第3話 大いなる力
「お~い、優哉」
自分の身体を揺すられる感覚と聞き覚えのある声が耳に届くと、目の前に広がる光に包まれた空間は消えてゆき、代わりに暗がりが眼前を支配していく。
何事? とも思いもしたが、ひどく気だるい気分のまま重いまぶたを開いていく。
「う~ん……あれっ??」
「よう。卒業式当日に爆睡とは、さすがだな」
「せっかく、教室にまで来たって言うのにね」
そんな優哉の眼前には、親しみのある笑みを浮かべた二人の青年。ともに黒の学生服に身を包み、均整の取れた体格をしている。
「…………えっと、俺、寝てた??」
「ああ。周りが騒がしいのによく寝られるな」
「その図太さは、さすが甲子園準優勝投手だね」
その二人の姿に、ようやく我に返った優哉は、眼前の二人、一ノ瀬昴と冷泉健介に対して、目を擦りながら口を開く。
どうやら、卒業式を前に寝入ったしまったようである。
周囲を見まわすと、クラスメイト達が思い思いに談笑し、別れを惜しむ一部の女子生徒達が涙を浮かべながら抱き合ったりもしている。
なんだかんだで、3年間を過ごした場所である。皆が皆、感慨も一入の様子だった。
「で、お前らは?」
そう言うと、優哉は昴と健介に対して向き直る。
同じ野球部の仲間で、小学校からの友人同士であったが、二人は別のクラスである。
「まだ、時間もあるし、駄弁りに来たんだよ。向こうも騒がしいしな」
若干、憮然とした様子でそう口を開いた昴に対し、健介は苦笑混じりの視線を向けている。
「ああ。取り巻きが騒いだってわけか」
「もてる男は辛いねえ」
「ほっとけ。それより、お前は引っ越しいつ頃だ?」
そう言って口元に笑みを浮かべある優哉と健介。
同じ野球部であったが、昴は甲子園でも大活躍の打者であることに加え、女性誌に特集されるほどの整った容姿をしている。
元々、校内でももてる方であったのだが、昴自身が本気で怒ってからはいわゆる黄色い歓声は影を潜めていたのだ。
とはいえ、今日は卒業の日。一部の女子にとっては最後の機会とも言える日なのである。本人の感情はお構いなしに囲まれる羽目になったのだという。
「入学式は5日だろ? 下旬には行こうと思っているんだけど」
「じゃあ、合わせようぜ? 知り合いに頼んだら、まとめて持っていってくれるって言うんでな」
「ふーん。分かった」
「美波にも言っておいて」
「ああ」
「それにしても、制服を着るのも今日でお終いか」
「早いもんだったな」
「勉強して、野球しての三年間だったしね」
そして、用件を伝え終わった昴は空いている優哉の隣の席に腰掛ける。別に今話すことでもなかったのであろうが、話をするきっかけと言うことであろう。
そして、感慨深げに制服の袖を撫でている。
この3年間で大分小さくなったそれが、お互いの成長の証を示している。
「しかし、今思えば夢みたいな話だったな」
「甲子園か?」
「ああ。まったく縁のないことだと思っていたけど」
「実際、春までは縁のないことだったしね」
そして、昴が優哉の右腕を見つめながら、感慨深げに口を開く。
進学校である母校であったが、本来、野球のために進学する人間は無に等しい。そんな学校であるとはいえ、水準以上の活動成績を出してはいたが、おおよそ全国などには縁がない。
高校野球という、名門校や私立校が乱立する種目に関してはそれが顕著なモノだった。 健介の言の通り、優哉達も最高成績が県大会ベスト8。とても、甲子園に縁があるとは思ってもいなかった。
「正直、今となっては悔やんでもいるけどな」
「言うなって」
そして、一瞬沈黙し、おもむろに昴が優哉に対して視線を向け、口を開く。
先ほど、昴が視線を向けたように、甲子園での無理が祟り、優哉の右腕は日常生活にも支障が出るほどに壊れてしまっていた。
弱小校の宿命か、薄い選手層の中で優哉の代わりを務めることの出来る選手はおらず、勝ち進んだ結果として、優哉の腕は日に日に消耗していったのだ。
「まあ、大学も同じだし、今度は草野球でもやろうぜ? それぐらいなら大丈夫だし」
「なんにせよ、楽しめればそれでいいよ」
そう言って笑みを浮かべた優哉に、健介が昴の肩に手を置きながらそう答える。
(まだ、気にしているんだな。そりゃあ、俺だって……)
笑みを浮かべながらも、優哉は静かにそんなことを考える。
一番はじめに野球をあきらめ、ある意味では二人の将来を奪った自分。しかし、二人はそれに対して非難することもなく、今では新たな人生に目を向けている。それでも、お互いに僅かなわだかまりは残っているようにも思えた。
「ところで優哉。美波と何かあったのか?」
「え?」
