第13話 軍靴の足音
式典より一週間が経過しようとしていた。
優哉達、“勇者”一行は、いずれ来るであろう任務に備え、武術、法術などの戦闘面の基礎や礼儀作法、一般常識などの知識を時間の許す限り教え込まれていた。
基礎体力や魔力などは、勇者の特権のおかげが人智を越えている彼ら。優哉もアヴィネスによる制限がある中、中の下程度の評価を得る日々が続いている。
そんな折、優哉はおよそ一週間ぶりとも言えるアヴィネスからの呼び出しを受け、彼女の執務室へと足を向けていた。
「来たか……。まあ、座ってくれ」
執務室の扉を叩き、室内に足を踏み入れた優哉は、傍らに控えるパキュレスとラミザの他、用意されていたソファーに腰を下ろしている二人の人物に対して敬礼すると進められるままに彼らと対座する席へと腰を下ろした。
「あ、あの、話とは?」
「全員が揃ってから話す。そちらの二人は、シュメイルとベルサリア。両名ともに軍の指揮官だ。せっかくだし、交流を深めておけ」
「は、はい……。ええと、はじめまして」
「はじめてではないぞ。懇親会の席で話したとは思うが、まあいい、私はベルサリア・ロゥ・ラスカリス。以後よろしく頼む。――――閣下」
「……私は、シュメイル・ロゥ・ドルガイア。以上だ」
そう言うと、再び窓辺に立って外を眺めはじめるアヴィネスは、それ以上何も言うつもりはないらしく、優哉は言われるがままに眼前の両者に対して頭を下げる。
ベルサリアは、形良く整えられた眉が気の強そうな顔立ちをいっそう惹き立てている妙齢の女性で、流れるような黒髪と一際目に付く赤い瞳が、魔女めいた印象を周囲に与えている。
シュメイルは中背が骨太な体躯を持ち、やや白髪の交じりはじめた灰色の髪が、年齢相応の風格を彼に与えている。
細く鋭い目元から放たれる光は、短い言の間に優哉を見据え、その後は興味が無いかのように黙り込んでいる。
はじめからベルサリアに促されねば自己紹介をするつもりもなかった様子で、彼自身はあまり優哉のことを好意的に見てはいない様子でもある。
「あら? 優哉も?」
「やあ。久しぶりだね」
そんな時、優哉の耳に聞き覚えのある声が届くと、腰掛けていたシュメイルとベルサリア、そしてアヴィネスもそれに倣うように振り返る。
そこには、先日の晩餐会にて交流を深めた門閥貴族フリッツと彼に伴われた美波ともう一人の女子生徒朝永朱音。そして、その背後に控えるように長身の男が立っている。
「ようやく来たか。まあいい、座ってくれ」
そう言うと、アヴィネスもまた上座に置かれた席に腰を下ろすと美波と朱音は、躊躇うことなく優哉の傍らに腰を下ろし、それを見ていてフリッツは、一瞬、表情を消し去ると、苦笑してシュメイルの傍ら、この中では一応の席次上位の位置に腰を下ろす。
「ヴェロス。貴様も座ってはどうだ? こいつ等に気を使うことはないぞ?」
「いえ。私はこちらで」
「いまだに、傭兵あがりの余所者だと言うことを気にしているのか? 貴様も軍団長になろうというのに」
「…………」
ヴェロスと呼ばれた男は、フリッツの背後に静かに立つも、アヴィネスの言うように、彼は将軍として登用された人物であるらしく、今回の任務にも参加する人物である様子だったが、それきり黙り込んだヴェロスに、アヴィネスはそれ以上何も言わなかった。
「さてと、諸君。急で驚くとは思うが、遠征が決まった。先頃のロトの村に対する殺戮行への報復行動だ」
「目的は?」
アヴィネスはそう告げ、シュメイルの問いに頷くと、パキュレスの広げた地図の辺境部を指揮棒にてなぞりながら口を開く。
「当初は辺境部への攻撃であったが、正直、武器を持たぬ者どもへの報復など性に合わん。ヤツ等の意図と同様に、敵前線都市への攻略を目的とする」
「して、我々が動員されることになったわけか。具体的な目標は?」
「エルヴァレスだ」
「何っ!?」
そして、辺境部分から南へと地図をなぞったアヴィネスは、地中海東端部からやや内陸に入った都市を指し示し、口を開く。
それに対し、フリッツが思わず声を上げると他の三名に目をむく。
「もちろん、本気でこんなところを落とすつもりはない。だが、ヤツ等にとっても聖地を汚されるわけにはいかんだろうし、相応の部隊を迎撃のために送り込んでくるはずだ。我々は、それを叩きつぶす」
「陽動か……。果たして、釣り出されるでしょうか?」
