星降る夜、旅の始まり(ミヨの回想・前編)
すこし前の話をしようと思う。
僕が記憶している「旅の始まりの夜」のことだ。
◇
気がつくと僕は荒野の真ん中にいた。
あたりは暗く、見上げると満天の星空が広がっている。
何の前触れもなく、ただ呆然と夜空を眺めていた。
「……あれ……なんで?」
それまで何をしていたか、どうしてここにいるのかも全然覚えていなかった。
自分の名前は……わかる。
己良。女の子みたいだと言われるけれど、黄泉の反対みたいで格好いい気もするし。それなりに気に入っている名前。
まるで夢の続きを見ているような気持ちだった。
ここが何処で今がいつなのか、まるでわからなかった。
混乱したかというと、そうでもない。
見渡す限りの果てしない闇夜の荒野。その遥か彼方に見える黒々とした山脈から、煙のように天に向かって伸びている光が見えた。
「わ……ぁ……すごい」
それは「天の川」だった。まるで土星の輪を内側から見たように、はっきりとした星々の光の帯に目を奪われる。
きっとここは何処か知らない遠い場所なんだ。そう直感した。
夢でないという不思議な実感があった。
なぜか今までのことが思い出せない。かろうじて思い出せたのは日本という国で暮らしていたこと。そこでは毎日がそれなりに楽しくて、平穏だったこと。親や友達に囲まれて暮らしていたこと。
けれど今、僕は誰もいない。
荒野に一人でぽつんと立っている。
――どうして……?
風が冷たくて、思わず身体が震えた。
寒さにふと我に返る。
気がつくとズシリと背中が重い。リュックを背負っていた。
何で? と疑問を持ったけれど、これもなんとなく思い出した。確か慌てて避難するために、適当に家の中で荷物を詰め込んだはずだ。
何から避難していたのか、何処に逃げるつもりだったのか……。それはすぐには思い出せなかった。
けれどこれは「初期装備だ」と思うことにした。
「事によるとこれは……?」
いわゆる異世界転移的なアレだったりして?
そう思った僕は中学2年生。立派に中二病を患っていたのかもしれない。
「ステータス、オープン!」
試しに叫んでみたけれど、何も起こらなかった。
目の前に半透明のコンソールもウィンドゥも浮かんでこない。
「……だよね」
リアルな虚しさがこみ上げてきた。
それから取り敢えず、荒野を歩きはじめた。
暗かったけれど、星明りでうっすらと夜目が利く。なんとか歩くことは出来た。
見上げた夜空には、見覚えの無い星々の配列が並んでいる。
やがて目が慣れてくると、ものすごい数の流星群が夜空を流れていることに気がついた。それは、息を飲むほどに壮大な光景だった。
「わ……すごい……!」
まるで雨のように、空全体を無数の流星雨
が降っている。
けれど、色とりどりの流星群を眺めていると、何故だか止めどもなく涙が溢れてきた。
意味もわからず、涙がポロポロとこぼれ落ちる。
足元の乾いた地面に吸い込まれて消えてゆく。
無くなってしまった。
みんな、何もかも。
お母さんもお父さんも、友達もみんな。
暮らしていた街が、世界が、地球が。
ようやく思い出した。
信じられないほどにあっけなく、世界は終焉を迎えたことを。
文字通り消滅してしまった。あの日、雑音混じりのテレビでは学者が、月が崩壊した原因を『ストレンジ物質の衝突』とかなんとか……。次は地球が……と、しきりに叫んでいた気がする。
もう、それからの事は思い出せなかった。
ただただ悲しくて、喪失感だけが残っていた。
「う、うわぁ、あああ……ん」
声を上げて泣いた。
心の中にぽっかりと穴が開き、大切なものを無くしてしまった気持ちだった。
どれくらいの時間だっただろうか。
涙が枯れ果てて僕は座り込んでいた。
やがて二つの月が、暗い山の稜線から顔を出した。
赤い月と青い月。
ここが異世界なのだと、二つの月は静かに告げていた。
「そうか……」
ここが何処かなんてわからない。
けれど、僕は生きている。
心臓はこうして動いているし、地面を踏みつける足もある。
黄泉の国じゃないことは確かだと思った。
僕は立ち上がるとふたたび歩き始めた。
わからないけれど、行かなきゃ、進まなきゃと思った。
理由もない。目的も。だけど生きなきゃだめなんだと。
ひたすら二つの月が照らす奇妙な薄明かりの中、黙々と歩き続けた。
幸い、背中のリュックには「一通りの必要なもの」が入っていた。
いわゆる初期装備としては上出来だった。水のペットボトルが3本に、簡単なカロリー食がいくつかと。
でも、何日もつだろう?
