花村 悠斗
では、また今度と立ち上がった時ポケットから何やら鍵が落ちた。画人のように穴が開くほど鍵を見つめていると、
「その鍵がどうかしたんですか?」
と、不思議そうに彼女が聞いてくる。何故か安心した。
「それがね、分からないんだよ。」
「なんですかそれ。」
と言うと彼女は笑った。
「もしかしてですけど、駅のロッカーの鍵じゃないですか?それ?」
うーんと考える。たしかに駅のロッカーで、見覚えがある。
「取り敢えず行ってみましょうか!」
そうだねと頷いた。
玄関を出る時彼女の母親が優し声で、夕飯前には帰るのよーといった。
「今日のご飯何ー!」
どうやら今日の夕飯はハンバーグらしい。その事を聞くと彼女は有頂天になり、スキップをしながら私の前を歩く。愛されているのだろうなぁと、感慨に耽った。どうやら私はクスリと笑ってしまっていたらしい。彼女がこちらを睨んだ。それを気づかないように前を見ながらも、私はもう一度クスリと笑った。
「ところで、お兄さんの名前はなんていうんですか?」
「花村悠斗」
と答えた。名前は覚えていた。親の名前、卒業した学校、家の住所も。だが、コンクリートを行進する前の記憶が一切ない。記憶喪失とでも言うのだろうか、蝶が羽化した蛹のようにとぽっかりと忘れている。
「君は?」
「私ですか?佐々木 栞って言います。」
「いい名前だ。」
「やだなぁ、照れますよ。」
お世辞ではなかった。中学の頃に好きだった子と似た名前だったから。
そうしているうちに、駅へとついた。まだ昼だからか閑散としている。静かな湖の辺に足を踏み入れるようにそっと足を置いた。コツンと、よく響く。
「静かだね。」
「そうですねぇ。」
「まるで世界に二人しかいないみたいだ。」
少女が顔を背けた。
「悠斗さんって、い、今彼女とかいるんですかっ?!」
「いないー、と思う。」
彼女は呆れた顔をしながらも朗らかな笑顔を見せる。
「じゃ、じゃー」
栞の顔は、紅葉した葉のようだった。
彼女の言葉を遮るようにわざと、
「あ、あれじゃない?」
栞は、ムスッとした顔をした。
鍵についた番号と、同じロッカーに鍵を入れる。カチリと、音がする。
「な、なんですか?!これ?!」
私も驚いき、目を点にした。そこには、200万円にもなろう札束が重なっていたのだ。とても疑わしい金だった。
栞は驚き声も出ない様子だった。
「むこう4ヶ月は遊んで暮らせるな。」
不意に出た言葉だった。だが、確かにそうだ。記憶はなくても、私のポケットから、出てきた鍵だ私のものだろう。
「凄いですね!初めて見ました!」
「あぁ、私もだ。」
こんな大金をロッカーで目にすることなんて、一生を通してもないだろう。小説の殺しの報酬とかでしか、語られない。だが実際、金が目の前にあるのだ。私は20万円、ポケットに入れて鍵を閉めた。
その後、駅で栞とは別れた。彼女は最後まで何か言いたげにしていたが、私はわざと言わせないように立ち振舞った。言わせてしまうと私も、彼女も日常が壊れてしまうかもしれない。そういったことに私は、昔から慎重だった。別れる時に彼女の電話番号を聞いておいた。大事なものをこぼしてしまわないよう、慎重に慎重に番号を教えてくれた。
得た金で、ホテルをとった。安いビジネスホテルだが小綺麗にしている。私の身なりをいささか不審に思う人も、いない訳では無くそそくさと部屋に入り明日の身支度を済ませた。
翌朝、曜日感覚がなかったがどうやら昨日は土曜日で、今日は日曜日らしい。栞に会うために電話をした。ジリリリリと音が鳴る。2コール目で栞の声がした。
「もしもし!」
少し息が切れているようだ。
「どうしたの、朝からそんなに忙しそうに。」
「えっと、えへへ。」
しばらく海の底のような静寂が続く。
「あのさぁ」「あの!」
声がかぶる。彼女は大笑いした。私も釣られて笑った。幸せだと感じた。
「水族館にでも行かない?」
何か理由をつけて彼女と会いたかった。今の私は、この世で生きていくには、あまりに脆弱過ぎた。この世界にたくさん人はいても孤独は感じるように、私は孤独だったのだ。既に、母親は他界しており地方へと出て、大学を卒業したが就職浪人をしていた。子供の頃は、何もしなくても友達は沢山できると思ってたし、いい大学を出て、仕事を持ち、家庭も持つと思っていた。だが、それは大きな間違いだった。自分から動かなくては、友達もできないし、就職もできなかった。離婚した親を恨んだこともあった。再び普通の家庭を得て、普通の幸せを得た父親を羨んだ。母親になぜ不幸が起こっのか分からなかった。私は、孤独だったのだ。私は孤独だったのだ。
「え、す、水族館ですか?いいですねぇ!」
「ありがとう。」
目から涙がこぼれていた。口に入った涙は塩辛かった。
「1時に君に家に行くよ。」
「分かりました!」
朝食を食べる前に私はベッドで泣き崩れた。