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ユートピア

 そこは、街道筋の小さな街。ここを通って旅する人が多く、街にはいくつかの宿屋が看板を掲げている。日が傾きかけたころ、マーヤーは一夜の宿を求めて、一番こぎれいな店にやってきていた。こぎれいと言っても、壁が崩れたり、屋根に穴が開いていたりしそうにない、といった程度。宿代は2カシーテ。2階の個室だが、鍵はかからない。内側から閂を下ろすだけの簡単な作りだ。


(ん、十分、十分。野宿しなくて済めば御の字、だね)


 窓を開いて外の空気を入れる。日が落ちてあたりが暗くなる前に、板戸を下ろすと、マーヤーは階下へ降りて行った。宿の1階は酒場になっていて、宿の泊り客の外にも、大勢の客がテーブルに着き、あたりはうねるようなざわめきに包まれていた。

 マーヤーは、一番隅の小さなテーブルに腰を据えた。静かではないが喧噪と言うほどでもない、こういった雰囲気は嫌いではない。冒険者時代から、慣れ親しんだものだ。とはいえ、今は冒険者仲間とではない、少女の1人旅、他の人間に気安く寄ってこられるのはあまり歓迎したくない。だから選んだ席は、店の中で一番目だたない場所だ。

 黒パンとチーズ、野菜のスープと焼いてソースを掛けただけの簡単な肉料理。腹がくちくなるほどの量ではない。酒を飲まないマーヤーは、マグに山羊の乳を注いでもらっていた。


(携帯用の保存食でない、きちんと料理された食事。普通の暮らしの普通の食事、だね)


 本当は、普通の暮らしで――村人の大半が食べているのよりは、少しばかり贅沢目の食事だが、そんなことは意に介していない。師と暮らしたヤトラの森の山小屋では、これよりも高級な肉や、魔法で育てられた野菜、薬効のあるハーブなどが、ふんだんに使われていたからだ。そういった食材を使って毎日料理をしていたマーヤーにとって、宿で供される食事は、質素なものにしか見えない。

 そうして、彼女がマーヤーの言う「普通の暮らし」に浸っていたとき、1人の老人が、マーヤーの前に腰を下ろしたのだった。


(あら、相席……?)


 寄って来られちゃった。そう思うが、席を立つのも不自然だ。こうして、見も知らぬ人と相席になるのも、村での普通の暮らしだ。そう思えば、特に苦にもならない。

 老人は、マーヤーに軽く会釈すると、持ってきた灰色の金属製のマグに酒袋から葡萄酒を()いで飲み始めた。最初の1杯はちびちびと。2杯目は、なみなみと(そそ)いだ酒を一気にあおる。そして、3杯目に口を付けたとき、かれは、マーヤーの方へ目を向けた。

「娘さん、あんた、1人かね」

「うん、1人」

 マーヤーが頷くと、老人は、そうか、といって葡萄酒を一口飲んだ。

「わしも1人じゃ。…今は、な」


 すこし離れたところから、おい、またあの爺さんだぜ、とか、また昔話かよ、といった声が聞こえてくる。ああ、あの子、(つか)まっちまったよ、と哀れむような声も。


(……あ、これ、そういう人なの?)


 嫌な予感がするが、壁際の席では、簡単に立って離れることができない。そんなマーヤーの心を知ってか知らずにか、老人は、ぽつりぽつりと話し始めた。


「若い頃は、仲間達と、冒険の旅に出たもんだった。剣士と、魔法使いと、エルフのアーチャー。ゴブリンのシーフもいた」


(嘘でしょ、ゴブリン、って)


 心の中で突っ込むマーヤーにはかまわず、老人は話を続ける。

「神に仕える僧侶もいた。きれいな女の。それから、馬鹿力の大男も。あいつは、本当はオーガーだったんだ、はぐれ者の。人間の国を見たくてやってきて、それでわしたちの仲間に入りたがってな。だから言ってやったんだ。お前が信用できる奴だ、ってことを証明できたら入れてやろう、ってな」

 そう言いながら、老人はマーヤーの顔を見据える。

「そうしたら、そいつは何と言ったと思う?」

「さあ?」

「もし、俺が信用できないような奴だと思うんなら、この場で、ばっさりやってもらって構わない。そう言ったんだ」

 どうだい、といった顔で老人はマーヤーの顔を見る。

「そんなふうに言われちゃ、何も言えねえよな。だから、まず、試しに一緒に潜ることにしたんだ」

「潜る? ……って、ダンジョンへ?」

「ああ、そうさ。口じゃ何とでもいえるからな。お前の働きで示してみろ、って言ったんだ」

「信じたのね、つまり」

「わかるじゃないか。そういうことさ。そいつは、真っ先に立って、出くわす怪物、全部に向かっていったよ。すごい奴だった。こんな、太い棍棒だけ持ってな」


(オーガーねえ……。まあ、いるかも)


