第14話 それぞれの思惑
吹き上がった血が周囲に黒い染みを作っていく。
頸を失った敵軍の指揮官であったそれは、しばらく痙攣した後、ゆっくりと馬上から崩れ落ちていく。
その様を見て取った敵軍は慌てふためきながら潰走しはじめていた。
緒戦は手を汚すことなく勝利に預かれたわけであったが、それでも慣れるモノではない。
「うっ……うう」
傍らにて、口を押さえながら顔を青ざめさせる美波を朱音とともに支えると、眼前にて笑みを浮かべながら剣を拭うアヴィネスへと視線を向ける。
「他愛もないな。まあ、国境守備隊を退けたところで何にもならんが」
一瞬、こちらを一瞥したアヴィネスは、潰走しフッリツ等の追撃に遭っている敵軍を見つめながらそう呟くと、馬を返して優哉達の元へと戻って来た。
ただ付いてくるだけで良い。それで戦は終わる。
最後の突撃を前に、そう言ったアヴィネスは、自身の言をたしかに実現して見せた。本陣から戦の様子を見ていた優哉達は、ただただアヴィネスの後についていくだけであったのだ。
「さて、我々はゆっくりと進むとしようか。とりあえず、拠点は確保せんとな」
帝都から海路を用いて東へと向かい、エフィスから東方教庁を経てセディール国境を突破したのは、三日ほど前のことであった。
国境の守備隊はある程度の情報を掴んでいたのか、いくつもの砦を築いて待ち構えていたモノの、それはこちら側の法術によってあっさりと突破され、原野にて反撃を試みたのだが、結果はこの通り。
優哉と美波も砦の攻撃には加わったが、法術による遠距離からの攻撃が、殺人に対する意識を薄れさせてくれていた。それでも、間近で死にゆく人間の姿を見せつけられれば、動揺もする。
そのうちに慣れると言われてはいたが。
「美波、大丈夫か?」
「……そっちこそ、声が震えているわよ?」
「そりゃ、大丈夫じゃないしな」
とはいえ、馬を進める間も原野に転がる敵兵の死体には何の感情も抱かなくなってきていることも事実。先日の悲惨な虐殺行を目の当たりしたことも相まって、徐々に慣れてきていると言うのもその通りかも知れなかった。
「さて、皆々、ご苦労だった」
追撃戦を終え、住民の逃走した集落に落ち着いた一行は、野営の準備を整え、状況確認のためにアヴィネスが拠点を置く住居へと集結していた。
「とりあえず、兵站の心配は無くなったが、久々の大軍だ。万一の事も無きよう、各軍慎重に事を運べ」
「御意」
全軍で二万の大軍である。
内訳は、アヴィネス直属の帝国第一猟兵軍第一軍団第二部隊五千。
フリッツ直属の猟兵軍第二軍団第一部隊三千。
シュメイル率いる第七軍第一部隊、ベルサリア率いる第八軍第三部隊、ヴェロス率いる狩猟軍第二軍団第二部隊がそれぞれ二千。
残る六千のうち、兵站の確保に三千を割き、残りの三千は別の将軍が一千ずつを率いている。
イブルが一千で国境を侵犯してきたことを考えれば相当な規模の大軍である。
もっとも、優哉はユディアーヌ帝国がどれほどの規模の戦力を抱えているかまでは教えられていないので、戦力等々を考えるのは難しかったが。
「ここから先は、当初の予定通りに?」
「うむ。当初の予定通り、エルヴァレスへと向かい、迎撃に出てきた敵軍を粉砕する。ただ、どうやら敵にもこちらの動きが分かっていたらしい」
「……なんですと?」
「斥候の報告だと、セデュール軍およそ五万が、三方よりこちらに向かっているという」
そう言うと、アヴィネスは報告書をシュメイルに手渡すと、広げた地図に赤と青に着色した駒を並べはじめる。
エルヴァレルとこの場にそれぞれ、赤と青を。そして、複数の赤がここからエルヴァレルまでの行程の間に置かれ、さらにこちらへ向かって三方から無数の赤い駒が向かってきているように配置されていく。
