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石川パパンエッセイ集  作者: 石川パパン


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16/20

子供の頃、親に隠れてプレイした『新・鬼ヶ島』あの時のドキドキと、人生の選択について考えた物語

何かの選択を迫られた時、人は考えた末に決断をくだす。


その選択が正しいかどうかは誰にも分からない。


ただ選択をした以上、進まないといけないわけだ。


小中学生の頃、ゲームが好きでよくやっていた。


特にアドベンチャーゲームが好きだった。


私の中で忘れられないのは、ファミコンのディスクシステムで任天堂から発売された新・鬼ヶ島。


1987年に任天堂がファミコンディスクシステム向けに発売した『新・鬼ヶ島』は、前編と後編の2部構成になっていた。このゲームは「ふぁみこん昔話というキャッチコピーを掲げ、昔話を題材としたストーリーで多くの子どもたちの興味をひきつけた。


2作に分割された物語の構成はシリーズ物のゲームとしても新鮮で、続きがどうなるのか。予想するのも楽しいひとときだった。


当時、小学生だったこともあり、新・鬼ヶ島を購入するお金がなく、すぐに買うことができなかった。


ディスクシステムは500円でゲームの書き換えができ、遊べるようになっていた。


小学生の頃、私は使わなくなったディスクカードを持って近所の電器店へ行き、『新・鬼ヶ島』への書き換えサービスを利用した。500円で好きなゲームに書き換えるサービスは画期的で、子どもながらに大きなワクワク感を味わったことを今でも鮮明に覚えている。家に帰ると、宿題もそっちのけでコントローラーを握り、物語の結末を見届けようと何時間も夢中になってプレイした。


その時の高揚感や達成感は、ほかのどんな遊びにも代えがたかった。


1987年に発売されたから、考えてみれば38年以上前の昔の話。


ある意味、私の中でも子供の頃に新鬼ヶ島をやっていたことは昔話になってしまった。


その頃の私は、父親が買ってきた世界名作劇場全巻を強制的に読めと言われていた頃。


せっかく親が教育のために買ってくれたのだから申し訳ないと思い、世界名作劇場を読んでみたのだけれど、50冊以上もある分厚い本の山を見てしまったら読む気がしなくなってしまった。


私は一度嫌だと思ったら、頑固なまでに拒絶するタイプ。


本も読まずにゲームばかりしている私は父親に激怒され、ファミコンを取り上げられ隠された。


父親にゲーム機を取り上げられた時、私はどうしても諦めきれず、家中を徹底的に探し回った。


リビングの戸棚や本棚の裏側、押入れの奥の段ボール箱など、ありとあらゆる場所を捜索した。


そして、ふと天井近くの押入れの棚に目をやると、何か布で包まれた見慣れない物体があることに気づいた。


台を持ち出して必死に手を伸ばし、それがファミリーコンピュータ本体であるとわかった時の心臓が高鳴る感覚は今も忘れられない。


ついに自分の努力でゲーム機を見つけ出し、再びプレイすることができたその瞬間、達成感と少しの罪悪感が入り混じった複雑な感情を味わった。


しかし、私の探しだすという選択や決断は、結局、父親にぶん殴られるという結末を迎えてしまうことになったのだ。


「何で隠しているファミコンを見つけだした」 と言うなり私は父親に投げとばされ、ぶん殴られた。


私はどうやら引くことを知らない頑固者のようだったらしく、冬の寒い時期に家族で旅行にでかけて、気がついたら雪の中をほっぽりだされ、父親に反省しろと言われたこともあった。


ゲームをしてはいけない状況で、私は父親の魔の手に怯えながら、新・鬼ヶ島をプレイしたのだ。


何でそんな状況でゲームをしていたのだろう。


考えてみると私は迫害されればされるほど燃えるタイプらしい。


高校生の時に私が新聞配達のバイトをしながら高校に通うと言った時、親父に真っ先に言われた。


「絶対無理だよ。やめておけ!」


私はその言葉を聞いて異常に燃えた。


できないと言われ、私は絶対にできるという選択をした。


その選択が正しいかどうかは分からないのだけれど、自分しだいで正しくさせることはできる。


そして、私は新聞配達をやり通し、父親をびっくりさせた。


だからなのだろうか?


新・鬼ヶ島をプレイしていた頃、父親に「ゲームをするな」と言われていた時期だった。


そんな状況でもゲームをしている自分がたまらなく好きだった。


自分の意思でゲームをすることを決めたのが、何だか生きている実感がして楽しかったのだ。


新・鬼ヶ島というゲームの主人公は男の子と女の子で、鬼に襲われたおじいさんとおばあさんを救うために旅立つ。


犬、サル、キジを仲間にして鬼ヶ島に向かうというオーソドックスな物語に一見見えるのだけれど、実はそんなありきたりの物語ではない。


いろいろな昔話がミキサーにかけられ、それが前編と後編に分けられて、ふぁみこん昔話できましたと登場した。


本はただ書いてある文章を読むだけ。


しかし、ゲームのアドベンチャーは読んで考えて、自分で選択し、物語が臨機応変に微妙に変化したりする。


時にはその選択が間違いでゲームオーバーになってしまうこともある。


自分の人生なんて本のようにすらすらとページがめくれていくわけではないし、結末だって決まっていない。


そんな中で新鬼ヶ島のゲームのプレイ中、ことごとく選択肢があらわれ、私はコントローラーを片手に考えながら選択をした。


人生で何かを実行する時、その行為の責任や意味を決めるのは他の誰でもなく自分自身である。


たとえば進路や転職といった将来を左右する選択肢も、周囲のアドバイスや意見は参考になるものの、最終的にどう行動するかは自分で選び取るしかない。


誰かが「やめておけ」と忠告し親族が反対したとしても、他人の判断に流されず自分が内心から望む道を覚悟を持って進んだ経験こそが、自分を強くしてくれる。


どのような状況であっても、自分の人生の舵を取れるのは自分しかいないのだと、私は度重なる選択を通して実感した。


人がお前はできないと言ってきても、自分が絶対できると選択をし、覚悟を決めてやるのならば、その選択は正しい方向に行くのだと信じている。


新・鬼ヶ島をプレイしている時は、そんな人生の選択など気にせずに、ただ夢中でプレイしただけだったのだけれど、今にして思えば自分で選択する大切さを新鬼ヶ島で学んでいたのかもしれない。

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