世界の欠片(かけら)
ピポ、という電子音が響いた。
黒一色だったディスプレイに青と白の光が灯る。
「動いた……!」
ノートパソコンのスイッチを押しこむと、やがて「ログイン」画面が表示された。
机上のノートパソコンを眺めていたキュンと魔女のマリリーヌさんは、音と光に驚いて一歩うしろに下がる。
「一体何なのじゃ、これは?」
「あたしが触っても動かなかったのに、どうして?」
「どういうことじゃ?」
「押せるところは触ってみた。けれど何も起こらなかったわ」
「ミヨが触ったことで動いた、ということかの」
「そうとしか考えられないわ」
「これはノートパソコンっていう、僕のいた世界で使っていた道具なんだ」
「ノートパソ……? ミヨくんは知っているのね。世界って言ったけれど、君はいったい何処から来たの?」
「わからない。けれど僕の持っていた物だと思う」
「君の……?」
「うん」
「これは空中回廊を破壊した飛来物のひとつ。他にも何人か、不思議な物を拾ったりした人がいたわ。災厄の象徴として地平線の彼方まで捨てにいったりした人もいたけれど」
魔女のマリリーヌさんが困惑したように眉根を寄せる。
「他にも?」
「えぇ、カップとか本、服などの日用品よ。どれも見たことのない不思議な材質で出来ていた。でも、それが何かってことはすぐにわかったわ。でも、これだけが一体何なのかわからなかったの」
確かに異世界にノートパソコンは無い。だから何なのかわからず困っていたということなのか。
「ミヨと同じ別の世界の遺物、というわけじゃな」
キュンが恐る恐る指先で触れている。
「そうだね」
でも、何かが変だ。
変なのは僕の認識か。
あるいは記憶そのものか。
曖昧な記憶を辿ろうとしても、靄がかかっている。
かろうじて思い出せるのは、地球最後の日のことだ。空で月が砕け、赤黒い稲光に覆われたあの日。
テレビの乱れた映像の向こうで、アナウンサーが絶叫していた。垂直の壁と化した黒い海が、米軍の巨大な空母機動艦隊を一瞬で飲み込む映像をみた。轟音を伴う嵐が押し寄せて高層ビルを飲み込み、街ごと粉々に破壊してゆく絶望的な終末の光景。
後のことは覚えていない。
気がつくと僕はこの世界にひとりで立っていた。
この記憶に何かの間違いがあるのか、あるいは――
「あの『星降る夜』にミヨと同じく落ちて来たのじゃろう? それにしては壊れておらぬが」
キュンの声に我に返る。
「そ……そうだよね。星が壊れたなら、僕やノートパソコンが無事なはずがないよ」
大気圏を突き破って落下して、地表に激突して無事ですむ訳がない。おそらく謎の原理でここへ「跳ばされて」来たのだろう。
いわゆる「異世界転移」という言葉がしっくりくる。
「旅人さんの話は、あたしの想像と理解の範疇を超えた奇天烈さだわ」
マリリーヌさんがキッチンの壁に寄りかかると、呆けたような苦笑を浮かべ、静かにお茶を口に運んだ。
僕はここまでの旅のことを話した。
別の世界から来たこと。
キュンとの出会い、そして東を目指していること。
「信じてくれなくてもいいんだ。僕も自分の記憶に自信がないから」
「……ううん、信じるわ。とても興味深いわ。信じるに足る話だと思う。だって証拠が目の前に二つもあるんだから」
カップから立ち昇る湯気を通し、僕の話に耳を傾けていたマリリーヌさんは、ノートパソコンの画面を指さした。
「光る絵、不思議な魔法の道具ね」
「魔法道具って言われると、それに近いかも」
「で、これから何が起こるんじゃ?」
キュンが期待に満ちた眼差しを向けてくる。
「その……えーと、ご期待に沿えるかわからないけど。何て説明したらいいのかな? 勉強とか調べものとか、ゲームとかインターネットとかに使うんだ。とにかく、いろいろな事に使える道具っていうか……えーと」
説明が難しい。
パソコンは起動して何かが起こるわけでもない。
