『最果ての塔』
ジュードさんの翼竜は速度を落としながら、『最果ての塔』へと近づいてゆく。
まだ距離はかなり離れているはずなのに、こんなにはっきりと存在を確認できる。
塔は雲の高さを突き抜けて先が見えない。遥か彼方、夕暮れの空へと吸い込まれている。もしかすると衛星軌道、宇宙まで続いているのかもしれない。
その巨大さと高さに息を飲む。
「大きい……!」
「凄いものじゃのぅ!」
近づくにつれ、徐々に『最果ての塔』の詳細な様子が見えてきた。
素材は石やレンガではなかった。乳白色の表面は金属のように鈍く光り、プラスチックのようにも思えた。沈みかけた夕日を照り返し、黄金色に輝いている。
塔の根本は、巨大樹を支える根のような構造になっていた。
半径五百メートルほどのエリアに近づくと、地面から生えた白い柱が林立している。それらは上に伸びるに従い合流し、徐々に太さを増してゆく。まるでマングローブだ。
さらに中心に向かうと螺旋を描くようにねじれ、複雑に絡み合い巨大な一本の塔を成している。塔は無数の白い糸で編み上げられた「筒」のような構造らしい。
空を見上げると先端は虚空へと吸い込まれてゆく。
『周囲を一周してみましょう』
翼竜がゆっくりと旋回する。
塔の直径は100メートルほどだろうか。継ぎ目もなにもない。中空構造かもしれないけれど、窓も何もみあたらない。
つるつるした構造物は、魔法の類いとも違う感じがした。
未来の超科学、あるいはもっと別の凄い何か。少なくとも人間の手によって築かれたようには思えない。
「これは……想像とは違うのぅ」
キュンの声はなぜか少し沈んでいた。
「いやいや、想像以上でしょ!?」
けれど僕は興奮を抑えられない。
必死でおぼろげな記憶をたどる。何か、これを言い表す、ぴったりな言葉があったはずだ。そうだ図書館の本、SF小説で読んだ気がする。衛星軌道まで届く高さの塔。
たしか……軌道エレベーターだ!
「高い……! きっと宇宙まで届いているんだよ!」
「ミヨよ。それは言いすぎじゃぞい。ワシには、古びた石積みの塔にしか見えぬがのぅ? 高さとてせいぜい百メートルほどじゃろう」
「えっ?」
思わず耳を疑った。古びた石積み? あれが?
「あの魔法使いの言うとおりじゃ。ここは祈りの場なのじゃろう。ほれ、頂上が祭壇のようになっておるのが証拠じゃ」
「まって、まってよキュン!」
「なんじゃミヨ、そんな大声を出してからに」
「よく見てよ! 塔は白くて、とてつもなく高い塔だよね!? 雲を突き抜けて空の彼方まで届くような」
「なんじゃと……?」
僕はキュンと顔を見合わせた。
風に揺れる赤い髪の隙間から、ぱちくりと瞳が瞬いた。
その丸い瞳に映っている塔の姿は、僕が見ているものとは違う、ということだろうか?
「ワシとヌシの見ているものが違う、という事かの?」
「ってことだよね? ねぇ、ジュードさん! あの塔はどう見える?」
『私には、傘のように葉を茂らせた、巨大な世界樹のように見えますが……? 絡まった蔓で空へと伸びる、まるで巨大な豆の木のようです』
「えっ……それじゃぁ」
「三者三様、見え方が違うのじゃ!」
ますますワケがわからない。
僕には軌道エレベーターのような構造物に見える。
キュンは古びた祭壇のような石積みの塔に。
ジュードさんは緑の世界樹のような塔。
それぞれが見えている塔の姿も形も、高さも違う。
「塔に近づける?」
『塔にはこれ以上近づけません。見えない風の壁のようなものがあるのです。地上へ、できるだけ近い地上へ降下します』
翼竜はゆっくりと、塔の西側の広場のような場所へと舞い降りた。
『お気をつけて』
「うんっ、ありがとうジュードさん」
僕はキュンを抱きかかえながら翼竜から降りた。
足もとがふわふわして、地についていない感覚がする。
「うわぁ……」
塔はすごい迫力だ。地上に降り立ってから改めて見上げると、普通に真後ろにひっくり返りそうになった。
「あそこを見て」
「いってみるしかないの」
降り立った場所から、塔へ向かって一本の細い道が真っ直ぐ延びていた。
200メートルほど先、塔の壁の一部に六角形の穴が見えた。それが入り口だろうか。穴がぽっかりと口を開けている。
『私はここで休憩をとっております。じきに日が暮れます。もし塔に登るおつもりなら、明日の朝までにはお戻りください』
「それまでに戻らなかったら?」
『お戻りになられると信じております』
ジュードさんは翼を休めここで待つつもりらしかった。
「行くかの」
「うん」
僕はキュンの手をつなぎ歩きはじめた。
背中のリュックは水と携帯食料、それとLED式のライトが入っている。余計な荷物はメビウスディスティニア卿に預けてきた。
戻らなかったら売ってもいいと言い残して。
「世界の果てに、一体誰が建てたんだろう?」
「魔法なのか何なのか、もはや計り知れぬ。見当もつかぬほど古いものじゃ」
「う、うん」
会話は噛み合わないけれど、確実に塔へ近づいている。
僕の目から見えるのは、塔を支える根のような構造体が複雑に絡み合った土台部分だ。白い森のような迷路のような場所。
キュンには遺跡のような場所、古い都市の残骸に見えるという。
東に開けた海はすで暗く、僅かな潮風が海の香りを運んでくる。海がすぐそこにある。東の果て、エフタリア大陸の尽きるところ。
「ミヨはこの塔をなんと思う?」
「いろいろな想いや願いを集める塔なんでしょ?」
「さて、集めて何とするのじゃろうのぅ」
「メビウスディスティニア卿は、星の世界に還す……って言ってたよね」
「願いはひとによりけりじゃ。現に、ワシとミヨでは見えているものが違うのじゃろう」
僕はそこではっと息を飲んだ。
見えている塔の姿が違う。これには意味があるんだ。願いだって違う。当然だ。
入り口まではあと僅か。
今までの旅のことが思い浮かぶ。ここまでようやく辿り着いたけれど来た。旅の一応の目的地、終着地点が目の前にある。
意外とあっけなく、そしてとても静かだ。
旅とはそういうものなのかもしれない。
目的地についてみたら、錆びた看板と潰れたお土産屋さんだけだったりする、みたいな。
僕たちは同じ塔を見ていない。
なぜなら胸に秘めた願いや、想いが違うからだ。
僕とキュンが見ている塔が違うのなら、あの塔に入った瞬間、離れ離れになってしまうんじゃないだろうか?
