ヒーローは君だ(1)
季節は、春から夏に向かい始めている。この頃の太陽の位置は高く、日差しが少し強くなってきた。空気が乾燥しているおかげで暑さは感じない。むしろ、さわやかな日だ。風はないけれど、汗ばみもしない。
マーヤーは一人、街道を歩いていた。このままいけば、明日にはローランの村に着く。
(ここしばらく、野宿続きだったもの。村に着いたら、宿屋に泊まってゆっくりしたいな)
前の街を出てから、もう1か月近くになる。いくつか、身の回り品として持ってきている魔法の品は、本当はあまり使いたくなかったが、必要なだけの水を取り出せる水筒だけは使わないわけにはいかなかった。ただ、それも飲み水を何とか賄うくらいのものでしかなく、汚れを落としたり、髪を洗ったりするようなことはとてもできない。
今歩いている街道には、ところどころに駅舎が置かれていて、それを使えば屋根の下で寝ることはできるし、水を手に入れることも、簡単な煮炊きもできる。だが、ここしばらく、マーヤーは駅舎の使用を控えていた。人に――定まった住まいを持たずに旅をする人に出会いたくなかったからだ。
(この前の、あのおじいさんみたいな人に、会いたくないんだよね…)
前に泊まった街で使ってしまった魔法で、人を1人、壊してしまった。その思いが、もしかしたら冒険者だったかも知れない誰かに出会うことを、マーヤーに恐れさせていたのだった。
(まあ、そりゃ、村で宿を取っても、ああいう人に会うかも知れないんだけどね。
だから、村で宿を探すのも駅舎を使うのも同じ、って言えば同じなんだけど……、でも、わかっていても、やっぱり、気持ちの問題、だよ)
だから、次の村で普通の宿に泊まるまでは、駅舎は使わない。そう決めていた。
ローランの村までは、ゆっくり歩く。そこに何か用があるわけでもないし、先を急ぐ必要もない。――もっとも、冒険者としての暮らしで鍛えられたマーヤーの「ゆっくり」は、普通の旅人の「ゆっくり」とは違うペースだったが。
だから、街道の先を歩いている1人の少年の姿が見え、次第に距離が縮まってきたのは、少年とマーヤーの、歩き方の違いによるものだった。
(あら、まあ……)
近づくにつれて、少年の出で立ちがはっきり見えてくる。おそらくは鉄でできた縁なし帽子。太めの鋲が目立つ以外、なんの飾りも付いていないもの。厚手の布に、小さな金属の小札をびっしりと貼り付けた胴着。二の腕とすねを覆う、飾り気のないくすんだグレーの、鉄の防御板。腰のベルトには剣の代わりに金属の板を張った棍棒。まだ新しい、厚手の革のブーツ。
(もしかして、冒険者……なの?
え、だったら、こんな所を1人で歩いてたりなんか、しないでしょ?)
違和感を感じつつ、マーヤーは少年にどんどん近づいていく。身長は180センチほど。がっしりとした、恵まれた体格は、しかし、鍛えられた風ではない。歩き方にも隙があって、場慣れした様子が見られない。
(しろうと君、かな、やっぱり)
少年の格好はともかく、その雰囲気は、とても冒険者というものではない。一応の装備だけを調えてみた、ただの農民の子、としか見えなかったのは、過去にマーヤーが一緒に冒険をしていたのが、いずれも経験豊かで腕達者な仲間ばかりだったからだ。
(わたしが近づいてきてるの、気づいてるかな。
ねえ、もし、わたしが盗賊だったりしたら、君、死んでるよ?)
