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第6話 辺境惨禍③ ※凄惨な描写有り

 風の変動を感じたのはその時であった。



「ほう? 恐れもせずに、やって来たか。大言壮語しないだけマシだと思ってはいたが、よりにもよって、あの獣に嗅ぎつけられるとは」



 その変化に、別の場所で大きな力同士のがぶつかり合おうとしていることを察した女性、アヴィネスは、突き刺した長剣を引き抜くと、すでに物言わぬ肉塊となったそれを蹴倒す。


 傷痕より吹き出た鮮血が、白地の甲冑を濡らしていくが、すでに彼女の意識は、激突しはじめた二つの力へと向けられていた。



「まさか、あの獣がな……。わざわざ、報復の理由を作ってくるとは思っても見なかったわ」



 感じられた一つの力に対し、過去の激突を思いかえしたアヴィネスは、そう言って口元に笑みを浮かべる。


 そこに、それまでの深層の姫君の姿はなく、眼前の流血とその先にある破壊を心待ちにする悪鬼羅刹の姿。


 そして、その笑みをたたえるアヴィネスの女神の如き美貌と相まって、今の彼女は、原生に舞い降りた死の女神の如き偉容を周囲に見せつけていた。


 しかし、そんな彼女の姿に対し、感嘆も恐怖も抱く人間はその場にはいなかった。


 そこにあるのは、虐殺され、街路に横たわる村人と無数の槍に身体を貫かれ、串刺しとなって晒される“獣”達であったモノだけ。


 それの流す無数の流血が、その場で何があったのかを無言のままに物語っていた。



◇◆◇◆◇



 全力で投じた氷玉が対象を捉えたかに見えた。


 しかし、それまでの位置から一瞬にして移動した獣は、すでに上空へと身を投じており、空白となった場を通り抜けた氷玉は、燃え盛る民家の壁に激突し、土煙を上げてそれを崩落させる。



「おお、すげえ。さっきまで震えていた小僧とは思えねえぜ」



 崩落する民家を一瞥し、優哉から距離を取って着地した獣、イブル・フィジャンは、肩をすくめながらそう口を開き、再びの笑みを浮かべる。


 優哉が作りだした氷柱によって、愛馬を失ったとはいえ、獣王の力に陰りが見える訳ではなく、その巨体からは想像も出来ぬほどの俊敏な動きで優哉を翻弄していく。


 歴戦の獣達ですらも、一方的な虐殺に晒されるしかなかった優哉の攻勢も、目下の所、イブルに対してはまったく無力であるようだった。


 思わず唇を嚼む優哉であったが、不敵に笑っていたイブルが、表情を引き締めると、地を蹴り、一気に自分との距離を詰めてくる。


 そうして、躊躇なく振り下ろされる大剣。必死にかわそうとするも、大地を穿ったそれは、即座に跳ね上げられ、横薙ぎに振られてくる。


 それまで幾度も繰り返された光景。本来であれば、優哉の頸はとうの昔に胴から離れ、胴は胴で、上半身と下半身が両断されていてもおかしくはない。


 しかし、今も優哉の肉体は無事なまま戦いは続いている。




「ちいっ!! またか」


「ぐっ!! ううううううううううっ」



 斬り伏せられる。そう思った刹那、優哉の身体を守るように氷塊が出現し、差し出した手と大剣がぶつかり合って火花を上げている。


 氷塊とはいえ、大剣の強力な斬撃を受けても破壊されることはなく、優哉とイブルは互いにつばぜり合いという形になる。


 そうしている間に、優哉は氷玉を片手に出現させ、手首を返すようにイブルに対して投じると、イブルは人間とは思えぬ反応でそれを躱し、再び優哉から距離を取る。



 再びの睨み合い。



 優哉はフッと息を一つ吐くと、続けざまに複数の氷玉を出現させ、イブルに対して投じていく。


 しかし、結果は変わらず、氷玉は虚しく虚空を通り抜け、周囲の建物を破壊してい行くだけであった。



(なんて動きだ……。人に当てる練習なんてしたことなかったけど、アウトローを狙うよりは楽なはずなのにっ……だったら!!)