にわかに不安と寂しさがこみ上げてきた。
足を止め、振り返る。
ずっと向こうに、大きな翼竜が首を地面に下ろし翼を休めていた。
こちらをじっと見守っている。
「ミヨ……?」
「うん、あのさ……もし」
今、ここで足を止めて戻ろうか。
あの街に戻れば、それなりに楽しく暮らしていける。
もう目的は果たした。何もない静かな祈りの場所。
少し不便だけど楽しかった旅路を終わらせて。
「ミヨとの旅は、楽しかったぞい」
小さな手で僕の手を握ったまま、キュンが僕をじっと見上げていた。
「キュン」
「じゃが、進むべき道は違う。人生は出会いと別れ。クロスロードというやつじゃ。それぞれが進むべき道を、塔は最後に示しているのじゃろう」
「それぞれの進むべき道……」
「さぁ、今さら何を迷うのじゃ? 進むのじゃ、旅人としての矜持を示そうではないか」
「……うんっ!」
そうだ、決めたんだ。
僕は元の世界に戻りたい。
できるなら、願いが叶うなら。あの『星降る夜』で壊れてしまった世界を元どおりにしたい。
この塔は僕の「願い」を知っているんだ。
目の前に入口があった。
六角形の不思議な穴。ぽっかりと開いていたと思っていた入り口は、まるで黒い水鏡のようだった。
手を差し伸べてみると、水面に波紋が広がるように空間が揺らいだ。
正直、入るのが怖い。足がすくむ。
「手をつないで、せーの。していい?」
「なんじゃ怖いのかの?」
「キュンが怖いだろうって思ってさ」
「しかたないのう」
キュンと離れたくない。
あの賑やかで豊かな街で暮らしていけたら、と思わなかった訳じゃない。
これも確かに心のなかにある望みだ。
でも元の世界に戻りたい。
これも偽らざる願い。
僕はいったい――
「じれったいのう、男ならドーンといくのじゃ」
「ちょっ、あっ?」
キュンと僕は、もつれ込むように黒い鏡の入り口に飛び込んだ。
◆
「あっ?」
「あっ?」
一瞬、飛び込む前に「迷った」のがいけなかったのだろうか。
キュンとこの世界に残りたいと思う自分。
元の世界に帰りたいと願う自分。
僕は二人になっていた。
まるで映し鏡のように、分裂してしまったのだ。
互いに顔を見あわせて「「あっ」」と同じ声を出して、確信した。
直感で自分が同時に二人いることを理解できた。
だってどちらも僕自身なんだから。
向こうの「僕」の傍らには、キュンがいた。
しっかりと僕の手を握り、放すまいとしている。
そして僕――ひとりぼっちの僕。
暗いトンネルの中にひとりで、ひとり立っていた。
迷いが消え、気持ちは「元の世界に戻りたい」それだけになっていた。
気がつくと暗闇の中、動く歩道に乗っているみたいに、二人から急速に遠ざかっていく。互いの背後には不思議な泡のような軌跡が残っている。
キュンともう一人の僕は「いっしょだ」「まぁそれもよかろうて」と言い合いっていた。キュンはいつもの笑顔で僕を見上げている。
闇のトンネルの中、声は届かなくなった。
泡箱の中を進む粒子のように、枝分かれした僕らは互いに別の方へ進んでゆく。
――さよなら。
もう一人の僕。そしてキュン、元気でね……!
「そうか」
これは「世界の分岐点」なんだ。
キュンとあの街で暮らす可能性。
一人で進む僕という可能性。
それは同時に存在しうる。
枝分かれし、無数に存在しうる世界の可能性。
選択と分岐の結果、枝分かれしそれぞれが世界として成立する。世界線とか呼ばれている考え方だ。
動く床は速度を上げて暗闇の中を進んでゆく。
僕は自分の選んだ道を信じる。
まっすぐ前を見据えると、やがて光が見えた。
光はみるみる大きくなり、白くまばゆい光に包まれた。
◆
<つづく>




