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ノリのいい会社〜エピソード2〜

作者: コスミ

広く明るいワンフロアぶち抜きのオフィス。と言ってもさほど大きなビルでもないので、従業員やデスクはようやく二ケタといったところ。


「えー、それでは朝礼を始めたいと思います……」


背筋を伸ばして空咳をひとつ、まだ若い仕切り屋が、整列せずに寄せ集めな社員の一団へと、眠気を殺した声を飛ばす。


「えー、最近……というより今日もですが、遅刻が! どうも目立つ様子でですね、特に未来のある若い社員に……」


ーーガチャ!


と、そう軽くはないドアをぶわっと風ごと押し開けて駆け込む、一人のスーツ青年。


「ね、寝坊……!」声は多少こもっている。その顔は馬であった。「しましたヒヒーーン!」


パーティグッズである。

あのウマの頭部の、パーティグッズである。


会社ビルの近くにある、激安の殿堂のテーマソングが、社員一団の数人の脳内で再生される。そして、いくつかのため息。


「若いな……」と課長職の壮年男性。


「きっちり息を切らしておいて、いななきを練習した姿勢だけは買おう……」と仕切り屋。


「いななき……」伝説の先代を知る古株、ヤマさんの仏スマイル。「童心にかえるね……うまいよ、君」


「ありがとうございます……」ウマは手で抑えるようにして頭を下げる。手応えは、わきまえているようだ。



ーーと、そこへもう一人が慌ただしく駆け込む。



「寝坊……!」全身ずぶ濡れで、その小脇にはこれまたずぶ濡れな仔犬。「しましたぁ……へ、へっくしょい!」


と、また一人入室する姿。

掃除のおばちゃんが、無表情でモップを床に滑らせ始めた。誰にも手伝えない、孤高ともいえる一種の風格がある。


「ちっ、仔犬はズルくねぇか……」と課長の隠しきれない笑み。写メるつもりか、手は携帯の位置を確認している。


「まあ、とりあえずそこに並んでおいて……」と、ウマの横へと手を振る仕切り屋。「着替え、持ってるのか? まあ、ドンキあるからいいか……」


「ほらほら……」ずぶ濡れ青年へと歩み寄っていたヤマさん、どこかの工務店のタオルを手渡す。「風邪をひいたらいけない。あんたも、ワンころもな……」


「ありがとうございます、ヤマさん……」青年は、タオルで顔を素早く拭って首にかけた。


「これ、川の水じゃないね……」おばちゃんが、口の中で囁く。「まあ衛生上、いいけどさ……」



ーーとまた、もう一人の青年が駆け込んで、おばちゃんを躱す。



「寝坊……!」学ラン姿のニキビ顔が、迫真のサスペンス声を発する。「しました!!」


古式な学帽を取って脚へと叩き下ろし、ズバンと音を立てる。と同時に、深々と丸刈りの頭を見せてお辞儀。きっちり直角に近い。


「な、十円ハゲまで……」課長がよろめき、デスクに手をついた。「なかなか、これは、なかなかだ……」


「うん……」仕切り屋の満足げな頷き。「そのストイックさ、認めよう。だがな……」


「みんな、たいへん良く歩んでいるよ……」ヤマさんが弁護するように口を挟んだ。「先代の嘉山さん、あの方が起こした、パラダイムシフト……これは偉大な財産であり、若者たちには壁なのだろうよ」


「おいお前ら!」と、仕切り屋がついに吠えた。「そこに並べ!」


三人の若者が並ぶ。彼らは厳しい怒号に打たれても、怖気づくでも、反感を抱く様子でもない。それでいて、その意志の火が灯る眼差しは、人形にできるものでもない。


「あのなあ……お前ら」仕切り屋はゆっくりと三人の前を歩きながら、何か底深い感情を潜ませた声を響かせる。「先代のマネに過ぎないんだよ、それじゃあ!」


いきなり核心を突く。若者たちが息を飲んだ。おばちゃんが、黙って退室してドアを閉めた。


「いいか……全否定ではない。その発展させる努力は買う。熱意は感じるよ」仕切り屋は立ち止まり、ウマに言う。「お前は、ちょっと安易だな。横を見るまでもないだろうーーいや、見えないかな、ウマを取って見てみろ、え? 取らないのか? まあ……それも結構かも知れんーーこだわることは悪くない。だがな、ネタの工夫が甘くちゃダメだ。こだわりってのはな、ココだっていう勝負所を見抜く目とセットじゃなきゃ……わかるか?」