「来なければ来ないで、望み通り聖地を血に染めてやれば良いだけだ。以前に愚か者どもが暴れ回った以上、手を込まねいているとは思えんがな」
そう言って、指揮棒を地図から放し、片手にてトントンと弄びはじめているアヴィネスは、地図へと目を向け、戦略を練りはじめている将軍達から、黙り込んだまま状況を見つめている優哉達に視線を向ける。
「貴様達三名は、今回が初陣となる。とりあえず、私とともに行動してもらうが、必要時には、遠慮無く動いてもらうぞ」
「は、はい」
「優哉は美波とともに、氷と光法術で全軍を援護、朱音は負傷者の支援が主になるとは思うがな。前線で殴り合うのは先のこと。まずは、戦に慣れることだ」
そう言うと、再び地図へと向き直ると、思考から抜け出した各将軍達に対して、それぞれに意見を求め、アヴィネスもその言に従って戦略を修正や兵站など純軍事的な方向へと話が移っていった。
◇◆◇
簡単な軍議を終えると、アヴィネスは将軍達を下がらせ、三人の“勇者”達をその場に残す。
美波と朱音に対しては、フリッツが少々眉を顰めたが、双方ともにあくまでも将軍と勇者であり、公人とあっては皇女の言に逆らうわけにも行かずに彼もまた引き下がることになる。
「さて、思いがけない事になったが、まずは許してくれ」
「いえ。予定になかったんですか?」
「ああ。貴様と私で、獣どもには相応の報いをくれてやったのだ。わざわざ報復行動を起こすまでも本来はない」
アヴィネスは執務机に腰掛けると、肩をすくめながらそう口を開く。
「ではなぜ?」
「アリーの存在だ」
「アリーの? そう言えば、彼女は」
優哉は、先頃の戦いにおいて自軍の捕虜となった、気位の高い女性のことを思いかえす。帝都に到着した後、アヴィネスが身柄を預かっているはずであったが、今回の軍事行動が彼女が原因というのはどういう事なのであろうか?
「今は無事だ」
「今はって……」
「落ち着いて聞け。今回の戦いに際し、アリーの身柄の解放を条件に、辺境での虐殺行に対する賠償を突き付けた。だが、セデュール側からの返答は、『アリー・ベナレスは、当国にて健在であり、そちらの声明は断固として受け入れがたい』だそうだ」
「話が見えないんですけど……、つまり、向こうは賠償金の支払いが嫌で、その人を見捨てたって事ですか?」
そんなアヴィネスと優哉の会話に、訝しげな表情を浮かべた美波が口を挟む。彼女はそれまではフリッツ等とともに行動しており、アリーのことは知らないのだから当然ではある。それでも、最低限のことは察しがついたようだ。
「そう言うことだ。ついでに、向こうからの返事には、「処断も何も好きにすればいい」との文言もおまけについていたよ」
「思いきり確信犯じゃないですか」
そう言って肩をすくめるアヴィネスに対し、優哉もまたあまりにあからさまな返事に少々あきれてしまう。たしかに、向こうも何も無かったことにしたいというのは分かるが、これではこちらを挑発しようとしているようにも見える。
「それで、皇女様。そのアリーさんと言う方には、そのことを伝えたのですか?」
そんななか、こと顛末を黙って聞いていた朱音が、静かな声でアヴィネスに対して問い掛ける。
腰ほどまで伸びた艶やかな黒髪が特徴で、学年を代表するといっても過言ではない美少女である。と言っても、彼女との接点はクラス行事ぐらいでしか接点はなく、クラスや学年を問わずに男に言い寄られて困惑している場面を幾度も目にしていたぐらいでしか、印象になかった。
今も、声を聞いてそれを思い出したほどでもある。
「いや……。正直なところ、処断するにしては御粗末すぎてな。たしかに、彼女は敵指揮官の副官であり、虐殺を止めなかったという責任はある。とはいえ、実際に虐殺に参加したわけでもないし、あのような暴虐な者達を止めるのは、さすがに不可能だろう」
「状況は分かりませぬが、それはさすがに通じないのではございませんか?」
「うむ。だからこそ、迷っている。実際、彼女の首を刎ねることは簡単だ。奴隷に堕とすことも当然ながら可能だし、彼女もそれから逃れるつもりは無かろう」
「ですが、彼女を処断しても、こちらには何の益にもならぬと?」
「そう言うことだ……。しかし、よく見えているではないか」
「単なる生兵法です」
そして、さらに言葉を重ねていくアヴィネスと朱音。その後はアリーの処遇から、先ほどの戦略に対する政戦の話に移っていき、お互い楽しそうな笑みを浮かべている。
