4話
「カイト、一緒に踊って」
膨れっ面のまま、指さしてティアがそんなことを言い出した。
彼女の人差し指の先はダンスホールの中心。何組もの貴族のカップルが音楽に合わせて、ちょうど踊り始めたところだった。さすがは貴族。この程度のことは嗜みなのか、足さばきに淀みは見られない。
だが、カイトは騎士でもなければ、貴族でもない。平民でも踊れる人間は踊れるのかもしれないが、カイトは平民だと言えたのかも微妙だ。だから、こう答えるしかない。
「俺、ああいう格式ばった踊りはまったくできないぞ」
カイトが正直に言うと、ティアはますます頬を膨らませた。しかし、そんな顔をされたとしてもできないものはできない。
「まあまあ、こんな場所で痴話喧嘩はやめてください」
シルヴィアが二人の間に割って入り、さらに続ける。
「カイト君、簡単な話ですよ。踊れないのなら、今覚えてしまえばいいんですよ。ちょうどあなたは最初から見ていたんですから」
「はあ? そりゃそうかもしれないけど……」
「ああ。同じ曲を立て続けにかけるのは問題があると言いたいんですよね? それなら大丈夫ですよ。あんたはこの場の主役。もう一度、同じ曲を演奏団に頼むぐらいのわがままは許されます」
見て覚えるなんて不可能だと言いたかったのだが、それは上書きされてしまった。なおも抗議をしようとするカイトを無視して、シルヴィアはティアに耳打ちする。
「ティアさんもそれでいいですよね。二人きりで会場の中心で踊るわけですから、会場中の視線を独り占め――いえ、この場合は二人占めですね、できますよ。二人の仲睦まじい様子を他の方々にも印象付けれると思いますよ」
「カイト、それでいこう!」
鼻息を荒くして、目を輝かせるティア。胸の前で握り拳を作るオマケ付き。拒否できる雰囲気ではない。
さらにダメ押しとして、シルヴィアは周囲の貴族たちにこんなことを言い出した。
「お集りの皆様。この後、この『空』の新騎士団長がダンスを披露します。しかしながら、不作法者なので、ご教授いただければと申しております」
「ちょっ……!?」
カイトが驚きのあまり目を丸くするが、周囲の貴族たちはこの場の若い主役が躍ると言い出したので盛り上がる。完全に断れる空気ではない。
「さあ、これで引くに引けなくなりましたね、カイト君」
「あんた、本当にいい性格してるな……」
「これが『深淵』たる私の売りなので」
せめてもの抵抗として吐き捨てたカイトの言葉を、難なく受け流すシルヴィア。面の皮も厚そうだ。
こうなってしまっては仕方がない。貴族たちの踊りの一挙手一投足を見て、その技術を盗むしかない。最初から見ていられたのは幸いだと言えた。
学があるとはお世辞にも言えないが、記憶力はいい方だと自負している。カイトは貴族たちの動きを頭に叩き込んでいく。
やがてダンスが終わる。貴族たちと入れ替わり、視線がカイトに集まる。貴族たちだけではない。給仕をしているメイドたちの視線もカイトに向けられる。その中で深呼吸をして、カイトは頭の中でもう一度貴族の動きをなぞった。
その上でティアに手を差し出した。嬉しそうにティアはその手を取る。そのティアにカイトは小声で訊ねた。
「おまえは踊れるのか?」
「まあ人並みには。パパがこういうのも乙女の嗜みだって言ってたから」
ダニエル・ボースマン。『蹂躙』の二つ名を与えられた帝国最強の騎士の名。その娘であるティアが、彼のことを『パパ』と呼ぶのは不思議でも何でもないのだが、あの男の姿を思い浮かべるとその呼称には違和感しかない。どう考えても『親父』と呼ぶ方が相応しい。それにしても、見た目から『粗野』という感じが溢れ出ているあの男が、そういう教育をしていることが意外に思えた。
部屋の中央にティアと向かい合って立つ。まずはバイオリン。その音に合わせてカイトとティアは手足を動かし始める。続いて、他の楽器が奏で始められる。
「右、左、右……。前に一歩……」
ぶつぶつと自分にしか聞こえない声で呟きながら、踊りを進めていく。
カイトのダンスは素人目に見て、一番上手だと思われた貴族の動きを模倣したもの。ティアはそのペアだった女性よりもずっと小柄なので、カイトはそれに合わせて動きを修正する。
「こうして次でターンさせる……」
片手を繋いだまま、左右に広がったり、そのまま円を描くように足を動かしたり、ティアを一回転させたりと音楽に合わせて様々な動きを見せる。ステップの正式な名称などわからない。ただカイトは先ほどの貴族の男性と同じ動きを必死に見せていくだけだ。
やがてダンスが終わる。カイトとティアが観客に深々と頭を下げると、観客たちが手を叩く。お世辞も混じっているのかもしれないが、どうやら無難にこなせたようだ。
シルヴィアのところに戻ると、ティアが不満そうに言った。
「カイトの嘘つき。踊れるじゃん」
「嘘は吐いてない。ほんとに踊れなかったんだ。貴族たちの踊りを見てただろ。あれでどうにか覚えたんだ」
カイトはそう答えて、近付いてきたメイドから飲み物を受け取った。ついでにタオルも受け取って、額の冷や汗を拭う。
「嘘。見ただけで覚えて、しかも踊れるなんてあり得ないでしょ」
「終わった後で嘘言ってどうするんだよ。元々から器用なタイプでな。大体のことは見て覚えられるんだよ」
誰からでも『器用』と評されるカイト。得したことも多いが、貧乏くじを押し付けられることも同じぐらい多かった気がする。
なおも疑うような目を向けるティア。その会話を傍らで聞いていたシルヴィアが「なるほど」と呟いたのが聞こえた。単に感心したものではないとカイトは何となく思った。もっと別の何かがその呟きの中に混じっていたように感じたが、その正体は掴めない。
些細なことなので、カイトは特に気もせずに、そのわずかな疑問をワインと一緒に喉の奥に流し込んだ。