ウマが、ペナペナと頷く。仕切り屋は苦い顔をして、となりのずぶ濡れタオルへと向かって言う。


「お前は頑張った。ドラマも感じた」


「ありが……へっくし!」


「その練習も買うよ……でもな、やっぱりセリフが、伝説の先代、嘉山さんと同じなんだよ……なぜ、根本を新しくしないんだ……。まったく惜しいヤツらめ……! あとな、仔犬を故意に濡らすのはダメだ。生き物には敬意を払え! せめて、ちゃんと風邪ひかないように面倒見ろよ」


「わかりました……」青年は肩を落とすも、眼にはまだ熱があった。


「そしてお前……」仕切り屋は、学ランを眺め回す。「相変わらず手が混んでいる。同年代でも、一二を争うな。極めて頼もしい。だが……言いたいことはわかるな?」


「はいっ!」とニキビ顔、勇壮な叫び声。背筋は直立以上で、ほんのすこし反り返っている。


「そう……だが、お前なら、すこし言い訳を聞いてみたくなるところだな」仕切り屋の眼が、試練を差し向ける。「お前……何か言い訳は、あるか?」


「はいっ!」うわずった返事の後、目線を固定したまま即座に話す。「自分はっ、本来ならっ、もう一人のっ、同輩とともにっ、到着するつもりでおりましたがっ、彼は何故かっ、さらなる遅刻をっ、している次第っ、以上っ!」


嵐のスイッチオフの後のような、濃い静寂。耳から手を離す、数人の女子社員。


「もう一人……」仕切り屋が思案顔で声を落とす。「そう言えば大田原がまだだな……」



「おお、まさか……」課長が胸をつかむ。「そう、ヤツなら、あるいは今日こそ……!」


「彼は、先代と同じ眼をしている……」ヤマさんは、誰にも聞こえない小声を笑顔に沁み渡らせる。「彼なら……きっと……」


皆の目線が知らず知らず、閉じられたドアに集まる……。社内の鼓動が、じわじわと加速する。皆の鼓動……その誰も知らない同調が、換気の音だけを静かにたたえた空間に満ちていく。


そしてついに……、運命の音が鳴り響くーー



ーープルルルルルルルルーー



ガチャリと習慣の成せる反射神経で受話器を取る女子社員。

どっと、皆の恥ずかしげな笑顔が、パーティの乾杯のようにお互いへと向けあっていく。


「えっ! たい……え!」


と、凍りつく女子社員。皆が何事かと見守る中、彼女は、機械仕掛けのような動きで、ゆっくりと仕切り屋を見つけて、眼を固定した。


「どうした……!」すでに彼は電話へと足早に向かっている。そして受話器を奪う。「お電話代わりました、わたくし常務取締役の……」


駆け足の自己紹介もわずか、彼もまた凍りついて、不安な視線を集める彫像と化した。


「な……そんな、ええ……」内臓からひねり出すような、苦しげな声。「直ちに、ええそれは、直ちに伺いたいと……ええ」


不穏な内容であることは誰にも明らかであった。社員たちはすでに、有事に立ち向かうべく腹に力をこめて立っていた。つい漏れ出てしまいそうな弱音を必死にかみ殺す表情が並ぶ。


やがて、受話器をおいた仕切り屋が、深呼吸の後、皆に向けて声を張り上げた。それはどこまでも淡々とした説明調で、しかし、社員たちには涙に濡れた絶叫にさえ聞こえるのだった。


「駅で……女子学生服を着た男が……逮捕された」


ざわめくオフィス。


仕切り屋は、また短く息を吸って、それを言う。


「……大田原だ」



「ああ……!」腰が抜ける課長。


「な、なんで!」「うそ……」「大田原……俺のせい……なのか……?」うろたえる若者三人。


「バカやろうっ……!」喉が詰まったかのような、嗚咽混じりの仕切り屋の声。「そんな、そんな……本当の、遅刻の理由が出来ちまって……あのバカっ……!」


「そうか……。ああ、なんと残酷な……優秀なゆえに、ゆえにこそか……。おお、なんて、なんて恐ろしい……」ヤマさんの眼から、大粒の涙が落ちる。



やがて、掃除のおばちゃんが、また入室してくる。


オフィスは、あの漢気溢れる、“ひとり動物園”との異名を持つ、世にも厳つい顔立ちの若者、大田原を偲び、涙に暮れ続けた……。


壁にかかった、伝説の先代主任、嘉山の写真さえ、悲哀に染まったかのようであった……。

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