彼女のことを良く知らない優哉としては、淡々とアヴィネスと会話を続ける様が、どこか異様なもののように思え、小声で傍らの美波に対して口を開く。
「なあ、朝永ってこんなに饒舌だったのか?」
「あの子はちょっとオタクな所があるからね。歴史とか好きだし、話して見たくなったんでしょ」
「そうなんだ」
「そ。だから、男に言い寄られるとまともに話せなくてオロオロしていたのよ。でも、何事にも熱心だから、成績も良かったし、色々と助けられたよ」
「俺はあまり関わりはなかったんだけどな」
「そうね。でも、わざわざ甲子園まで応援に来てくれたぐらいだし、気にはしていたんだと思うよ?」
「気にって?」
「肘のこと。なんでも、地方から見ていて明らかに投げ方がおかしかったって言っていたぐらいだしね。私からの昴のフォームとか、健介のリードへの指摘もけっこう彼女の助言があったからなのよ」
「おいおい。すごいな……」
「人を見るのが好きなんだって。だから、他の部の試合なんかはけっこう見ているみたいだし、知識も豊富だよ?」
「だから、アヴィネス様とも普通に話せているのか」
そう言いながら頷くと、優哉は今もアヴィネスと論議をする朱音の姿が、なんとも頼もしく写る。それまで接点の少なかったクラスメイトの知られざる一面を知る事にもなったのだ。
「まあ、あんたらを一番見ているのは私なんだけどね」
「んっ? なんだよ、突然?」
「なんだか最近、皇女様達といちゃついているみたいじゃない。私達が女誑しに言い寄られているのを放って置いてさ」
「え? いや、何のことだ??」
「はあ、もういいよ。それより、昴と健介にも言っておいて。あまり、私をのけ者にしないでって」
「え? いや、そんなことはないぞ」
「召喚からこの方、全然絡んでこなかったのはどこの誰でしたっけね。女だけじゃけっこう怖かったりもするの」
「あ…………すまん」
そして、僅かに朱音へと向いた意識は、脇をつつく美波の言によって彼女へと戻される。たしかに、召喚からの一週間、三人は時を見ては連んでいたが、美波のことはほとんど放って置いてしまっていたのだ。
晩餐会でフリッツが特段の悪意のある人物とは思えなかったことと、男子と女子の居室が区別されていたことがそれにも拍車をかけていたようであった。
そんな調子で談笑する幼馴染み達。それを、少し寂しげな表情で視線を向ける4つの眼の存在には気付くこともなかった。
◇◆◇
「……処分は決定いたしましたか? 皇女殿下」
室内に足を踏み入れると、読んでいた書物を閉じ、凛とした視線をアリーは一向に向けてきた。
とはいえ、それまでの彼女を知る優哉にとって、今の彼女の姿はどこか痛々しいモノでもある。
足には鉄球ののついた枷がつけられ、取り調べと称したであろう暴行の後が、身体の各所に見られるのだ。
「すまんな。私も手は打ったのだが……」
そんな優哉の心情に気付いたのか、アヴィネスが力無く口を開く。だが、アリーはそれに対してゆっくりと首を振るう。
「我々のやったことを考えれば、致し方ない。私も、戦場を経験していれば平然と参加したやもしれんしな。それで、私はどうなる?」
「……セデュールからの返事はこれだ」
アリーの言に、アヴィネスはそれだけ言うと、書面をアリーへと放ることでそれに応える。
「…………そうか。失態を演じた人間には用はないと言うことか。身代金の支払いにも値しないと」
「そう言うことのようだな」
「それで、いつだ? 首を刎ねられるのは?」
力無く首を振り、そう口を開いたアリーは、表情を崩すことなくアヴィネスへと視線を向ける。
その目に恐れはの色は見えないが、よくみると身体が僅かに震えている。いかに、態度を取り繕おうと、死への恐れまでを隠しきることは困難でもあった。
「貴様にはふたつ選択肢がある。一つは、自裁すること。もう一つは、奴隷として生き、暴虐に散った者達に償うこと。それだけだ」
「ほう? 罪人に自裁を許すなど、どういった風の吹き回しだ?」
「アリー・ベナレスは、セデュールで健在な以上、今回の虐殺行には参戦していない。なれば、生き残ったセデュール兵。それも、虐殺の実行者ではない捕虜を処断するわけにはいかんよ」
「……そうであったな。なれば剣を」
「まあ、待て。そう死に急ぐな」
「異な事を。私に奴隷として生きろと?」
