第2話 異世界にて②
磨き上げられた大理石の床が緩やかな灯火に照らされていた。
優哉は、自分とアヴィネスが歩みを進めるのに合わせて灯されていく松明を一瞥した後、アヴィネスの歩く通路へと視線を向ける。
「何をお考えですか?」
「え?」
と、その視線を感じたのか、立ち止まったアヴィネスが優哉へと視線を向けてくる。その一瞬の鋭さに、思わず声を上げ、息を飲むも、アヴィネスの視線はすぐに柔らかなものへと変わっていく。
「いえ。何やら、勇……優哉様のご様子が変わったように思えましたので」
「……なんというか、すごいですね」
「何がですか?」
「いえ。たしかに、いろいろと考えることはありましたけど、視線も向けずに分かるとは思わなくて」
「なるほど。実感はないと思いますが、優哉様のお力は常人を越えるモノ。ですが、それを隠す術はまだ得ておりませぬ。それ故に、私には優哉様の心情の変化が手に取るように伝わってくるのですよ。難敵の心情を察することは、幼き頃より身に刻みつけられておりますが故に」
そして、問いには答えずに素直に感嘆した優哉に対し、アヴィネスははじめてと言ってよいほどの疑問を顔に出す。
優哉の反応は彼女にとって思いがけないモノであったようだが、すぐに笑みを浮かべながらそれに答える。
とはいえ、“難敵”と言った彼女の柔らかな笑みが、一瞬別の何かへと変わったような気がした優哉は、再び困惑することになったのだが。
「そうなんですか。でも、本当に……」
「私の言が信用できませぬか?」
「それはそうです。いきなり召喚されて、『勇者様、私達をお救いください』だの『難敵の心情は、手に取るように分かります』なんて言われても実感は出来ませんよ。それに、さっきの剣だって、アヴィネス様が見た目通りのお姫様だったらよけられたこともおかしくないと思います」
実際、簡単に納得をすることを良しとしたくない思いも優哉にはある。今のアヴィネスの視線や先ほどの剣伎は恐ろしさを感じはするが、皇族という人の上に立つ立場である以上、ある程度の腹芸は身に着けているのではとも思える。
それに、優哉自身、運動能力に関してはそこそこ自信があるのだ。
武道の授業で、剣道部相手に勝つのは無理でも、短時間なら竹刀を全てかわしきることぐらいはなんとかなる。
「ふむ……。なれば、次期に分かる。としか言えませんね。実際に戦いの場に立っていただき、優哉様自らそれに納得していただくしか」
そんな優哉の言に、アヴィネスは深くゆっくりと頷く。
その心情はうかがい知ることの出来るものではないが、自身の言動が信用されておらず、さらに皮肉られたことは理解しているのであろう。
頷いた後の言は実に素っ気ないものであったのだ。
「や、やはりそうなんですか?」
「私も助力いたします故、ご安心ください。――さて、こちらです」
そして、素っ気なく言い放ったアヴィネスの言であっても、優哉にとって、実際に戦場に立つと明言されれば、さすがに動揺もする。
アヴィネスはそれほど心配していない様子だったが、戦いや戦争と聞けばどうしても命の心配をしてしまう。
そして、動揺を顔に出した優哉を宥めるように声をかけたアヴィネスは、通路の中央付近にある扉の前にて立ち止まる。
重厚な作りの扉であり、中からは柔らかな光が漏れている。
「リーナ。おりますか?」
「あ、ハイです。どうぞです~」
扉を開きつつ、声をかけたアヴィネスに答えたのは、ほんわかとした女性の声。それに頷いたアヴィネスの後に続いて入室した優哉の目に、色とりどりの光が映りこむ。
それは、赤、青、紫、黄、緑、水色や、それらの混じり合った様々な色の光り。その多くは水晶のような球体となって壁面や床から伸びる台座に乗せられ、きれいに羅列されている様子だった。
「…………ここは?」
その光景の美しさに、しばらくの間呆けていた優哉であったが、ようやく声を振り絞ることができた。
「法術の研究室です。これらの光は、法術を使役する上での根源となる“刻印”が発するモノ。ですが、その原理は解明にいたっておらず、保管も難しい代物なのです。それ故に、このような専用の場が必要となります」
「法術……? 魔法とかそういうヤツのことですか?」
「魔法?」
「あ、いや。手から火を放ったり、風を巻き起こして斬り裂いたり、光の力で傷を癒したりするモノで」
「なるほど……あら?」
アヴィネスの説明を受け、なんとなく自分の中でイメージする魔法の類を口にする。どう言えばいいのかは分からなかったが、アヴィネスにはなんとか理解してもらえた様子である。
しかし、そんな彼女が何かの気付いたかのように視線を優哉の背後へと向ける。
「なんですとっ!? 勇者様ん世界は、そげなもんがアルですか?」
「おわっ!? って、うわあっ!?!?」
ほどなく、とてとてと軽い足音が聞こえたかと思えば、背後から聞き覚えのある柔らかな女性の声。
