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妄想的?  「時をかける少女」 謎  極私的考察  深読み。映画レビュー

作者: 舜風人

極私的 「時をかける少女」  論






(注)  以下、あくまでも私の個人的的見解です。正当性は保証しません。






ここで、私が言っているのは、もちろんあの1983年の原田知世主演の

映画、『時をかける少女』のことである。

これ以外の、リメイク版などは問題外です。語るに値しません。

この映画だけが『時をかける少女』なのです。


この映画実は、一部の強い支持者を持っている、いわゆる「カルト・ムービー」でもある。

この映画は、その後何度もリメイクされて、いわばアイドル主演映画の元祖的な作品でもある。

ではなぜこの映画はかくもカルト的な映画足りえたのか?

理由は3つある、と思う。



1、監督があの、大林亘彦であること、彼の作品では、「ハウス」という美少女ホラーがあるのですが

  これも、カルトムービーですよ。華麗でポップなそういう感性の監督作品であったこと、


2、主演が原田知世であったこと、あのみずみずしい、透明感はありえない魅力でしたよね、

  15歳の清純な少女像そのもでしたよね。


3、原作が良いこと、原作者の筒井康隆はSF小説の大家?です。



この3条件がそろったことで稀代なカルトムービーとなりえたのです。(と、私は思う)



以下、私の見解を開陳してみたいと思うのです。



1、監督が大林宣彦であること、


そもそもこの映画、当時は添え物映画として、安易に?作られたと聞いています。

原田知世は、とある映画の、オーディションでは次点であったのが、

あの、角川春樹に気に入られて

じゃあ原田知世主演でもう一つ映画を撮ろうじゃないか?となったのだとか?


大林監督は後年、こう述べている。


(以下私の記憶のみによる記述ですので記憶違いがあるかもしれません、、)


映画監督は「アートの詐欺師」であると、本当は、、

時をかける少女は純愛ものではなくて、恐ろしい物語であると、

1983年にもこんな純粋な少女はいなかった。まさにこれは大正ロマンチシズムの物語である。

おじさんの妄想少女礼賛映画であると。1983年には、いるはずもないようなそういう偶像(虚像)だったからこそ当時の少年はその謎のレトロな偶像少女に陶酔したのだろう、、と。

角川春樹おじさんと大林宣彦おじさんの二人が、、妄想?少女像を偶像として作り上げて原田知世に捧げたのであると。

つまり非常に主観的な映画であると。生身の少女像ではない、

そういう妄想少女像を演じさせられた原田知世はこの映画のトラウマ(呪縛)に長年苦しんだ?という、

すべてが虚構であり創作である。不自然さのオンパレード

だからこそ当たり前の、、つまり普通の平凡な、アイドル少女映画を超えて当時の少年たちの心にしみわたったのであろう。CG映画ってどこか冷たいでしょ?だからそこに温い手触りを与えるのが監督の手わざである。だからこの映画はあえてアナログ的な手法を取り入れているのだと、

さらに、、ヒッチコックとの共鳴性も語る。



以下私の私見です。


時をかける少女とは、、あえて言えば,、ヒッチコックの「めまい」と共有性?があるようなまさに妄想映画?です。

ご存知のように、「めまい」とは、いるはずのない女性キムノヴァックに対する妄想的な狂愛を描いた、まさに妄想の極みの映画です。

そしてその妄想が  つまり、、ガラスの宮殿が一瞬にして崩壊するとき

ジェームス・スチュワートもまた崩壊するんだ。

『時をかける少女」も、また、いるはずのない男性(深町君)への知世ちゃんの一途な決して報われない恋です。

そして記憶が失われたとき、知世ちゃんもまた、現実せかいでは、結晶化して?