 亜人(デミ・ヒューマン)が、人間の領域に入ってくるのは珍しいことだが、ないわけではない。ただし、亜人を受け入れる人間は滅多にいないので、亜人たちも、そうそう人間に接触してきたりはしない。冒険者の中には、そうした亜人とともにパーティーを組むものもいるが、亜人が仲間にいることを吹聴したりはしない。

 それでも、受け入れられるのは、エルフ、ドワーフと言った人間に近く、また、かつて人間のそれと拮抗するだけの勢力を持った国を構えていた種族が多い。そう言った種族なら、ある程度人間と似た価値観を持っていると思われているため、比較的忌避感が少ないからだ。逆に、人間と極端に外見の異なる亜人が受け入れられることは、まずないし、ゴブリンやオークのような種族に対しては、かつては独自の国家を築いていたとはいえ、価値観や行動規範が違いすぎるとして、嫌悪する者の方がはるかに多い。

 無論、種族のどの個体もが同じ思考や行動様式に縛られるとは限らないので、そういった、一般に受け入れられない種族の亜人でも、仲間として受け入れる冒険者達がいないかと言えば、そうとも言い切れない。だが、そうはいっても、昔──神聖帝国の時代とは、事情が違うのだ。


「ダンジョンの中で、いろんな怪物と戦ったもんだ。わしの采配で。何年も」

 ぽつぽつと老人は言葉を紡ぐ。

「死んでいった奴もいる。マンティコアの毒針を受けて、もだえ苦しみながら、早く楽にしてくれ、と言いながらこと切れたやつ。バジリスクに睨まれて石にされた奴。グリフォンと取っ組み合って、高い空から振り落とされて死んだ奴」

 ふう、っとため息が漏れる。そして、マグに、また葡萄酒が(そそ)がれる。

「そうやって仲間が減ると、また新しい奴を誘い入れてな。また、次の冒険に出向いたもんだ。……ああ、若い奴も何人か来たな。ちょうど、あんたみたいな(むすめ)も。あれは、どこかの神殿の見習いだったな。……あんたも、神に仕える身かね?」

 マーヤーは黙って首を振る。

「そうか。あの子は、たしかハルメキューラの尼僧だった。知ってるかね」


(ハルメキューラ、って確か…工芸の神、だったっけ? ……あんまり冒険向きじゃない気がするけど)


「あの子は、宝の目利きでな。見つけた財宝の価値をしっかりと見ていたよ。おかげで、効率よく稼ぐことができたもんさ。隠してあったお宝なんかも、ちゃんと探し当てたもんだ」

 ぐい、と葡萄酒を呷り、さらにマグに酒を()ぐ。

「ふうん。……だったら、おじいさん、お金持ち?」

 マーヤーは軽い気持ちで訊いてみた。引退して、今は悠々自適の身ということなのだろうか、と。老人は、少し口角を上げて答えた。

「そうだな、今でも食うには困ってない」

 そう言われてみれば、老人の身なりは決して悪くない、身に付けた衣服も、こざっぱりして、品の良いものだ。ベルトにつるした短剣も、手入れのされた高級品に見える。引退した冒険者というのは嘘ではないようだ。

 だが、こんな安酒場に1人でやって来て、話の相手を探しているのを見れば、決して満ち足りた暮らしでもない気がする。

「でも、1人なの?」

「そうさ。家族なんて持つ暇がなかった」

「家族、欲しかった?」

 彼の表情に少し影が差すのを見て、マーヤーは訊いてみた。

「いいや、そんなものは面倒くさくてな。それに、仲間がいた」

「いた? ……仲間、もういないの?」

 ああ、と寂しそうにうなずく。

「最後に入ったダンジョンで、足をなくした。わしの足は、だから作り物さ。普通に暮らしてゆけるが、これで冒険は無理だ」

 そう言われて、マーヤーは老人の足下に目を向ける。義足、というとおり、彼の右足は木で作られた細工物だった。形こそ違和感のないように作られているが、足場の悪いダンジョンを歩き回ったり、まして、戦闘の場に立つのは困難だ。

「仲間たちは、また、冒険を求めて旅立っていった。それ以来、会っていない」

「ずいぶん、昔?」

「そうだな、あれから、もう、何年になるか……」

 老人は目を伏せ、押し黙った。そして、マグに残った葡萄酒を飲み干すと、そのまま席を立ち、酒場から出て行った。


(ふうん……)


 他の客は、そんな老人の後姿を見るともなく見送っていた。そして、また、何事もなかったようにざわめきが広がる。

 マーヤーは、食べかけの料理を残し、そっと席を立った。テーブルに、代金と、多少のチップを置いていく。


 外へ出ると、既に外は真っ暗で、星明りのもとで、さっきの老人が道端に座り込んで、何やらぶつぶつ言っているのが見えた。そこは昼間は屋台が並んでいた大通りだが、今は、屋台は片づけられ、がらんとした空間が広がっている。そして、静かな夜の空気の中を老人の声が伝わってくる。

