第4話 辺境惨歌 ※凄惨な描写有り
非常に、凄惨な描写があります。苦手な方はご注意ください。と言うより、見ない方がいいかも知れません。
蒼穹の空に上がる黒煙に気付いたのはその日の夕刻であった。
丘をいくつか越えた先より立ち上るそれ。つまりその下に火があり、火があるならば、人間の集落があると言うことであろう。天候から落雷による可能性も薄い。
「この先に人は……」
「ええ。ロトという村がございます。国境に近いところですが、周囲を森林と河川が取り囲み、外敵の侵入にはそれほど晒されぬところだったのですが……」
優哉の問いに、アヴィネスはその形の良い眉を潜ませながら答える。
優哉への刻印の継承から一夜明け、氷に包まれた東方教庁から帝都へと出立した両名は、リーナの用意した衣装に身を包んでいる。
さすがに、学生服姿のままであった優哉は、さすがに人目につきすぎるし、アヴィネスからすれば、それまでの神官服は単なる儀式用の礼装に過ぎない。
今は、両名ともに白地の衣装を身に着けており、アヴィネスはそれに加えて、白色の甲冑と青地のマントを身に着けている。
それまでの深層の姫君というイメージが強かった優哉であったが、当人からすればこちらの方が正装であるという。実際、弱々しいお姫様と言うよりは、勇ましい姫騎士の姿の方が様になっている。
当然、見てくれだけでなく、武勇の方にも遅れはない。
出立に際して優哉に最低限の武術を手解きする際の剣伎は、はじめに振るわれた時と同様のするどさを見せ、馬上の人となった今の姿も凛々しいものである。
そんな彼女が眉を顰めると同時に、優哉もまた背に汗が浮かんできたことを自覚する。
記憶の中で嗅いだことのある臭気。火事現場そのままの様々なものをごちゃ混ぜに焼いた匂い。
お互いに顔を見合わせると、アヴィネスは馬に軽く鞭を入れ、優哉の乗る馬を引きながら足早に丘を駆け上っていった。
◇◆◇◆◇
このユディアーヌ帝国辺境部に位置する小村が、このような悲劇見舞われたのは、この日の昼頃のことである。
「第二部隊、既に国境を突破しております。明日の夜明けと共にロトの村への包囲を開始する予定となっております。第三部隊は牽制のため東方教庁への陽動を開始しております」
「結構、些事を含めて万事に滞り無しということだな? なれば、我々本隊も血に飢えた帝国の連中に自らの血を飲ませてやりに行こうではないか」
副官のアリー・ベルナスの報告を遮ったイブル・フィジャンは、大剣を振りかざしながら、血に飢え、殺戮に狂った部下達に戦いの始まりを告げる。
ほどなく狂熱の歓声が瞬く間に部隊に感染していき、さほど時間を要することなく、侵攻の準備は整えられることとなった。
獲物を前にしながら躊躇し、遅れを取るような間抜けは新任の副官を除いて彼の部下にはいない。
彼らはユディアーヌ帝国の宿敵に当たる南方の雄、セデュール朝の一部隊であり、長きに渡るユディアーヌ帝国との血で血を洗う抗争を生き抜いた歴戦の“獣”たちであった。
「どうした副官? これから我々が為すことがそれほどに不満か?」
「……不満です。戦う術を持たぬ小村を焼く事に何の意味があるというのです?」
「我々に逆らえばどうなるか。それを知った弱兵は俺達に恐怖するようになる。そうなれば占めたもの。殺すのが随分と楽になるものよ」
「何ということを……。そのような事を、天がお許しになるとお思いかっ!?」
憚らずも上官に対してそう言い放ったアリーは、今回の戦いが初陣となる。王朝の戦死として、天の祝福を得たはずの将が、本来ならば将兵の模範となるべきところを、大した事じゃないとばかりに虐殺を肯定するような発言をするのである。
初陣にも関わらず、副官を任されるだけあり、アリーは支配階級に属する身分の出である。
そんな彼女が、上官の態度に納得できるわけも無く、暴挙を止めさせようと抗弁したのであるが、イブルがに鞘から抜き放った大剣に前髪を数本切り落とされ、腰を抜かして情けない言葉を吐き出すだけだった。
「そう吼えるな。お前とて死にたくないだろう?」
「なっ何を……っ、わ、わたくしはっ!?」
