神罰は、望んだ者には下されない
幸江は当主の命を受け、アキラの通う高校へと転入することとなった。
目的はふたつ。
ひとつはアキラの回復具合を自ら確認し、婚姻関係の復活を希望するか聞く事。
その為に、彼の近くに付いてしばらく観察せよとの指示。
もうひとつは、アキラの父が大和の招集へ応じる際に、帯同するように伝える事。
幸江にとって、心から望む指令でもあった。
彼が回復したことを聞かされた時の歓喜。
それはまさしく神が復活したことと同義だ。
今すぐにでもアキラのもとに駆けつけて、その姿をこの目で確かめたい。
その思いが胸を満たしていた。
——だが、負い目があった。
二年の間、アキラの生存を、心のどこかで信じ切れていない自分がいた。
だから、彼を探さなかった。
万が一にも、神が死んでしまっていたら。
彼を見つける力はあったはずなのに、その事実を知る恐怖が、幸江を躊躇させた。
そんな弱い自分が、どんな顔でアキラの前に立つ事が出来るのか。
神の剣になるという誓いは、そんな軽いものだったのか。
幸江は、自身の心の脆弱さを激しく悔いていた。
だから、当主の命令という大義名分に縋り、会いに行く。
そのことに、喜びと共に後ろめたさも感じていた。
転校初日、意を決してアキラの前に立つ。
彼と共に歩もうと告げられていたのに、自分の弱さから、その側にいられなかった事実。
その事で、彼から蔑まれた目でみられても仕方がないと思っていた。
だが、アキラは、教壇にいる私を見て、声を上げてくれた。
『さっちゃん』
神が与えて下さった至高の呼び名。
久々に頂戴したその響きだけで、脳に電流が走り、意識が飛びそうになる。
だが、足を踏みしめ、頬を食い破り、なんとか笑顔を返す。
彼の隣に座る。
口の中の血だまりを飲み込み、違和感の無いよう挨拶を交わす。
そして、事前に決めておいた言葉のみをお伝えした。
決して彼を煩わせないよう、自然に振舞う。
直視など出来ない。
そんな余裕は持ち合わせていなかった。
放課後、校門にて彼を待つ。
当主からの命を果たすという理由をつけて。
アキラは間違いなく回復している。
それは今日一日の彼の様子から伺い知ることが出来た。
ならば確認しなければならない。
婚姻を再び結ぶ、その答えは拒否された。
だが、当然だと思った。
こんな弱い自分が、彼の側にいることを許されるはずがない。
彼から罰を与えられたことに、どこか安堵する自分がいた。
神に見限られる結果となったが、この先も自分が一方的に信仰を続けるだけのこと。
側でお仕えする夢は潰えた。
ならば神の目の届かない場所で、支え続ければ良い。
だが、次の言葉で、その想いが揺らぐ。
『一条を継がない』
それを告げられた時、酷く混乱した。
彼ほどの才覚があれば、一条を足場に日本どころか世界を手に入れられるだろう。
現に、病に伏せる前は、精力的に一条の仕事に関わっていた。
アキラのおかげで、一条の企業は五倍以上の経済成長を遂げていたのだ。
彼の何が、一条を見限らせたのか。
廃嫡の件だろうか?
だが、復活した姿をみれば撤回は容易だろう。
神の意思がわからない。
幸江は戸惑う。
もしその理由の一端が、自分にあるとしたら悔やんでも悔やみきれなかった。
以前は、婚約にも一条の経営にも前向きだった。
だが、今はそれを拒絶している。
私の知らない二年間の療養生活。
そこで、自分を支える人間など存在しないと思い、全てを諦めてしまわれたのではないか。
——だとしたら、それは私の罪だ。
あの時、なんとしてもアキラを探し出していれば。
そして側で支え続けていれば、今のような世を捨てる考えを持たなかったかもしれない。
その考えは、幸江の瞳を仄暗く染める。
神の行く道を曲げてしまった。
それは万死に値する愚行。
神の不死を信じきれなかった自身の心の弱さ。
その醜い痴態。
公園から去っていくアキラを見つめる。
その瞳は自分への強い憎しみで染まっていた。
一週間後、大和本家の広間に重苦しい空気が満ちていた。
一条マコトの査問会。
その場に、私も呼ばれていた。
マコトの処刑を執行する場だ。
だが、きっとそれは回避されるだろう。
アキラがいるのだ。
神は、必ず奇跡をもって父を救う。
そこに疑念は欠片も無かった。
そして幸江の予測通り、マコトは無事に試練を終えた。
だがそのことで、話が思わぬ方向へと転がる。
当主である宗真が、アキラに向かって自分との婚姻を強制したのだ。
思わず、宗真の臓腑をこの場で引きずり出してやろうかと思った。
神に向かい命令するなど言語道断。
この老いぼれに、早めの迎いを寄こしてやろう。
そう殺意を固めたところで、アキラから告げられる。
「誰とも婚姻を結ばない」
その言葉で幸江は悟る。
きっと神は、人間に絶望されてしまったのだと。