悶々と考えながらも、どうにかなるさ。という気持ちもあった。
僕には悪運がついているみたいだ。
今、こうして生きていることが、幸か不幸かわからないけれど。
――と、その時だった。
「……お?」
ホタルのような光がフワフワと少し先を飛んでいた。
淡いグリーンの光が上下に動きながら動いている。
ここに来てから初めての遭遇だった。
危険なものかどうかなんてわからない。けれど小走りでそれを追いかけた。
『……た、たいへんだ……』
近づくに連れて声が聞こえてきた。
驚いて周りを見回したけれど、どうやら「声」は光が発しているみたいだった。
ホタルの光の移動速度はそんなに速くはない。
もっと近づいてみると――
「よ、妖精!?」
小さな人形みたいな生き物が飛んでいた。
どう見ても妖精そのものだ。
『わーっ!?』
「す、すごいっ……!」
『大変だァアア!?』
思わず驚いて声を上げると、相手もかなりびっくりしたみたいだった。
悲鳴をあげて空中で急停止。
おかげよく仔細が観察できた。緑色のワンピースみたいな服から、人間と同じような手足が伸びていて空中でバタつかせている。僕を見て驚いたその顔は、鼻のない大きな目が特徴の、人形みたいな感じ。髪は長くて金色で、内側から光っているみたい。
背中から4枚の半透明の翅を生やしている。けれど、ハチドリのように羽ばたきの空力で飛んでいるわけじゃなさそうだ。
完全にファンタジー世界の生き物に遭遇してしまった。
でも、言葉を話しているのだから、何かコミュニケーションをとらないと。
「あ、あの……ハロー?」
『しゃ、しゃべったァアアア!?』
パタパタパタと翅を動かすと、速度をあげて妖精は逃げ出した。
「あっ! まってよ……!」
逃してなるかと、僕は追う。
空に飛んで逃げるのかと思いきや、何故か地上1メートルぐらいから上へは飛ばない。
「待ってったら……! ねぇってば! ほら、怪しくないから……!」
『怪しいだろ! お前! 見たこと無い種族!』
「なわけないでしょ!? 人間だよ、普通の」
『闇夜のような黒い髪……! その瞳! おまえみたいな人類種、見たこと無い……!』
飛びながら早口でまくしたてる妖精。
「何だかしらないけど……気がついたらここにいてさ!」
妖精はオスかメスかわからない。声は甲高くて思っていたイメージとちょっと違う。
『星降る夜、割れた空……! おまえ……向こうから来たのか!?』
「あー……? うーん? そうかもしれないけど……さ。とにかく、話を……」
だんだん疲れてきた。ゆっくり飛んでいるとは言っても妖精は疲れ知らずみたいだ。
リュックがさらに重く感じられる。
と妖精が空中で停止した。
『話……? ヨーシ、ならばそこを動く……な!』
「え?」
次の瞬間、四方八方から光の輪が飛んできて、僕をぐるぐる巻きに縛り上げた。
『確保ー!』
「うぁっ!? ちょっ……!?」
『『『イエーッ!』』』
それは、同じような姿かたちをした妖精たちだった。
<つづく>