突然の声に、慌てて振り返った優哉であったが、背後にいた人物にさらに驚かされることになる。
「ちょっ!? 人を見るなり、そげに驚かんでも」
そう言うと、柔らかな訛り混じりの声を持つ女性。と思われる、ガイコツが目元に驚きの色をたたえながら優哉に対して口を開く。
紫を基調とした法衣のような衣服を身に着けているモノの、顔や手の部分は、剥き出しになった骨であり、それがカチカチと音を立てて動き回っている。
その様は、目元や声の柔らかさを覆い尽くしてしまうほどの驚きを優哉に与えていた。
「リーナ。用意をしておいてと言ったはずですが? それと、話し方が昔のモノになっているわよ?」
「あうっ……。そげ、そんなことを言われても姫様。すぐにとれちまいます」
そして、思わず尻餅を付いた優哉を一瞥したアヴィネスが、髪をかき上げながら首を振るうと、リーナと呼ばれたガイコツに対してやや強い口調で問い掛ける。
思いがけないところからの声に、リーナは全身を軋ませながら居住まいを正すと、やや俯き加減に口を開く。
「だからと言って、そんな姿で人前に出たら驚くわ。素材はいくらでも用意してあげるから、さっさと直してきなさい」
「はあい……」
「口調っ!!」
「はうっ!! わ、分かりましたっ!!」
「それと、この方が、今回お呼びした勇者様です。法鳴球も用意しておいて」
「はい……。そ、それはこちらに~」
鋭い指摘を受けたリーナであったが、アヴィネスの言に物陰から柔らかな光を灯す水晶球を二人の前へと運んでくる。
周囲の水晶達と異なり、これは透明な光が灯るのみである。
「では、私は行って来ます~」
「適当にやっては駄目よ」
「わ、分かってます~。それと、姫様にそんな口調は似合わないです~」
「…………さっさと行きなさい」
「ひぃっ!? し、しつれいしました~」
「まったく……。見苦しいモノをお見せ致しましたね優哉様。彼女は、メルティリーナ・ファスティナーテ。私どもはリーナと呼んでおります。そして、見ての通りスケルトンです」
「スケルトンって、骸骨の化け物みたいなモノですよね? でも、外見は以外は普通の人みたいですね。訛っているけど言葉は話すし自立して行動もしているし」
そんな調子で骨と骨と軋ませながら駆けていくリーナを嘆息混じりで見送ったアヴィネスは、優哉の手を取るとそう口を開く。
身を起こした優哉は、リーナが駆けていった方に視線を向けつつ口を開く。彼女の姿に、いよいよ異世界にやってきたということが現実になった様にも思えるのだ。
もっとも、優哉がイメージするスケルトンは、敵として攻撃してくるか、単なる操り人形に近いモノであるのだが。
「一般的には、優哉様の認識で問題ありませぬ。ごく普通のスケルトンは、人に害をなす化け物でございます。ですが、極稀に、人としての意志を持った者もおるのです」
「へえ。彼女もその一人って言うわけですか?」
「彼女は例外中の例外です。自らの力で、不死者としてこの世に有り続ける術を産み出した。それも、どれだけの時を遡るかも分からぬほどの過去に」
「そ、それって、すごいことなんじゃ?」
「この世でただ一人の存在でしょう。普段は、頭の軽い娘ですが。しかし、あの姿でもって永遠を生きるというのも考えものです。彼女の場合は、肉体よりも研究の方が大事なんでしょうけど……」
「アヴィネス様は、そこまでして生きたくはないですか?」
「それはそうです。生あるモノに死は等しく訪れる。彼女はその理から外れておるのですからね。――さて、彼女が戻ってくるまで、貴方の法術における適性と身に秘めたる力を見ておきたいと思います」
一瞬瞑目し、そう口を開いたアヴィネスは、優哉の問いにそう答えると、リーナの用意した水晶球を台座ごと優哉の前へ寄せる。
「これは?」
「“法鳴球”と呼ばれる魔導球です。対象者の持つ力と刻印に対する適性を探ることができます。優哉様、こちらに手を」
「は、はい」
「先に言っておきますが、勇者として召喚された以上、優哉様が持つ力は常人のそれを大きく凌駕するものであると言えます。当然、個人差はありますがね。それ故に、適性試験であっても衝撃などがあるかとは思います」
「そ、それって、大丈夫なんですかっ!?」
「今の優哉様ならば負傷することもないでしょう。驚きはすると思いますが」
「それでも、痛いのはいやですよ」
「お許しください。それでは、行きますよ?」
説明を受け、水晶球に手を添える優哉。痛みの類はある様子だったが、今更拒否することはできないだろうし、断れるとも思えなかった。
手が水晶に置かれるのをアヴィネスは、傍らに用意された赤く光る水晶球を台座へとセットする。水晶の中には、赤く輝く炎を象った光が灯っている。
そして、それまで透明な光を放っていた法鳴球が、赤い光を放ちはじめる。
