死の呪い(?)の手紙を送りつけてくる隣人が、ただの重度なストーカーだった件
少しでもクスッとしていただけたら幸いです。
「今日も生きてたーーー!!」
辺境の街にある、ハーブの匂いと煤にまみれた小さな工房。
その中央で、私は両腕を天高く突き上げて叫ぶ。
この叫びが一日の始まりになって、もう一か月になる。
私の名前はリーナ。職業、錬金術師。
ここは辺境の街。魔物は出るが税は安い、研究者向けの良い土地だ。
私はそこで、錬金術師として細々と暮らしている。専門は「爆発しないポーション」。地味だが切実な研究テーマだ。
爆発は命に関わる。
それなのに、最近の私は「爆発」よりも、もっと根源的で禍々しい「死因」に怯えていた。
――呪いである。
私の工房の隣には高い塀に囲まれた「開かずの館」がある。
蔦が絡まり、日中でも薄暗いその屋敷から、毎日黄暮時になると“それ”が現れるのだ。
腰が九十度に折れ曲がり、ずりずりと地面を這うような足音を立てる、灰色のローブを纏った老人。
老人は深いフードで顔を隠し、カサカサと乾いた不吉な音を響かせながら、一直線に私の工房のポストへ向かってくる。
そして、枯れ木のような手で一通の手紙を差し入れるのだ。
血のように赤い封蝋。指先で触れるだけでひやりとする、異様なほど上質な羊皮紙。
中身は、いつだって真っ白だ。
文字一つない白紙。
それが、かえって「お前の命もすぐ、このように真っ白になるのだ」という死の宣告にしか見えなかった。
しかも、なぜか毎回、インクの匂いだけが残っている。
二日目に魔除けの護符をドア一面に貼り、
三日目には玄関に魔力を込めたニンニクを大量に吊るした。
五日目には近所の八百屋から「ニンニク泥棒」と疑われるほど買い占めたが、私の不安は消えなかった。
「……遅効性の呪い? それとも、魂を少しずつ削る精神攻撃?」
一か月も生き延びてしまったことで、恐怖は逆に煮詰まり、ついに限界を迎えた。
「呪いの正体、突き止めてやる……!」
私は決意した。錬金術師の意地だ。
食費を削って貯めた金貨を握りしめ、魔導具店で最高級の「真実を暴く解析液」を購入した。
これで何も出なければ、私は本当にただのニンニク臭い狂人として死ぬだけだ。
震える手で、例の白紙の手紙に解析液をぶちまける。
ジュッ、という音がして、羊皮紙が青白い光を放った。
「来る……! 死神の鎌か、地獄の業火か……!」
私は防御姿勢をとった。
だが、紙面に浮かび上がったのは、禍々しい魔法陣ではなく、まばゆいほどに輝く金色の文字。
それも、驚くほど達筆な、流れるような美しい文字だった。
『親愛なるリーナ。
君の髪が薬液に触れそうになるたび、心臓が止まりかける。
もし一本でも焦げたら、僕は世界を燃やしてしまうだろう。
あの髪は君の体の一部であり、同時に世界の秩序だ。
願わくば一本だけ、許可なく保存したい。
君が許さなくても、きっと僕は守る。』
「……は?」 思考が、音を立てて凍結した。
『追伸。今朝、寝癖がついたままゴミ出しに行っただろう? あの、左側にぴょんと跳ねた一房。あれはもはや天使の化身だ。ゴミ袋を置く仕草のあざとさに、私は館の窓を三枚割った。
さらに追伸。君がさっき作った失敗作の爆発音。あれを録音した魔石は私の宝物だ。毎晩枕元で再生し、君の激しい鼓動を感じながら眠りについているよ。愛している。』
「いや怖っっっっっっっ!!!」
私は工房の壁を背にして、悲鳴を上げた。
呪いじゃない。呪いならまだ、お祓いすれば済んだ。
これは――純度百パーセントの変態的ファンレターだ。
「呪いよりタチ悪いわ!! 誰が筋肉を国宝にしろって言ったのよ!
