった人間が何者か、は、宿では保証してくれない。自分の身は自分で守るのが旅をする者の常識で、それは若い娘であるマーヤーでも同じことだ。だから、同室になった客が、全部女性だったのはありがたかった。男性の泊り客がもっと多かったらどうなっていたか。そう思って、マーヤーはほっと息を吐いた。
宿の主人に部屋を割り当てられると、マーヤーは、先に食堂へ向かった。
(まず、ごはん、っと。ここのところ、野宿続きだったからね)
人里で、きちんと料理された食事にありつけるのがありがたかった。少しウキウキした気分で食堂に行き、なるべく隅の方の席に着く。スープと豆の料理が出され、ゆっくりとそれを食べながら、マーヤーは辺りの人々の話し声に耳を傾けた。
「この間、ローランの村で地震があったのを知ってるか」
「聞いたな。随分大変だったそうだ。随分と家が潰れて、ユラニアンス神殿の坊主達が救援に走り回ってたそうだ」
「揺れはそれほどじゃなかった、って言うがな。なにしろ、貧乏村だ、碌な家もなかっただろうからな。潰れるのも仕方ないさ」
「おうよ、建て直しにはまだ随分とかかるに違いない」
(そっか、もう、ここまで話が伝わってきたんだ)
村で別れてきたアーマザームのことが、一瞬頭をかすめる。
遠くの土地の話は、人の噂によってしか伝わらない。まだ1月しか経たないのに、もうここまで噂が広がっているのは、よほど地震の被害が大きかったからか。あるいは、神殿間の情報網によるものか。
「それよか、レキペルの村じゃ、大火事があった、って言うぞ。村の半分が焼けちまったって話だ」
また、別の誰かが、聞いてきた噂を語る。別のテーブルからも、違う話題が聞こえてくる。
「キース商会の荷駄隊がゴブリンに襲われた、ってのは本当か」
「本当だ。俺は見ていたんだ。街から2日の所だ」
「クラッツ商会の連中はオークにやられた、って聞いたぞ」
「巡回の兵士もオークを見たそうだ。それに、ゴブリンもだ」
(そっか、襲われたのはわたしだけじゃなかったんだ……。それに、オークって。随分たくさんの奴らが出てるんだ。こりゃ、危ないな……)
「本当かい、うっかり城壁の外には出られないんじゃねえか。畑仕事の連中は襲われたりしてねえのか」
「そっちの方にゴブリンが出た、って話はまだ聞かないな」
「今まで、この辺りにゴブリンだのオークだのが出たなんてことはなかったんだがな」
「そうだ、大体、兵士が見回ってる範囲にはやってこなかったはずだ。街の兵士達を怖がってたからな」
(ふうん、そうなんだ……)
「ゴブリンだのオークだののいそうなところといやぁ、山の方の洞窟だろ。あそこは街から5日はかかるぞ。そこからやってきた、って言うのか」
「まさか、他に連中の居場所があるなんて、そんなことは聞いてねえ」
「なら、わざわざ何日もかけて、山から街道まで出てきてる、って言うのか」
噂話に耳を傾けながら、マーヤーは、ふと、自分に向けられた視線を感じた。1人ではない、数人の目がマーヤーに注がれている。そちらの方へ目を向けると、少し離れたテーブルを囲む、6人の男女の姿があった。
彼等の内、4人はレザーアーマーを身に着け、剣や戦杖で武装している。残りの、ローブに身を包んだ女性と、武器を持っていないらしい黒マントの少女は魔法の使い手だろう。
(冒険者だ……。って、何で、こっち見てるの?)
見ず知らずの相手に目を付けられるのは、あまり気持ちのいいものではない。まして、それが冒険者の一行ともなれば。
冒険者と言えば、聞こえはいいが、結局のところ、流れ者の集団だ。報酬にさえ見合えば、どんな依頼でも受けるのが常で、子供の憧れるような正義の味方などでは決してない。1人旅の少女を見て、よからぬ算段をしていたとしても、決して奇妙なことではない。
冒険者達は、マーヤーを見て、何やら小声で話し合っている。
(もしかして、やばい? え? 目、付けられるようなこと、何もしてない筈よ?)
