1(地下牢にて)
かび臭い場所には慣れている。窓もないので風通しも悪いが、洞窟に住んでいたこともあるので、薄暗さも空気の入れ替えができないことも慣れている。
そんな場所の臭いを鼻で味わいながら、カイトは目を開けた。
ジジッと火がろうそくを燃やす音が微かに聞こえる。灯りがその程度のものなので、ずいぶんと薄暗く、窓もないので太陽が出ている時間帯なのかも定かではない。しかし、カイトは朝だろうと直感した。
だが、カイトが目を覚ましたのは決して体内時計が正確だったからではない。足音が鳴り響いたからだ。その足音はカイトの方に近付いてくる。
カイトは上半身を起こす。地べたで眠ったせいか、手足が痛む。両手には拘束する手かせ。これのおかげで満足に寝返りが打てなかったのも要因の一つだろう。
その体を軽く解していると、足音がカイトの目の前で止まった。カイトは座ったまま、視線を持ち上げる。
そこには二人の人物がいた。一人は白銀の髪に眼鏡をかけた面長の顔の女性。細身の長身のせいで枯れ木のような印象を受ける。風が吹けば、飛んでいきそうだ。
もう一人はそんな女性とは対照的な筋骨隆々たる肉体を誇る大男だった。肩幅が広いため、横にも大きいが縦にも大きい。白髪の混じった髪と無精ひげを蓄えた男。年代はおそらく五十代。半袖から覗く丸太のような腕にはいくつかの傷跡が刻まれており、歴戦の騎士だと一目でわかった。
そんな二人が立っていた。カイトの部屋と通路を仕切る鉄格子の向こう側に。
一人が護衛の騎士とするならば、この女性は法務執行官か何かなのかもしれない。薄暗い地下牢で罪人の相手をしなければならないとすれば、護衛の一人ぐらいはいてもおかしくはない。
カイトは唇の端を持ち上げる。
「ようやく刑が確定したってことかな?」
「ええ。そういうことです」
鉄格子の向こうで女性が微笑んだ。
政に口を出せるほどの位の高い貴族の逆鱗に触れている可能性もある。下手をすれば、死罪もあり得るのだが、カイトは捕まった時点でそれも覚悟していた。元々からそういう綱渡りのような生活を行ってきたのだ。ここまでの道のりでカイトと今生の別れをした仲間は一人や二人ではない。ここで死罪というのならば、自分の番が回ってきたというだけのことだろう。
「しかし、こんな子供一人に刑を言い渡すだけなのに、そんなにごついおっさんを連れて来なくてもいいと思うけどね。法務執行官のお姉さんだけでよかったんじゃない? そんな人がいると気が休まらないんだけど」
仮に抵抗したとしても、こんな手かせがはめられている状態では、普通の騎士が相手でもすぐに拘束されてしまうことだろう。熊のような大男を連れてくる必然性を見出せない。
カイトがそう言うと、細身の女性は一瞬ポカンとした表情をしてクスリと笑った。
「私は法務執行官なんて身分じゃありませんよ。私も彼と同じく騎士の一人です」
今度はカイトが呆気に取られる番だった。しかし、意外というほどでもない。今の世の中、紋章術という便利なものがある。剣を振るわなくても、それを使って戦うことはできるので、女性の騎士も少なくない。
だが、その後に続いた女性の言葉にカイトは今度こそ絶句した。
「まずは自己紹介ですね。私はシルヴィア・トリスケン。この国の騎士団の一つ、『白』の騎士団長を務める者です」
この国、クロムガルド帝国が誇る十二に分けられた騎士団。そのうちの一角にして、もっとも重要な帝都『クロム』を守護する『白』の騎士団。その騎士団長は、十二の騎士団の総長も兼任している。つまり、クロムガルドの騎士団の実質的なトップだ。
それが鉄格子を挟んで向かい合っている女性だという。
さらに、シルヴィアと名乗った女性は、その細い指の生えた手で男性に自己紹介をするように促し、驚愕の事実を告げさせる。
「『黒』の騎士団長、ダニエル・ボースマンだ。よろしくな、小僧」
歯を見せて快活そうに笑う大男。
女性の方は知らなかったが、男の方の名前はカイトも聞き覚えがあった。『蹂躙』の二つ名を与えられ、他国でもその勇名を轟かせるクロムガルドの英雄にして歴戦の勇士。ちなみに『黒』の騎士団長は十二の騎士団の副長も務めていたはずである。
クロムガルド帝国の騎士団のトップ二人がこの薄暗い地下牢にやってきて、カイトの前に立っている。あり得ない状況にうろたえる場面なのかもしれないが、カイトは逆に笑った。あり得ない状況過ぎて笑えたのである。
「それで? 騎士団の総長と副長がわざわざこんな地下牢までやってきた理由は何だよ? まさか本当に刑を言い渡しに来たわけじゃないんだろ?」
カイトが訊ねると、「いえいえ」とシルヴィアは首を横に振った。
「そのまさかです。本当に刑を言い渡しに来たんですよ」