「知ったことか。このまま斬り捨てて、栄えある殉教者の列に並べてもに構わんのだぞ? 名家のお姫様だがなんだか知らんが、俺のやり方の邪魔になるなら、望み通り、“天の意志”に従ってして貰う。怖いか? だったら、お前は黙って俺の横に突っ立って居ればいい。死にたくないなら一切余計な事はするな」
単純かつ、分かり易い主張を行動と言葉で示されたアリーは、イブルの言と鋭い視線に、身体を震わせ、ただ首を縦に振ることしかできなかった。
地獄のような戦場を生き抜き、そこで流した血によって一軍の長の地位にまで登りつめた獣達の王に意見する。
それが、どれほど命知らずな事か、遅まきながら気が付いたのであった。
そんなアリーの様子に、イブルは満足げに頷くと、大剣を鞘に収め、座り込む副官を無視して自ら部下を呼び、進撃の銅鑼を叩かせるように指示を出す。
引かれてきた愛馬に跨った“獣王”の進撃の始まりは、一つの小村の悲劇の始まりであり、同時にユディアーヌ帝国にとっての惨劇のはじまりであるかのように、上りはじめた朝日へと吸い込まれていく。
そんな一団の列に連なる初陣の少女は、出立の時とは打って変わった虚ろな表情を浮かべ、望まぬ惨劇と現実とは思えぬ衝撃の目撃者となる。
◇◆◇
この日、ロトの村では、春の訪れ祝う祭りの最中であった。
長い冬が終わり、その年の五穀豊穣を祈る祭り。辺境に位置し、平穏ではあるが、娯楽の少ない村にあっては、数少ない催し物でもある。
そのため、大人達は早朝からの準備を終え、用意された御馳走やとっておきの美酒に舌鼓を打ち始め、こども達はこども達で、普段目にすることのない音楽や出し物に興味津々となる。
しかし、そんな辺境の村の数少ない娯楽すらも、そこには相応しくない轟音によって奪われようとしていた。
「ん? 何の音だ? あれ?」
「地鳴りもしていないか?」
最初は小さく、間の抜けた会話をしていた村人達であったが、それが、恐るべき獣達の近づく足音だと気が付くのに時間は掛からなかった。
「ま、まさかっ!? 盗賊っ!?」
「バカ野郎! あんな大軍の盗賊がいるかっ!! 敵襲だっ!! セデュールの連中が攻めてきたぞっ!!」
「な、なんでこんな辺境の村にっ!?」
「知るかよっ!! みんな、速く村の外へっ!! 森に逃げ込むんだっ!!」
千騎を優に超える騎兵が村に一直線に突撃してくる。この悪夢のような現実は村中を混乱に陥れる。
様々な条件が重なった村に取って最悪の時を狙ってでセデュール軍の襲撃であった。
この日は偶然にも春祭りの当日であった。そして、数日来続いた雨が止んだ為に披露宴会場を屋外に移設するため、村の守備兵達もその作業に借り出されていた。平穏な辺境任務であり、兵士達にとっても数少ない娯楽であるのだ。
それゆえに、自分達の任務を放棄してしまい、物見台には誰も人は居らず、予想外の襲撃に気付くのが致命的に遅れてしまったのである。
加えて、本来であれば国境線に目を光らせる最前線基地。すなわち、ユディアーヌ帝国東方教庁は、勇者召喚の儀のための警戒に意識を奪われ、今回の歴戦の獣たちの侵入を許してしまっていたのである。
今でこそ正規軍であったが、元々は賊徒や傭兵崩れの集まりを主体とする軍団である。隠密行動はお手モノもであったのだ。
「男は殺せっ!! 殺せっ! 女は犯せっ! 子供は嬲れっ!」
「奪えっ! 目の前の奴等は家畜だ殺して喰らえ!」
先頭に立つ青色の肌をした男が声を荒げる。
イブルやアリーは褐色の肌をした、セデュール王朝を構成する主要民族の容姿をしているが、男は青色の肌に、頭部から延びる羊角が陽の光を浴びて鈍色に光を放っているなど、彼らとは大きく異なる容姿を持つ。
亜人種であったが、信仰を国の構成の中心に置く王朝にとって、外見などは取るに足らぬ要素。
加えて、獣たちの役割は、蹂躙と破壊であるのだ。細かい縛りなどは不要である。
「逃げろっ!! 森の中にっ……がっ!?」
「い、いやぁっ、お父さんっっ!?」
年頃の娘の腕を引き、森へ逃げるよう促す父親が、獣たちの放った矢によって射倒され、娘は悲鳴とともに、痙攣する父親にすがりつく。
「女だ! 女がいるぞぉおお!!」
「いやっ!! た、助けてえぇぇっ!!」
しかし、獰猛なる獣たちにとって、それは同情を向ける場面ではなく、自らの得物が目の前に転がったことを意味する。
馬上の兵士達が無差別に村人に槍を、剣を振るってその命を哂いながら刈り。
