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アオイハル  作者: ぽた
序章
1/8

失敗と反省

 きっかけなんて安いものだ。

 目つきが悪いと言われ続けて来た人生の中で、俺は人から好意を向けられたことも、無論向けたこともなかったのだが、ある日――


『身長――高くて羨ましいです。私にも、少し分けてください』


 そう言ったのは、配達員としてまだ新人の俺に割り当てられた地域の一画にある、大きな屋敷の小さな少女。

 年齢は自身で告白していたから17だと知っているが、件の身長は160に届かない程度。


 目つきの悪さに加え180を超えていることもあって避けられて来たと言うのに、この子は。

 たったそれだけのことで少し心が揺れ動いてしまうのだから、中身も中身な俺ではあるが。


 そんなに小さくなくないですか?


 そう言ってやると、彼女は『夢は大きく。目指すは2メートルです!』と言い切ってみせた。

 それがあまりにおかしくて、女性という点を抜いても現実味がなくて、俺はつい声を出して笑ってしまった。


『2メートルを超える女の子か。それは良いですね。俺より高くを望むなんて、余程のコンプレックス』


『そんなあっさりと笑い飛ばします? 私には由々しき問題なのに…』


『いや、悪い――と、すいません。そうですよね、夢は大きくがいい』


 笑いながら口にしておいて、違和感は拭えなかった。

 俺は夢を諦めた側の人間だ。偉そうに講釈垂れていい立ち場ではない。


 はっと我に返っていつも通り険しい顔。

 戻った俺はそのまま屋敷を後にしようと背を向ける。


『ありがとうございました』


 ルーチンワーク。

 心もなく、誰にでも言っている言葉だ。

 しかし。


『あの――』


 ふと、背後から呼び止めるような声がかかる。

 予想だにしていなかった空気に慌てて振り返ると、


『笑顔、とっても素敵です。ずっとそうしていればいいのに』


 何を言っているのか。

 嬉しくはあった。

 けれど、同時に悔しくもあった。


 温室育ちの世間知らずに、当たり障りのない人生を送って来たやつに、俺の何が分かるのだ、と。

 お門違いな怒りだとはすぐに気付いたが、それに対応出来るような自制心もなく。


『――またのご利用、お待ちしております』


 いつも通りの言葉を吐いて、俺は屋敷を後にした。






「――ってことを悔やんでるわけだ」


「はい…」


 俺とペアで同じ地域を回っている、この道20年を超える中堅の田中さんに、トラックの中で相談をしたところ返って来た言葉だ。


「俺はその時、確かに何かが揺れたんです。彼女が"夢"と口にした瞬間――でも、その後すぐにそんなこと言われたもんだから…」


「難しく考えすぎだ、木村は。お前が目つきに負けないいい奴なのは確かなんだから、別に何を恐れる必要もないだろ?」


 それはそうだ。

 俺がいい奴かどうかは置いておいて――確かに俺は、散々俺を辱めて来た奴らのことは何とも思っていない。

 中学の頃はたったの3年、高校に上がっても追加で3年、ただ我慢すれば良かっただけ。別に虐められたりしていた訳ではないから、取り立てて気にかけたことはない。


 ――つもりだった。


 たまに親や妹、幼馴染から何でもないことで褒められたり感謝されたりすると、どうにもその時々に浴びせられた視線が脳裏に浮かんで、俺はその場から逃げたくなる。

 拒絶反応、と言ってしまえばそれらしくは聞こえるが、要は俺がまだ弱いのだ。

 我慢出来る強さを持っていると勘違いしていた、子どもに過ぎない。


「俺は――認められたい訳じゃないけど、人を見た目で判断して欲しくないだけです」


「それが甘いってんだよ」


「え…?」


「自分から離れていくような奴、誰から気を向けられよう筈もねぇだろ。それを認めちまってんのは、周りじゃなくてお前自身だ」


 そんな言い分に、俺は息を飲んだ。

 全くその通り――自分自身で自分を変えられないような奴が、周囲から変わって貰える訳がない。


 分かっている。それは分かっている。

 随分と前から、親にも妹にも言われていることだ。


 けれど、それを変えることがどれだけ難しいことか。

 周囲の目に萎縮してしまう習性に落ちきっているというのに、それをすぐに変えろという方が無理難題だ。


 などと言っても栓なきことなのも、分かってはいる筈なのに。


「まぁ、とりあえずは次の機会にでも、な。それがまずは第一歩だ」


「……はい」


 出来るのか。

 やらなければいけない事だというのは分かっているが――






「口で言うのが難しいかもって思うならさ、まずは手紙から始めてみれば?」


「手紙…?」


「そ、手紙。ちゃんと手書きでね」


「手紙だからそりゃあ手書きだろうが…」


 アイスに手をつけながらそんなことを言うのは、実家が隣だからと昔から付き合いのある、幼馴染の横山よこやま千春ちはる

 俺から相談した訳ではないのだが、表情から何となく分かっちゃうんだよね、と切り出された末に話し、それに対する返事だ。


 近場ではあるが、せっかくこうしてアパートでの一人暮らしを始めたと言うのに、たまにこうして家に上がり込んで来ては、俺のストックしているアイスやら何やらを物色していく。