そう意地悪く思いながら、少年に追いついてしまったマーヤーは、彼の隣に並び、彼の顔を見た。たくましく日焼けした顔は、それでも口を結び、どこか意志の強さを感じさせる。年齢は、マーヤーと同じか、1つか2つ上くらいだろうか。
「だ、誰だ、お前は」
びっくりしたように少年が言う。マーヤーの気配に全く気づいていなかったのがわかる。
「わたし? ……通りすがりの旅の者。君は?」
「見てわからないか、俺は冒険者、未来の英雄の卵さ」
「へえ、大きく出たわね」
「大きく……って、何だ、生意気に」
「ああ、ごめん、別に変な意味じゃないの。気に触ったら、許して」
少年はマーヤーをじろじろと見つめていたが、やがて
「お前はどこへ行くんだ」
(何、じろじろ見てるんだか。落ち着かない感じね、この子)
「この先の村。ローラン」
「そうか、俺もそっちへ行くんだ」
「ふうん、そうなの」
「いいだろう、だったら一緒に行ってやる」
「一緒に?」
「ああ、女の子の一人旅は危ないからな」
「……そうね、ありがと」
(言うだけは言うんだ。そこは、まあ、褒めてあげようかな)
「お前はどこから来たんだ?」
「ん……そうね、遠くから」
「遠く……って、なんだよ、それは。人が真面目に聞いてるんだぞ」
(あ、いけない……)
苛立っているのがはっきりわかる口調。それを聞いてマーヤーが大げさに首をすくめてみせる。
「ヤトラ、って知ってる?」
「いや、聞いたことがない」
「そう。わたしはそこから来たの」
「そうか、遠くなんだな」
「うん、遠く。……君は?」
「俺はニリーナ村から来た」
「知らない村ね、それ、遠いの?」
「ああ、ここへ来るまでに7日掛かった」
7日、と強調して、さも大儀そうに言うのを聞いて、マーヤーが内心で笑いをこらえる。冒険者を名乗るなら、そのくらい大したことはない、と言って欲しい、と思って。
「そっか、遠いんだね。……どうしてそんな遠くから来たの?」
「決まってるじゃないか、冒険だ」
「冒険?」
「ああ。世界のどこかに冒険が転がってる。それが俺を呼んでるんだ」
(あー、つまり、行き当たりばったりなんだね…)
「1人で冒険?」
「そうさ。何でも、まず自分が始めなきゃな」
そう話しながら、街道を歩く内、前方に駅舎が見えてきた。日は、幾分西に傾いてきたところだった。
「お、駅舎がある。今日はあそこで泊まるぞ」
「あそこ? ……まだ、日暮れには間があるよ?」
「そうだな。だが、次の駅舎まで行くのは無理だ。野宿はしたくない。女の子連れだからな」
(んー、ま、いいっか。今日、会ったばかりの男の子と一緒に野宿もしたくない、って、それは、まあ、お互い様かな)
マーヤー1人なら、もっと先へ行って野宿するところだが、少年が自分に気を遣ってくれているのかも知れない、と思うと、それを言うのはやめた方が良さそうだった。
「そうね、あそこで休みましょうか」
「決まりだな」
(駅舎は使いたくなかったけど、仕方ないな……。
それに、連れがいれば、他の人の関わらないで済むかも、だし)
ここの駅舎は、管理人の常駐しないタイプのものだった。利用者は入り口を入ったところにある小箱に銀貨を入れることになっている。裏手には井戸があり、誰でも自由に使えるようになっていた。もっとも、もっぱら飲用で、沐浴などを行う場所はない。食料は自分で用意するのが常識で、安全性の観点――食中毒への備えや毒殺の防止等を考慮し、他の旅人と分け合うようなことはしないのが決まりだった。
マーヤーは駅舎内を手早く掃除すると、使用できる備品を点検した。毛布、獣脂ろうそく、薪。荷物用の長持。一晩過ごすのに不足しているものはない。
日が暮れると、早めの夕食を済ませ、火を焚く。夜間でも訪れる旅人があるため、基本的に入り口は施錠できない。たまに現れる獣への備えとして、火は欠かせなかった。
「そういえば、まだ、お前の名を聞いてなかったな」
「わたし? マーヤーよ」
「俺は、シャル……、いや、アーマザームだ」
「アーマザーム、って、それ、神様の名前でしょ」
くすりと笑いながら訊いたマーヤーに、少年は真剣な口調で言う。
「そうだ。俺は英雄になるんだから、神の名をもらったんだ。戦の神の」
「そうなの、英雄に?」
「ああ。そのために家を出てきたんだ」
「家を出たの」
「そうだ。世界に名をとどろかせる英雄に。俺の名が村に伝われば、親父もお袋もわかってくれる」