扉を破壊された家々からは、その悲鳴に心地よさを感じながら組み伏した女を相手に腰を振り続ける何匹もの獣達の咆哮が轟き。
街路では、身の程知らずに自分達に牙を剥いた男の首級を手に携えた槍で突き刺し、悠然と闊歩する男の姿。
絶対的な勝者達はその勝利に相応しい戦利品を貪っていた。
◇◆◇◆
目に映ったのは惨状であった。
焼け焦げた匂いの正体は、火を放たれた家々とまだ青くなったばかりの作物。そして、道に転がる人であったもの。
そして、今もなお悲鳴を上げて逃げ惑う村人の姿が目に映ると、それの後を追うように青色の肌をし、頭部から羊のような角を生やした男がそれを追いかけ、転倒した女性を手にした曲刀を振り上げながら連れ去ろうとしている。
「っ!!」
刹那。アヴィネスが腕を振るうと、振り上げていた男の腕が弾き飛び、ほどなくして先ほどまで彼女の腰にあった長剣が民家の壁に突き刺さる。
「ちっ!! 悪魔どもが。先日の仕返しというわけかっ!!」
「あ、アヴィネス様っ!?」
「ここで待っていろっ!!」
一瞬のことに気を取られていた優哉であったが、怨嗟のこもった声を上げたアヴィネスに気付いた時、彼女はすでに馬を棹立ちにし、鋭い声とともに一気に丘を駆け下りていくところであった。
そして、村内に駆け込んでいったアヴィネスが、男の断末魔を聞いて集まってきた者達。彼女が悪魔どもと呼んだ者達へと軍馬を跳躍させ、戸惑うことなく彼らを踏みつぶす。
鮮血が飛び散る中でさらに馬を進め、突き刺さった長剣を手にしたアヴィネスの姿は、それから間もなく民家の影に入ってしまい見ることが出来なくなってしまった。
「…………い、いったい、どうすれば」
先ほどまで傍らに立っていた人物が見せた殺戮行。それでもなお。方々から聞こえてくる悲鳴や断末魔。
亜人と言うべきか、魔族と言うべきかは分からなかったが、彼らが村にもたらした蛮行は、それまで目にすることのなかった衝撃を優哉にもたらし、ただひたすらに身体を震わせる以外に無かった。
それでもなお、村から目を話さなかったのは、何も出来ないことへの罪悪感か、それとも駆け込んでいったアヴィネスに対して救いを求めようとしていたのかは分からない。
ただあるのは、目の前で繰り返される蛮行という名の真実。
目に映った先では、若い男女が“獣”達に囲まれ、男が必死に斧を振り回して抵抗しているものの、余裕を持って距離を取った“獣”達の一人に背後から槍を突き立てられ、僅かに痙攣した後、メイスによって頭部を叩きつぶされる。
それを目にした女性は、恋人であったのか、叫び声を上げながら倒れ込んだ男の元に駆け寄るも、すぐに引き離され……。
「うう…………」
優哉はその光景から目を背けるしかなった。
ただ、遠くより傍観して女性が蹂躙されるに任せたまま。しかし、そんな逃げを現実は許してくれそうになかった。
別の場では、簡素な甲冑を身に着けた兵士が駆け回って避難を促しているが、ほどなく飛来した矢を額に受け、その場に崩れ落ちると炎によって崩れた建物に押しつぶされる。
そして、一際大きな建物。白壁の作りから教会の類であるとは思うが、そこに避難していたであろう女性やこども達が引き出されてくる。
それからは必死に目をつむり、耳を塞ぐことしか優哉には出来なかった。
これは現実ではない。これは夢だ。と何度も何度も胸の中で繰り返す。これが、優哉に出来る全てだったのだ。
自分に戦いなんて出来ない。自分は平和な時代を生きているだけ。自分は勇者でも戦死でもなんでもないただの学生だ。――――そう思い続けていた。
そんな折、耳に届く羽音。
ヒューンと小気味の良い音が耳に届く。と同時に、肩に受けた衝撃と全身を包み込む浮遊感。
何が起こったのか分からないまま、大地へと叩きつけられると、途端に激痛が全身を駆け回り始める。
「う、うわあああああああああっっっっっっっっっ!?!?!?!?」
そして、激痛に耐えきれずに大地を転がり回るしかない優哉。
このまま死んでしまうのだろうか? ふと、大地を転がりながらそう思った優哉であったが、ふと、自分がそんなことを考える余裕が出来てきていることに気付く。