「いや、なんかあいつ、最近よそよそしくないか?」
そんなことを思っていると、昴が女子生徒の輪に入って話に盛り上げている活発な少女。真中美波の背に視線を向け、口を開く。
野球部のマネージャーを務め、その躍進を影から支えた功労者であると同時に、3人の幼馴染みで、中学まではともに野球に取り組んでいた。
また、3人と比べて社交的であり、リーダーシップのある彼女は友達の輪は広い。
とはいえ、ここ最近の登下校や集まりなどにも顔を出さなくなっているのだ。それまでであれば、男に混ざって遊びに行くこともあったのだが。
「うーん。最近と言うより、ドラフトの時から変な気もするけど」
「…………優哉、どうなんだ?」
「そう言われてもな。この前、一緒に帰ったけど、別に変なことはなかったぞ?」
二人の言に、優哉はそう答えたが、当然それは嘘である。
(そう言えば、さっきの女の人の声ってあの時の……)
そんなことを思いつつ、友人達と談笑する美波へと視線を向ける。
あの日以来、何かと自分に対して気をつかってくる美波であったが、なぜか昴と健介がいる時はあまり絡んでこないのである。
その辺りの真意は分からないし、聞いたところで答えてもくれないだろうと思う。加えて、自分のもどかしさや負い目を二人の教えたくもない。
「ま、今日で離ればなれになる友達もいるし、積もる話しもあるんだろ」
「お? どこ行くんだ?」
「便所」
なんとなく、居心地の悪さを感じた優哉は、そう言うながらゆっくりと立ち上がる。卒業式までまだ時間があり、なんとなく一人になりたいような気もしていた。
「あ、優哉」
「おう。なんだ?」
そして、教室を出ようかとした時、優哉の姿に気付いた美波が近づいてくる。その様子は、特段普段と変わりなく、心配そうに様子を窺うそぶりもない。
「えっと、今日…………きゃっ!?」
「うわっ!? っぐっ!!」
そして、何かを言いかけた美波であったが、それを優哉に対して伝えることは適わなかった。
優哉にも、美波にも、昴にも、健介にも、その刹那に何があったのかを認識することは出来なかったのである。
とっさに目の前の美波を抱きかかえた優哉が感じたのは、暗くなっていく視界と、激しく揺れる校舎。そして、抱きかかえた拍子に感じた、右腕の激痛が、静かに消えていく感覚であった。
◇◆◇◆◇
周囲の状況には息を飲むしかなかった。
「はぁはぁ……まさか、これほどとは……」
アヴィネスは、息をきらせながら暗がりの中で瞬く光と凍てつく冷気に支配された周囲に目を向け、そう口を開く。
おそらく、建物全体が氷に包まれているであろう。光の瞬きは、月明かりを氷が反射する独特の輝き方であり、傍らにあった燈台は、炎を形取った氷柱へと変化している。
単に刻印に触れ、その力の一端を解放したに過ぎぬはずであったが、周囲の冷気は、常人を凍えさせるには十分なほどである。
正直、アヴィネスにとって、これほどまでの力を発揮するというのは予想外のこと。
だが、自分の思惑が予想よりもよい方向に外れたことだけはたしかである。
「わざわざ、私が赴いた甲斐はあったというモノ。これまでが外れ続きだったと言うこともあるが……。しかし」
そう呟きつつ、自分の腿を枕に気を失ったままの男へと視線を向ける。
この男のそれまでの足取りを観察してきたが、たしかに男がこれだけの適性を見せるだけの要素。命の危険が非常に少ない世界と馬鹿にしてはいたが、それでも相応の絶望を男が味わうだけの事実は存在している。
それは、眼前の男がこれまでの者達とは一線を画す証明でもあったのだ。
そして、アヴィネスが視線を向けるのを待っていたかのように、男の右手の甲から、鮮やかな水色の光が放たれる。
それはまるで自分の力を誇示するが如く。そして、ようやく見つけた宿主を求めるが如く、アヴィネスと傍らにある優哉に対する光を強めている。
(あとは、この者をどう動かすか。か……。件のモノ達と比べ、なかなか手強そうだがな)
「ひ、姫様~っ!! ど、どうなっちょるんですがこれっ!?!?」
「ん? う~ん……」
「ふう、まったく…………。優哉様、大丈夫ですか?」
しかし、そんなアヴィネスの思索も、予想された訪問者の声とそれに反応した勇者様の目覚めによって中断を余儀なくされる。
来訪者を一瞥し、フッと一息吐来だしたアヴィネスは、静かに胸元に抱いた優哉の身体を揺すりはじめた。
◇◆◇◆◇
冷え切った身体に熱が通い始めている。
そして、ゆっくりと身体が揺すられていくうちに、徐々に身体が覚醒していく。
昴は、健介は、美波は、そしてクラスメイト達はどうなったのか?