 千春曰く、相談料なのだそうだ。


「手紙って、とっても捨てにくいの。何でもないものは勿論、温かい言葉が綴られているようなものは特にね。データのメールとは違うんだよ」


「そもそもメアドも知らんが。手紙、ねぇ…」


「住所の文字盗んで、とかじゃなくてね。ちゃんと本人に渡すの」


「いや待て、それはハードルがおかしい」


「そう? 配達物の間にちょこんと挟んでおくだけじゃん」


 それは如何なものなのだろうか。

 誰とも知らぬ人からの届け物に、そんな私用の物を入れるなんて。


「まぁ、あくまでこれは提案。成功するも失敗するも、時と運とあんたとその子の問題なんだから」


「要素全部だな」


「人のことは分からないって話よ。あんたが温室育ちだって決めつけてるだけで、実は全然現実味のある人生だったりするかも知れないでしょ?」


 否定は出来ない。


「まぁ上手くやんなさい。反省してるってことは、イコール嫌いになったって訳じゃないんでしょ?」


「全然話したこともない相手を嫌うほど、人間やめてねぇよ」


「ならよし。ちゃんと出来るわよ」


 千春はそこで一拍溜めて、


「この私の元カレだもんね」


 少し伏せ見がちに呟いた。


 数年前――俺たちがまだ高校2年の頃、数ヶ月だけ付き合っていた時期がある。

 こうして今も普通に話しているだけに、別れたきっかけは喧嘩や行き違いなどではない。


 告白をして来たのは千春の方だった。

 ずっと一緒に居るうち、好きになってしまったのだとか。

 俺は無論、唯一気心許せる千春であっても、初めの内は断った。俺の問題ではなく、千春を傷つけることになるから。

 それでも食い下がって譲らない千春に根負けして、結局――といった具合だったが、別れたのも、やっぱり私たちらしくないとの言い分だった。

 それが良いと飲み込んで、以降は今まで通り適当な感じで過ごしている。


「私、別にあんたが嫌いじゃないよ。むしろ、まだ好きではいる」


「――そうか」


「うん。でも、何だろ。あんたの言う私への心配が、ちょっと私には寂しいの。あの時には話さなかったけどね」


「何となく分かってはいたさ」


「そう? なら良いんだけど」


 何が良いのかは分からないが。


 それで別に、俺が心配しなくなったからよりを戻そうっていう話でもない。

 ただ、知って、知られて、お互い安心したかっただけなのだ。


「変わらなくていいとこもあるよ。私の好きなあんたがまだいるなら、多分大丈夫だって思う。そんだけ」


「――そっか。ありがとな」


「んーん」


 そう返して首を振る千春は、穏やかで、それでいて何かを含んだような表情をしていた。


 何か思うところがあるのか。

 そう尋ねかけたところで、千春は「さて」と立ち上がった。


「ごめんね、また勝手に来ちゃって。そろそろ帰るよ」


「あぁいや、別にそれは良いんだけど――そこまで送る、ちょっと待って」


「ん、ありがと」


 先に外へと出て置いて貰って、俺は急いでジャージから私服へと着替え、千春の後に続いて外へと足を踏み出す。

 適当に選んだつもりだったそれは、存外と実は思い出深いもので。


「それ、初デートの時に私がコーデしたやつじゃん。こっちに持って来てたんだ」


 一通りくるりと目を通しながら、千春がそんなことを呟いた。


 初デートの折、自分なりには気を遣って着ていった服を『ちょっとダサい』と一蹴して、そのまま服屋へと赴いた際に選んでもらったものだ。

 無難。それでいてちゃんと個性の付いた、良い召し物である。


「まぁ、な。これが一番外に行きやすいし」


「でしょ。うん、やっぱりかっこいいよ」


「そりゃどーも」


 正直、嬉しいことは嬉しい。