そんなアヴィネスの言を受け、アリーは睨み付けるように彼女と視線を交わす。
たしかに敗軍の将である以上、相応の報いは受けるべきであろうが、選択肢を並べられて、翻意されるというのも納得のいくことではない。
しかし、アヴィネスの口から出たのは、以外な言であった。
「そうだ。と言っても、この男の奴隷としてだがな」
「は?」
「なに?」
そんな二人のやり取りを聞いていた優哉は、なぜ自分がここに立ち合うことになったのかを察する。同時に、朱音と美波を外で待たせている事にも合点がいったのだが。
「私が雇ってもいいのだが、さすがに皇女が異境の女を連れ歩くわけにもいかんのでな。その点、勇者であれば多少の融通は利く。物好き勇者の奇行としてな」
そう言って、肩をすくめるアヴィネス。
たしかに、彼女の言うとおり、人種や宗教に対する差別は色濃く残っているとも聞く。実際、自分達に対する貴族の目は、好意的とは言い難く、それが、敵国の人間ともなれば尚更であろう。
「待て待て。なぜだ? なぜそこまでして、私を生かそうとする?」
「さてな。何でであろうな?」
「ごまかすなっ!!」
「うるさいぞ。まあ、この男には側にいて助言をする人間が必要だった。それぐらいであろうか」
「そんなもの、別の人間を宛がえば良かろう」
「だったら、貴様でも良いではないか。それに、道中でも仲良くしていたではないか?」
「それは、私が捕虜であったから……」
そんな理由があるとは言え、自分が生かされ、奴隷の身に甘んじるというのは納得しがたいのであろう。
だが、アリーの抗弁も虚しく、アヴィネスには自身の決定を覆すつもりはさらさら無いようである。
「ははは。まあ良い、さても法術師を読んで、結印をせんとな」
「あ、ま、待てっ!! くっ、優哉殿。これを外すか、皇女を止めてくれ」
「いや、無茶言わんでください」
そう言って、意気揚々と部屋を出て行くアヴィネスを追おうとするも、足に付いた枷に阻まれ、転倒し掛かったところアリーを優哉は慌てて抱えるも、彼女の言に応えることまでは出来そうにもなかった。
短い付き合いではあったが、アヴィネスが人の言うことを聞くような人間ではないことを優哉は理解しているのである。
「へー、奴隷ねえ」
「と言っても、実際には側近のようなモノでしょうか?」
それから、奴隷契約を強引に済ました優哉とアリーは、困惑する朱音と美波とともに、優哉の部屋へと戻る。
すでに訓練から戻っていた昴と健介も足を運んでおり、はじめて目にする異国の女性の姿に少々困惑気味でもあった。
「それにしても、大丈夫なのか? その傷は」
「問題ない。負け戦にでもなれば、この程度では済まん」
「それでも、痛々しいよなあ」
「案ずるな。……ふう。ありがとうございます」
そんな二人であったが、とりあえずの話としてアリーの身体につけられた痣や傷痕へと視線を向ける。
暴力になれない彼らにとって、その傷は衝撃的でもあったのだが、アリーはなんて事は無いとでも言うように涼しい顔を浮かべたままである。
もっとも、無言で治癒法術を使役した朱音には、丁寧な礼を返していたが。
「それで、契約をしちまった以上、一緒に行動するしかないんだが……、美波か朝永の部屋に行くんでも良いか?」
「いや、それは不可能だ。女子宿舎では離れすぎている」
「駄目か……それじゃあ、俺が昴か健介の部屋に行くからアリーはここで」
「気を使うな。私とて、軍人だ。寝床などは選ばぬ」
「いや、寝床だけじゃなくてだな」
とはいえ、いきなり奴隷という形で女性を預けられた優哉は、アヴィネスの無慮を呪うとともに、アリーに対する配慮に苦心することにもなる。
敵国の女性とは言え、優哉達にとっては憎むべき理由もない相手。なれば、女性として相応の礼は尽くすべきであった。
「そんなことはどうでもいい。それより、来るべき戦いに備えるべきであろう? 私も、出来うる限りの事は致します故、以後もよろしくお願いいたします」
しかし、そんな優哉の思いを見透かしたのか、アリーはこれ以上の配慮は無用とばかりにそう言うと、他の者達へと向き直り、頭を垂れる。
そんなアリーの姿と態度に、優哉達はそれ以上何も言うことは出来なかった。
現実問題として、実践の時は刻一刻と迫っているのだった。
女性キャラばかり増えているような気が……。意見等がありましたら、遠慮無くどうぞ。