「あのゴーゴンは強敵だった。あいつに、オーガーの奴はやられちまったんだ。ゴーゴンの肩はあいつの背丈よりも高かった……」


(ゴーゴン、ってカトプレバスのことだっけ……)


 カトプレバスというのは、巨大な、どこか牛に似た怪物だ。頭が重くそれを持ち上げるのが億劫で、普段は下を向いているが、ひとたび頭を上げれば、口からは熱い蒸気を吐き、目を合わせた相手を石に変えるというモンスター。それをゴーゴンの名で呼ぶ土地があることを、マーヤーは聞いたことがあった。

「あの時だ。あのとき、わしが後れを取らなければ……!」

 そう言いながら、老人は立ち上がって、腰の短剣を抜く。

「ゴーゴン、……出てこい、ゴーゴン!」

 そんな声を聞いて、魔法を使ってしまったのは、ほとんど無意識のうちだった。悪意があったわけではないし、いたずらっ気を起こしたわけでもない。老人の声に思わず反応してしまった、というのが本当だった。あるいは、マーヤー自身も知らない間に、老人の思いを遂げさせたい、という気持ちがあったのかもしれない。

 一瞬の後、マーヤーの伝え聞いた通りのカトブレパスが、四つ足の、ざんばら髪に頭を覆われ、地面に視線を向けた怪物が、老人の前に現れていた。

「ゴーゴン!」

 老人が叫ぶ、その声には、喜びの色があふれ出している。

 抜いた短剣をまっすぐ前方に向けると、不自由な脚でカトブレパス目掛けて進んでいく。

 マーヤーの魔法は、まだ終わっていなかった。

 老人には、自分自身が、若い頃、冒険者としての一番の絶頂期の姿に映っていた。足は義足などではなく、自由に大地を踏み、駆け、目の前の怪物に向かって進んでいく。

 手にしているのは短剣ではなく、使い慣れたロングソード。ミスリル交じりの鋼で打たれた、どんな相手にも傷を負わせることのできる名剣。身にまとうのは、これもミスリル交じりの合金で作られたチェインメイル。左手のバックラーは、どんな相手の攻撃でも、そらすことのできる盾。

 どこまでがマーヤーの魔法で、どこからが老人の記憶の中の光景だろうか。

 彼の周りには、オーガーの戦士、ハルメキューラの尼僧、エルフの射手、槍を手にした同郷の戦士、青いローブに身を包んだ魔法使いがいる。そんな彼らが動こうとするのを制し、彼は、1人でゴーゴンに挑みかかっていた。

 雄たけびを上げて、ゴーゴンに向かい一気に駆け抜ける。そんな彼に気づいたゴーゴンが、重い頭を、大儀そうに持ち上げて、彼の顔に目を向ける。一瞬の差で目をそらすと、彼は一気にジャンプし、ゴーゴンの背に飛び乗った。

 ゴーゴンが、牛にも似た、しかし、その何倍もの大音響で吠える。次の瞬間、その頸筋に、彼はロングソードを深々と突き刺していた。血煙が上がり、首から勢いよく血が噴き出して、彼の全身を濡らす。ゴーゴンが天をにらみ、口から蒸気を吐く。それが断末魔だった。

「やったぞ、やった!」

 叫ぶと、ゴーゴンの頸筋から剣を抜き、次に脳天にそれを振り下ろす。頭蓋骨が砕け、血と脳漿があたりにあふれ出す。ずん、という鈍い音を立てて、ゴーゴンの身体がその場に崩れる。仲間たちが彼の勝利を祝って駈けつけてくるのが見えた。


(やらかした……!)


 気が付くと、マーヤーの目の前で、短剣を手にした老人が、ぶつぶつ言いながら立ち尽くしている。

「やった……勝った……やったぞ」

 そう言うその手は震え、数歩、おぼつかない足取りで、その場を輪を描くように歩き回る。満足げに、嬉しそうにへらへらとと笑う表情には張りがなく、その目は、焦点を失っていた。

 やがて、老人は、短剣を高く差し上げ、嬉しそうな笑い声を上げながら、どこへともなく立ち去って行ったのだった。

 それを見送ったマーヤーは、自分の魔法が、老人を幻覚の中に閉じ込め、現実世界から追い放ってしまったことを知った。精神が崩壊し、正気を失った老人は、もはや、現実の世界に戻ることはない。彼は、マーヤーの作り出した幻という、現実ではない世界(ユートピア)に囚われてしまったのだ。

 永遠に、若く、勇敢な冒険者であるという幻覚の中、そして、自分の求めた最も幸福な時という牢獄(ユートピア)の中に。


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