 腐れ縁とは言えども一度は付き合うに至った仲。千春に褒められるのは、素直に嬉しい。


 さて行こうか。

 千春の掛け声で以って、俺たちはアパートの階段を降りていく。

 初夏の風は生暖かく、過ごすには丁度良い気候である。


「そう言えば、その地域が配達担当なのって、いつまでなの?」


「えっと、確か今年度いっぱいだな。来年の三月の尻に、変わるかここのままか相談が入るんだと」


「ふぅん」


 千春は事も無げに呟いた。

 それが何か――そう問うより早く、近くの自販機の前まで駆けていく。


 千春が財布を片手に眺めているのは烏龍茶。

 今日はサークルでちょっと疲れた、と家で言っていたことを思い出すと、俺は何も言わずに財布を取りだして小銭を漁った。

 何の因果か丁度残っていた160円を取り出して投入し、横からボタンを押してやった。


 ガタン。

 小気味いい落下音と共に、ボタンは『売り切れ』と赤い表示が成される。


「あ、それ私が――」


「ん」


 元より、自分の為に買ったわけではない。

 自身の稼ぎこそあれど、千春はバイトで俺は一応の社員。

 

「これくらい、言ってくれたらたまになら買うぞ。行きたいとこあってバイトしてんだろ?」


「うん――ありがたく貰うよ」


「ん」


 素っ気なく返しているのは、別に何とも思っていないからではない。

 なまじ過去があるだけに、ちょっとした素直な感謝が、少し気恥ずかしいのだ。

 どうにも慣れないというか、今までは隣にいるのが当たり前だった筈なのに、何故だか今は、肩が触れる距離がむず痒い。


 しばらく歩くと、住宅街から大通りへと出た。

 辿り着くとすぐに、千春は「ここでいいよ」と切り出す。


「二駅だったか。まぁ気いつけて帰れよ」


「うん、ありがと。おやすみ」


「おう、おやすみ」


 片手を振り合って挨拶すると、千春はさっさと先を歩き始める。

 すると、十歩程歩いた所でふとこちらに向き直った。


「ねぇ」


 何。

 そう聞き返すと。


「私のこと、まだ好きでいてくれるの?」


 そんなことを聞いて来た。

 彼氏彼女の関係は終わっている。これは確実だ。

 千春の今言う”好き”は、嫌いになっていないか、ということの確認である。

 

 少し前にも似たようなことがあった。

 私から誘っておいて私から振るなんて――と、柄にもなくしょげていた。

 

 そんなこと、分かり切っている。


「好きでもなけりゃ、食われたアイスには怒ってるし、お茶も買ってねぇよ」


 本音だ。

 紛れもない、混じり気のない、心から零れた言葉だ。


 千春も少し満足気で、微笑みを返してくれている。


「そっか……あ、ありがとね、お茶。またね」


「おう。おばさんにもよろしくな」


 去り際に言ってやると、千春は手を振る動作で以ってそれを善しとした。


 一人になった途端、吹き抜ける風が急に冷たく感じて、俺はつい身震いしてしまう。

 どうも千春と入る時はまだ、少しばかり緊張してしまうらしい。付き合う前までは、そんなこと絶対になかったのに。


 好き、か。


 色んな意味合いに含みもあって、難しい言葉である。

 簡単に言ってのけられる人たちが、素直に凄いと感じてしまう。


「――さて」


 とりあえずは、明日の配達に向けて一睡。

 彼女のことは――その後で考えよう。






 そう、思っていた筈なのに。


「お、お届けに参りました……」


 再会のお屋敷。

 

 手紙はおろか、心の準備も出来ていないままで、その時はやって来てしまった。

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