自動人形のように固着するんだ。




当時大林信彦監督は、「転校生」や「ハウス」でようやく脚光を浴び始めた新進監督、

のちに尾道三部作となる2作目として、「転校生」に次いで作られた。この『時をかける少女」が尾道舞台で企画されたそうです。

大林信彦という監督は広告畑から映画監督に転身した人でポップな感性もあって、例えば「ハウス」という、ホラー映画では当時の美少女アイドル総出演で、ライトな味付けのでも相当グロイ要素もある青春ホラー映画を撮っています。

この映画私大好きな映画の一つです。この映画もそうとカルトムービーですね。


美少女たちがハウスに住むおばあさんを訪ねてゆくと次々にハウスに食われてしまうというホラーです。

、同様に、尾道三部作の三作目「さびしんぼう」も富田靖子の美少女が寺の少年のまさにアニマとして妄想的に描かれていましたね。あの白い顔のピエロみたいなサブキャラクターっていったい何だったんでしょうか。

おそらく、さびしんぼうの正体は思い出のマーニーのマーニーみたいな存在なんでしょうね。

というかお母さんの17歳の時の写真生霊?


さて肝心の『時をかける少女』ですがこの映画、

はっきり言って突っ込みどころ満載で、まあこういっては何ですがアマチュア映画?っぽいです。

原田知世のあの清純な魅力を見せればそれでいいや?みたいな?ノリの映画と言ったら叱られるでしょうか?本質的にはライトな青春ものです。

でもところどころにキラッと光る部分はさすがに大林監督です。

青春の甘酸っぱい感性が実にうまくあらわされています。原田知世のための映画といってよいでしょう。

ほかの少女ではだめなんです。



2、主演が原田知世であること、


当時青春真っ盛りだった原田知世(15歳です)の、あのみずみずしい感性が演技のうまい下手を超越して迫ってきます。

もう彼女の演技が学芸会なみ?であってももうそんなことどうでもいいんです。

いるだけで絵になるんですから。あの透明感、青春そのもののような笑顔のおしゃべり、

演技なんかどうでもいいんだよって言いたくなるのは私だけでしょうか?

おそらく彼女と映画の幸運なるたった一回の出会い、それがこの映画だったんでしょうね。

実際この後、彼女の映画って、あなた覚えてますか?私もさっぱり覚えていませんよ、

確か数作あったはずですが、そんなのみんな消し飛んでしまってますよね?

原田知世といえばこの映画しかありません。そういう映画です。




3、筒井康隆原作の新鮮さ。


ご存知のようにこの人はSFの大御所でほかに本格的な作品があるのですがこの

『時をかける少女はジュブナイル物で、いわば力を抜いた?短編で高校生向けの雑誌に掲載されたようですね。その分力が抜けた余裕というか詩情性が前面にあってよかったのでしょう。

内容的には広義の、タイムトリップものですが、タイムトリップ要素は脇役で表面はあくまでも少女の青春ストーリーです。例えば「トムは真夜中の庭で」とか「思い出のマーニー」のような上質なジュブナイルファンタジーといえるのではないでしょうか?



「深町くん、、、、胸が苦しい、、、、、教えて、、、これが恋なの?」



小説でいえば、

私は何となくヤングの「タンポポ娘」という佳作を連想してしまいましたがどうでしょうか?

こういうテーマって泣けるんですよね。

あるいはフィニーの「愛の手紙」という短編にも

通じるような淡い感傷と、ノスタルジー。ともに時間を超えた永遠の愛をテーマの作品ですが。、



この映画について知らない方もいるかと思いますので簡単に?ストーリーにも触れておきましょうか・?

、、、。このストーリーあくまでも私の記憶によりますので、記憶違いもあり得ます、念のため、






スキー教室で主人公、芳山和子15歳は、星空を見ながら将来の恋人について語る。

と、、突然、深町君にぶつかる。

「深町君?」と驚く和子、そこから物語は始まり、、、、


オープニング。

障子の影に映る和子(原田知世)のシルエット、にオーバーラップして

なんとも?意味深な?字幕が、、


「人がもしも、理想の恋を知ってしまったらそれは果たして幸福なのだろうか?それとも不幸なのだろうか?」


その後、和子は理科実験室でラベンダーの香りを嗅いだことで、意識不明になり、不思議にも自分がそれからは、タイムリープできることがわかって?

近未来(2~3日先)のことが予見できるようになる。

地震騒動や、理科実験室での不思議な体験。

夜の火事事件、お堂の瓦落下事件。

深町家の温室でのラベンダーの香りなどなどでそこで深町君と怪しげな?歌(愛のためいき)を二人でうたったり、、。

和子は次第に深町君への思慕(初恋)を深めてゆくのだが、、。

より深町君への疑問が深まるのだった。


この映画、純愛ものとタイムトリップを組み合わせたファンタジーなのだが、

より深読みすればこれは大林監督の少女妄想もの?