「……先手を取られましたな。いかがいたします?」
「貴公の意見は?」
地図に配置された駒に視線をやり、顔上げたシュメイルが抑揚の少ない声のまま口を開く。その視線には、アヴィネスとその背後にある自分達を試すかのような光がある。
「我が軍に対し、敵の数は二倍。しかも、すで臨戦態勢に入った状態において、さん方向より我々を包囲しようとしております」
「つまり、負けると言いたいのか?」
「いえ。常識から言えば、負けると見るのが正しいでしょうが」
シュメイルは地図を指し示しながらアヴィネスの問いにゆっくりと答える。
他の将軍達もそれに頷くも、当のシュメイルは愚か他の者達もただで負けると思っている節ない。
「ついでに、撤退も視野に入れるべき。という所なんですがねえ」
ベルサリアが自慢の黒髪をゆっくりと撫でながら首を振るい、そう口を開く。実際の所は、包囲の危機にある現状なのだが、彼女やフリッツ、ヴェロスといったところは特に表情の変化を見せない。
それ以外の将軍達は、まあお察しと言ったところではあったが。
「なんだ? 言いたいことがあるのならば言っておけ」
とはいえ、見えがたい変化の中にもアヴィネスには見えるところがあったのであろう。まるで悪戯を仕掛けた少女のように口元に笑みを浮かべ、ベルサリアに対して問い掛ける。
「いえ……。実際の所、敵の将軍次第なんですが。包囲が完成する前に勝てますよね? これ」
「ほう?」
「ついでに言えば、敵に情報を流したのは……」
「さあな。私は知らんぞ? ま、ベルサリアの言うとおりではある。何を思ったのか、敵はこちらに倍する戦力をわざわざ分散させてくれた。まるで、各個撃破してくれんとばかりにな」
ベルサリアをフリッツの言に手をひらひらと振りつつ応えたアヴィネスは、笑みを浮かながら地図上に並べた駒を指し示す。
その様を、ベルサリアとフリッツは苦笑しつつ見つめ、シュメイルは眉間にしわを浮かべつつも頷き、ヴェロスは特に表情を変えぬまま、黙ってそれを見つめている。
それぞれに思うところはあれど、上位四名は差し迫った状況に対する懸念もヴェルサリアに対する反問もない様子で、今回の戦いに臨むつもりになっている様子。
上位者達がそう考えるのならば、その幕下にある指揮官達が反論をする余地はない。彼らからしてみれば、机上の空論のようにも見えるのかも知れなかったが。
「さて、本来だったらゆっくりと急速をしてもらうところだが、もう一暴れしてもらうぞ。各人の行動だが……」
そして、夕陽が傾きはじめる中、帝国軍は再びの戦へと足を向け始めていた。
◇◆◇◆◇
当人達が意気揚々と戦に望もうとしている最中、遠き帝都にある者達は、その報告に驚愕していた。
曰く、『第一皇女率いるセデュール懲罰軍は、目下敵中にて孤立しつつあり』という報告であった。
「いったい、どういう事かっ。姉上や勇者達を大義なき戦に仕向けた上に、敵に情報が漏れていたのだと言うではないかっ!!」
「落ち着きください。二皇女殿下」
その報告を受け、帝国第二皇女、システィーナ・ノルン・ユディアーニアは、妹のティファーネ、召喚勇者一ノ瀬昴、冷泉健介や腹心の部下達とともに、宰相府へと乗り込み、執務に当たる宰相に対して声を荒げていた。
「これが落ち着いてなどいられるかっ!! 今回の行動は昔日のロト襲撃に対する報復と聞く。だが、その報復が敵にとっての聖地襲撃とは、いくら何でも無茶であろう」
「しかし、それは第一皇女殿下の発案ですぞ?」
「だったら、それを止めるのも宰相の職務であろう? そなただけではない。軍務尚書や参謀総長は、何をやっていたっ!?」
「姉上。そのぐらいに……。しかし、宰相閣下。情報の漏洩とそれに伴う第一皇女の危機。いかに、皇女自身の発案と言えど、貴公等に罪が無いとは、言えませんぞ?」