結婚相手であった自分が、彼が必要としていた時に側で支えなかったのだ。
その御心は、人を見限ってしまったに違いない。
ならば、この命をもって、責任を取らなければならないだろう。
——人の可能性を神に示す。
それこそが、自分のできる最後の御奉仕。
そして当主へと提言する。
彼と試合をさせて欲しい、私が勝ったら婚姻の復活と大和の養子になる条件で、と。
欲に目が眩んだ老いぼれなら、この条件で許可を出すだろう。
神は死なない、私が神に勝利することなどあり得ない。
これなら大和に縛られることも無くなるはずだ。
神に人の力を見定めてもらい、その上で神へ挑んだ罰を受ける。
私は、この時をもって、殉教の死を決めた。
試合は庭園で行われた。
白砂の上で構える。
それを迎えるように、いつものダラリとした構えを取るアキラ。
神と出会ってからの全てを、今ここで見届けて頂く。
そして、少しでも人間の価値を知ってもらわなければならない。
私の剣は、大和最優。
それはつまり、人類の中でも最上の位置にいるということ。
全身全霊をもって、剣を振るった。
彼へ捧げるために繰り返した型。
アキラへと打ち込むならと想像し、振り続けた剣。
——それらがアキラの足を動かした。
信じられない出来事だった。
あのアキラがその場から動いたのだ。
過去、誰と立ち合っても、一歩たりとも動かなかった彼が。
幸江の心に希望の火が灯る。
私の今までの修練は、無駄では無かった。
彼に一歩、近づくことが出来た。
その事実に、全てが報われた気持ちになる。
自然と涙が滲んだ。
だが、そんな自分の心を引き締める。
目的は、神に人の可能性を認めて頂く事。
私の事など、どうでも良いのだ。
心を殺し、気合を入れ直し、再び切り掛かる。
胴を薙ぎ、みぞおちを狙って柄を当てた。
彼の手によって、それを柔らかく受け止められた時、自然と視線が重なった。
——澄み渡った世界。
彼の瞳は、無限の宇宙を感じさせてくれた。
それは私の知る以前のアキラよりも、深く、広いもの。
きっと彼は、復活の際に、より高位なる神へと移行したのだろう。
その胸を打つような光景と、神から見つめらえた恩恵に、頭の芯が蕩けるのを感じた。
私の人生は幸せなものだった。
幸江の心が、それを確信していた。
そして神へと伝える。
「これから私は、貴方を殺します。それがお嫌でしたら私を殺して下さいね」
それは、殉教の宣言。
決して私を殺す事に、罪悪感など抱かないで頂きたい。
愚かな私は神へと刃をむけるのだから、何も気にせず斬り捨てて下さいと。
その気持ちは清らかなもの。
アキラの瞳を見つめたことにより、心に積もっていた澱が流れ落ちた気分だった。
思わず笑みが零れる。
そこには、もはや暗闇は一片も残っていなかった。
霊気を操り、霊装鎧を纏う。
作り出された太刀を手に、極限まで意識を研ぎ澄ます。
周囲の音はすでに消え、世界は自分とアキラだけになっていた。
刃を振るう。
ただ無心に。
その静かな世界で、神の意思に包まれながら。
——初めて出会った日の光景が脳裏に蘇る。
アキラの道着に切れ込みが入った。
——私の剣は、貴方のおかげでここまで成長しました。
口元に笑みが浮かび、左袈裟斬りを放つ。
——人を見限らないで下さい。
返す刀で逆袈裟切り。
——貴方が導いて下されば、人はこんなにも進化できるのです。
太刀がアキラの体へと吸い込まれていった。
——貴方に傷を負わせることが出来るくらいに。
血飛沫が舞い、鎧に赤い華を描く。
——貴方と並んで歩けるほどに。
幸江の刃は確かにアキラへ届いた。
きっとこの後、神を傷つけた罰として、この命は果てるだろう。
だが、それでいい。
神に見せることが出来たのだ。
人の可能性、その希望を。
——人生最高の瞬間。
今この時に、神の手で天へと送って貰えたら、思い残す事は無い。
全てを成し遂げた達成感で、幸江は幸福に包まれながら神罰を待つ。
だが、アキラは目の前から忽然と姿を消した。
思わず辺りを探すが、どこにも気配が無くなっていた。
再びアキラが現れた時、幸江に見せた表情。
それは傷をつけられた怒りでも、人の可能性への輝きでもなく、少し困ったような表情をしていた。
心はここに有らず。
それは、私の想いが神の心を揺らしてはいないことを意味している。
神は、私の剣に向き合っては下さらなかった。
「届かなかった……?」
確かに自分の想いをのせた太刀は、神の体に埋め込まれた。
人の可能性は、神に手が届くまでに成長できる。
それを示したはずだった。
だが、アキラの体には、薄い傷さえも残っていなかった。
きっと、私の剣は至らなかったのだ。
その事実が、胸の奥に冷たい刃を突き立てる。
希望の光は音もなく消え、心は深い闇に沈んでいった——。