あと爆発音で安眠するな! 鼓膜おかしいんじゃないの!?」
恐怖が怒りに変わった瞬間、私の中で「平穏」を愛する心が弾け飛んだ。
翌日の夕暮れ。私は玄関のニンニクをすべて取り払い、最強の武器――使い古した特大のホウキを構えて、ポストの影に潜んだ。
カサ……カサ……。
例の「カサカサ音」が近づいてくる。昨日までは死神の足音に聞こえたそれが、今は「高級な紙が擦れる音」にしか聞こえない。
老人が、震える手でポストに手を伸ばした瞬間。
「覚悟しなさい、この変態ストーカー!!」
私は物陰から飛び出し、渾身の力でホウキを振り下ろした。
「ぬおっ!?」
老人は情けない声を上げ、派手につまずいた。
そのまま地面を二、三回転がり、生け垣に突っ込む。
「……あれ?」
案外、弱かった。
しかし、異変はそこからだった。
転んだ衝撃で、老人の体から「灰色の霧」が噴き出したのだ。
「あ、偽装魔法が……」
消え入るような声とともに、霧が晴れていく。
現れたのは、腰の曲がった老人ではなかった。
月光を溶かし込んだような銀髪。夜の湖のように深い碧眼。
神様が暇に任せて彫り上げたような、暴力的なまでに整った顔立ちの青年だった。
彼は地面に膝をついたまま、乱れた髪の間から、うっとりとした目で私を見上げた。
「……ああ、ついに。ついに君の方から、僕に触れに来てくれたんだね」
「触れてない! ホウキをぶつけようとしたの!」
「君がホウキで僕を打とうとした、その瞬間……。僕の胸には、愛という名の稲妻が走り抜けたよ。……さあ、もっと。もっと激しく、その木製の棒で僕を導いてくれないか」
「頭がおかしい!!!」
地面に膝をついたまま、ルシフェルはうっとりと自分の「成果」を語り始めた。
「リーナ、驚かせたなら謝るよ。でも、これだけは分かってほしい。
僕は君を守るために、持てるすべての権限を注ぎ込んでいるんだ」
「……権限?」
私が怪訝な声を出すと、彼は誇らしげに胸を張った。
「僕はルシフェル・フォン・アスタロト。宮廷魔導師長として、この国の国防結界の七割を一人で維持し、隣国との魔導戦争を指先一つで終結させた男だ」
「えっ、あの……教科書に載ってる『生ける伝説』のルシフェル様!? なんでそんな人が、変装して他人のポストに白紙の手紙を!?」
あまりの衝撃に、持っていたホウキを落としそうになる。
国家最高戦力が、私の右腕の筋肉を国宝に指定しようとしているのか。
この国の未来が急激に不安になってきた。
「理由は簡単だ。僕の『千里眼』が、偶然にも薬草を摘みながら盛大にくしゃみをして、崖から転げ落ちそうになった君を捉えてしまったからだ」
「あの日かよ!! あの恥ずかしい瞬間を見られてたのかよ!!」
「あの時、僕の全魔力回路がショートした。……なんて危なっかしくて、愛らしい生き物なんだろう、とね」
ルシフェルは立ち上がり、私との距離をじりじりと詰めてくる。
顔が良い。
本当に腹が立つほど顔が良い。
しかし、口から出る言葉は、魔導師長としての知性をどこかに置き忘れてきたようなものばかりだ。
「君の平穏を守るため、僕はまず、隣の『開かずの館』を国家予算をちょろまか……いや、僕の個人資産で買い取った。そして、二十四時間体制で『多次元並列監視魔法』を展開している」
「何それ、怖っ!」
「おかげで君が夜中にこっそり冷蔵庫のプリンを食べているのも、寝相が悪くてベッドから落ちそうになるのも、すべて把握している。落ちそうになった瞬間、僕は不可視の重力魔法で君を優しくベッドの中央へ押し戻しているんだよ。気づかなかっただろう?」
気づくかそんなもん! 私が安眠できているのは、私の寝相が改善されたからではなく、国家レベルの魔法が毎晩私の尻を押し戻していたからなのか!?
「さらに、君の工房に届く白紙の手紙。あれはただの紙じゃない。神話時代の『不滅の羊皮紙』を、僕が特殊な魔術で加工したものだ。君への溢れる愛を普通の紙に書くと、僕の魔力が強すぎて、紙が自然発火してしまうからね」
「だから白紙だったの!? どんだけ高出力なファンレターなのよ!」
「解析液をぶっかけた時、君が火傷しなくて本当に良かった。……まあ、もし火傷をしても、僕が時間を巻き戻して治すつもりだったけど」
サラッと言った。
今、この男、私の火傷を治すために「時間の逆行」という禁忌魔法を使うと言った。
この男の愛は、物理法則すら無視し始めている。
「リーナ、見てごらん」
ルシフェルが指をパチンと鳴らすと、私の工房の周りに、透き通った青い光の膜が一瞬だけ浮かび上がった。
「これは?」
「対・神級魔獣用迎撃結界『アブソリュート・ディフェンス』。たとえ隕石が降ってきても、この工房と君だけは無傷だ。ついでに、蚊やダニの一匹も通さないように調整してある」
「神級魔獣用の結界を網戸代わりに使わないで!!」
眩暈がしてきた。
彼は、その圧倒的なスペックを、一ミリも世のため人のために使っていない。
すべては、一人の地味な錬金術師を「完全に管理し、愛でる」ためだけに消費されている。
「君はただ、笑っていてくれればいい。君の工房の家賃はすでに百年分先払いしておいたし、街の役所には『リーナに税金を請求したら、その役所を異次元に飛ばす』と親切にアドバイス(脅迫)しておいたから」
「私の社会的何かが死んだ気がするんだけど!!」
「さあ、リーナ。次は夕食の時間だ。君が昼間に『たまにはステーキが食べたいなぁ』と独り言を言っていたから、最高級の飛竜のヒレ肉を用意させたよ。今、僕の式神が異世界から調達してきたところだ」
(この人話聞いてくれない…)
私は一口、その肉を口にした。
……悔しいことに、涙が出るほど美味しかった。
こんなに恐ろしくて不気味な状況なのに、胃袋だけが「もっと寄越せ」と歓喜の拍手を送っている。
「……っ、ちょっと待って。美味しいけど!
