第2話 結局ディースカップルってなんだよ
「ディースカップルになろう」
高校生になって初めてのクリスマス当日。雪は降らないが風は強く、外に出れば凍える時期。マフラーとニット帽で顔を半分以上隠した芙由は、教室に響き渡る声の大きさで、不可解な言葉を発した。
突拍子のない行動をよくしていた芙由だったが、高校に入っておとなしかったことで油断していた。
朝、部活をさぼると言っていた時点で気づくべきだった。平和ボケとは恐ろしい。なんて思ったが、彼女の真剣な瞳から、今の言葉をはぐらかすことは出来なかった。
「……ディースカップルって何?」
「…………なんだろう?」
答えを間違えないようにと考えた出た言葉はただの疑問だったが、芙由は首を傾げた。
口元までまかれたマフラーから顔を出したくないのか、彼女は上目遣いでこちらを見る。
「おい」
「いや、本当さっきまで、私は天才だ! って思っていたんだよ。『ディースカップル』ってネーミングセンスに。全米も驚くくらい、天才だ! って、思っていたんだけれど……」
「ボケにはまだ若いぞ」
「明日で十六歳!」
「そりゃめでたい。今年もサンタの雪弥が来るんじゃねぇの?」
「兄貴は今、外国にいるからね。今年は不法侵入されずに歳をとれる」
「不法侵入って」
「メイドに王子。あと騎士だったり色々されてみてよ。ぶん殴りたくなる」
「毎年ぶん殴って流血事件起こしているだろ」
「あれは兄貴が悪い」
「間違いないな」
思い出そうとしたが。思い出すにも憚る悲劇。雪弥は「血の雨が降ったし完璧だな」と鼻にティッシュを詰めながら、彼の顔面で潰されたケーキを一人処理していた。その間に芙由は中二特有の妄想が記載されたノートを庭で燃やし、全てを抹消した。
「で、結局。ディースカップルってなんだ?」
「……やっぱりやめよう。これもまた、黒歴史になる」
「今更過ぎるだろ」
「今更ってひどい。那津だってそれなりに中二病やっていたでしょ」
「やってねぇよ」
芙由はノートに魔法の陣を描いていたが、俺はそこまでではない。頭の中で自分は転生者だの、人とは違う能力を持っているなど妄想に留めていただけで……。思い出しただけで恥ずかしいな。
「それで? なんだよ、ディースカップルって」
「何だろう? いっ」
首を傾げて上目遣いする姿にイラっとし、芙由の頭を軽くチョップすれば、両手で頭を抑える。
「それで?」
「………………偽の恋人になってほしいなって」
「……は?」
じっと見られたかと思えば、目を逸らされる。でも再び芙由は目を合わせて言う。
「もし、恋人役を頼むなら、那津しかいないなって思って」
「……いや、だからなんでその、恋人?」
疑問の答えは、新たな疑問を生み、彼女の瞳をじっと見つめる。
少しだけ色素の薄い瞳。金色のように輝く瞳は少しだけ日本人離れしているが、彼女は生粋の日本人。親も祖父母も曾祖父母までたどっても、外国の血は流れていない。
そんな瞳に魅了されながら、次の言葉を考える彼女を待つ。
恋人役であって、恋人ではない。
生まれた時からずっと一緒にいた男女がお互い好意をもって、でも関係が壊れることを怖がって前に進めない、なんて甘い空気は一切ない。
彼女は本当にただ、恋人役を頼んでいる。
「高校生は恋愛をする人が多い。むしろそれが当たり前な風潮もあって。皆彼氏だ、彼女だ、なんてすぐに言い出す」
「まあ、中学の頃よりは増えたよな」
「うん。頻度が増えて、皆して、那津とは付き合っていないの? なんて言ってくる」
「……まあ、はたから見たら、そういわれても仕方ないもんな」
高校になっても未だ登下校は一緒にして、土日だって遊ぶ関係。疑われないはずがない。
「でも、那津とそんな関係には絶対にならない」
絶対、と言い切った芙由の瞳は迷いがない。
ここでもし、俺が芙由のことを好きな男子高校生ならどうするつもりだよ、と言ってもよかったのだが、そんな未来は来ない。強がりでもなく、ただ、俺が同性愛者でそれを芙由が知っているから。
「だからって、人に言われたから那津と距離をとるなんて考えられ悪手。それでいっそ、恋人になっちゃえばいいんじゃない? みたいな閑雅に至った、んだと思う」
「……そっか」
静まり返った教室。遠くから、吹奏楽部の練習する楽器の音が聞こえてくる。自己kは十七時。既に外は暗くなり始めていて、電気をつけるか迷い始める時間。
「……外、暗くなったな」
「え? あ、そうだね」
「……帰り、コンビニでもよって肉まんでも食べるか」
「……ピザまんも食べたいから、半分こしよ」
「うん」
どちらも食べたいけれど、二つ買うのは多い。小学生のころ二人で困ったときに、雪弥に「二人でいるんだから、分ければいい」と言われてからずっと半分こして食べている。まあ、兄貴の天才的発想に感動して芙由分け合ったら、芙由と分ける許可は出していない、と言い出し、凄いと思った雪弥の評価が一気にマイナスになったことは言うまでもない。
確かあの後、ピザまんでも肉まんでもなく、なぜだか雪弥のあんまんを渡されて、あんまんが嫌いになった。
「那津。ごめん」
蚊の羽音のように、微かで弱弱しい声で謝られ小さな溜息をつく。
「ちゃんと考えたら……。ううん。ちゃんと考えなくても、私は今すごく那津に嫌な提案をしている」