ほどなく、赤き光が熱を帯び始め、次第に炎が手と水晶の周囲を包み込んでいく。しかし、不思議と熱さは感じず、むしろ心地よい暖かさが手を包み込んでいる。
「…………。それでは次に行きます」
そんな優哉の様子に、アヴィネスは次第に表情を険しくしていくが、特段の反応を示さずに次々に異なる色の水晶球を台座にはめ込んでいく。
青く光る水晶の時は、あふれ出た水が手を包み込んだかと思えば濁流となって床を濡らし、紫色の時は、水晶から周囲に向かって稲妻が走り、緑色の時は竜巻が起こって室内のモノを倒していく。
「ちょっ!? アヴィネス様っ、いいんですか?」
「問題な、……ありませぬ。リーナが後で片付けるでしょう」
「は、はあ……」
「納得しませぬか? ならばこれで」
稲妻によって壁に空いた穴や竜巻が目茶苦茶にしてしまった棚やテーブルに、優哉は慌てて口を開くも、アヴィネスはそんなことはお構いなしにと今度は桃色の光を放つ水晶球をはめ込む。
「今度は……って、うわっ!?」
再び激しい光を放つと台座から草木の蔓がゆるゆるとのび、床へと広がっていく。それは、まるで意志を持っているかのように伸び続け、しばらくして静止する。
「では、優哉様。調度品を整理したり、片付けるように念じてみてください」
「えっ!? は、はい」
それを見たアヴィネスの言に頷き、言われたとおりに念じてみる。すると、柔らかな光を放った水晶球に答えるように、方々に伸びた蔓が、倒れた棚やテーブルに巻き付き、それを引き起こすと床に落ちた水晶球を丁寧に並べていく。
ほどなく、部屋を覆い尽くすかと思われた蔓たちは作業を終えて沈黙した。
「終わったようですね」
「い、いったい……」
「この刻印は植物を操ることを可能とする力を操ります。今回のような蔓の使役ですと、単純作業以外でも、鞭のように他を攻撃することや毒を植えつけることも可能です」
「そんなことも?」
「ある程度の技能は必要になってきますけどね。それは、一朝一夕でなるモノでもございませぬが故」
そう言って、台座から水晶球を取り出すアヴィネス。すると、のびていた蔓たちもゆっくりと元の場に戻って行き、やがて台座へと収まっていく。
アヴィネスによれば、刻印が産み出したのではなく、台座の下にある地面から伸びてきてものだという。
炎や稲妻のように、刻印内部の力が根源となるモノもあれば、水や草のように、元々から存在している力を増大するモノもあるという。
「さて、基礎的な刻印のお力は分かりました。次は……あら?」
「どうしたんです?」
「いえ。…………これは」
そして、簡単な説明を終えたアヴィネスが、何かに気付いたかのようにかがみ込む。優哉が視線を向けると、彼女の手には、それまでのどの水晶よりも鮮やかな光を放つ、やや大型の水晶球があった。
「リーナめ。私に報告もなくっ」
「アヴィネス様?」
それに視線を向け、先ほどよりも厳しい表情で口を開いたアヴィネスに、優哉も驚き、声を上げる。
時折、深層の姫君としての表情を消すことはあったが、はっきりを声を荒げたのはこれがはじめてである。
「っ!? ……優哉様。もう一種、刻印をお試し頂けますか?」
「それは、いいですけど」
と、そんな優哉に対し、居住まいを正したアヴィネスは、手にしていた刻印を傍らに置くと、同じような水色の光を放つ水晶球を手に優哉に問い掛けてくる。
どことなく、ぎこちない様子であったモノの、断る理由もないし、断ることも不可能だと思っている優哉は特に思うこともなく頷く。
「これまでのモノよりも危険かも知れませぬ。それでも、よろしいですね?」
「ああ、何でもいいですよ。どのみち、断ったところでやるんでしょ? だったら別に」
「っ!? 申しわけございませぬ。ですが」
「だから、いいって言っているじゃないですか。早くやってください」
しかし、今回は嫌に慎重な態度でそう告げてくるアヴィネス。
そんな彼女の様子に、それまでのどこかぞんざいな扱いとの違いに、少し苛立ちを覚え、声を荒げる。
そして、なおも言葉を続けようとするアヴィネスの言を退け、法鳴球へと手を添える。。
何が起きるのかと思いながらそれを見つめていた優哉の目に、再び眩い光を届きはじめる。
はじめはそれまでのモノとは変わらなかったのだが、次第に光は密度を増して行き、同時に全身を包み込むような暖かさを感じ始める。
「こ、これはっ!! やはりか……っ!?」
(な、なんだっ!?)
そんな時、耳に届くアヴィネスの声。思わず声を上げるが、それは声にならず、脳内にて反芻されるのみ。ほどなく、優哉はアヴィネスや他のモノとともに光に飲み込まれる。
再び声を上げるが、今度は脳内にも届いては来なかった。そして、感じ始める倦怠感。全身から何かが奪い取られているような、そんな気がしていた。
そして、柔らかな何かに全身が包まれる感触と一瞬の激痛のち、優哉の意識は遠退きはじめる。
やがて、その意識の彼方にそれまでとは異なる映像が映りはじめていた。