「お父さんとお母さん?」
「ああ。俺が英雄になる、って言ったら、そんな夢みたいなことを言うな、って怒鳴られたけどな。結果を出せば文句も言えなくなるだろ」
「で、出てきたの。……家出?」
「う……、い、今はそうだ。だけど、いつか絶対に親父達にも認めさせてやる」
(……ふうん、親を説得できなかったんだ。それじゃ、実力の方も、どうだか、な…。
でも、一生懸命なのはわかるよ。嫌いじゃないかな、それ)
「そんなこと、どうだっていいじゃないか。お前だって1人で出てきたんだろ」
「ん、まあ、そうだけど」
「お前の親は何も言わなかったのか? やっぱり家出なんだろ、お前も」
「違うよ?」
「じゃ、じゃあ、お前の親は、きちんと見送ってくれたのか?」
「ううん、わたしは、親、いないから」
「か…え、そうだったのか」
「捨て子だったから、わたし」
「そうか、悪いこと聞いたかなか…」
「いいよ、気にしてないから」
そうか、といってアーマザームはマーヤーの方へ寄ってくる。
「それじゃ、この先、俺と一緒に行かないか。女の子の一人旅は危ないぜ」
「大丈夫、もう慣れたから」
「なあに、遠慮なんかすることないんだぜ」
そういって、マーヤーの腰に手を回す。
「……なに、この手?」
「いいじゃないか。それに言うだろ、英雄色を好む、って」
「英雄……?」
「そうさ。俺は英雄だ。だから美女には手を出す権利があるんだ」
ぱしん、と音がした。アーマザームの頬にマーヤーの手形が赤く浮かぶ。
「そういう、勝手なことを言ってると……痛い目見るわよ?」
信じられない、という顔でアーマザームはマーヤーを見つめている。どうしてぶたれたのか理解できない、そんな顔だ。
(困ったちゃんかな、やっぱり、この子)
「おい、……そんなに照れることないだろ、今さら」
(あー、やっぱり困った子だ……)
アーマザームにわからないよう、そっと、意識を集中し、頭の中で魔法のイメージを組み立てる。一つ息をするほどの、ほんのわずかな時間で魔法の術式が完成し、マーヤーはそれをアーマザームに振り向けた。
一瞬、アーマザームの顔から表情が抜け落ちる。次の瞬間、アーマザームは床に倒れて静かな寝息を立てていた。
(元気なのはいいんだけれどね。でも、ごめん、わたしの好みじゃないんだ、君)
魔法にかかって、正体もなく眠るアーマザームに毛布を掛けてやると、マーヤーは自分も毛布にくるまる。
(本当は、交替で、見張りに立ってほしかったんだけどね)
仕方なく、魔法をかけることにする。自分の姿を、実際にいる場所とは違った場所にいるように見せる魔法。もし誰かが入ってくれば、部屋の真ん中で、アーマザームと並んでマーヤーが眠っているように見えるはずだ。そうしておいて、マーヤーは部屋の隅に移動する。
(これでいいかな。もし誰か入ってきたら、よろしくね、英雄君)
翌朝、マーヤーが目覚めた時、アーマザームはまだ眠っていた。鼾をかかないでくれたのはありがたい、と思って、マーヤーは彼の顔を見下ろす。
(ずいぶんな寝坊助君だね、……って、違った。わたしが魔法をかけたんだっけ)
思い出したマーヤーが、夕べかけた眠りの魔法を解く。すると、たちまちアーマザームは、口の中で何か言いながら起き上がってきた。
「お・は・よ! もう、朝だよ」
えっ、と鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするアーマザームに、マーヤーは涼しい顔で言う。
「昨夜は、ずいぶん疲れてた? いつの間にか眠ってたよ」
「え……? そうだったのか?」
「うん。……覚えてない?」
「そ、そうだったのか…」
ばつの悪そうな顔をするアーマザームに、マーヤーは追い打ちをかける。
「本当は、交替で見張りなんだけど。こういう駅舎は、夜中でも人が入れるから」
「す、すまない、お前に負担をかけちまったみたいだ」
「いいよ? 何もなかったから。貸しにしとくね」
「あ、ああ……」
気まずそうに黙るアーマザームを放っておいて、朝食の支度をする。マーヤーが固いビスケットを食べ始めたころ、アーマザームも自分の荷物から取り出したパンをかじり始めた。
「今日中には、ローランの村に着けるかな……」
「大丈夫だろう。もう目と鼻の先のはずだ」
ぽつりと言ったマーヤーにアーマザームが答える。