警戒の目を向けるマーヤーに気づいたらしく、冒険者達の目がマーヤーからそれる。が、次の瞬間、魔法使いらしい1人の少女が立ち上がり、マーヤーの方へやって来たのだった。深紅の服に、黒いマントを羽織った目鼻立ちのはっきりとした色白の娘。
「ちょっといいかな、もしかしてあなた、名のある魔法使いじゃないのかな?」
(な、何、この子、直球……?!)
驚いて相手の顔を見つめるマーヤーに、彼女は言葉を続ける。
「あなたの持ってるその杖。……それ、魔力を蓄えておける杖でしょう?」
(あ、これを見てたんだ。なるほど、それでね…)
少女の言葉に納得したマーヤーに、彼女が言葉を続ける。
「驚かせちゃったらごめんね。でも、わたしも魔法の心得があるから。だから、簡単に手に入るものじゃない、ってわかるの、その杖」
「……これは、わたしの御師様の形見」
少し警戒しながら、マーヤーが答える。そんな様子を意に介しないように、彼女は微笑みながら話を続けた。
「あら、そうなの。じゃ、あなたは魔法使いの弟子、ってことかな」
「ええ、そう」
「魔法、使えるんでしょ?」
「……少しなら」
「上手いの? そんな杖が持てた人の弟子なんだから、きっと凄腕よね?」
ううん、と首を横に振る。いい加減に、やめてくれないかな、と内心思いながらも、しかし、露骨に撥ね除けるのは避ける。変に気を損ねて、トラブルになるのは……一層関わり合うことになるのは嫌だから。
「魔法は、もう……あんまり使わない。この杖だって、もう魔力は残ってない」
「どうして? あなたの先生は只者じゃない、ってわかるわ。あなたの魔力も普通の人の水準を超えてる。オーラの光がそう言ってるのよ」
(あ、こいつめ、探査魔法使ったな……)
相手の持つ能力を見抜く魔法。それを知らないうちにかけられていたのだとわかる。もっとも、わかっていたとしても、相手の魔法を遮れば、それはそれでマーヤーの能力を知る指標になるだけのことだ。しかし、勝手に相手に探査魔法をかけるのは礼を失した行いだ。彼女もそれは知っているはず。だから、とぼけることにする。
「オーラの光?」
「え、探査術、知らないの?」
「探査術、って、……何したの?」
口を滑らせたことに気づいて、相手の顔に動揺が浮かぶ。話を打ち切るのにはいいタイミングだ。そう思ってマーヤーが上目遣いに少女の顔を見つめる。
「ご、ごめん、なんでもない」
「ふうん?」
少し慌てたような少女の顔を睨むようにして、目に力を込めると、相手は胸の前で両手を拡げて振った。
「気にしないで、忘れて!」
「そう。……じゃ、わたし、もう行くね」
そう言い残して席を立つ。これで、もう相手をしなくて済む。
(関わり合いたくないからね、この手の人たちとは)
そのまま、食堂の隅にある階段を上り、部屋に向かうマーヤーを、もう追ってくる者はなかった。
翌朝、朝食を済ませると、直ぐにマーヤーは宿屋を出た。門衛は、昨日とは違った顔ぶれで、マーヤーに何か言ってくる者もない。
からりと晴れた夏の朝は、爽やかで気持ちがいい。
(さて、と。今日は変な奴らに会わなくって済ませたいんだけど、な)
城壁の見えるあたりで、ゴブリンだのオークだのに出会う心配はないだろう、と思っていた。昨日のゴブリンも、街からは、かなり離れたところでの遭遇だった。
今夜は、おそらく野宿になる。それを考えて、いつもより足早に、このあたりからさっさと立ち去るつもりでペースを上げて歩く。それでも、まだ数日は、注意を怠るわけにはいかないだろう、と思いながら。
安全だけを考えるのなら、いっそ空でも飛んでいけば簡単だが、そんなことで魔法に頼りたくはなかったし、昨夜出会った冒険者達のことも気になる。空を飛んで移動していれば、彼らは簡単にマーヤーを見つけるだろう。それで、何かがある、というわけでもないだろうが、あまり目立つようなことをしたくはなかった。
気が付くと、左手の方に、山並みが見える。
(あ、あれかな? 噂にあった山、って。じゃ、ゴブリンやオークのいるのは向こう、ってことよね)
先を見れば、街道は森の中へと続いている。見通しのよくない、隠れ場所の多い場所だが、進むには、他に選択肢はない。
高い木々が、十分な間隔を開けて生えている森は、木漏れ日が落ちて明るく、下生えもそれほど繁っていない。だから、もし街道から抜けて森の中を進もうとしても、さほど苦労はない。逆に言えば、いつ、どこからゴブリンやオークが現れても不思議はない、ということだ。
山の方角に注意を払うのはもちろんだが、夜目の効くゴブリンたちが夜明け前から森に潜み、待ち伏せている可能性も十分にあった。辺りの木陰に注意しながら進んでいけば、どうしても歩みは遅くならざるを得ない。
(いっそ、さっさと出てきてくれた方が、気が楽になる、かも……?)
