ヒゲ男の国(前編)
親切なご家族の蜥蜴車に乗せてもらい、僕とキュンは砂漠の中の城塞都市へとやってきた。
ぐるりと城壁で囲まれた都市の名は、ミジュベーノ。
砂漠の中に湧き出るオアシスを中心に発展した街であり、それ自体が一つの国なのだと荷台の中で優しいご夫婦に教えてもらった。
「じゃぁ、道中気をつけてな……!」
「良い旅を」
「幸運を」
「ありがとうございます!」
「世話になったのじゃ」
お爺さんと娘婿夫婦さんにお礼を言って別れを告げる。
お世話になった人と別れるのは少し辛いけれど、出会いと別れは旅の醍醐味だ。
僕たちは街へと入る門の前で立ち止まった。
何台もの交易馬車が行き交っている。門の向こう側に見える街はとても賑やか。大勢の人たちの活気に満ちた声が聞こえてくる。
「ミヨはこの国では苦労するかもしれぬのぅ」
「なんで?」
「行けばわかるのじゃ」
「ふぅん……?」
キュンは何か訳知り顔。小さな背丈の旅の相棒は物知りだ。
危険なら危険だと教えてくれるはず。つまり苦労はするけれど「危険」ではないのだろう。
「まぁ気にするでない。喉も乾いたしシャワーも浴びたいし、進むのじゃ」
「そうだね、行こう」
◇
「どうだい旅人さん! 立派なヒゲだろう?」
城門をくぐるなり、ひとりの男が話しかけてきた。
男の顔からは、まるでアンテナのようにヒゲが左右に伸びている。テカテカに光っているのはワックスで固めているからだろうか……。
ってか、初対面でいきなり自慢話から入るかな、普通。
「え? ……えぇまぁ」
突然のことに、僕は思わず愛想笑いを浮かべてしまった。
それが、いけなかった。
頭の片隅に「愛想笑いは日本人の悪い癖」という言葉が浮かぶ。
もう無いはずの日本。故郷ははたしてどんな場所だったか……。懐かしい感傷めいた気持ちだけが残っている。
男は満足そうに伸ばした黒いヒゲを自慢げに指で「こより」ながら、馴れ馴れしく僕の腕を掴んできた。
「これは自慢のヒゲでね。素敵だろう? ところで今夜の宿は決まったかい?」
どうしても自慢したいのか、ヒゲを見せつけてくる。何が「ところで」なのかさっぱりだけれど、僕は腕を笑顔で振り払った。
「け、結構です……!」
キュンの手を掴んですたすたと歩きだした。
「おぉ、男らしいところもあるのじゃの」
感心したように見上げてくるけれど、一応は僕が年上で保護者という立場だし。
「客引きをするような宿って、大抵すごいボロだしさ」
「ちがいないのぅ」
これは経験則。今までも客引きのお宿に泊まったらとんでもないボロくて古いところばかりだった。
でも、確かにそろそろ何処かに宿を見つけて休みたい。
背中のリュックが重くて両肩に食い込んでいる。
旅費は残り金貨3枚に銀貨7枚。安い宿なら銀貨三枚でいいのだけれど、二人で泊まるには6枚必要だ。いよいよのときはリュックにキュンを詰め込んで節約しようか。
「でも、思ったより大きな街なんだね」
「そうじゃのう」
壁に囲まれた砂色の街のあちこちにヤシの木が生えていて、木陰をつくっている。
日干しレンガの家々の前では、屋台や地面の上に絨毯を敷いて商品を並べている商人さんがお客さんと威勢のいい会話を交わしている。
活気と熱気、流石は砂漠の中のオアシス都市国家だ。
「いろいろな人が歩いているんだね」
「わしらもその中の一種じゃ」
「だね」
歩いている人たちは、多くは砂漠の民。日焼けした肌にグレーの髪。
けれど外国から来たような人はすぐわかる。肌が白かったり、僕みたいに黄色っぽかったり。髪の色も銀色だったり赤かったり緑っぽかったり。実にバラエティに富んでいる。
服装も多種多様、みんな違っていて、色々な国や地域から旅をして来ているのがわかる。
それと30人に1人ぐらいは「亜人」とよばれる人種も交じっていた。
普通の人間と違って、耳が尖っているエルフっぽい人、猫みたいな顔つきの人、トカゲっぽい顔でしっぽのある人などなど。
ここでは彼らは「ナントカ種」と呼ばれている。
エルフ種、ネコミミ半獣人種、トカゲ人類種……という具合に。
ちなみに相棒のキュンは「羽なし妖精種」っていう変な名前の種族。
で、僕は「地球人類種」なんだって。なんで地球とつくのか、キュンが何か知っているようだけれど……よくわからない。
「おっと、そこの旅人サン! いい宿アルヨ。ヒゲを見て! ほら、ヒゲ! 素敵でしょう!?」
さっきよりも強引な客引きだった。
「うわっ!?」
「お嬢さんでも安心のお宿アルヨ! ほら、ヒゲを見て! ね? 信頼の証!」
肌の黒いおじさんが、テカテカと光らせたヒゲを見せつけながらぐいぐい迫ってくる。丁寧にお断りしつつ、逃げる様にその場を去る。
「どうでもいいけど、なんでヒゲを見せつけてくるの!?」
僕は思わずキュンに小声で尋ねた。
「それは、この国ではヒゲこそが成人男性の証。男らしさと信頼の証じゃからのぅ」
「えー!? 僕、ヒゲなんて無いよ」
だからさっき「お嬢様がた」なんて言われたわけか。
「ミヨはヒゲ無しの小娘扱いじゃぞい」
キュンはニヤニヤとしながら僕の顔に手を伸ばしてきた。小さくて汗ばんだ指先が僕の顎をつついてくる。
「やめろよー、小娘ってなんだよもう!」
「まぁ良いではないか、女性専用風呂のある宿ならいいじゃろ?」
「いいわけないよ!?」
それはマズい。
どこかでヒゲ、ヒゲを……手に入れなきゃ。
<つづく>