科学の天才グノーメ(7)
マーヤー達は、やがて草原に出た。その先は、シーフリートの指示に従い、魔法で飛んで行くことにする。飛ぶと言っても、上空を行くわけではない。むしろ、浮いたまま地面を行く、といった感じだ。遠目に見たなら、立ったまま、地面の上を滑っているようにしか見えないだろう。とは言っても、無論、不可視の術で姿を隠すのは忘れていない。機械仕掛けに幻術は通用しないとわかっていても、グノーメ達に正確な位置を知られなければ、それでもいくらか有利になると思ったからだ。魔法を使わないグノーメ達は、マーヤー達のように見えないものを直接見る術はないだろう、との判断からだった
程なくして3人はベラッカの木にたどり付いた。見上げれば、深い緑色の肉厚の葉に交じり、幾つもの赤い実が見える。実は大小さまざまで、大きなものは大人の握りこぶしほどの大きさがあった。
「この木の根元ね」
「そうだ、注意しろ。どんな仕掛けがあるかわからんからな」
そうシーフリートが行ったときだった。ざわざわと葉擦れの音がする。風もないのに枝が大きくしなって揺れると、いくつもの実がマーヤー達の頭上から落ちてきた。
「きゃぁっ!」
こぶし大の実がまともに頭に当たったマーヤーが叫ぶ。実が砕けて、ベラッカの汁が髪の毛をびしょ濡れにする。他の2人は、落ちてくる実を上手に躱し、マーヤーのように汁まみれになったりはしていない。
「ひどいよ!」
自分の不覚というのはわかっているが、どうしてわたしだけ、といった顔でマーヤーは2人を見た。笑いをこらえるのに苦労しながらシーフリートが言う。
「まずは、その程度で済んで幸いだった、と言わねばなるまい。もっと危ないものが降ってきたかも知れないのだからな」
「すごい顔だよ、マーヤー。それに、すごいにおい!」
フィシスの言うとおり、実のかけらが汁で張り付いて、マーヤーの髪も顔もぐしゃぐしゃになっていた。そして、熟れたベラッカの酸っぱいにおいが辺りに広がって、むせ返るようだった。そのため、不可視の魔法で姿を隠していても意味がない。魔法を解いたマーヤーの姿が現れる。
「あれあれ、ベラッカの枝が揺れたぞ」
「さてさて、ベラッカの枝が揺れたな」
「ほうほう、誰かが里に近づいてきたようじゃわい」
「ベラッカの実が落ちたぞ」
「ずいぶんたくさん実が落ちたな」
「さよう、さよう、しこたま汁が飛んだわい」
「定めし、上はすごいにおいじゃ」
「いかにも、すごいにおいじゃろう」
「ならば、来るじゃろう」
「ふむふむ、そろそろ来るじゃろう」
「近づいてきたやつら、びっくりすることじゃろう」
「うむうむ、肝を冷やすじゃろうて」
「いやいや、それで済むならよいがな」
「なになに、そんなことでは済まされまいて」
「さてさて、これから見物じゃのう」
「さよう、さよう、いかにも楽しみじゃ」
「…もしかして、これが罠なの?」
泣きたいような気になりながら言ったマーヤーに、シーフリートが、はっとする。
「気をつけろ、危険な奴らがやってくる」
その口調に、マーヤーとフィシスも息を呑む。どこからか、小さな羽音が聞こえてくる。
「蜂だ!」
最初に気付いていったのはフィシスだった。
「そうだ、ベラッカのにおいに惹かれてやってくる…キラー・ワスプ、ラマンサーだ」
羽音のする方を振り返れば、そこには十数匹の蜂の姿があった。毒々しい赤い線の入った金色の体、ルビーのような色をした眼。日の光を受けて美しく輝く羽は、広げれば人の顔を覆い尽くすほどの大きさがある。
ベラッカの木に潜み、実を食べに来た人間や動物を襲う肉食蜂だ。ラマンサーに刺されれば体に卵を産み付けられ、意識を失ったまま、体の中で孵った幼虫の餌になる。
蜂たちは、シーフリートとフィシスには目もくれず、ベラッカの汁にまみれたマーヤーに群がってきた。走って逃げようにも、マーヤーの足では蜂の速度にかなわない。かといって空へ上がれば、グノーメ達に見つかる恐れがある。
「伏せて、マーヤー!」
フィシスの声に、マーヤーが地面に突っ伏すと、突風が吹いて襲いかかろうとしていた蜂の群を吹き飛ばした。空高く舞い上げられたラマンサーたちは、いったんは上空で様子見をしているふうだったが、しばらくすると、また猛然とマーヤーをめがけて飛んでくる。シーフリートの作り出す魔法の矢が、次々とラマンサーの体を貫くが、その程度では巨大な蜂は殺せない。一瞬ひるんだ様子を見せはするものの、次の瞬間には、また獲物をめがけて突っ込んでくる。
「厄介な奴らめ…!」
マーヤーに近付いてくる蜂はその都度突風に阻まれて、マーヤーの体に触れることはできないが、しかし、何度飛ばされても諦めようとはしない。シーフリートの得意とする巨大な火球は、ラマンサーを簡単に吹き飛ばすことができるが、同時にマーヤーを巻き込む恐れがあるため、使うことができない。
(こんなことで…!)
歯を食いしばり、ようやく身を起こすと、べとつく髪をかき上げて、自分を狙ってくるラマンサーの群をマーヤーは見上げた。
(でかいけど、でも、結局は蜂――虫なんだよね!)