インターネットでも繋がれば見せられるけれど、スマホがダメだったのだから、これも動かないかもしれない。
「いろいろな事に使える? ゲームはわかるが、いんたーねっととは何じゃ? 使う目的の決まっていない道具というのも奇妙じゃのぅ」
「道具は目的と役割が必ず与えられるわ、でもこれはそうじゃないのね」
魔女のマリリーヌさんも困惑した様子。
「うぅ、そうなんですよね……」
僕の説明が悪いのか。どうも異世界人の二人には、パソコンがいろいろな事に使える、という概念がピンとこないみたい。
ふと思いついて、リュックからスケッチブックとペンを取り出した。
「ほら、例えばこの紙とペン! 普通は絵を描く道具。でもこんな風に、文字を書いて手紙にしてもいい。そして、こんなふうに紙飛行機にすれば……遠くの誰かに届く。こんな感じにいろいろ使える道具っていうか」
ふわりと押し出した紙飛行機は、窓の外へと飛んでいった。
「ふむ? なるほどじゃ」
「わかった気がするわ」
今度は納得してくれたみたい。机の上にあるノートパソコンに向き直る。
画面にパスワードを入力してみることにする。
確か数字の連打だったはず。セキュリティも何もあったものじゃないけれど、おかげで覚えていられた。するとアイコンが無数に並んだデスクトップ画面へと切り替わった。
「ログインできた!」
間違いない、見覚えのあるアイコンの配置。間違いなく僕の部屋にあったノートパソコンだ。
「絵が変わったぞな?」
「魔法そのものだわ……! 羊皮紙の絵を変える魔法とは全然ちがうけれど」
「えーと、パソコン自体が考えて、いろいろピコピコと表示しているんです。例えるなら人間の頭みたいなものが入ってるっていうか」
「頭……!? 禍々しき黒魔術?」
「何気に恐ろしい道具じゃな」
「いっ!? そうじゃないんですけど」
再び距離をとる二人。説明をしくじるとめんどうなことになりそうだ。
でも、どうして僕のパソコンがここにあるのだろう?
落ちてきたのに壊れていないのは何故だろう?
次々と疑問ばかりが浮かぶけれど、とにかく動かしてみることにする。
電源ケーブルは無い。面右下のバッテリー残量表示を確認すると、二割ぐらいしか残っていない。じきに電力が尽きればただの箱だ。
マウスも無い。代わりにキーボードの手前に装備された「スライドパット」でカーソルを操作する。
「おぉ、絵の中の矢印が動くのぅ?」
「触ると絵が変わっていくのね! あ、何か開いたわ」
「うん、こうやって……これを、よっと」
一番よく使ったのがインターネットのブラウザだ。けれどやっぱり接続エラーでなにも表示されない。
「だめだ……使えない」
半ば諦めつつ、メーラーを開いてみる。
ネットワークに接続されていないので、新規メールの受信は出来ないだろう。
「見たことのない文字がいっぱいじゃ。何かの記録かの?」
「うん、キョンの言う通り、手紙なんだ。誰かと文章をやりとりするためのソフト……」
と、そこで手が止まる。僕は息を飲んだ。
――from まり 件名:避難所ー? 2022/7/9 13:27
――from 森田仁 件名:無事だぜ 2022/7/9 16:09
――from 有希 件名:大丈夫だよ 2022/7/9 17:11
……
メールボックスには、過去に受信したメールが残っていた。
「友達からのメール、残っていたんだ」
「ミヨ?」
閃きのように記憶が溢れ出した。頭に立ち込めていた霧の一部が晴れて、鮮明な教室の様子が目の前に広がった。
『おはよう、ミヨ』
『宿題やった?』
『ねぇ、ミヨくん』
眩しい光に満たされた教室の喧騒。見慣れた顔のクラスメイトの名前を、顔を、僕は――
「思い出した……!」
元気で面白くて頼りになる一番の親友、仁くん。
お調子者で男女問わず人気があった真梨子さん。
そして、従姉妹で同級生だった有希。