「昨日、ここに入る前に村の神殿の幟が見えていた。天空神ユラニアンスの神殿のだ。あれが見えたってことは、神殿がすぐ近く、村はもうすぐそこだ、ってことだ」
ユラニアンスを祀る神殿の掲げる幟は、ユラニアンスの支配域である大空高く上がり、遠くからでも見ることができる。それを彼は目ざとく見つけていたのだ。
「そっか、そんなのがあったんだ。さすがだね」
「当然さ。注意深くなきゃ、冒険者なんてできないからな」
(言うわねえ。いいけど、ユラニアンス神殿の幟、って、結構遠くからでも見えるんだよね。
下手したら、3日くらいかかるようなとこからでも見えるんだけど…。
でも、まあ、わたしは気が付かなかったんだし。気が付いただけでも、大したものね)
身支度を整えて外へ出る。アーマザームが示した方を見れば、確かに、空高く、ユラニアンスの幟が見えた。そして、アーマザームの言うとおり、神殿は、それほど遠くにあるのではない、とわかる。
「どうだ、言った通りだろう」
「ん、そうね。昼前には村に着く、かな?」
マーヤーが言うと、アーマザームは苦笑いした。
「よせやい、いくらなんでもそれは無理だ。夕方までになら大丈夫だろうな」
あ、とマーヤーは昨日のことを思い出す。マーヤーに比べて、アーマザームの歩くペースは遅いのだ。確かに、彼の歩調に合わせていれば、村へ着くのが夕方になるのは不思議ではない。
(仕方ない、……か。ま、旅は道連れ、って言うものね。付き合いましょ)
冒険をしていけば、そのうち、体力も身のこなしも見違えるほどになっていく。今は、無理をしないで、彼のペースに合わせておこう、とマーヤーは思ったのだった。
予想通り――そして、アーマザームの言った通り、村へ着いたのは、そろそろ日が沈みかけようという頃だった。村の入り口から少し入ったところで宿屋を見つけると、2人はそこへ入っていった。別々に部屋を取り、荷物を片付けると、マーヤーとアーマザームは1階にある酒場へ食事に降りてきていた。
マーヤーは、少しの黒パンとチーズ、それに豆のスープ、アーマザームは大きなハムの塊を注文していた。
「ずいぶんと食べるのね…」
「当り前さ、何といっても体が資本なんだからな」
「体が、ねぇ……」
確かに間違ってはいないけど。そう思いながら、マーヤーはアーマザームの顔を見つめる。
「で、お前はこれからどうするんだ? この村に何か用事でもあったのか」
「ん、まあね……」
「誰か知り合いでもいるのか、ここに?」
「違うよ?」
「じゃあ、何だ?」
「ひみつ。女の子のこと、そんなに聞いたりするもんじゃないよ?」
ちぇ、と舌打ちするのが聞こえる。
「まあいいさ。俺が行くのはお前とは関係のないところだからな」
「ふうん、どこか、行く当てがあったんだ」
「ま、噂に聞いてただけだけれどな」
「どんな噂?」
「教えてやらねえよ」
「そう。……なら、いいよ」
マーヤーがそう言うと、アーマザームは口元にかすかな笑みを浮かべ、カウンターにいる店主のところへ立って行った。そして、何やら話を始めた。遠目に窺っていると、店主は最初、いぶかしげにアーマザームの言うことを聞いていたようだったが、そのうち、熱心に話を始めていた。そして、最後は、あきれたように、アーマザームを止めようと説得しているらしかった。
「話は聴けたの?」
戻ってきたアーマザームにマーヤーは訊いた。満足そうな顔でアーマザームがうなずく。
「ああ、十分にな。じゃ、お前とはここでお別れだ。縁があったらまた会おう」
そう言い残すと、アーマザームはマーヤーの前から立ち去って行ったのだった。
(何、考えてるのかな、あの子。危なっかしいことじゃなければいいんだけど、……って、わたしには関係ないんだから)
アーマザームに言った通り、この村に知り合いなどがいるわけでもなかった。特別な用があったわけでもなく、ただ、普通の村の平凡な暮らしぶり、というものを見たかっただけだった。何かの脅威にさらされもせず、時の経つままに、日々を送り、ゆっくりと年を取っていく暮らし。冒険者が決して手に入れることのない、そんなマーヤーの憧れの対象。それがこの村にはあるだろう。そう思ってマーヤーはこの村へ来たのだった。
(今夜はゆっくりと寝て、明日は村を見て回ろう)
そう思って、席を立とうとしたマーヤーのところへ、店主が近づいてきたのだった。