 そう思いつつ、氷玉を投じる優哉であったが、今度も寸前でかわされようとしている。


 しかし、今回のそれは直球ではない。



「むっ!?」



 すでに数十球を投じている相手である。獣のようにこちらを翻弄してくるとは言え、ほんの僅かながらのクセのようなモノがいくつか見え始めている。


 元々、打者のクセを見抜いたり、自身やチームメイトのクセを見抜くことにはたけている。そこに、召喚による肉体強化によって視力も強化されているのだ。


 次のどこに飛ぶのか。そして、どこからの攻撃に甘いのか。それが分かるのならば、僅かにでも可能性に賭けるほかない。


 そして、イブルに対して一直線に向かっていた氷玉が、急速に落下するとその着地点にあった石に激突し、それを破壊しつつ上空へと跳ね上がる。


 奇数回。それも、七の倍数回は跳躍してそれを躱す傾向があったのである。そして、一つのクセなのか、左上方へと向かうことが決定的だった。


 獣の如き動きは、人を翻弄するが、本能のままに動くそれもまた、規則性を生むことがある。


 今回のイブルの動きは、まさに数少ないそれであり、跳弾という形になってさらに速度を増しながらイブルへと氷玉は迫っていく。


 上空での回避は不可能。可能であるならば、戦闘能力自体を奪えれば優哉の目論見は達する。



 しかし……。



「おおおおおっっっっ!!」



 上空にて咆哮する獣王。自身の肉体を貫かんと迫る凶弾に対し、果敢にも握りしめた拳をふるう。



「…………おいおい。そんなの有りかよ」



 激しい激突音とともに、虚空へと舞い上がる氷玉。それまで、獣達の肉体を思うさまに破壊していた凶弾も、眼前の獰猛なる獣王には通じなかったのだ。


 優哉は悠然と着地したイブルに対し、思わずそう呟く。正直なところ、非現実な世界にあって、もっとも非現実な現象を目にしたように思えていたのだ。




「はっ、顔が青いぞ小僧? だが、中々の威力だ。俺の右手を奪うだけのことはある」




 そんな優哉の心情になど興味のないイブルであったが、苦痛と怒りに顔を歪ませながら、砕けた右手を振るう。


 たしかに、必殺とはならなかったモノの、彼の戦闘能力を奪うだけの意味はあった様子である。


 そして、この獰猛なる獣王に、“逃亡”の二文字というモノは存在しない。当人自身、命を最優先すると公言しているのであったが、その強さが故に、これまで命を第一に考えるような状況にはほとんど晒されてこなかったのである。


 だからこそ、文字通り手足をもがれる形になった獣王イブルは、追い込まれた獣が取るべきもっとも効率的な方法へと身を投じようと試みる。




「っ!?」


「閣下?」




 それを察した優哉は、眼前のイブルが、その三白眼より放つ殺気に身震いし、どういうわけか、女性の身を守っている副官の女、アリーも、普段見ることのない上官の姿に、困惑気味な声を上げる。


 そうして、獣の如き所作。膝を折って地を這うように身を落としたイブルは、その刹那、地を蹴るとそれまで以上の速度で優哉へと迫っていく。


 急速に迫る獣達の王。思わず後方へと身を投じた優哉であったが、それでも留まることはなく、距離を詰めてくるイブル。


 恐怖を感じるとともに、無数の氷玉を産み出し、次々に投じていく。しかし、地を這うような行動である。如何に精密機械の如きコントロールを持つ優哉であっても、それに直撃させるのは困難。加えて、イブルは負傷した右手を躊躇することなく、盾代わりに用い、眼前に迫る氷玉を叩き落としているのだ。


 すでに、イブルの右手は原型を止めておらず、僅かながらに息づかいが荒くなってきていることも理解できる。


 しかし、優哉自身も、襲いかかってくる獣の攻撃をかわすこと、普段以上に体力を消耗する。加えて、とらえられもすれば命はない相手。


 眼前の恐怖が精神を摩耗させ、それまで以上の消耗を優哉の肉体に与えていた。


 そして、そんな疲労が最悪の結果を優哉へともたらす。



「うわっ!?」



 あろう事か、背後にあった石に足を絡め、盛大に転倒してしまったのである。肉体を強化しているとは言え、相当な速度での転倒。


 したたかに全身を打ちつけ、一瞬だけ絶息する。



「捕まえたぜ?」



 そして、結末としてはあまりにも情けない形で、優哉は獣王の爪に捕らえられることになった。



◇◆◇



 獣と嘲られるイブル達は常に最前線で戦い続けた。


 奴隷を始めとする差別階級の出身者が大勢を占め、汚れ仕事の類は当然として、大海戦の際には死兵として、なんども無能な味方に殺されかけもしている。


 そんな過酷な状況下で戦い続けた歴戦の猛者達に、敵に対する情けという感情が生まれるはずもない。彼等は誰よりも勇敢に、そして残虐に戦い続けた。勝利によって得られる敵を踏みにじる快感と戦勝への執着こそが、彼らを死地に送り続けた。