そんなことを考えつつ、目を見開く優哉であったが、開いた目に映ったのは、目を見開いた先にあったのは、見覚えのある黒髪の流れる女性と雪のような白髪を額で切り揃えた独特の髪型をしている女性の姿であった。
「いててて……、アヴィネス様。いったい、何が?」
もう一人の女性のことも気になったが、なぜか身を起こそうとすると身体が軋む。理由は分からなかったが、それでも痛みは特にない。
「その話前に、凍えては困りますからこれどうぞ~?」
「あ、ありがとうございます。それで、この有様はいったい?」
それでも、周囲の有様に目を丸くした優哉であったが、白髪の女性が微笑みながら差し出してきた外套を受け取り、身を包む。
周囲は完全に凍結し、室内の備品も氷塊となって佇んでいる。
今、アヴィネスが砕いた氷柱は、蝋燭と炎の形をしており、それが砕かれると再び炎が揺らめきはじめる。
火ですらも、燃えさかる様のまま凍結したということであろう。
しかし、不思議なことに外套を羽織るまでもなく、優哉は寒さを感じることはなかった。
そんな状況を訝しく思っていた優哉であったが、女性がもう一つの氷柱を撫でて、赤色に光る水晶球をはめ込むと、安堵の表情を見せ始める。ようやく周囲に明るさと暖かさが戻りはじめたのであろう。
「ふええ。しかし、すごいですう」
「ええと……」
「簡単に申し上げますれば、原因は優哉様、貴方にございます」
「え?」
「先ほど、触れて頂きました刻印。事前に、言い含めては置きましたが……」
「そ、それがこんなことを?? って、刻印はどこに??」
「そこですわ」
「は?」
ようやく暖が取れた3名であったが、優哉の言にアヴィネスは探るような視線を向けた後、口を開く。
困惑する優哉であったが、台座に設置された刻印と水晶球がないことに気付き、周囲を見まわすも、女性の柔らかな声に思わず自身の右手を見つめる。
手入れの行き届いた爪や皮の厚くなった指先のある右手。それまで、ともに頑張ってきた証が残るそれであったが、今、その右手の甲には、見たことのない水色の光が穏やかに灯っている。
ただ、その光源にある水晶のような刻印には見覚えがあった。
「こ、これは、さっきの?」
「はい。そして、周囲のこの有様は、優哉様のお力の寄るモノ。刻印が普通のモノではないことも関係しておりますが」
そこまで言うと、アヴィネスは女性へと視線を向ける。思わず身を振るわせた女性であったが、どれだけ鋭い視線が向けられているのかは優哉には分からなかった。
「リーナ。説明して頂けるかしら?」
「そ、そりは、その…………」
「リーナ??」
「ええ。必要に応じて、このように元の姿になりまする。して、どういうことなのですが? ごまかしは許しませんよ?」
そんなアヴィネスに気押されつつ口を開いた白髪の女性は、先ほどの会ったスケルトンのメルティリーナであるという。とはいえ、優哉の言に答えたアヴィネスの声には、はっきりとした苛立ちがある。
見た目は、どこか神秘的な外見をしているリーナであるが、彼女の独特の話し方がふざけているようにしか聞こえないからなのかも知れないが、どちらにせよ、周囲の惨状の原因を探らぬわけには行かないと言うことであろう。
「は、はいぃ……。実は、過去の迷宮探査の際に入手したモノでして」
「ではなぜ、報告をしなかった?」
「こ、こげなぶっそうなもんを他人様に悪用でもされたら一大事ですぅ。みんな、氷づけになっちまいます」
「…………ふん。たしかに、本国の愚者達には、渡せませんね」
「姫様、地が出ています~」
「黙れ。――優哉様、ある程度は理解されていると思いますが、こちらの刻印は、『凍界の刻印』と呼ばれ、すべての冷気を自在に操る力を有しております」