というか思春期の目覚めを描いた,性典モノともいえるような性的メタファーに満ちた妄想作品?であるともいえるのだろうか。


深町君が和子の耳元でささやく(ラベンダーは男の香りなんだよ、でもお花はかわいいだろ?)


以下ネタバレを言ってしまえば、

深町君は未来人であり、植物学者であってタイムトリップして植物採集に来た?というわけなのだが、

和子をはじめ周りの人々の記憶を洗脳して自分を幼児のころからの友人とインプットしてなりすましていたという設定?

ラベンダーを使ったタイムトリップ薬剤?の実験中に芳山和子がそのにおいをかいでしまったために、彼女もタイムトリップしてしまった?という、めちゃくちゃな?こじつけ理由?なわけですが。

和子はやがてその事実を感づいて、土曜日の実験室の秘密へと迫ってゆく、

そこで深町から真実を告げられて、

幼児からの記憶もインプットされたものでしかなくて実際はあのスキー教室からの1か月間の出来事だったと告げられるのですね。


「深町くん、、、、胸が苦しい、、、、、教えて、、、これが恋なの?」

「私も未来へ連れてって」と和子が懇願するが、

「君はこの時代で幸せになった方がいいんだよ」などと言われて、記憶を消されて深町君は未来へ帰って行ってしまう、、というストーリーですね。


エンディングは数年後?薬学部にすすんだ、記憶がないはずなのに?潜在意識には深町とのことがあったからこそ、和子は薬学部に進んだのでしょうか?和子は独身で、全くこの事件を覚えてはいないが、

大学の構内で、な、なんと?もう一度タイムトリップしてきた深町君と廊下で、あのオープニングみたいにぶつかる、が深町君も自分のタイムトリップ経験を消去してるので二人は全く気が付かずに廊下を離れ去ってゆく、、という、悲しい?エンディング、、。


ここからあのカーテンコール、エンドロールとユーミンの歌が原田知世の声で、流れるのです。、




『時をかける少女』も、、

個人的には「タンポポ娘」みたいな結末にしてもよかったのかな?って思いますが、、でもやっぱり結末はあれでよかったのかな?あの最後の出会いのシーン。

「バタフライエフェクト』の最後のシーンに似てませんか?

二人とも気が付かないという、、、。

それにしてもこういうタイムトラベル映画の結末ってなんか物悲しいラストが多いでうよね?

例えば最近でもあのテレビドラマ「仁」も最後は咲さんと結ばれずに咲さんは一生独身で終わったというラストでしたものね。


最後に、まとめるならば、


時をかける少女とは、、、

妄想少女アニマに少年たちは自己のアニマを投影してそこに永遠の少女像を

焼き付けてしまった妄想映画だったのだろうか。




以上大変ざっくりとですが、この3要素が相まって

この映画『時をかける少女』を、カルトムービー足らしめているのではないでしょうか。


ああそれから当然、松任谷由美の主題歌も最高に素晴らしいよね。


このエンドロールがまた素晴らしい、松任谷由美の主題歌を歌う原田知世が

登場人物と名場面がオーバーラップしてこの話はフィクションですよと訴えている。?

こういうあとからの、カーテンコール?みたいなエンドロールというのは、

昔から映画ではよくある演出でして、その映画があまりにも現実離れしすぎていてトラウマ?になりそうな場合に、

「これはフィクションですよ」というフォロー?という演出ですね。

まあ最近は観客も相当グロ、エロ、オカルト、などに慣れてしまったので

こういう演出はほとんどなくなりましたが、、懐かしい演出ですよ。

確か「風の谷のナウシカ」のエンドロールがこんな感じでしたね?




追記  


今大ヒット中の「君の名は」は、まさに大林監督の「転校生」と『時をかける少女』

のオマージュというか

パクリ?というか、それらのいいとこ取りと、今風な書き換え?そのものですよね?


ということはよく言えば?1粒で二度おいしいみたいな、

「転校生」と「時をかける少女」が同時に、しかも今風にバージョンアップされてる?見たいな

インスパイアー版の傑作というべきでしょうか?



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