安心と安全
トライセクトを詳しく研究するための実験に、私は進んで協力していた。
その見返りとして、男性相手の実践による検証を希望し、それは頻繁に行われた。
相手は、実験回数を増すごとに強い男となっていった。
プロボクサー、キックボクサー、柔道家、総合格闘家など、数々の男を倒した。
私はそれらの男たちを魅了の力を使わずに戦った。
目を合わせずに立ち合って、私に勝ったら破格の報酬を出すと条件を付けてもらった。
そうして相手の全力を出してもらった上で勝ち続けたのだ。
最終的に、スーパーヘビー級のプロ総合格闘家を圧倒した時点で検証は終わった。
『普通の人間ならば、どんなに強い男であろうが水瀬裕子には敵わない』
施設の研究者は、そう結論を下した。
その結果は私に自信を与えてくれた。
これで堂々と外の世界で生きていける気がした。
その後も引き続きトライセクトの研究は進められた。
そんな中、一人の研究者が気になることを口にした。
『アレとどちらが強いだろうか?』
それを聞いて、私はきっとアレとはゴリラかなにかだろうと思った。
さすがに野生動物と戦う気は起きなかったので、少し引っ掛かったが聞き流した。
なにより、まだまともに話せなかったので、口を開くのが億劫だったからだ。
気持ちに余裕が出てきたので、鍛錬以外のこともするようになった。
勉強や遊び、テレビやネット。
今まで何年間も触れてなかったそれらはすごく新鮮だった。
おしゃれにも興味が出て、目を隠すような髪型もしなくなった。
もう男を怖がる必要が無くなったからだ。
そして施設にいた他の子供たちとも会った。
今までは声が出なかったし余裕もなかったから、誰かと会いたいとは思わなかった。
でも、そろそろ人と話す訓練もしておかなければならないと思った。
なにせ社交性というのを全く身につけてこなかったからだ。
男子には近づかなかったが、女の子とは話をした。
とはいっても、いまだに声は上手く出せなくて、話は全然盛り上がらなかったけど。
我ながら、あまりのコミュ障っぷりにドン引きした。
それでも、少し前までは全く話せなかったのだから、進歩はしてると思う。
なんとかがんばって、何人かと少しづつ仲良くなれた。
そんな中で変わった男子と知り合った。
名前は大蔵文翔。
向こうから積極的に話しかけてきて、私の力を知っていると言い、わざわざ目を覗き込んだ。
だけど、彼の態度は変わらずに、そのまま普通に話し続けていた。
きっと男が好きなのだろう、だからこの力を知っているのに目を合わせたんだ。
私はそう決めつけ、それなら別に仲良くなってもいいと思った。
彼は、何か困ったことがあったら助けになるよと言ってくれた。
こうして、ようやく私は不安や恐怖から解放されて、人並みの生活を送れるようになった。
だけど、その平穏な生活は長く続かなかった。
施設内で爆発事故が起きて、それが切っ掛けで施設そのものが閉鎖されてしまったのだ。
普通の保護施設へ移されることになったが、すぐにトラブルを起こしてしまった。
私の目を見た施設長が、急に私を抱きしめようとしたから反射的に叩きのめした。
大事になり、私は他の施設に移される事となった。
だけど、どの施設に行っても、結局似たようなことが起きて放り出されてしまう。
どうやら、私は男がいる場所での集団生活が出来ないみたいだ。
仕方なく、ダメ元で母親に連絡を取ってみた。
すると意外なことに、母は私の為に一人暮らし用の部屋を用意してくれた。
祖父母が家賃を出し、母が生活費を送ってくれるという。
きっと私を捨てた後ろめたさがあるのだろう。
でも、その代わり父と暮らす家には来ないで欲しいとハッキリ告げられた。
私はそれを聞いても、もはや何も思わなかった。
ホームレスとならずに済む、それだけで十分だった。
この時から、私は自分の名前を『ひろこ』ではなく『ゆうこ』と名乗るようになった。
親が私を捨てたのだから、私も親から付けられた名前を捨ててもいいだろうと思った。
一人暮らしを始めてしばらくすると、文翔が訪ねてきた。
そして、生活に困っている事はないかと聞いてくるので、お金が無いと正直に言った。
すると、彼からアルバイトの提案をされた。
仕事の内容は、たまに文翔が指定した男性の情報を集めることだった。
確かに、私にとっては簡単な仕事だ。
魅了の力を使えば、聞きたくなくても勝手に相手は自分の事を話し出す。
もし、暴走し始めたら叩きのめせばいいだけだ。
私はその話を受けた。
家賃は払ってもらっていたけど、他の支払いは母から送られるお金ではギリギリだったからだ。
それに、この体質だと普通のバイトも難しかった。
ただでさえ年齢的に出来る仕事なんて限られているのに、男のいない職場なんて見つからなかった。
それと、この仕事をこなすことによって、魅了にかかった男のあしらい方を覚えてきた。
今まで黙って固まっているだけだったが、多少は対応が出来るようになった。
文翔は、仕事をこなすと結構な額のお金をくれた。
さらに、連絡用のスマホまでもらえた。
その中には、施設で一緒だった子たちのアドレスも入っていた。
何度か話した事のある女の子たちにメッセージを送ってみた。
幸い、文字で伝えるのであれば普通に会話が出来た。
そして友達になり、たまに遊ぶようにもなった。
似たような境遇の子たちだったから、打ち解けやすかった。
中学校にも通い出し、たまにトラブルは起きたがなんとか普通の生活を送った。
高校は、文翔の紹介で燈陽学園という私立にスポーツの特待生として入学できた。
そこでは女子ボクシング部に入部して、初日にそこの主将をKOした。
高校生活は順調な滑り出しだった。
それから三ヵ月の間、特に問題なく過ごす。
目が合ってしまった一部の男子生徒に、思いっきり避けられるくらいだ。
たまに文翔の依頼を受け、男に絡まれれば無難にやり過ごし、しつこい輩はぶっ倒す。
見知らぬ男からプレゼントを貰い、それを臨時収入として暮らす毎日。
格闘技の練習は趣味として続けていた。
自分で作り上げた対男戦闘術に磨きをかける日々。
頭を空っぽにして、男を壊すための技を磨いてる時が、私の一番幸せな時間だった。
鍛錬を積んでいる限り、自分が地球上で最強の人間なんだと思えるからだ。
『安心と安全』
それこそが私にとって、幸せの定義だ。
あとはちゃんと人と話せるようになれば、今後も普通に暮らしていけるだろう。
もう私を怖がらせる人間はいない、心からそう思っていた。
だけど、その平穏は唐突に終わりを告げる。
一条アキラと出会ってしまったからだ——。




