聞こえない音。
今回は「音」がお題ということで、応募用に書いてみた作品です。
音は、日常に溶け込んでいます。
笑い声、ドアを閉める音、掃除機の音。
そして、誰かが生きている音。
自分が出している分には気にならないのに、他人が出す音は妙に耳につくものです。
私たちは普段、それらを鬱陶しいものとして遠ざけようとします。
もし、その音が突然消えてしまったら。
今回は「音」をテーマにした短編です。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
「静かな時間は、贅沢だ。」
それは昔から変わらない、私のささやかな贅沢だ。
美味しいコーヒーを淹れる一番のコツは、
豆を15g量る。
それに対してお湯は225ml。
マグカップを温め、ゆっくり"の"の字を描く。
「粉とお湯の比率1:15」これが、知り合いのバリスタに教わった美味しい入れ方だ。
インテリでも博識でもないが、自分が楽しめる静かな時間をより有意義にする術の知識として覚えたこと。
仕事に追われ家に帰る。
朝早くから夜遅くまで営業で頭を下げる毎日。
仕事に追われ、ようやく家へ帰る頃には、社会というものに嫌気がさしている。
ふぅ、と息をつく。
身体を預けるのは、
人を駄目にすることで有名な大きなクッション。
無音が好きだ。
頭の中で会話が止まらなくなるような思考の瞬間に溺れ自問自答する哲学的な瞬間がいい。
コーヒーの香りにうっとりしながら一口飲んで目を閉じた
苦味の後に、ほんの少しの甘みが残る。
私はその一口を噛み締める。
今日は何に思考をめぐらせようか……
無音で耳鳴りを感じる、冷蔵庫のモーター音さえ心地いい。
この静けさが、好きだ。
どこまで読んだだろうか、ポケットサイズの文庫本を開いては続きを目で探す。
ページをめくる音だけが、静かな部屋に溶けていく。
ドンッ!!
思考が途切れる。
壁の向こうだ。
音に気を取られズレたテーブルのコースターを整える。
時計に目をやると22:17
5分早められた家の時計、それを垣間見ても迷惑な時間だ。
「……また今夜も始まった。」
半年前から、この音は毎晩続いている。
1日も欠かさずに……。
始まりはいつもこの帰宅音。
ドアが閉まる音からものの数秒後。
「パパ、おかえりー!」と聞こえる甲高い女の子の声。
「ただいまー。」は父の声だろう。
ドタドタドタ……
小さく軽いが容赦のない足音が廊下を走る。
ガタンッ「こら、走るな。」、「やだー!」
そして響く笑い声。
歓喜なのだろう騒ぐ声に走り回る音。
隣人は夫婦と子供の一世帯なのか……父と娘の声は聞いたことあれど奥さんの方は見たことがないので居ないのか、この父親が帰った22時以降を皮切りに掃除機のブォーーーと言う音や、洗濯機を回す音まで聞こえ始める。
迷惑だ、もし、父子家庭だとしても、それなら小さい娘を23時前までひとりで留守番させてるのか?