頭に浮かんだそんな考えを、軽く首を振って追い払う。それは、冒険に臨む魔法使いの考えだ。ありふれた、普通の旅人の望むことではない。
(ゴブリンなんか、出くわさない方がラッキーなんだから、ね!)
途中、軽い休憩をはさみ、また、昼食を取って休む。そして、2時間も歩いた頃、倒れた大木が街道をふさいでいるのが見えた。明らかに、何者かに切り倒されたものだ。
倒れた木の影か、あるいは周囲の森の中か。隠れて獲物が寄ってくるのを待っている奴らがいる。倒された木の大きさから見て、ゴブリンではないだろう。
(あ、あそこだ。……オークかな? ああやって、道を塞いで隊商の足止めしよう、ってことなのね。ま、荷車だったら、確実だよね。歩きでも、あの大木は避けてかなきゃ、だし)
狙いが隊商だとしても、マーヤーが通り過ぎるのを見逃してくれるわけでもないだろう。面倒ごとは避けられないが、その一方で、これで、いるかどうかわからない相手を警戒するのは終わりにできそうだ、という安心も感じていた。
(襲ってくるのを、待つこともないよね)
既に巻き込まれた戦いなら、先制をした方がよい。迷わず、マーヤーは魔法を使った。
倒れて道を塞いでいた大木が、少しずつ揺れ、そして、ゆっくりと宙に浮き上がる。驚きの声を上げ、左右の森から、数人のオークが飛び出してくる。空中に舞い上がった大木を見て、何やらわめいているのが聞こえる。
(出てきた! やっぱりオークだ)
オーク達が見たのは、彼等の常識ではあり得ないことだった。普通の人間よりは力のあるオーク達が、数人がかりでも動かすことのできないほどの大木が、いきなり空中に舞い上がったのだ。思わず隠れ場所から飛び出し、何事が起きたのか調べようとするが、高く浮かんだ木には触れることもできない。
そして、次にオーク達の耳に届いてきたのは、人間達の鬨の声だった。あわてて声のした方を振り向けば、十数人の兵士達が武器を振りかざして向かってくる。輝く鋼板鎧に身を包み、長剣で武装した屈強の戦士達。迎撃の体勢を整えるよりも早く、兵士達はオーク達の中に切り込んできて、オーク達は剣も抜かないうちに、兵士達の剣戟の餌食となる。
(よっし、うまくいった!)
