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アオイハル  作者: ぽた
第1章
7/8

”色彩”

「行ってきます」


 一人でいる時はしばらく口にしていなかった言葉が、今は自然と口を打つようになっていた。

 帰る家に誰か一人いるだけで、こうも生活の根本的なものが変わるとは、まるで思ってもいなかったな。


 あれ以来、千春も少しずつマシになっていって、今では不自然ながらも自然と笑えるようになっている。

 与えている、と言っては聞こえが悪いが、俺はただとりあえずの居場所を提供しているだけで、何か克服するところは自分の力でどうにかしているらしい。

 とは言え、それも一時のものか、あるいはただ押さえつけているだけか、何れにせよぐらついて不安定なことに変わりはない。


 忘れろ、とは間違っても言わないが、少しでも気が楽になるよう俺がサポートしないと。


 そう意気込む俺に、美優は「無理のし過ぎはダメ」だと言うが、ある意味俺にも責任というものはあるかは、そうは言っていられないのが本音だ。


「行ってらっしゃい。野菜の余り多いし、今日はお鍋にしよっか」


「いいな。帰り、何ぞ適当に安い肉でも買ってくるよ」


「大学帰りに私が行くけど――まぁいっか。それじゃあ甘えるね。ありがと」


「おう」


 頷き、靴を履く。

 千春はまだ在学中なので、家事的なことは二人で適当にやっている。

 押し付けることなく、かといって譲り合い過ぎることもなく、互いに足並み揃えて少しずつ分け合って。


 家を出ると、初冬の冷たい風が頬を撫でていった。

 寒さに少し身を震わせながらも、マフラーやコートを出すにはまだ早いかな、なんて思う。

 歩き始めは身体が固まっていて、思うほど前には進んでいかない。それでも無理やり、何とか足を踏み込んでいくと、少しずつ温まっていく。


「今日は鍋か…」


 寒い日には、みぞれ鍋なんていうのも良さそうだ。


 そんなことを考えながらの出勤。






「その後、彼女さんとはどうなんだ?」


 昼休憩。

 唐突に田中さんが尋ねてきた。

 都合、縁があって少しだけ事情を知っている田中さんは、たまにこうして俺たちの仲を心配してくれている。

 俺が折れるか愛想をつかされてしまえば千春は終わる――と、気負う俺に、美優と同じく「あまり悩み過ぎないように精々頑張れ」と言ってくれたこともあった。


「ボチボチ、ですね。以前のように、と強くは言えませんが、随分と笑ってくれるようになった」


「それは結構なことじゃないか。

  あの子自身の強さもあろうが、お前もちゃんと支えられている結果だろ」


「だと良いんですけど…正直なところ、あいつの力になれているかっていうのは、あまり実感はないですね」


「結果だけ見て認めてやることも、たまには重要なもんだぞ。出なけりゃ、心が折れちまうこともあるわな」


「結果――今あいつが笑ってる結果、か…」


 それは大いに喜ばしいことだ。

 そこに俺の力が一パーセントでも影響しているのなら――素直に嬉しいな。


「その顔だ」


 ふと、田中さんが俺の顔を指差した。

 え、と聞き返す俺に、


「その顔が出来りゃ上出来だ。それさえ忘れなけりゃ、上手くやっていけるさ」


 その顔。俺の顔。

 ふと触れた自分の口元は、僅かではあるが綻んでいた。

 緩やかなカーブを描いた唇は、俺が笑っている証拠。


「まぁまだ若いんだ。事情を詳しく聞こうとはせんが…時間かけてゆっくりでもいい。少しずつでも、確実に良くなっていけたら良いんだ」


 田中さんはそう言って括った。

 少しずつ、か。その通りだな。

 無理に多くをやろうとすれば、必ずどこかでどれかを零していく。零すくらいなら、失うくらいなら、遠回りでも一つずつ、確実に。


 飲み込んだ俺を見送って、田中さんは「次行くぞ」とトラックのエンジンをかけた。


 一件、また一件と回るうち、仕事の頭になるとそれも一時忘れていく。

 挨拶をして判子をもらって、荷物を渡してまた挨拶をして。

 繰り返し、繰り返し。


 夕暮れ時。

 最後の二件だと名前を確認したところ、久方ぶりにあの屋敷が含まれていた。

 また彼女の言葉を思い出して、どうにも悩まされる。


 夢。


 俺の――一度は手放した、俺の夢は。

 千春にも、まして家族にも話さなかった夢が、俺にも一つだけあった。

 とうの昔に諦めたものだったが「いつかは――」と願う自分がいることも分かっていた。

 それをまた追いかけ直すのも有りは有りだ。まだ若い、と田中さんにも言われたばかり。


 しかし。

 今一番大切なのは、千春のことだ。

 安い同情なんかではなく、俺が自分で守ると決めた以上、どこかでけじめが着くまで手放すことは出来ない。

 仕事終わりの夜、休日を、それに費やしてしまっては、千春を守りきれなくなる予感がある。


「夢、かーー」


 ふと声に出して呟くと、隣でハンドルを握る田中さんがどうしたと尋ねてきた。


「これから行く例の屋敷。そこの娘さんに言われたんです。小さなものですが、背を高くするのが夢なんだって」


「夢?」


「ええ。俺にも、昔抱いていた夢があるんですけど、それはもう――みたいな。自分で決めた千春のこともありますし」


「夢か。夢ねぇ…良いじゃねえか、追えばよ」


 正面は窓ガラスの向こう側に見える景色に集中しながら、田中さんがそんなことを言った。


「何歳になっても、夢は夢だ。自分のやりたいことだ。それに――」


 一呼吸置いて。