思い直して、蜂たちをめがけて魔法をかける。眠りを招く魔法。小さな相手にほど、強い効果をもたらす魔法。それまですごい勢いで飛んでいた蜂たちが、急に速度を落としたかと思うと、酔っ払ったようにでたらめな軌跡を描き始め、次第にその動きが鈍くなる。そして、1匹、また1匹と地面に降りて――あるいは落ちて、そのまま動かなくなる。最後の1匹が地面に落ちたところで、ようやくマーヤーは立ち上がった。
「殺した…のではないな」
「ええ、眠らせただけ」
ようやく息をついたマーヤーにフィシスが近寄ってくる。
「そのベタベタをなんとかしないとね」
そう言いながら、マーヤーの髪、顔、肩をなでるように手を動かす。直接触れるわけではないが、フィシスの手がかざされたところから、ベラッカの汁が蒸発し、洗い流したようにきれいになっていく。
「ありがと。…これは、フィシスの魔法なの?」
「清めの法術だよ」
そうか、とマーヤーは納得した。フィシスが法術を使えるというのは本当だったのだ。疑ったわけではないが、改めてそれを目の当たりにすれば、フィシスが僧としての能力を身につけているのだ、と思い知って、幼い姿がいかにも不釣り合いに見えてくる。
「においを嗅ぎつけて、別の蜂が来ると困るもんね」
「そうね、助かったわ」
そう言っているところへシーフリートが姿を現わす。
「こっちは片付いたぞ」
その声に振り返れば、地面に落ちたラマンサーは、いずれも止めを刺されて転がっている。そればかりか、地面に落ちたベラッカの実も、焼け焦げて真っ黒になっている。
「実も燃やしちゃったんだ」
フィシスの言葉にシーフリートは、当然だ、と答える。
「実のにおいに惹かれて新手に来られてはたまらん」
「やはり、罠だったのね」
「そうだ。もっと早く気付くべきだった」
舌打ちをしながら言うシーフリートに、マーヤーが肩をすくめる。
「前に来たときは、実は落ちてこなかったの?」
「あの時は、ここまで近付かなかったからな。様子を見ただけなのだ」
あ、そう、とマーヤーが言う。
「それで、入り口の場所はわかっているのよね」
シーフリートは無言でうなずいた。
「だったら、行こう?」
そう言って、じっとしたままのシーフリートを促すが、彼は動き出そうとしない。
「何なの?」
「入り口をどうやって開けたものか、思案していてな」
え! とマーヤーが目を剥く。
「どういうことなの! ここまで来て、そんなことを言う?」
「蜂共を片付けながら、入り口のところまで行ってみた。場所はすぐにわかる。扉の位置もだ。しかし、開き方がわからん」
「鍵がかかっている、ってこと?」
「そのとおりだ」
そんなあ、と、マーヤーがうんざりした顔で言う。
「鍵を開く魔法、知らないの?」
「試してみた、とっくにな」
しかし、シーフリートの魔法では扉を開くことができなかったのだ、という。
「それじゃ、どうするの」
そうマーヤーが言ったときだった。
「へっへっへぇ、皆さん、お困りのようですナ」
3人が来たのと反対の木陰から、1人の男が姿を現わしたのだった。まばらに髪の生えた禿頭。とろんとした腫れぼったい目。受け口ではないが、よく目立つ分厚い下唇。口元には下卑た薄ら笑い。ほこりにまみれたようなくすんだ緑のマントに身を包み、少し腰をかがめてこちらを窺っている。
「何だ、お前は」
そんな男を、きっと睨み付けていったのはシーフリートだった。
「いやぁ、そんな怖い顔はなしにしましょうぜ。そんな怪しい者じゃごぜぇません、って。ほら、そこのあんたとは、もうお馴染みじゃないンかい」
「ウィーゼルオックス!」
思わずマーヤーが叫ぶ。その嫌そうな声を聞いてシーフリートが怪訝そうに振り返る。
「知っているのか?」
うん、とマーヤーがうなずく。
「小汚いこそ泥よ」
吐き捨てるように言った声を聞いて、ウィーゼルオックスが、へへへ、と下卑た笑いを浮かべる。
「そんなに邪険にしなさんな、って。ちっとばかし、お前さんと考えが違うだけのことじゃねえか、ってナ。おっと、そっちの可愛子ちゃんとも初めてだなァ。いやぁ、ちっちゃい子は純真でいいなァ」
そう言ってフィシスの頭をなでようと手を伸ばすのを、マーヤーがぴしゃりと払いのけた。フィシスも、身を引いてマーヤーの後ろに隠れている。
「子供相手に、汚い手を出すんじゃないよ! 怖がってるじゃない」
へへ、と口元の笑いを隠さないウィーゼルオックスを睨み付けてマーヤーが言う。もちろんフィシスが彼を怖がったりしていない――嫌がっているだけなのは承知の上だ。
そんなマーヤーとウィーゼルオックスを代わる代わるに見て、シーフリートがうさんくさそうな表情を見せる。
「ウィーゼルオックス…、察するにシーフのギルドネームだな」
「ご名答。由来はすばしこいイタチと、雄牛でしてナ」
「小狡いイタチと去勢牛よね」
彼を睨み付けながらマーヤーが言う。
「何をしに来たのだ?」
今にも爆発しそうなマーヤーの表情を横目で見ながらシーフリートが言った。
「ぃやー、その、なんだ、扉を開ける手が必要らしいと思って、だナ」
「なぜそんなことを知っている」
「ああ、そりゃ、わしはこれでも結構耳がさといもんで」
「泥棒の特技よね」
そう吐き捨てるように言ったマーヤーの声にウィーゼルオックスが反応する。
「そんなふうに言うもんじゃありませんよっと、お嬢さん。人間みんな平等、職業に貴賎はないんだから。困ったときはお互い様、助け合うのが人道、ってもんでしょうとサ」
上目遣いに、揉み手をしながら言うその目は、内心が決して口先通りでないことを窺わせる。