 そして、彼等は敵を憎悪し、蹂躙すると同時に、隣に立つ戦友を愛した。戦地で頼りになるのは自分の横で共に敵を殺す戦友だけ。そして、彼等は何よりも敗北を恐れた。敗北によって自分達が狩られるだけなら耐えられる。


 だが、自分達が敗れれば祖国が焼かれ、残した家族が蹂躙される。


 敵にしてきた行いの報いを祖国に残る戦を知らぬ者達に降りかかるのを怖れている。とりわけ、彼らを率いる獣王イブルは、他の誰よりもそれを恐れていたのだ。



 勝手なものである。罪無き者達を喜々として蹂躙して置きながら、自分達や自分の親しい者達がその対象になるのは許容できないのである。



 そして、他の誰よりも家族愛の強い男が、眼前にある一見非力に見える少年に対して、捨て身の攻撃に討って出たのは、彼の本能が報復を予感させるだけの資質を見たが故。


 この男は危険だと言うことを、過酷な戦場を生き抜いてきた男は本能で感じとっていたのである。




「捕まえたぜ?」



 破壊された右手はもう剣を握ることは出来ないであろう。如何に法術が発展しようと、原型を失ったモノを再生することは、そこいらの魔導師には不可能である。


 そして、手がまともな状態を保ったまま、その類の法術を使役可能な術師を発見することもまた。


 であれば、一人でも多く、今後の脅威となるべき人物を排除しておくこと。危機に際し、瞬時にそう判断したのであった。




「さて、精々いたぶってやりたいところだが、この状態ではそうもいかん。――ただ」


「うぐっ!? ――――っ!? がふっ、ごほっ!?」


「ぶっ壊れた手だって、てめえを抑えつけておくぐらいは出来る」




 眼前にて倒れ伏した優哉にのしかかり、身体を押さえつけたイブルは、そう呟きながら優哉の頸にいまだに出血の続く右手を押しつける。


 破壊されているとは言え、結果としてイブルの体重を頸もとで支えることになった優哉は、呼吸を絶たれ、激しくむせ込む。


 そして、そんな優哉をひと睨みしたイブルは、手にした大剣の剣先を優哉へと向ける。



「死ね」



 短くそう言い放ったイブル。


 周囲が再び水色の光に包まれはじめたのは、その刹那のことであった。



◇◆◇◆◇



 立ちふさがる獣達を斬り伏せながら、駆けたアヴィネスの目に水色の光が映ったのは、その場に到着した時のことである。


 途端に、大地より鋭く輝く氷塊が出現し、道に倒れる者達を次々に穿っていく。



「っ!?」



 一瞬、口元に笑みを浮かべたアヴィネスであったが、視界の端に映った二人の女。一人はボロボロの衣服に外套をかけ、今一人は獣達と同様にセデュール王朝軍の装備に身を包んでいる。


 獣達側の一人であろう後者であったが、なぜかもう一人を守るように、光と正対している。



(物好きがいるものだ……)



 そう思いつつ、地を蹴ったアヴィネスが二人の元に辿り着いたのと、氷塊が二人の眼前にまで迫ったのは、ほぼ同時のこと。


 二人の眼前に立ったアヴィネスの前に、鈍色の光が灯ると、周囲に同じような無数の刃が眼前に出現し、迫り来る氷塊と激突する。


 激しい激突音とともに火花を散らす両者。ほどなく、光が収まると、氷塊はそれ以上襲いかかってはこなかった。



「ふむ……。なんという威力」


「こ、こんなことが……」



 一瞬、安堵の息を漏らしたアヴィネスは、ゆっくりと周囲の有様を見返す。この一帯だけとはいえ、周囲に屹立する氷塊。優哉によって倒されたのか、四肢を欠損した獣達の死体や暴虐にあった村人の死体がそれに貫かれ、だらりと脱力したまま体内に残された血を滴らせている。