心の中で快哉を叫んだのはマーヤーだった。オーク達が見た兵士達は、マーヤーの見せた幻だったのだ。
幻術には、大きく分けて2つの種類がある。1つは、幻影。誰にでも見える、ホログラムのような映像を作り出すものだ。そして今1つは幻覚。これは、魔法にかかった者だけが存在しないものを見聞きし、魔法にかけられていない者は、その幻を見ることがない。時として、魔法がうまくいかない――魔法に掛からない相手がいることがあるため、どちらを使うかの判断が必要になる。今、マーヤーが使ったのは幻覚だった。
幻影の場合、それが幻であることを見破った者がいれば、そのことを他の者に知らせ、魔法の効果を大きく削ぐことができる。だが、幻覚であれば、魔法が効かなかった者は幻を見ず、したがって、魔法にかけられた者の身に何があったかを知ることができないため、魔法の犠牲者に、彼等の見ているのが幻覚であることを知らせることもできない。逆に、魔法に掛かった者が何を言っても、魔法に掛かっていない者には、その意味を理解するのは困難だ。
幻覚によって、兵士達に殺されたと錯覚したオーク達がバタバタと倒れるのを見て、マーヤーは魔法の影響を免れたオークが1人もいなかったことを確信した。
(さあて、どうしようかな……)
倒れているオークたちは、死んだわけではない。幻覚を見、殺されたと思い込んで気を失っているだけだ。無抵抗のまま、生かすも殺すも、マーヤーの気持ち次第だ。
(このまま逃がせば、また、他の誰かを襲うんだよ? ……うん、殺そう)
殺さずに、縛り上げておいても、街の兵士たちが見回りに来て見つければ、殺されるのに決まっている。先に、仲間のオーク達が彼等を見つければ、助け出されて、また他の誰かが脅かされることになる。
直接手を下すのは気が進まない、と言いながらも、必要な時にはためらわないのは、冒険者として過ごした時に身に付いた習性だ。細身の短剣を取り出すと、マーヤーはゆっくりとオークたちに近づいていった。
(せめて、苦しませないであげるからね……)
そう思う心のどこかに油断があった。オークたちは全部仕留めたのだ、と、勝手に思い込んでいたのだ。
だから、背後でガサガサいう音がしたのに気づいたときは、もう遅かった。
木の影から現れた4人のオーク達。いきなり間合いに踏み込まれたマーヤーが反射的に上げた短剣が、オークの剣で弾き飛ばされ、思わず頭を下げたその上を別のオークの剣が通り過ぎる。間一髪で命拾いしたマーヤーは、とっさに横に跳んで、紙一重のところで次のオークの剣を避けた。そのはずみでマーヤーがバランスを崩して転び、彼女の手を離れてころがった杖を、1人のオークが遠くに蹴飛ばした。
この4人は、足止めした相手を挟み撃ちにするつもりで、離れたところに隠れていたのだ、と悟る。目の前の相手にばかり気を取られすぎていたのはマーヤーの不覚だった。続けざまに襲い来るオークの剣を、地面を転がりながら、かろうじてマーヤーは避けていた。
(だめよ、だめ、だめ!)
逃げ回るのがやっとで、精神の集中ができない。息が切れ、喉がかすれる。この状態では魔法が使えない。目の前で続けざまに剣を繰り出す1人のオークに集中するのがやっとで、他のことは目に入らない。他のオーク達が、いつの間にかマーヤーを取り囲んでいることにも。
気が付くと、オーク達に寄ってたかってマーヤーは取り押さえられ、地面に押し付けられていた。
オークに腹を踏みつけられ、マーヤーの息が止まり、全身から力が抜けて抵抗が止まると、後はオーク達のなすがままだった。
1人のオークがマーヤーの両手を抑え、あと2人のオークが、それぞれマーヤーの足を1本づつ地面に押し付ける。大人の足ほどの太さのオークの腕は、マーヤーの力ではとても振りほどけない。3人がかりで地面にはりつけにされたマーヤーを、残りの1人が見下ろす。
(……やられる)
不思議なほど冷静に、マーヤーは状況を把握していた。
マーヤーを見下ろすオークの口に、ゆがんだ笑いが浮かぶ。両手で持った剣が日の光を反射して輝く。容赦なく命を奪おうとしているのは、先刻、マーヤーが他のオークたちをあっさりとやっつけたのを見ていたからだろう。どんなふうにして仲間を仕留めたか、まではわからなくとも、油断すれば何をしてくるかわからない、危険な敵、とマーヤーを評価しているのだ。
自分を囲むオーク達を、ゆっくりとマーヤーは見渡した。
命の危険は感じても、恐怖は感じていない。
恐怖で感覚が麻痺したわけではない。魔法の修行が、マーヤーに感情を押さえる習慣を与えていたからだ。マーヤーの得意とする幻術──人の心を操り、感覚を支配する魔法は、熟達するほどに、自分の心を制御する能力も習得し、無意識のうちにそれが心を支配する。
自分の置かれた状況を、マーヤーは異常なほど冷静に分析する。自分の力で、この危険から逃れるすべはない。残酷な現実を、素直にマーヤーは受け入れる。
オークが剣を振り上げた時、マーヤーは目を閉じた。