「なんなら、彼女と追うのも良いだろ。二人三脚を決めたんなら、一緒に出来る何か一つくらい ねぇとな」


「一緒に出来る…?」


「そりゃあそうだろ。ただ守る守られるだけの関係じゃダメだ。なまじ彼氏彼女だってんなら、その子の幸せを願うなら、せめて楽しくなきゃいけねぇ」


「それは――いえ。その通りですね」


 まったくもって。


「互いにわがままも言えねぇ関係は、ただの主人と犬だ。そんなの嫌だろ?」


「ちゃんと男で、好きな女の子です」


「なら、一つくらいはな。叶わなかったら叶わなかったで、叶ったら叶っただ。良いじゃねえか」


 どちらに転ぶかはその人たち次第。

 どちらに転んでも、良いか悪いかを決めるのもその人たち次第。


 だから甘えて、我儘も言って、それをある程度許容出来る関係性でなければ、ただの主従。

 なるほど、言い得て妙だ。


「ま、ひいては相談や願いじゃなくても、日常的な会話で夢を語ってみるこった。あの子はいい子だからな、大いに賛同してくれるだろうよ」


「話してみないことには、ですかね。まだ誰にも言ったことないですから」


「そうなのか? 勿体ねぇ。俺はこれになるんだって堂々と宣言して後に退けなくなったら、あるは否が応でも叶いそうなもんだぞ」


「軽く言ってくれますね」


「俺は一度は叶えた側の人間だからな」


 今は外れているのか。

 聞きながら、失礼にもそんなことを思った。


「それで、お前の夢ってやつは?」


 話さなきゃダメな空気。走行中の車内は、生憎と逃げ場がない。

 まぁ、恥ずかしいものではないし。

 誰にも何かしらあって、それを公言出来るくらいじゃなきゃ叶うものも叶わない。

 だから俺はーーなのかな。


 笑われる覚悟で息を吸い込む。


「俺の夢は――」






「小説家?」


 千春だ。


 屋敷へ届け物をして帰り、一息ついた後。

 鍋が煮えるのを待ちながら、ふと千春に俺の夢について語ってみた。

 ただ何となく流れで、ではなく、千春の方から”夢”に関する話題が出た為に、つい口をついてしまったようなものなのだ。


「大学をやめる前、何度か新人賞にも応募した。ラノベじゃなくて、推理とか恋愛とかの純文学」


「へぇ、意外」


「まぁそうだろうな。何せ経験値が全然ねぇんだもんよ。選考ではいつも”リアルさに欠ける”って蹴られたもんだ」


「リアルさって。いやいや、妄想や想像を自由に創作出来るのが、文学の良いところだって私は思うんだけど」


「それを前提とした賞だったんだ。受け取り方次第ってな。まぁ泣く泣く夢を諦めた訳だが」


 そうそう忘れられようはずもなく。

 過去に抱いていた夢ではあるが、どこかまだ、それに憧れを抱いている自分がいる。


 自由に、好きなことを好きなように綴って、それに同意してくれる人が買ってくれて、何か感じ取ってくれて――言葉で言うのは簡単だが、それは死ぬほど嬉しいことなのだ。

 自分と同じ感性の共有、あるいは違う感性のぶつけ合い、そんなものが絡み合うのが小説だ。


「認めて貰えなくても、独善的だって貶されても、自分の正直な文字を出せるって良いなって思って」


「小説家か――」

 

 千春はどこか遠くを見るような目で頬杖をつき、息を吐いた。

 呆れられたか――といった勘繰りは、ものの見事にお門違い。

 少し間を置いた千春は、


「悟志の書いた文章なら、私幾らでも出せる自身あるかも。読んだことないけど」


 そんなことを言い放った。


「凄く優しくて、凄く色々考えてて――っていう頭を文字に起こした時、すっごくいい作品が生まれるような気がするよ」


「そうか…?」


「うん。ひいては、今まで没になった作品群を見てみたいかも。データとか残ってないの?」


 答えとしては、あるにはある。

 ネット応募だった故、ワープロに打ち込んだデータはそのままパソコン上に残っているのだ。


 しかし――


「笑わないか?」


 少し、不安ではある。

 認められもせず、結果も残せなかった俺の文章が、それほど良いものだとは世辞にも言い辛い。


「頑張って賞にも出した全力を嗤うような真似、私は絶対にしない。約束を破ったら、お風呂掃除と洗濯を毎日請け負ってもいいよ」


「そこまでの覚悟はいらんが――やっぱり、お前ってすげぇ良い奴だよ」


「今更だよ」


 優しくはにかんでみせる。

 思わず息を呑む俺に、千春はそのまま「見せて」と追随して来た。


 ノートパソコンを立ち上げて、フォルダ名は”創作関係”をクリック。

 没、未完成含め、百を超えるデータが表示される。


 すると、千春は顔が当たるか程度のところまで乗り出した。


「凄いね。これ全部あんたが?」


「まぁな」


「ふぅん……嫌なことは言わない、一番自信のあったやつだけ読ませて」


「おう」


 短く応じて、俺はスクロールしていく。


 恋愛もの、お仕事もの、推理ものにファンタジーにまで手を出した。

 あれやこれやと試作していた頃が懐かしい。

 一次選考すら通ったことはないが、どれも良い思い出だ。


 その、丁度中盤辺り。

 ふと顔を出したそれにカーソルを合わせると、千春がそれを口にする。


 何より一番の自信作。

 リアルさに欠ける、なんて言い分を、飽きる程に何度もクソだと繰り返し口にした、俺がこいつと付き合っていた時分のことをもじった、夢物語。


「”色彩”」


 カチ、カチ。

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