痛み自体はまだ残っており、衝撃を受けた左肩に目を向けるといまだに深々と矢が突き立っている。血も鮮やかな赤いそれが流れ落ちているのだ。
しかし、不思議と当初のような痛みがない。否、はじめから痛みなどほとんどなかったと言うことに今更ながらに気付く。
「うぐっ!!」
そう思いつつ、強引に矢を引き抜く。こういう時、矢が折れて体内に鏃が残ってしまうと大事になると言うが、どうにか鏃まで抜けてくれた。
さすがに、ズキズキとした痛みは残っているが、先ほどまでの気の遠くなるような痛みは無い。
「いったいなぜ? っ? ――氷??」
そして、傷口を拭うと、まずいとは分かっていたが、そこに触れてみる。すると、異物が混ざる気持ち悪さと同時に、指先に見覚えのある冷たさと固さが伝わってくる。
痛みを軽減させたものの正体に気付き、その根源となるものへと視線を向けると、右手の甲にて鮮やかな水色の光を灯すそれが目に映る。
『刻印は主を守りまする。それだけは、覚えておいてください』
今になって、アヴィネスの言葉が優哉の脳裏によぎる。
何かを訴えかけるように光を放つ刻印は、たしかに宿主である優哉を守ろうとしていた。とはいえ、それも完全というわけではなく、現実に優哉は負傷している。
幸い、致命傷というわけではなく。簡単な消毒と止血をすれば動かすことも可能な程度の痛みで済んでいる。
「これが、刻印の守りってことか?」
ぎこちない動作で学んだばかりの応急処置を施すと、優哉は村の方へと視線を向け、ゆっくりと歩き始める。
「とはいえ、まずは試してみないと」
そして、歩き始めつつ右手に意識を集中させはじめる。
意識の中で、自身の右手が握り慣れたあるものをイメージしていく。手が冷たさで狂うことはない。となれば、後は身体に刻みつけられた感触や重さを思い出すだけだった。
「よし、出来たな……。やるしか……ないか」
そう言うと、優哉の手には部分的に刻みのついた氷の玉が握りしめられている。実際、氷である以上透明な球体であり、野球ボールと酷似している形。優哉にとっては、他の誰よりも持ち慣れた相棒でもあるのだ。
「っ!? …………そっちも人を殺しているんだ。覚悟は出来ているよな?」
そして、村の入り口に辿り着いた優哉の目に、すでに目に虚ろな光を灯し、動かなくなった女性達に対して蹂躙を続けている獣達の姿が目に映る。
外見自体は青色の肌と色とりどりの目。そして、頭部から生える羊角や角以外は人間によく似ているように思える。
実際、下卑た笑みを浮かべながら動かす腰から見えるそれは、人間のモノと同様である様子だった。
嫌悪感を抑えつつ、優哉は一息息を吐き出す。普段から、東急の前に行っているクセ。今でこそ、向かってくる敵の気配を察しなければならないが、それでも地面を見つめながら呼吸の音を感じるのは、自分なりの儀式だった。
「ん? なんだてめえは?」
そんな時、女性を蹂躙していた“獣”の一人が優哉の姿に気付く。しかし、優哉はそれに答えることはなく、評論家にも理想的。との評価をもらった投球動作を行うと、躊躇することなく氷玉を魔族達に対して投げつけた。
刹那。こちらに視線を向けていた獣の頭部が吹き飛び、女性や他の“獣”達を血や脳漿、頭蓋骨の残骸で濡らしていく。
氷玉は勢いそのままに民家の壁を突き破り、連なるいくつかの建物を激しく揺らしていく。
「しまったっ!? 誰かいたら……」
「な、なんだ。なんなんだ、てめえはっ!?」
予想外の威力に当惑する双方であったが、優哉はよけいな被害を生んでしまったことを悔やみ、“獣”達は優哉の用いた何かを理解できずに声を上げる。
その声のおかげで、優哉は罪悪感から解放され、はっきりとした憎悪を抱くことに成功していた。
「なんだ? だと? どうやら、召喚された“勇者”様らしいよ?」
「ゆ、勇者だと? あ、あの悪鬼っ、さらに呼び寄せやがったのかっ!?」
「知らないよ。それより、好き勝手なことをやったんだ。覚悟しろよ?」
勇者という言葉にさらに動揺する“獣”達。しかし、それに対する答えを優哉は持ち合わせてはいない。
彼に出来ることは、眼前にて対峙する“獣”5人分の氷玉を用意することだけであった。
◇◆◇
辺境に襲いかかった悲劇と一つの覚醒。
しかし、それらを以てなおも、辺境に轟く惨歌はいまだに鳴り止む術を知らなかった。