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ほとんど無害

 館の中は静まり返っていた。

 街の賑やかさとは対照的で、時が止まっているみたいだ。

 魔法使いメビウスディスティニア卿のお屋敷は、思っていたよりも静かで落ち着いた印象だった。

 派手な装飾もなく質素な調度品、掃除の行き届いたピカピカの床。

「ごめんくださーい」

「誰もおらぬのかのぅ?」


 玄関ホールの天井は吹き抜けで、大きな天窓がある。色付きガラス越しに差し込む光の中を、チリがキラキラと泳いでいる。

 ぐるりと見回すと、左右対称な大きな階段が二階へと繋がっていて、廊下の先にはドアがいくつも見える。

 まるで名探偵が活躍するお屋敷だ。このあと殺人事件が起こらないことを願うばかりだけど。

 背後でドアが勝手に閉まった。

「えっ」

「これは、ヤバイやつかの」

 再び玄関ホールの正面に視線を向けると、初老の紳士が立っていた。一瞬で現れたみたいに忽然と。


「あっ、こんにちは………! 突然おじゃましてすみません」


 ピシッとした燕尾服を身に付けて、柔らかな物腰。一目で執事さんだとわかる人物だ。

「ようこそ。メビウス卿がお待ちです」


 そう言うと執事さんは僕らを奥へと案内してくれた。

 気がつくと階段はひとつだけになっていた。二階に上り真っ直ぐな廊下を進む。玄関ホールから見ていた景色とはまるで違う。

 振り返ると、すでに廊下の長さや階段の位置が変わっていた。

「これって……」

「魔法の類いじゃ」

「キュンは冷静だね」

「人生経験の差じゃ」

「人生……」

 ツッコミをいれると面倒なことになりそうなので、そのまま執事さんのあとをついていく。


[こちらです」

 執事さんが丁寧に僕たちをある部屋のドアの前まで案内してくれた。お礼を言おうとすると執事さんは消えていた。


「入ってみよう」

「とって食われはせぬじゃろう」

 僕とキュンがドアに手を伸ばした次の瞬間。すでに室内にいた。背中にドアがあって、ごちゃごちゃの室内が目の前に広がっている。

「あっ?」

「ほぅ」

 うず高く積まれた本の山があちこちで塔を形作っている。謎めいた図形の描かれた紙が散らばり、床の中央には大きな魔法円。室内は薄暗く、怪しさ満点だ。

 魔法使いらしい部屋だけど、どんな人なのだろう。

 室内を見回すと、何やら人影があった。ソファーの向こう側だ。

 恐ろしいのか、尊大なのか。あるいは道化みたいに僕らを惑わすタイプなのか。


「メビウスディスティニア卿はこちらですか? 僕はミヨ。旅人です。こっちは友達のキュン」


 僕が声をかけるとソファの向こう側の影に反応があった。


「ひっ、ひぃ?」


「ひぃ?」

「……怯えておるのかの?」


「きき、君たちは……旅人かい?」


「そうだけど」

「そうじゃの」


「ひぃい……旅人ぉ? でも、マリルもジュードもここまで通したってことは、無害……?」


 無害。そういわれたら僕とキュンは人畜無害だと思う。

 誰かを傷つけようなんて考えたことはないし、そんなこともしたくないし。だってこの世界はとても優しい。


「ほとんど無害……だとおもいますけど」


 するとソファの向こう側から細身の男の人が立ち上がった。

 黒い髪を肩まで伸ばし、垂れ目で気弱そうな顔の半分を覆い隠している。頬はこけていて面長。ロックバンドのボーカルでもやっていそうな、若いお兄さんだった。

 ひょろりとした身体に、プラチナグレーの全身タイツみたいな服。太いベルトを腰に何本か巻きつけている。なんとも個性的な感じ。女王陛下の馬車で隣に座っていた人に間違いない。


「そうか、無害な旅人……なのだね?」

 メビウスディスティニア卿は念を押すように繰り返すと、ようやく安心したようだった。

 僕たちとすこし離れた位置で、視線を合わせず、崩れそうな本を手で整える。


「あの、教えてほしいんです。この世界のこと。東の果てにある塔のこと」


 僕がこれからどうするべきか。

 東の果てにある塔に行けば何があるのか。

 果たして、そこには何もないのかもしれない。

 偉大な予言者で魔法使いだというこの人なら、何か教えてくれるかもしれないことを期待して。


 すこし驚いたように垂れ目を開いていたメビウス卿は、やがて埃だらけの壺を手に服の端で磨きながら話し始めた。


「ボクはね、怖いことが嫌いなんだ。怖い争いや、恐ろしい暴力はなにも生まないから」


「僕もそう思います」

 同意する。するとメビウスディスティニア卿はちょっとホッとした様子だった。


「ボクは君……ミヨ君だったかな。君ぐらいの年には、ひどく皆から虐められていてね……。身体が弱いってだけでバカにされたり殴られたり。村の強い子供に食べ物を奪われたり」


「ひどい……」

「まったくじゃのぅ」


 あれ? この世界は平和なはずじゃなかったかな?