柔和な笑みだが、カイトはその表情の中に悪戯をする子供のような笑みが隠れているのを感じ取った。ただし、それよりも悪意を強く感じる。
「カイト・アルマンディア君。あなたには『空』の騎士団長を務めていただきます。それがあなたの受けるべき罰です」
一瞬自分の耳がおかしくなったのかと思い、カイトは手かせをされた状態で器用に片耳を指で掻いた。そして、訊き返した。
「何だって?」
「あなたには『空』の騎士団長を務めていただきます」
どうやら本格的におかしくなってしまったようだ。考えられない言葉が先ほどと同じくカイトの耳に入り込んだ。
カイトは今度は目を閉じ、深呼吸をして、最後にもう一度訊ねることにした。
「悪いんだけど、もう一度言ってくれ」
「あなたには『空』の騎士団長を務めていただきます」
「あんた、正気か?」
確信した。おかしいのはカイトではない。この女だ。
カイトは心の底から彼女の頭を心配する。
『空』とは彼女たちが騎士団長を務める『白』と『黒』の騎士団と同じく十二の騎士団の一つである。
その騎士団の団長の席に子供、しかも罪人を座らせようとしてる。誰だって正気を疑う。
すると、シルヴィアはおかしそうに細い指を口元に持って行って、クスクスと笑った。
「私は至って正気ですよ。成人してない子供ならともかく、あなたは十六歳。成人してるんですから、年齢的には騎士団長になっても何にもおかしくありません」
「確かに『赤』の騎士団長の女は十七でなってたしな」
ダニエルが横から同意した。一応はクロムガルドに住んでいるカイトだ。その話は聞いたことがある。五年ほど前までいた伝説的な女騎士の話だ。
「だけど、あっちは実績あっての話だろ? 俺は実戦経験はあるけど、実績って呼べるような代物じゃない。それにそもそも騎士ですらないんだぞ」
「ああ、その点は大丈夫ですよ。あなたの身分は今日付けで騎士にする予定ですから」
そういう問題ではない。カイトは痛む頭を押さえながら、さらに言う。
「それに俺は罪人だぞ。そんな人間が騎士団長なんて……」
「それも大丈夫ですよ。今回の逮捕は公の記録には残らないようにしてありますし、あなたの過去も限られた人間しか知りません。それに罪人が騎士団長になった前例がないわけではありませんから」
「それは意外だな……ってそういう問題じゃないだろ。仮にそうだとしても、何の実績もない小僧がいきなり騎士団長になるなんて、周りの連中が黙ってないだろ」
「黙りますよ。何しろこの『白』と『黒』の騎士団長が推薦するんです。騎士団のことに関してはどんな無茶だって通ります。それで返事は?」
確かにそれだけの力がこの二人にはあるのだろう。しかし、カイトは鼻で笑って、それに対する答えを告げる。
「お断りだね」
「あら? どうしてですか?」
少しも意外そうではない口調でシルヴィアは訊ねた。
「ここからも出られますし、騎士団長という他の騎士からすれば垂涎ものの栄誉にも与れるんですよ」
「そんなものに微塵も興味はない。理由はただ一つ。あんたたちのことが大嫌いなだけだ。仲間になるなんて真っ平ごめんだね。ここに拘束されてた方がまだマシだ」
カイトは不敵に笑って言い放つ。
「そうですか。それは困りましたね」
シルヴィアはわざとらしく頬に手を当てた。いちいち演技が臭くて、カイトの苛立ちに拍車をかける。本当はまったく困ってなどいないくせに。
そして、これまたわざとらしく「あ、そうそう」と思い出したように、右手で拳を作り左の手のひらを叩いた。
「これは独り言なんですが、数日前のある集団の壊滅作戦時に捕縛された子供が何人かいましたね。こことは違う牢でしたっけ? 彼らは元気にしているのでしょうか? 必要以上に虐待など受けていなければいいのですが……」
露骨過ぎる脅し。だが、仲間をこれ以上失いたくないカイトにとって、その効果は絶大だった。
「……高潔な騎士様がずいぶんと汚い手を使うな、この女狐」
「あら、何のことでしょう? もしかして、先ほどの独り言が聞こえてしまっていたのでしょうか?」
とぼけるシルヴィア。カイトは苦虫を噛み潰したような顔をして、思いっきり舌打ちをする。ますます彼らのことが嫌いになったのは言うまでもない。
「わかったよ。引き受けてやる。その代わり、他の連中も解放してやってくれ」
「ええ。他ならぬ『空』の騎士団長の頼みですからね。実はそう言われるだろうと思って、もうすでに解放済みなんです。監視は付けさせてもらってますけどね」
カイトが仲間を切り捨てられないことを見抜かれていたらしい。さすがは騎士団の総長と言うべきだろう。カイトは称賛の言葉を彼女に贈る。
「地獄に落ちろ、総長殿」