なおも声を荒げるシスティーナを抑え、第三皇女ティファーネ・ノルン・ユディアーニアもまた、冷静に宰相を弾劾する。
とはいえ、宰相としても今回の討伐行に賛成していたわけでもなく、アヴィネスが発案し、門閥貴族がそれに声高に賛成し、皇帝も承認した。
軍の三長官や宰相自身が反対とは言えずとも、消極的であっただけでは覆せる事案ではない。
「失礼する」
そんな宰相室に、重々しい声が轟く。
「中々、盛況の様子だが、宰相。此度の件、いかが処理する?」
「はっ……。ですが、まだ敗北したわけでは」
ゆっくりとした足取りで室内に歩みを進める男は、システィーナとティファーネに対して、軽く会釈をすると宰相に向き直り、口を開く。
彼の名は、フリードリヒ・ロゥ・アモリアード。
現皇帝の叔母を母に待ち、外戚として前帝国軍司令長官などを歴任し、現在のアモリアード家当主に当たる人物である。
後継嗣子フリッツの成人に伴い、公職からは退いているが、今でも厳然たる影響力を保持する帝国の重鎮である。
「ふむ。倍する敵に、三方より包囲の危機にあり、撤退以外に選択の余地はない状況であると聞いているが?」
「……? 待て、何故にその事実を?」
「何故にと? 恐れながら、皇女殿下。私は無能なりにも長官職を歴任いたした身。故に、他人よりも耳はよいのですよ」
そんなフリードリヒは、なおも宰相に詰め寄るかのように口を開くが、その発言に顔を見合わせたシスティーナとティファーネが、フリードリヒを睨み付けるように問い掛ける。
しかし、フリードリヒは肩をすくめつつそう告げると、再び宰相に対して口を開いた。
「まあ、勝つにせよ、負けるにせよ、相応の被害は覚悟せねばなるまい。しかし、国軍を動かすことは容易でも無し。ここは、我々に任せて欲しいのだがな」
「し、しかし、第二猟兵軍とて、国軍には違いありませぬぞ?」
「だが、総司令官は不在な状況だ」
「なれば、尚更……」
「宰相」
そう言って、自らの出撃を迫るフリードリヒに対し、宰相は眉間にしわを寄せながら抗弁する。だが、それを抑えつけるかのような声が、執務室に響く。
「皇女殿下の軍には、我がアモリア―ド家の次期当主がいるのだ」
「むっ……」
息子を助けに行って何が悪い?
言外にそう告げながら向けられる鋭い視線に、宰相は思わず言葉を詰まらせる。実際の所は、私的理由で軍を動かすなど以ての外なのだが、このフリードリヒの態度にこそ、帝国の現状が表されてもいるのであった。
「では、私達も同行いたしましょう」
「何?」
「殿下!?」
「そうね。フリードリヒの息子がいるように、私達の姉もそこにはいる。あなたが行けて、私達が行けない道理はないわ」
ティファーネの言に、フリードリヒと宰相が目を見開くも、それに頷いたシスティーナは、眼光鋭くフリードリヒを睨み付ける。
彼女達は、フリードリヒの言から、今回の件は彼の策謀であると思い、好きなようにはさせないとの思いからの言動である。
敗走してきたアヴィネスを救出し、敵軍を駆逐したことで皇室に対する発言力を高める。近年、成人した三皇女が軍内部での声望を高めつつある事への掣肘の意図があるのだと。
「……良いでしょう。出立は明日の夕刻。準備を急ぎなされ」
はじめこそ、驚きの表情を浮かべていたフリードリヒであったが、すぐに冷静さを取り戻すと、静かに頷きながらそう口を開き、ゆっくりとした足取りで退出していく。
その後ろ姿を忌々しげに見つめていたシスティーナとティファーネは、ゆっくりと宰相に視線を向け、それを受けた宰相も力無く頷く以外に無かった。
◇◆◇
「まったく。あそこで露骨な態度を取るなんて、馬鹿にしているのかっ!!」
「落ち着いてください。それにしても、あなた達も居残りなのね」