 そして、ほどなく氷塊はゆっくりと消えていき、この事態を引き起こした人物の姿がアヴィネスの視界に写る。それを見て取ると、アヴィネスは背後にいる二人の女性へと視線を向ける。


 軍曹に身を包んだ女性、アリーもまた周囲の有様に唖然としており、もう一人の女性の方は、言葉を発することが出来ずに、周囲に視線を彷徨わせているだけである。




「さて。色々聞きたいことはあるが、貴様、ベルナス家の者だな?」


「っ!?」


「やめておけ。私にとって、貴様の首を刎ねることなど造作もないこと。我が国の民を守っていなければ、すでに貴様の命はない。助かった命だ。大事にせよ」


「な、なんだとっ!?」


「強がるな。股が濡れているぞ」


「なぁっ!?」


「はは。恥ずかしがるな。初陣では普通のことだ。それよりも、彼女のこと。しばし頼むぞ」



 そんな二人に対し、アヴィネスは視線を向け、口を開くとアリーは全身を震えさせながら腰の剣に手をかける。


 しかし、アヴィネスにとっての彼女は、黙っていれば利用価値がある。その程度の存在である。


 だとすれば、自分の気まぐれにすがって生き長らえておけばいい。そんなことを思いつつ、彼女の羞恥心をくすぐるある事情に視線を向け、それを指摘すると、案の定、ゆでだこのように顔を赤らめている。



「さて……」



 アリーをひとしきりからかうと、アヴィネスは彼女の背後にて俯く女性を一瞥したのち、視線をこの状況の原因となった二人の男がいる方向へと足を向けた。



「う、……ぅう」


「ぐ……が、あ……」



 いまだに全身から氷塊を生やす少年と全身を穿たれ、血を流しながら呻き声を上げる獣。


 両者ともに傷ついてはいるが、生と死を分けたのは、両者の間にあった第三者の存在であったのだろう。



「無様なモノだな。獣」


「ぐっ……。――てめえは、ユディアーヌの……」


「あの時、生き長らえたのを良いことに大人しくしておけば良かったモノを。過ぎたる真似が、今の屈辱を生んだのだな」


「ぐ、ううっ!!」




 そして、血に塗れ、苦痛に呻きながら横たわる獣の傍らに立ったアヴィネスは、それを見下ろすように口を開く。


 苦痛に顔を歪ませながら、顔を上げた獣、イブルは、そんなアヴィネスの姿に、怨嗟のこもった表情で声を上げる。


 かつて対峙した憎むべき敵手を前に何も出来ぬ自分。そんな屈辱に、イブルは必死で抗おうとしているのだが、地に転がる血に染まった大剣に伸ばしかけた手は、光の速さで飛来したアヴィネスの足によって踏みにじられる。




「さて、本来であれば一騎討ちや壮絶なる戦いの中で死にたかったであろうが、あいにくと私には他人のわがままを聞いてやるほどの度量はない。……ではな。獣」


「――――っ!?!?」




 そして、勝ち誇った笑みを浮かべながら、アヴィネスは横たわる獣の眼前にて長剣を横に薙ぎ、長らく戦場を支配し続けていた獣王の思考を永遠に中断した。




「…………アヴィネス、様?」


「良く戦ってくれましたね。優哉」


「その、さっきは」


「まったく無茶をする。凍界の刻印を宿していなければ、あなたもこいつと同じ運命でしたよ? さて、あなたは少し休んでいなさい。最後の掃除です」




 地に転がった獣の首を侮蔑とともに見下ろしたアヴィネスの耳に届いた聞き覚えのある少年の声。


 身を起こした優哉に対し、アヴィネスはそれまでと同様に使い慣れない口調で彼に接する。ばれたところで問題はないのだが、この力の割に精神が未熟な男にはしばらく優しくしてやった方が良い。


 そう思うと、何かを口にしようとする優哉を制止、アヴィネスは再び元来た方向へと視線を向ける。



「さて、主を失った獣など、もはや利用価値もない。そして、逃がしてるほどの慈悲も、私は持ち合わせてはいない」



 そう呟いたアヴィネスは、何事かと村内から駆けつけてきた獣達の生き残りを睨み、地を蹴った。



 辺境の村ロト。



 この平穏な村へと流れる惨歌は、暴虐なる獣王達による宴から、戦を愉しむ女神による死と流血の演舞へと変わっていった。

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