児相を動かすことも考慮して頭の片隅に置く、これは子供を守る大人の義務でもある。
そして昼間から子どもの足音が聞こえたと思えば、夜中に何やら家具を引きずる音が聞こえたりもする。
何をしているんだ?神経質になり過ぎているのかもしれない、でも半年も我慢していれば鬱陶しくも思い始める。
1度夕方に、隣人とエレベーターが被って一緒におりて並んで部屋の鍵を開けた時がある。
その時は遠回しに嫌味を挟んだ
「こんな時間に会うの珍しいですね、今日はお休みですか?」
すると彼は、「そうなんです、有給を消費しろと会社から言われましてたまたま今日はこの時間帯なんです、いつも家の子達がうるさくてすみません、ご迷惑とかおかけしてませんか?」
と、飄々と返答してきた。
その時「うるさいんだよ!」と言ってやっても良かったが、その時は自分の郵便物がこぼれ散らかったことが気になり「いえいえ」と、二つ返事で話を終わらせ部屋に戻ってしまった。
まだ音だけならばよかった、ベランダへ出るといつもタバコの匂いがする。
洗濯物は洗剤と柔軟剤をこだわりの配分で配合した私専用の匂いが作れるように洗っているのに……
くさい。
喫煙所として扱っているだろうベランダからの副流煙が流れてきては、洗濯物を汚していっているのだろう。
今日なんかはもう部屋の中にもその匂いが入ってきている気がする。
細かいと言われてもいい。
我慢の限界は人それぞれだと思うし私は管理会社への文句をつけることにした……。
それが1か月前のことだった、管理会社は電話対応にて「一度注意文を投函します」との答えだった。
そこから1週間、変わることはなかったので私がまた管理会社に電話をかけると「もう少し様子を……。」と関わる気がないことが容易に想像させられ私は続いて警察にも相談をした。
そんな私に無能な警察は面倒くさそうにこう答えた。
「事件性がないので……。」
まるで私がめんどうなクレーマーとでも言いたそうな扱いを、どいつもこいつもして私は怒りが込み上げる一方、その熱量を冷静に行動を移していくことにした。
抗議をするに当たっても準備は抜かりない。
1ヶ月の準備期間を得てしっかり記録を揃えた……
No.001
6月5日(日)22:12
ドア閉鎖音、子供の走る音。 約3分。
No.002
6月5日(日)22:29
掃除機。 約17分。
No.003
6月6日(月)22:48
洗濯機、脱水音。 約8分。
No.004
6月7日(火)07:41
郵便受け、約2cm開いていた。
写真保存。
No.005
6月8日(水)22:16
帰宅音。
「パパ、おかえり。」
子供の声、走る音。
No.006
6月9日(木)23:07
ベランダ喫煙。
洗濯物に煙草臭、再洗濯。
No.007
6月10日(金)22:33
家具を引きずる音。約6分。
No.008
6月11日(土)18:18
玄関ドアノブに擦り傷を一本確認。
写真保存。
No.009
6月12日(日)22:14
掃除機、録音開始。
No.010
6月13日(月)22:57
壁を叩くも改善なし。
─────────────
No.011
6月14日(火)07:39
郵便受けがまた開いている。
偶然か。
No.012
6月14日(火)22:18
笑い声。約11分。
必要以上に大きい。
No.013
6月15日(水)22:44
洗濯機。この時間に回す必要あるのか?
No.014
6月16日(木)18:11
ドアノブに擦り傷二本目。
管理会社へ写真を送信。
No.015
6月17日(金)23:16
煙草臭、今日は部屋の中まで臭う。
窓は閉めていた。
No.016
6月18日(土)22:13
帰宅。
22:14
娘。
22:15
走る。
22:18
掃除機。毎日同じ。
No.017
6月19日(日)07:46
郵便受け。1.8cm。
昨日より開いている、測定した。
No.018
6月20日(月)22:37
壁を叩くも返事なし。
聞こえているはず。
No.019
6月21日(火)23:02
家具。今日は9回。
数えた。
No.020
6月22日(水)22:58
笑い声。
録音。
証拠保存。
─────────────
No.021
6月23日(木)22:14:18
帰宅。
22:14:31
娘。
22:14:47
笑う。
毎日同じ。
No.022
6月24日(金)07:42
郵便受け。
開いていた。
閉めた。
夕方また開いていた。
誰だ。
No.023
6月25日(土)22:33
掃除機。
昨日より1分長い。
嫌がらせに違いない。
No.024
6月26日(日)18:02
ドアノブ。
傷三本確認、絶対増えてる。
写真。
写真。
写真。
No.025
6月27日(月)23:11
煙草。
今日は強い。
服まで臭う、わざとに違いない。
No.026
6月28日(火)22:14:02
ドア。
22:14:09
娘。
22:14:21
笑う。
22:14:37
走る。
22:14:58
止まる。
22:15:01
見ている。
No.027
6月29日(水)07:41
郵便受け。
開いていない。
閉め忘れたのか?