確かにこの世の物とは思えないくらい美味しいけどね!
これで全部なかったことになると思わないでよ!?
ストーキングは犯罪だし、手紙はホラーだし、私のプライバシーはどこへ行ったのよ!」
私は咀嚼しながら、残った理性を総動員して叫んだ。
しかし、対面に座るルシフェルは、私の剣幕を心地よい音楽でも聴くかのように受け流し、優雅に頬杖をついた。
「もちろん、思っていないよ。
これはただの第一段階。慣らし運転のようなものだ」
「何の、よ……!?」
「君が僕の隣で生きることに、心と体が馴染むための。……ねえ、リーナ。
まずはこの『食事』という生存に不可欠な快楽を、僕に依存することから始めてほしいんだ」
「慣れたくないし依存もしたくないわよ!」
「でも、逃げもできないよ」
ルシフェルが、三日月のように目を細めてニコリと微笑んだ。
その顔面は、相変わらず国宝どころか世界遺産級に整っている。
暴力的なまでの美しさが私の反論を物理的に封じ込めてくる。
「安心して、リーナ」
彼は穏やかに、しかし絶対に逃がさないという確固たる意志を込めた声で言った。
「僕は、君が嫌がることはしないよ。……君がそれを嫌がり“続けている間”はね」
「……それ、全然安心できないんだけど!そのうち慣れて嫌がらなくなるのを待つってことじゃない!」
「大丈夫。もし万が一、君がどうしても本当に、心底嫌になったら……その時は――」
「その時は、解放してくれるの?」
一縷の希望を込めた私の問いに、ルシフェルはまるで愛しい子供に道理を説くような、慈愛に満ちた表情で首を振った。
「いいや。世界の方を説得する」
「…………は?」
「君がこの状況を『嫌だ』と感じてしまうのは、この世界の常識や理が間違っているからだ。だから、君が今の生活を『幸せ』だと感じるように、僕が世界の法則を書き換えて、人々の記憶を調整し、昨日までの理を説得して回るよ。……それなら、君は何も気にせず僕の隣にいられるだろう?」
私は、深く息を吸った。
そして、ゆっくりと吐き出した。
駄目だ。この男、私が嫌がったら私を変えるんじゃなくて、世界を改造しようとしてる。
その規模があまりにもデカすぎて、もはやツッコミが追いつかない。
「……まあ、顔はいいし。ご飯は、……死ぬほど美味しいし」
私はカチャン、と匙を置き、目の前の「美しすぎる厄災」を睨みつけた。
「死なないなら。……それと、ご飯が毎食これなら。しばらく、様子見だからね!
一歩でも変なことしたら、私、自爆ポーション作って自分の工房ごと吹き飛ぶから!」
「うん。それなら僕がコンマ一秒で時間を巻き戻すだけだから大丈夫だよ。……嬉しいな。これから百年単位で、じっくり愛を育んでいこう」
「長いわ!! 人間、そんなに生きられないのよ!」
こうして私は全力で逃げるチャンスを伺い、虎視眈々と反撃の機会を狙いながら。
その実、国家最高戦力の甘すぎる檻に、しっぽまでどっぷりと捕まった。
≪後日談≫
それは、私がまだ「一時休戦中」という名目で、この工房に住み続けて三日目の夜だった。
「リーナ、相談があるんだけど」
ルシフェルが、やけに真剣な顔で紅茶を差し出してきた。
嫌な予感しかしない。
「……何?」
「子供は何人がいいかな」
――紅茶を噴いた。
「最低でも三人。理想は五人だね」
彼は指を折りながら続ける。
「君の研究を邪魔しないよう、成長速度は調整する。
魔力適性は僕が保証するし、万が一ぐれても世界を滅ぼす前に止められる」
「前提がおかしい!! ていうか、いつの間に“作る”前提になってるの!?」
「だって、もう名前も考えているから」
「話を聞け!!」
ルシフェルは本気だった。
恐ろしいことに、顔も声も本気だった。
「男の子なら、君の髪の色を継いでほしいからアウレリオ。
女の子なら、君の瞳に似せてセレナ」
私は頭を抱えた。
「そもそも私まだ“付き合う”とも言ってないからね!?」
「そうだね」
彼はにこやかに頷いた。
「だからこれは“計画段階”だよ」
「計画が壮大すぎるのよ!!」
「安心して、リーナ」
ルシフェルは私の手を取り、いつもの優しい笑みを浮かべた。
「君が嫌だと言うことはしない」
一瞬、安心しかけた、その直後。
「君が“嫌だと言わなくなるまで”、待つだけだから」
「それ脅迫だから!!」
私の悲鳴をよそに、彼は幸せそうに夜空を見上げた。
「月が綺麗だね。
ああ、子供部屋は月がよく見える位置にしよう」
「家建てるな!! 話が進みすぎ!!」
こうして私は今日も、
全力で抵抗しながら、
一切逃がす気のない宮廷魔導師長に囲われている。
……明日こそ、本気で逃げよう。
たぶん。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