クラスの友達、同級生たち。みんな、いなくなってしまった。
学校が緊急で休みになった翌日には、もう世界が大混乱だった。何処に逃げたのか、連絡も通じないまま、それきり会えなくて。
「仁……、希結……」
涙で画面が滲む。画面をスクロールして次々とメールの宛名を目に焼き付ける。メールの本文は開けないけれど、それでも十分だった。懐かしさが込み上げてくる。
みんな何処に居るのだろう。
僕と同じ様に跳ばされて、生きているかもしれない。そう思いたかった。
逢いたい……。
涙が溢れて仕方なかった。
気がつくとキュンが僕の背中に手を添えていた。
「泣くでないミヨよ。今日はここで休ませてもらうとしよう」
「うん……」
「まるで子供じゃのぅ……よしよし」
「キュンにそんなこと言われるなんて……うぅ」
ぐすっ、と鼻をすすると、マリリーヌさんが柔らかい紙を手渡してくれた。
「『聖邪のコイン』」
不意に彼女がそんな言葉をつぶやいた。
「え……?」
「あ、ううん。君とその『ノートパソコン』を見ていて、ふと思い浮かんだの。王宮で遊ばれるゲームのこと」
「確か『聖邪のコイン』とは白黒の石を並べて、陣を取り合うものじゃったか?」
キュンが博識を披露する。
「えぇ。魔王が黒い石。聖者が白い石。囲めばその隣り合う石の色を変えられる。そういうゲーム」
オセロか囲碁みたいなものだろうか。僕はぼんやりしながら聞いていた。
「ミヨ君は『星降る夜』に、滅んだ別の世界から来た。でも、たとえばこうして、世界の欠片に触れることで、黒から白に……世界の認識を変えているとしたら?」
マリリーヌさんが言う事がとっさに理解できなかった。
「どういう……こと?」
「なるほどの。大胆な仮説じゃが」
でも、キュンは親指をちょっと齧りながら真剣な眼差しになる。
「証拠は何も無いわ。魔女の勘ってやつ。けれど思ったの」
「何をですか?」
「この世界は、君を受け入れたんじゃないかって」
「僕、だけを……?」
「白い石、つまり『聖者の石』としてね」
「……白い石」
「黒く塗りつぶされた盤面を白く、ひっくり返す最初の一手として」
マリリーヌさんの言葉に僕は軽い衝撃を受けた。この状況をひっくり返せるかもしれない、ということ?
「確かにワシも妙だと思っておった。空の星が本当に砕け、大勢の人が死んだのなら、それこそミヨのような輩がそこらじゅうに散らばっていてもおかしくないからのう」
確かにキュンの言うとおりだ。
今、どうして僕だけがここにいるのだろう。
根本的な違和感と疑問の核心はまさにそこだった。
「神のみぞ知る。たまたまの偶然かもしれないわ。けれど万に一つ、億に一つの奇蹟で、この世界に君が来たとしたら? もしかすると君の友達も、何処か違う世界にいるかもしれないって。そう考えたら希望が湧いてこない?」
マリリーヌさんが言ったことに軽い衝撃を受ける。
「そっか! ここじゃない、別の世界」
絶望的だけど、一筋の光明が見えた気がした。
新しい希望と、可能性が開ける。
考えつかなかった。
他の友達が生きているかもしれない。
いや、それだけじゃない。世界中のみんなが、どこかで生きているかもしれないなんて。
この異世界で、偶然にも自分の持ち物と再会できたのは、ここが僕を受け入れたから。そう考えれば少しだけ腑に落ちる。
と、僕のお腹がぐぅと鳴いた。
「あ……あはは」
「そろそろ夕飯にしましょうか」
気がつくと西の空を残照が赤々と染めていた。今日という日がまた終わる。
「そうじゃの、食べて休んで、元気になったらまた旅を続けるとしようかの」
キュンが可愛らしい笑顔を向ける。
「そうだね。つきあってくれる? キュン」
「もちろんじゃとも」
「ありがとう」
世界の欠片を見つけて、触れることできっとまた何かを思い出すに違いない。
これは僕の記憶を取り戻す旅。
きっと、そういうことなんだ。
<つづく>