「そんなことないだろ」
「あるよ。だって、那津には想い人がいるんだよ。それなのに私は、今、最低なことを頼んだ」
想い人と言われて、一人の人物を思い浮かべる。中学校で出会って、同じ高校に通っている人物。自分より背が高く、サッカー部で、同性の『桑原晴樹』。女子からの人気が高く、彼女は常にいるような人間。
俺が入る隙間なんて一切ない相手。何より、芙由と桑原は親しいが、俺は友達にすらなれていない。桑原からしたら友人の幼馴染。
いや、桑原は芙由のことが好きなのだから、邪魔な奴と思われている可能性もある。
「桑原のこと抜きにしたら、そのディースカップルを普通に誘ってた?」
「……」
芙由は答えることなく目すら合わせず、マフラーに顔を埋める。
「……その、ディースカップルってやつ、してみるか」
「………………へ?」
「すげぇあほ面」
「いやだって! 普通は断るところだよ? それなのに、なんで って叩かないでよ。さっきも叩いたし! 馬鹿になったらどうするのさ」
いきなり喚きだした芙由の頭をた叩けば、頬を膨らませて怒り出し、先ほどまでのしおらしさは無くなる。
「ディースカップルなんて名前を付けている時点で馬鹿だろ」
「なっ、全米も褒め称えるくらいのすごい奴だよ!」
「それを言っているのはお前だけだろ」
「だとしても! あ、那津もそれになるttえいった時点で同類だよ」
「じゃあ、お似合いだな」
「お似合いって」
「お似合いだろ。偽でも恋人になるんだ。それならお似合いのほうがいいに決まってる」
鞄から芙由のつけている手袋と同じ形をしたミトンを見せる。
指を自由に動かせないことで実用性はあまりないものの、分厚いことで冬の寒さはしのげる。それに、自分のミトンは中で指ごとに分裂しているらしく、それぞれの指が布で覆われてさらに暖かい。
「……それによく考えてみろ」
「え?」
「俺は桑原が好きだけど、桑原はお前のことがすきだろ?」
「そ、れは……」
「まあ、好きじゃなくても、芙由と桑原が仲いいことは変わらない。てことはだ。俺とお前がディースカップルになったら、俺は桑原と関わる機会が増える」
「そんなの」
ミトンを付けた芙由の手を、持ち上げて手を合わせる。
毛糸や綿でお互いの手が覆われていることで、触れることのない手。それでも暖かく感じるのは、気のせいだろうけれど、芙由の暖かさなのではないかと思うことにする。
「俺は、今後もあいつに思いを伝えるとかは絶対ないし、言えるわけもない。でも、今のままだと後悔だけは残る」
「……」
「俺のためでもあるから、ディースカップルになってよ」
合わせた手を握れば、芙由は唇を噛みしめて、今にも泣きだしそうに瞳に涙を溜める。
「那津は、すっごい、馬鹿だ」
鼻を詰まらせた声は、震えていて、でも握った手を握り返される。
「ディースカップルになっても、話せるかわからない」
「そこはお前が心配することじゃない」
「じゃあ、なる意味」
「良いんだよ。これは俺のことだし。それに、これでお前の不安ごとが無くなるなら、なんだっていい」
「……」
笑って見せれば、芙由も下手糞な笑顔を返してくる。それと同時に、涙が頬を伝り、マフラーに吸い取られていく。
久しぶりに見た芙由の涙に、心が締め付けられる。
芙由を追い込んだ人間、芙由を傷つけた人間。同じ部活の奴か、同じクラスの奴か。いろいろ候補が上がるが、特定することは出来ないし、きっとそれを芙由は望まない。
なら、これ以上芙由が傷つかない方法を取るほかない。
我ながら、芙由への思いが重いと感じるが関係ない。
俺はただ、芙由が笑ってさえいてくれれば、なんだっていいのだから。
「帰るか」
「……そうだね。まん食べよう、まん」
「まんってどんな略し方だよ。あ、そうだ。ちなみに今日はクリスマスっていうイベントがあるし、明日はお前の誕生日なんだけど」
「普通の恋人なら、そういうイベントに乗じて何かするんだろうね」
「だろうな」
「じゃあ、今日はピザマンと、チョコマンを買って食べよう」
「チョコ?」
「クリスマスだから甘いもの。でも、那津、甘いもの好きなくせにあんまんは嫌いでしょ?」
「誰かの兄貴のせいでな」
「ははっ」
先ほどまでの真面目な話とは打って変わって、どうでもいい話へ続ける。
彼女に対する感情は、恋愛なんていう醜く汚い感情なんかじゃない。幼馴染で、兄弟のように育って。誰よりも大切な存在。涙なんか流さず、ただただずっと幸せに笑っていてほしい存在。
だから、芙由が桑原と今後も親しくしていても特に何も思わない。例え二人が恋人になったとしても、多少は胸が痛くなるかもしれないが、そんなのいくらでも無視できるくらい祝福できる。
そのぐらいしないと、きっと俺は、俺を許せない。
それから偽の恋人、芙由の言葉を借りるなら『ディースカップル』はもうすぐ五カ月がたつ。
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「どうだった? 雪弥からの愛情は」
お弁当を食べ終わった芙由に話しかければ、お腹を摩りながらため息交じりに返事をする。
「なんかすごく重く感じたよ」
「流石の愛だな」
「なんか那津が愛っていうと笑っちゃうなぁ」
背もたれのない椅子に寄りかかろうとした芙由は、椅子と共に倒れていった。