二つの選択
「『最果ての塔』はここからさらに東、大地が尽きる大陸の最東端にある。遠くからでも見ればわかる。雲を突き抜けて、天を衝くように立っているからね」
「そんなに高いんだ……!」
「見物だけでもひと苦労じゃのぅ」
とてつもなく大きくて高い塔なんだ。
「世界の悲しみや憎しみ、負の感情を集め、星界に還す役割がある……というのは象徴的な意味さ。太古、それは祈りの場であったとも云われているからね」
「そうなんですか……」
誰が造ったのかわからない。いつからあったのかもわからない。ただ、そこに遙かないにしえの昔から存在しつづけているんだ。とメビウスディスティニア卿は付け加えた。
そこが僕の向かうべき場所。
けれど、たどり着いたら何をすればいいのだろう。
行かなければならない、という使命感。いや……もっと違う言い方をすれば、焦燥感のようなものが胸の奥でずっと燻り続けている。
それが旅の原動力みたいなものだと気がついた。
この気持の正体はなんだろう?
何かを見つけたい?
何かを思い出したい?
それとも僕は、誰かに逢いたいのだろうか……。
夢から目覚める直前、まどろみの中にいるような浮遊感。夢と現実の曖昧な境界を行ったり来たりする感じがする。
「君たちは、そこに向かうつもりなんだね」
メビウスディスティニア卿は、僕の不安や疑問を見透かしたように、顔を覗き込んできた。心配している声色だ。
「はい。そこに何があるか、行って確かめなくちゃいけない気がして」
「だからここに来た?」
「はい」
「確かに……世界についての見識を、ボクは少しだけ皆より多く持っているよ。来てくれたのは幸いだ、これはきっと運命の導きだね」
「知っていたら教えてほしいんです」
ふむ、といって窓の方へと向かう。
「今の君……いや君たちが選ぶべき道はふたつ」
僕と傍らのキュンを見て、指を二本たてた。
「ふたつ?」
「一つは塔に向かい、真実と……自分自身と向き合うこと」
「自分自身と……?」
どういう意味だろう。胸の奥がチリチリする。
「塔は観光地みたいなものかもしれない。ミヨくんがそこで見つけるべきは、自分の中の本当の気持ちさ。辛いものなのか、何か覚悟がいるものか、喜びに満ちたものなのか、それはわからないけれどね」
まるで難しい説法か禅問答を聞いているみたいだ。
「それでも、行くとしたら?」
「塔は星の世界への扉。夢のような君の旅は、そこで終わりを告げることになる。それでも行くかい?」
言葉通りの意味だとしたら、そこが旅の終着点になる。
「『旅人』だから塔へ向かう。それは定められた運命、という解釈でよいのかの?」
僕が悩んでいるとキュンが静かに進み出た。
「さすがは聡明なお嬢さんだ。『羽無し妖精族』、最後の生き残りだね」
「え? 最後……って」
キュンは小さく鼻から息をはいて、僕に大きな瞳を向けた。
「ミヨには言っておらぬがの。ワシの一族は、他の種族との争いで滅んだのじゃ」
「争い、戦争ってこと?」
「そうじゃ。世界が平和になったのは、目の前の大魔法使いのお陰じゃ。しかしすこし前の世界は、そうでもなかったのじゃ。人の心に巣食う闇や負の感情は和らいだ。じゃが、地下に巣食う魑魅魍魎の類いはそうではなかったのじゃ」
「あっ……」
「人食いの妖精に、ミヨも捕まったであろう」
そうだった。人界から離れた場所は危険。この話はメビウスディスティニア卿の魔法の影響から離れているからだ。今までの話とも辻褄が合う。
――ボクの魔法はあくまでも対人用。地下で暮らす異形たちには通じないよ。
「ワシはすべてを失った。だから確かめたかったんじゃ。『最果ての塔』に行けば、悲しみや苦しみから解放されるのかと。皆と……会えるやも知れぬと」
「キュン……」
とても悲しそうな顔で、小さな手が僕のシャツの裾を掴んだ。思わず手を握り返す。
そうか。キュンの目的は巡礼のような、鎮魂の祈りを捧げる旅、そういうことなんだ。
「もう一つの選択ってなんですか?」
メビウスディスティニア卿の言う選択は二つ。
一つはこのまま旅を続けて塔へ向かうこと。
けれどそれは旅の終わりを意味するのだろう。
星の世界、星界への入り口の先に、何があるのかはわからない。何もないただの塔かもしれない。
あるいは神秘的な力を秘めた祈りの聖地なのかもしれない。
そこで僕はどうなるの?
消えてしまう?
それとも……キュンの言うように。誰かに逢えるのだろうか。
「もうひとつは簡単さ。旅をやめてここで暮らすことさ」
「それは……」
「『最果ての塔』から戻ってきてからでも遅くはないがね。無駄足になる旅より、充足した暮らし、楽しい日々を過ごした方が幸せだろう」
メビウスディスティニア卿はそういうと、窓を開け放して下を見た。風が吹き込んで心地いい。
僕たちを手招きして、下を見るように促す。
「あっ、フェルトさんが死んでる!?」
「隣にさっきの女も倒れておるが……」
芝生の庭の真ん中に、二人は大の字で倒れていた。
近くに剣があって、相討ちに思えた。
するとがばっとフェルトさんが「ははは……」と笑いだした。
生きていたことにほっとすると、門番の女の人も「ふふふ……」と笑いだした。
「あれって、ケンカして殴りあって、互いに倒れこんで、互いを認めあって友情が深まる……みたいな」
「そのようじゃのぅ」
二人は起き上がると何かを話し始めた。ちょっと二人の距離が近い気がする。
「どうやら、彼はここでの暮らしを選ぶことを決めたようだね」
「……旅をやめたら、幸せになれるってことですか」
「少なくとも、暮らしは約束される。仕事はすぐに見つかるさ。お金があれば美味しいご飯に快適な寝床も約束される」
確かにそうかもしれない。
「旅人がどこでも珍しがられて歓迎されるのはね、繰り返す当たり前の日常、幸せな日常を送る人たちから見て、君たちが客人だからさ」
希な人。
やがては通りすぎていくだけの、風来坊。
そういいたいのだろう。
「人はね、他人との比較でしか自分の位置を推し量れない。確かめたいんだよ、自分が幸せであることを。みんなね」
メビウスディスティニア卿は広大な町の風景を眺めながら、静かにいった。
僕は返す言葉が見つからなかった。
「今夜はここに泊まるといい。歓迎するよ『旅人』として」
「それは……嬉しいですけれど」
「ミヨ、ここはお言葉に甘えるのじゃ」
「もう、相変わらずだなぁ」
いつものキュンにちょっとホッとする。
「それと、必要なら『最果ての塔』まで直行できる手段を用意しよう。人の足では一年、いやそれ以上に遠い場所だからね」
「えっ!?」
<つづく>