テーブルを叩きつつ、声を荒げるシスティーナに苦笑しつつ、用意された紅茶を口に運んだティファーネは、執務机にて作業を続けるパキュレスとそこに腰掛けつつ紅茶を飲むラミザに対して口を開く。
「今回の遠征は、軍主導によるモノでありますれば」
「私自身、一応は帝国の臣下ですしね」
「ふ、あなた達らしい……」
「で、今回従軍したのは? まったく、私達にぐらい教えてくれてもいいモノを」
事務的に返答するパキュレスと肩をすくめるラミザの言に、姉妹は顔を見合わせて苦笑すると、再び口を開く。
「まず、フリッツ・ロゥ・アモリアード卿。実力は知っての通りですが、今回ばかりは父君の出陣の餌でしょうな」
「他は、シュメイル、ベルサリア、ヴェロス。ついでに、これがその下にある指揮官達です」
書類から顔を上げ、紅茶を口に含んだパキュレスがそう口を開くと、頷いたラミザが参軍者の一覧を二人に対して差し出す。
「シュメイルは功績から言えば、軍令の中枢にあってもおかしくない戦巧者。ですが、融通の利かない性格と、何やら私達に対して思うところがある様子。名将ではあるが、使いづらい人物ですね」
「ベルサリアは柔軟な思考をし、攻勢に非常に強いが、やはり何を考えているのか分からないところがあるわね。突然後退して、敵を浸透させたと思ったら背後に現れたり。普段の昼行灯ぶりと攻勢の時とは人が違いすぎている。というのは姉上に似ているけど」
「ヴェロス殿は、アモリアード公が登用した人物ですが、戦場では徹底的に黒子に徹しております。個人の武勇では、弓の名手で、幾度となく敵指揮官を屠っておりますが」
「その下の指揮官達は、上が有能ならそれなりに、でも連携が取れていなければ足を引っ張るだけの凡庸なのばっかりですね。殿下の枷にはなっても助けにはなりません」
「ふむ……」
それぞれの指揮官達について、印象と実績から批評してみた四人であったが、それきり黙り込む。
人員としては大きな問題があるわけではない。シュメイルは扱いづらいとはいえ、戦場にあって私情を挟むような人間ではない。
ベルサリアはむしろアヴィネスとは馬の合うタイプである。
ただ、フリッツとヴェロスのアモリアード一門がどう動くのか。フリッツの人となりは、四人ともに知ってはいるモノの、今回の事が父親の策謀であるとすれば……。
とはいえ、フリッツがアヴィネスの危機を救い、かつフリードリヒが追撃してきたセデュールを粉砕すれば、国内での声望はもはや止めようが無くなる。
であれば、足を引っ張るような真似をするはずはないと言うのが、四人の見解である様子だったが……。
「ああ、もう。考えたってしょうがない。私達が行って、姉上を助ければいいだけの話だっ!!」
「姉上。ですが、それはその通りですね」
そして、沈黙の中から苛立つように声を上げ、立ち上がったシスティーナを宥めつつ、その言に頷いたティファーネもまた、柔ら中笑みを浮かべている。
「よしっ。戦の準備よ。昴、健介。あんた達にも期待しているわ。優哉や美波もいる事だし、あんた達も気合いを入れなよっ!!」
「は、はい……っ!!」
そして、口を閉ざして事を見つめていた昴と健介は、システィーナの大きな声に頷き、退出した二人の後に続く。
(いよいよか……。優哉、美波、それから朝永。死ぬなよ……っ)
(あの二人。随分落ち着いているな)
昴は遠き戦場にある友人達に思いを寄せ、健介は主君の危機に際しても平静を保ったままのパキュレスとライザの態度に疑問を抱く。
それぞれに、思ったことは異なるが、両者ともに目の前の戦へと意識を向ける。
勇者としての真価は戦場でしか発揮することは出来ない。となれば、戦いへの覚悟というものも早いうちに決めておかねばならないのだった。