「冷気……ですか。寒さを感じないのもそれが?」
「はい。刻印の守護によるモノでしょう」
恐る恐ると言った様子でアヴィネスの問いに答えるリーナに対し、アヴィネスは声色を落としながらリーナを睨み続ける。
しかし、その返答には納得するところがあったのか、渋々といった様子で頷くと、優哉へと向き直る。
周囲の様子を見れば、刻印の力を予想することは容易である。そして、それまでの刻印に比べれば遙かに強烈な反応を示してもいるのだ。
「適性を鑑みても、優哉様がこちらの刻印を使役することが常道でしょう。しかし、そこには大変なる困難がございます。本来であれば、下級刻印をもって、刻印学や法術を身に着けてからが常道であったのですが」
「でも、もう俺に……」
「その通りです。おそらく、刻印が優哉様を選んだのでしょう……」
「刻印が選んだ?」
「はい。刻印は意志を持ち、適性無き者の使役を好みませぬ。それを知識や技術でもって抑える者もおりますが、大半の者はより適性に優れる刻印を使役いたします。ですが」
「まさか、俺はこれに使役されたりとか?」
「可能性は薄いでしょう。刻印は自身で選んだ主に忠実でもあります。いえ、むしろそれを守ろうともいたします」
「じゃあ、問題は……」
「いえ。……刻印が使役に用いる力の根源は、主の体力や生命力といった人としての力そのモノにあるのです。それ故に、限界を超えた力を使役したモノは……」
そこまで話で言葉を濁すアヴィネス。
言葉にせずとも、彼女が何を言いたいのかは優哉自身もある程度理解できる。刻印が力を発した結果が、凍結した周囲であり、一瞬にして気を失った事にもつながっているのだ。
そう考えてみれば、法鳴球に触れていただけなのに、刻印が身に宿り、身体もひどく疲れているようにも思える。元々、体力には自身があるのだが。
「生命に関わるってことですよね? つまり、これを使うと、死ぬ可能性もあると?」
「……はい。身に過ぎたる力の使役には、相応の代償が求められます」
そんな自分の身体の様子を確認しつつ、アヴィネスに対して問い掛けると、彼女は珍しく口ごもりながらそれに答える。
相応の代償。おそらく、今身体を襲う疲労感はその一部であるだろう。そして、刻印とはいわゆる魔法を使役する力の根源体であるという。
となれば、気になることもある。
「じゃあ、仮に怒りにまかせたりして、こいつを全力で使役したら、俺はどうなります?」
「不可能に近いことですけど~、多分、死にますね」
水色の光を手の甲にたたえながら、そう口を開いた優哉に対し、それまでと変わらずにのんびりとした口調でリーナが答える。
死を超越した彼女にとって、肉体のそれは取るに足らない事項であるのかも知れない。
優哉にとって、本来、自分がいるべき世界では“死”と言うモノは特に意識をしないもの。だが、こうして目の前に“不死”と言うものを体現した人物がいる以上、ここはより“死”と言うものが身近に存在する世界であるかもしれない。
アヴィネスやリーナはとりあえず、自分に対する害意は無い様子だが、それも確信する要素があるわけでもない。
「優哉様。刻印に関しましては、時間をおいてとも思ったのですが。今となっては致し方ありませぬ。リーナと私で簡単な手解きを致しますが故。そんなに思い詰めないでください」
「しかし、使い方を誤れば……」
「刻印は主を守りまする。これだけは、覚えていてください」
口を閉ざし、表情暗く今後のことを考えはじめた優哉に対し、アヴィネスの言は気休めにもならなかった。
大いなる力。それは、使い方を誤れば、即座に身に降りかかるほど危険なモノ。そして、優哉には、刻印の影響か、それが即座に理解できていたのである。