 みんな優しくて。盗賊でさえなんだか「いい人」だった。


「髭を偉そうに生やした大人たちはみんな横暴で、誰かを常に見下して、自分が上になることばかり考えていたよ……。子供や女性には何をしても許された。そんな村でボクは育ったんだ」


 髭……? あれ? どこかで……。


「でもある日のことさ、そう……ものすごい寒い冬の日だった。星が降ったんだ。夜空を覆いつくすほどの、ものすごい量の流れ星が」


 両腕を天井まであげながら、身ぶり手振りを交えて話す。


 きっと「星降る夜」のことだ。けれど僕がこの世界に来た時とは違う時代の出来事だろう。


「そこでボクは、魔法の力を得たんだ。他の世界……星界からの贈り物さ。力は、とてもちっぽけなものだったけれどね」


 手を見つめながら、懐かしむように拳を握りしめる。


「どんな……魔法だったんですか?」


 魔女のように空を飛んだり、炎を出したり。魔法使いと呼ばれるからには、そういう魔法を連想する。


「人が優しくなれるだけの魔法さ」


「優しく……?」


 メビウスディスティニア卿は大きくうなずいた。ステップを踏むように魔法円の中心、部屋の真ん中までくると、くるりと一回転。


「そう、怒り、妬み、蔑み、そんな負の気持ちのベクトルを変えるだけの簡単でささやかな魔法なんだ」


 床に描かれた不思議な形の魔法円が輝きを増す。


「最初はね、一対一だけの効果だったよ。掴みかかってくる相手が急に優しくなるだけの。けれど今は違う。魔法の影響を一度受けると効果が永続的に消えないんだ……! 優しさや親切は、そして伝播する。人々の間に、調和と、思いやりをもたらすんだから……!」


 僕は息を飲んだ。


 今までの旅のことが甦る。

 ヒッチハイクで乗せてくれた優しい人たち、親切な町の人。盗賊たちでさえ。

 どこの馬の骨とも知れない誰も僕のような、弱くてちっぽけな存在をみんなは受け入れてくれた。誰一人として、奪ったり傷つけたりしようとはしなかった。


 世界はどこまでも優しくて、温かくて――。


 そう、居心地がよかったんだ。


「もし……。不安や悲しい気持ちを持っていたら、どうなりますか?」


「うん。そうだね、誰かが手を差しのべるよ。それに、悲しい気持ちを和らげるような効果もあるんだ。例えば親しい人を思い浮かべたり、他人がそう見えたり。そうすれば人は一瞬でも安心するからね」


 最初のうちは単純な魔法で人間一人を優しくするだけだった。けれど、今はもっと複雑なことができるようになったんだよ、とメビウスディスティニア卿は笑った。


「ミヨ?」

 そうか。

 この人が、世界を居心地の良い場所に書き換えていた張本人なんだ。

 それは悪いことではないけれど。ううん。むしろ素晴らしいことだと思う。

 争いを無くして、優しい世界に変えるなんて、誰も思い付かないほどの偉業に違いない。

 お陰で僕は異世界で命拾いしたのかもしれない。

 でも――


「町の外の戦争ごっこも傑作だろう? 赤い果実をぶつけ合うなんて滑稽の極みさ。戦争、という形式だけが残ってしまってね。争いのようなことは続いているけれど……なに、じきに収まるよ」


「なぜ収まるのじゃ?」


「僕が王様と王女さまの仲を、うまく取り持ったからね。仲良くしてねって。ふたりに囁いてきた。これで戦争ごっこもおわりさ」


 凄い魔法だ。

 凄すぎて、怖いくらい。


 でもそれって、人間として本来あるべき感情を消してるってことなんじゃ……?

 まるで洗脳――


「あ……ミヨくん? 今、ボクに疑念をもったでしょ?」


「えっ? いえ、そんな」


「いいんだよ。無理もないさ。他の場所から来たんだろう?」


「どうしてそれを……」

「なにも隠さなくてもいいさ。だってこの街に来たときから……。いや、もしかするとそのずっと前から、君の『旅人』という存在を感じていたのだからね」

「僕を?」

「そう。他の世界から来た、あらゆる記憶を内包する鍵」


 白い全身タイツのお兄さんは、そういうと逃げるように一瞬で僕らから遠ざかった。


 いろんな事がわかりかけてきたけれど、肝心な疑問の答えが得られていない。


「僕は最初、この子……キュンに出会って助けられました。地下で妖精に襲われたとき、助けてくれたんです」


 魔法で争いが消えたなら最初にひきずりこまれた『地下の妖精』たちはなんだったのか。


「ボクの魔法はあくまでも対人用。地下で暮らす異形たちには通じないよ。それに、交流の少ない山奥で暮らす一部の人間にもね、だから君の仲間は入り口で止めてもらった」


 フェルトさんだ。この街に来てからすこし様子がおかしかったけれど、まだ魔法に染まりきっていなかった、ということなのだろう。


「それと、僕はこのまちでお母さんや友達らしきひとを何人もみかけました」


「あぁ、それね。可哀想に……悲しみや寂しさ、後悔の念に魔法が作用した結果だよ」

「そうなんですか……」

 すこしがっかりした。幻を見せられていたわけだ。心地よくなる魔法なんて、都合がよすぎる。


「じゃぁ……僕はどこへ、ううん。僕の気持ちや、みんなの気持ち。寂しさだけじゃない。妬みとか、怒りとか……。そういった気持ちは消えちゃうんですか?」


「それなんだけど」


 急に「それを喋りたかった」と言わんばかりにびゅんっと僕たちの目の前まで飛んできた。文字通り、ふわりと。数メートルを無重力のように跳ねて。

「いっ」

「のわ」


「世界には均衡が必要らしい。それらを全部集めて、天に……星界に(かえ)しているのが『さいはての塔』だよ」


 メビウスディスティニア卿の深い慈愛と優しさに満ちた瞳。その奥底で暗い闇が蠢いた気がした。


<つづく>



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