違う。
今日は様子を見ている。
No.028
6月30日(木)22:18
掃除機。
止まる。
私が録音を止める。
また始まる。
偶然?
No.029
7月1日(金)22:14
今日も。
今日も。
今日も。
今日も。
No.030
7月2日(土)22:14:07
帰宅。
22:14:29
声。
22:14:41
走る。
22:14:52
笑う。
22:15:03
掃除機。
22:15:18
壁。
22:15:27
煙草。
22:15:31
聞こえてる。
22:15:35
絶対。
22:15:39
私を見ている。
22:15:44
笑ってる。
22:15:51
今日も始まった。
約1ヶ月分の記録を取り終える頃私は疲弊していた。
そんなある朝、出勤前のエレベーターを待つ時間に私はゴミの日の確認をしていた。
エレベーター横の掲示板には色んな紙が貼ってある。
・火災訓練のお知らせ
・粗大ゴミ回収
・町内会より
・駐輪場について
「掲示板なんて読む人いるんだろうか。」
ボーッと思いながら一瞥するのは今日も出すゴミは合ってるかの確認だけだった、覚えているから間違うことも無いのだが、町内会だののポスターが増えているからか私が疲れているからか何でも目に付いてしまう。
一日の仕事を終え我が家へとたどり着く。
21:53 食事も済ませ至福のコーヒータイムの準備を始める。
今日はタバコの匂いもましに感じたし郵便受けも開いていない。
このまま22時過ぎに帰宅する隣人が静かならば……と
今日は平和な日を願う。
22:05 お気に入りの定位置、デニム生地のローソファー、決まった定位置でくつろえるようコーヒーに合うクッキーを皿に並べていて落としてしまう。
ここ1ヶ月、本当に疲労が限界だったんだろう、目も霞んで見える。
今日は早く寝るべきだとコーヒーとクッキーを持ってソファーへと向かう。
22:15 今日は帰宅が遅いのか?音がしない、こちらとしてはゆっくりできる時間がたまらなく嬉しく胸も踊るような気持ちだ。
22:30 まだ帰宅しないようだ、コーヒーを飲み終わり充分くつろいだ為お風呂をために行く。
22:45 静かだ、今日はこのままくつろげそうだと熱いお風呂につかりザブーーンと溢れる水を見て喜んでいる
23:30 立ちくらみを感じ、のぼせたかと風呂から上がろうとする……
そして私は倒れた、胸が痛い。
頭も打ったのか?いや違う意識が朦朧としつつ息もしづらい……
胸が痛い、痛い、痛い、痛い。
これはなんだ、心臓だ、意識が飛びのきそうだ、声も出ない……
そうだ、もう帰ってきてるだろう……
壁を叩く、ドン!ドン!!ドン!!!
反応がない……
ドン……
意識が保てない、
ドン……トンッ……息が……
「静かな時間は、贅沢だ。」
なんの音も聞こえない。
視界ももうない……あるのは静かな空間だけ。
翌朝、マンション前は賑わっていた。
大型のバスから降りた住人たちが、それぞれの部屋へ戻っていく。
「パパ、ここ……どうしたの?」
娘の指先は、壁紙のわずかな凹みをなぞっていた。
父親はそれを見て、壁の向こうに耳を澄ませた……
何も聞こえなかった。
娘は首を傾げた。
「昨日まで、うるさかったのにね。」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は、日常にある「生活音」をテーマに書きました。
私たちは静けさを求めるものです。安息、とでも言いましょうか。
けれど、その静けさが必ずしも安心できるものとは限りません。
あなたの隣から聞こえる音も、誰かが今日も生きている証なのかもしれません。
シリーズ化するかもしれませんので、その時はまた次のトラブルでお会いしましょう。




