王都エディンは夢の国【後編】
――おかあさん?
僕が思わずそうつぶやいた理由。それは、馬車の客室の窓から見えた、ポゾムリア女王陛下の横顔が似ていたからだ。
「似ていたんだ……」
そう、似ていた。
この世界に来てから忘れ去ってしまった記憶のピース。
なかでも一番大切な部分であるはずの家族について。今までずっとぼんやりとしか思い出せなかった。けれど今はしっかりと思い出せる。
腹の立つ事もあったけれど、いつも優しくて、美味しいご飯をつくってくれた、そんな母の事を。
胸が締め付けられるような、酷く懐かしい感じがする。
「ミヨ、何処へ行く気じゃ!?」
強い力で手を掴まれ、はっとして振り返った。
「……キュン?」
「何を呆けた顔をしてフラフラと。何処へ行くつもりじゃと聞いておる」
「馬車を追いかけようとしてたようでござるぞ」
「あ、あれ?」
フェルトさんの言うとおり。僕は無意識のうちに女王陛下の馬車を、追いかけようとしていたらしかった。
「しっかりせんか」
気がつくと、周囲には喧騒が戻っていた。沿道を埋め尽くしていた人々の列は解け、それぞれの日常や仕事へと戻っている。
「うん……ごめん。なんだか急にお母さんのこと思い出しちゃって」
「ミヨの母上じゃと? 記憶が戻ったのじゃな?」
「多分……」
「それは何よりじゃ。良かったが……まさか女王陛下が似ていた、などと言うのでは無かろうな?」
「その、まさかなんだ。お母さんに凄く似てた気がして」
キュンがお腹を抱えて笑い出した。
「ははは、すると何か? ミヨは王子様ではないかの? 記憶を無くした王子が、草原を彷徨っていたと? 傑作じゃのー」
「もう! 笑いすぎ。そりゃ……僕は庶民だって自覚はあるし、絶対に王子様じゃ無いとは思うけどさ……」
「いや、はは……すまんすまん」
「どうしてお母さんに似ているって思ったか、どうして急に記憶を思い出したか、確かめたいって思ったんだ」
「……なるほどの。何やらおかしな話じゃの」
僕は頷いた。
「だが、女王陛下を乗せた一団は行ってしまったでござる」
フェルトさんは一気に串焼き肉を頬張って、はるか向こうの通りの角を見つめている。騎士団と女王陛下を乗せた馬車の行列が、曲がっていった先だ。
「ひと目でいいんだ、女王陛下さまを見れないかな」
真面目な顔つきになったキュンが腕組みをして、ため息を一つ。やや顔を傾けて僕を見上げてきた。
「……ワシらのような何処の馬の骨ともしれぬ流浪の旅人では、あのようなやんごとなき身分の高いお方に拝謁出来るわけがなかろうが」
「だよね。そもそも……他人の空似だよ、きっと」
口ではそう言ってみたものの、想いは慕る。いてもたってもいられない。
こんな気持ちはじめてだ。
「……まぁよい。この魅力的な街にしばらく滞在する理由ができたようじゃ」
キュンは何やら嬉しそうに辺りの商店を見回した。可愛いアクセサリーや、豊富な色やデザインの服。キュンが瞳を輝かせるのも無理はない。
「賛成でござる。これで美味いものをもっと食べ……」
フェルトさんが苦笑する。こっちはすっかり食の都の虜のようだ。
「うん、そうだね。少しこの街にいよう」
「しかし問題はお金じゃのぅ」
「拙者、ありったけのものを売り払うでござる」
と、背負っていた杖に見せかけた剣をつかむ。
あれ? 命よりも大事なものじゃなかったっけ……?
「そうじゃ、キュンも要らぬものをばんばん売り払って、当座のお金にするのじゃ」
「だめ、だめだよ……」
キュンがリュックに背後からよじ登るのでバランスを崩す。
「何がダメなのじゃ、良いではないか」
「よくない、旅が続けられなく……あっ」
バランスを崩した拍子に、通行人にぶつかった。
「きゃ……!」
「あっ、すみません……!」
「大丈夫です。こちらこそ、ぼーっとしていました」
「本当にすみません」
かるく接触しただけで大事には至らなかった。往来は広いとはいえ人通りも多い。ぺこりと頭を下げると相手も微笑んで許してくれた。手に荷物を抱えた僕と同じ年ぐらいの女の子だった。
太めの眉に下がったまなじり。右目のしたに小さなほくろ。
「あれ……?」
どこかで、見たような。
あっ……? あれ? 誰かににている。誰だっけ……確か結構いつも見ていたような……。
「ミツキ……さん?」
その名を口にした途端、ロックが外れたようにまた記憶がよみがえった。そこは中学校の教室で、隣に座ってなにかと世話を焼いてくれたのが、クラス委員長。さっきの彼女は充希さんにそっくりなんだ。
すたすたと去っていく女の子を呼び止めようとしていた自分に気がつき、はっとして手を引っ込める。
さっきと同じ……?
女王陛下をお母さんと思った瞬間の違和感と、記憶の中にいる誰かと結び付く感覚が、まるで同じなのだ。
キュンとフェルトさんは何やらお金の事で真剣に議論を続けている。
視線をゆっくりと街の店先へと向ける。
「……!?」
斜め右、オープンテラス式の料理店の店先で、料理を運んでいる女の子にもなぜか見覚えがあった。クラスで一番の人気者だったユカさんにそっくりだ。
もしやと思い、その隣の店先へ視線を動かす。屋台でアクセサリー小物を売っているのは、お調子者だったカズトくん……?
なんだ……!? これは一体どういうことだろう?
「キュンあのさ、何か変な……」
「なにがじゃの?」
「どうしたでござる?」
僕はそこで息が止まりそうになった。
キュンは死んだはずのおばあちゃんに思えたし、フェルトさんはその庭先で飼っていた犬のクロだったからだ。
「んなっ……!?」
頭がどうにかなったのだろうか。
何もかもがおかしい。
けれどキュンは可愛らしい赤毛の幼女のまま、フェルトさんは大柄な犬耳の兄貴のままだ。
もちろん、見た目ばかりか声も変わらない。
何も変わらないはずなのだけれど、別人に思えて震えが来た。おそらく、僕の「認識」だけが変わっている。
それともこれが「真実」なのだろうか?
世界はもうとっくに滅んでいて、僕と同じように別の世界に、ここに転移してきた人たちの、意識と記憶、そして認識だけが変わっている……なんて。いくらなんでもあり得ない、よね?
「どうしたのじゃミヨは? さっきからずっと変じゃぞい」
「旅の疲れが出たのかもしれませんな」
「う、ん……」
うまく状況を言い表せない。
説明できない。
まるで、認識だけが「上書き」されているみたいだ。
見た目と、記憶のなかにいる人物が勝手に結び付いている。
まるで悪い魔法にでもかかったみたいに。
「魔法……?」
そうだ、魔法使い……!
確か女王陛下も魔法使いにたぶらかされたって。だから内戦が起こった。
もしかして原因は、あの馬車に乗っていた魔法使い!?
<つづく>




